作品タイトル不明
恋人らしく……ない二人
夜の「アンナの食卓」は、喧騒と湯気に包まれていた。厨房とカウンターを隔てるのは一枚の板だけだが、そこには明確な「温度差」がある。騎士たちがジョッキ片手に今日の訓練がいかにきつかったかで盛り上がる一方、厨房の中では、無言の連携が続いていた。
リーナが洗い終えた皿を置く。ジュードの手が伸びる。視線すら合わせていないのに、濡れた皿は迷いなくジュードの手に渡り、乾いた布で拭き上げられていく。
この数日、そんな光景が当たり前になっていた。
「リーナ、紅茶のおかわりもらえるかしら」
「はい」
アデラインが声をかけると、リーナがポットへ手を伸ばす。ほぼ同時に、ジュードが新しいカップをソーサーに置き、そっと差し出した。
流れがあまりにも自然すぎて、アデラインは頬づえをつき、じっと二人の動きを追った。
「……ねえ。あんたたち、本当に付き合ってるのよね?」
ジュードは磨いていたグラスを光にかざし、曇りがないか確かめながら短く返す。
「ん? そうだけど」
「はい、そうですけど」
リーナもまた、お湯の温度を確かめながら当然のように頷いた。
アデラインは思わず深いため息をつく。
「なんでこう……初々しさがないわけ?」
その言葉に、ガレスが骨付き肉を持ったまま身を乗り出した。
「そうだそうだ! もっと熱々になるだろ普通!」
「手を繋ぐとか、ですね」
「デートとか!」
次々と飛んでくる声に、リーナとジュードの動きが同時に止まった。
二人は顔を見合わせるのではなく、同じ角度で虚空の一点を見つめ、揃って首を傾げる。
「「え?」」
声の高さは違うのに、タイミングは完璧に一致していた。アデラインはこめかみを押さえ、天井を仰ぐ。
「……もう夫婦なのよ、その空気が」
リーナは淹れた紅茶をアデラインの前に置きながら、パチパチと瞬きをする。
ジュードといると、不思議と無理をしなくていい空気になる。背筋を張らなくてもいい。自然と力が抜ける。それが恋人らしくないと言われるなら、そうなのかもしれない。
ジュードは眉尻を下げ、カウンターの木目を指でなぞった。
「でもなぁ……そう言われてもさ、比較する相手がいないんだよ」
「比較?」
「周りにいるの、彼女いないやつらばっかだし」
ガレスの口から、噛みかけの骨付き肉が落ちた。
アデラインは紅茶のカップを口元で止めたまま固まる。
「お前……」
「ジュード……?」
「今、なんという暴言を……」
店内に流れたのは、ただならぬ空気だった。リーナは苦笑し、ジュードの二の腕を軽く叩く。
「それ、一番言っちゃダメなやつ」
「あ」
ジュードがようやく事態を理解し、視線を泳がせた。気まずさをごまかすように、彼は咳払いをする。
「さ、参考にできそうなのは、殿下くらいか?」
「ああ、レオンハルト殿下ね~」
アデラインの声に、茶葉をすくおうとしたリーナの手が空中で止まった。
「ハルトさ……じゃなくて、レオンハルト殿下ですか?」
すぐに動きを再開したが、胸がざわついた。お忍びで来店して驚かされたことは少しだけ根に持っているのだ。
だが、ジュードはふと何かに気づいたように「あ」と声を上げ、首を横に振った。
「いや、ダメだ。殿下は参考にならない」
「え、どうして?」
「あの方は、婚約者に頭上がらないんだよなぁ」
ジュードが可笑しそうにクックッと喉を鳴らす。
あの自由奔放で、嵐のようなレオンハルト殿下が頭が上がらない。
「怖い方なんですか……?」
「怖いっていうか、殿下の手綱を握れる唯一の人、かな。ローゼリア・アッシュ様は」
「……え?」
聞き覚えのある名前に、リーナは思わず手を止めた。
「アッシュ、って……」
「ああ、団長の娘だぞ。美人で頭も良くて、完璧な令嬢だって評判だ」
リーナは目を丸くし、口元を押さえた。
「えっ、団長さんに娘さんが!?」
あの厳格で、近寄りがたい雰囲気を持つ騎士団長。その人に娘がいて……しかも「完璧な令嬢」。
「お父様似……なんでしょうか」
「いや、見た目は亡くなられたお母様によく似た絶世の美女らしいわよ」
「中身が団長似なんだろうな……」
ガレスがしみじみと呟き、全員が深く頷いた。
リーナは少しだけ想像してみる。美しい笑顔で、あのハルトさんを追い詰める完璧な淑女。アッシュ家の血筋、恐るべし。
「つまり、殿下も参考外」
「だな!」
騎士たちの賑やかな声に、店内の空気がほぐれた。
ジュードが小さく首を傾げる。
「じゃあ……どうすればいいんだ?」
「え、今のままじゃダメなの?」
二人の視線が絡む。ふ、と同時に口元が緩む。
その無言のやり取りすらも息が合っていた。
「いや、ダメではないけど!!」
「もうちょっとこう……恋人らしく!」
ジュードが眉を寄せ、リーナが首を傾げる。騎士たちが一斉に頭を抱えた。
騎士たちを見送り、閉店の札をかけた店内は、ようやく静けさを取り戻す。
洗い場に水音だけが響く。
リーナが皿を洗えば、ジュードが受け取り、順に拭き上げる。無言でも動きが噛み合う。皿を受け渡すたび、指先がふと触れ合う。
「恋人らしく、か……」
棚に最後の皿を戻しながら、ジュードがつぶやく。リーナは手を拭き、彼を見上げた。
「よくわからないけど」
「俺も、よくわからない」
目が合う。どちらからともなく笑みがこぼれた。
ジュードの手が伸び、リーナの手を包む。
剣の柄を握り続けた大きな手は、驚くほど優しい。リーナはぎゅっと握り返した。
恋人らしさなんて、きっと後からついてくる。けれど、この温もりに甘えてばかりはいられない。リーナは申し訳なさそうに眉を寄せた。
「ジュード、今日もありがとう。訓練で疲れているはずなのに、いつもごめんね」
「え? 俺が好きでやってるんだから良いんだよ」
ジュードは苦笑して、リーナの髪をそっと撫でる。
「それに……こうして手早く片付ければ、その分、二人の時間が作れるだろ?」
「あ……」
リーナが顔を上げると、ジュードは少し悪戯っぽく片目を閉じてみせた。
「今日はどうする? 外でデートでもするか?」
「うん、しよう!」
二人は繋いだ手を離さないまま、夜のアードベルへと歩き出した。