作品タイトル不明
片栗粉への長い道のり
「……あのね、リーナちゃん」
ベラが帰り支度をしながら、呆れたような、それでいて心配そうな声を出す。
「引き取ってくれるのは嬉しいけど、無理はしないでよ? リーナちゃん、料理のことになると他のことが目に入らないんだから」
「無理なんてしませんよ。ただ、この子たちをどう調理するか……」
「あー、それよそれ! それが怖いんだって」
ベラは山積みの麻袋と、リーナの細腕を交互に見て、ふぅと息を吐いた。
「明日、店を開けられないくらい疲れてたら、おばさん泣いちゃうからね。……ほどほどにね」
「はい、ほどほどにします」
「絶対聞いてないわね、その返事」
苦笑いを残して、ベラが店を出ていく。
カランとドアベルが鳴り、扉が閉まる音だけが大きく響いた。
残されたのはリーナと、麻袋から溢れんばかりの茶色い塊たち。
エプロンの紐をギュッと締め直す。夜営業の準備はしない。入口には「本日夜は休業」の貼り紙をした。今夜は誰にも邪魔されたくなかった。
ベラさんには悪いけれど、「ほどほど」なんて約束、守れそうにない。
だって、目の前に宝の山があるのだから。
「さて……やりますか。何にしようかな……粉ふき芋かな、まずは」
まずは基本から。料理人として、素材の味を知らなければ始まらない。
水で土を洗い流すと、つるりとした表面が現れた。皮を剥く。薄く、丁寧に。剥いた皮は後で何かに使えるかもしれない――そう思って、別の器に取り分けた。
一口大に切って、水にさらす。アクを抜いている間に、鍋を用意する。
水気を切ったジャガイモを鍋に入れ、水を張ってかまどに置く。
やがて、ぐつぐつと湯が踊り始めた。竹串が抵抗なく芯まで通るのを確認し、湯を捨てて鍋を大きく揺する。塩をパラりと振り、熱々のひとかけらを、フォークで突き刺した。
「熱っ……!」
ハフハフと息を吐きながら噛み締める。
ホクホクとした食感のあと、舌の上でほろりと崩れた瞬間、濃厚な甘みが口いっぱいに広がった。
「うわっ……甘い」
シンプルな塩だけでも十分美味しい。
まな板に向き直る。次のジャガイモを手に取った。
「次は肉じゃが。チャッチャといこう」
ストーンカウの薄切り肉、人参、玉ねぎ。
材料を並べ、無心で包丁を動かす。トントン、トントン。一定のリズムが静寂を埋めていく。
鍋で肉を焼き、野菜を入れ、水を注ぐ。
アクを取る。地味な作業だが、ここをサボると味が濁ってしまう。
酒、 美醂酒(ミリンシュ) 、砂糖。そして 醤(ジャン) 。
「……お腹減ったな」
強烈に食欲をそそる、懐かしい祖母の小料理屋の匂い。
さらに煮込む。火からおろし、余熱で味を染み込ませる。
完成した肉じゃがを小皿に取り、一口。
煮崩れかけたジャガイモが、肉の脂と煮汁を吸っている。
「ん~……ッ!」
思わず足踏みした。ストーンカウの強い旨味を、ジャガイモが余さず受け止めている。これは騎士たちが奪い合う未来が見える。
(次は何作ろっかなぁ)
箸を置いて、残りのジャガイモを見る。
まな板を洗って、次の準備。フェングリフの挽肉を取り出す。
鍋に油を引いて、挽肉を炒める。パラパラになるまで、木べらでほぐしながら。ジャガイモを加える。
調味料を入れて煮込む。味見をする。悪くない。むしろ美味しい。美味しいんだが……何かが足りない。
(とろみ? とろみだよ。何が足りないのかと思ったら、そうじゃん!)
「やっぱり片栗粉がいる……」
昨日、ベラさんと話した時に気づいた。ジャガイモからの 澱粉(でんぷん) 。
前世でやったことがある。小学生の頃、祖母と一緒にやった自由研究だ。すりおろして、水に晒して……。
(えっと、沈殿させるんだっけ? どのくらい待つんだっけ?)
手順の記憶が、ぼんやりとしている。でも、やってみるしかない。
「……とりあえず、やるか」
袖をまくり上げ、ジャガイモの山に向き直った。
そこからは、ただの苦行だった。
ジャリ、ジャリ、ジャリ。
おろし金の上で芋を往復させる、単調なリズムだけが夜の厨房に響く。手首は鉛のように重く、ふやけた指先から感覚が失われていく。生のジャガイモ特有の青臭さが鼻につく。
すりおろしたジャガイモが変色していくのを見て「え、ピンク?」と声を漏らすも、構わず布巾で包んで水の中へ。
ぎゅっ、ぎゅっ、と力を込めて揉み出す。
「泡……? こんなの、あったっけ? 覚えてないなぁ」
白く濁った水がボウルに溜まっていく様は、理科の実験そのものだ。
「よし、あとは待つだけ。沈殿、沈殿……」
逸る気持ちを抑え、洗い物を片付けてからボウルを覗き込む。
――まだ白い。
さらに待つ。そろそろかと期待して覗く。
――まだ濁っている。
痺れを切らして上澄みを捨ててみる。そっと、慎重に。だが、底に溜まりかけた頼りない白まで、水と一緒に流れ出していく。
「あーっ! 待って待って、君は流れないで!」
慌ててボウルを戻す。底に溜まるはずの成分まで流れてしまった気がする。
水を足して、混ぜて、また待つ。
覗き込むたび、ボウルの中身は泥水のように濁ったままだ。
(すりおろしが粗すぎた? それとも揉み方が足りない?)
もう一度、布巾に包んで揉んでみる。
でも、やっぱりうまくいかない。泥水を見つめているようだ。
腕が重い。腰が痛い。立ちっぱなしで、足も痺れてきた。
外を見る。もうすぐ夜明けだ。窓の外が、うっすらと白んでいる。
「このやり方じゃ……ダメなの……?」
ボウルの中の白濁した水を見つめる。
前世の記憶は、いい加減だ。知識として知っているのと、できるのは違う。
手順が違うのか。時間が足りないのか。
「明日……もう一度、ちゃんと……」
言葉が途切れる。疲労で、頭が回らない。
近くの椅子に座り込んだ。いや、座り込むというより、崩れ落ちた。
机に突っ伏す。
目の前に、今夜作った料理が並んでいる。こふき芋。肉じゃが。そぼろ煮。
そして、失敗作かもしれない白濁した水。
達成感より、徒労感が勝った。
身体は、もう限界だった。
「あ、これ、無理……」
思考より先に、まぶたが落ちた。
視界の端に、窓から差し込む朝日が見えた。