軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

マリアの恋愛指南

開店準備は、いつもと同じように進んでいた。

テーブルを拭き、椅子を並べ、厨房で野菜を刻む。包丁の音だけが、静かな店内に響く。

でも、頭の中はずっと同じことを繰り返していた。

『俺……リーナのこと――』

ジュードの言葉。途中で遮られた、あの続き。

次に会ったら、どんな顔をすればいいのだろう。何を話せばいいのだろう。

リーナは首を振って、目の前の作業に集中しようとする。でも、手が止まってしまう。

その時、静寂を破るように店の扉が乱暴に開け放たれた。

「リーナ! 大変!」

リーナが驚いて顔を上げると、マリアが肩で息をしながら飛び込んできた。髪が乱れ、頬が上気している。

「マリア? どうしたの、そんなに慌てて」

「街中で噂になってるよ!」

マリアは息を整えながら、大きな声で言った。

「噂?」

リーナには全く心当たりがなかった。息を切らしているマリアを見つめたまま、不思議そうに小首を傾げる

「リーナとジュードさんの!」

その名前を聞いた瞬間、リーナの手から包丁が滑り落ちそうになった。慌ててまな板に置き布巾で手を拭く。

「な、ななな何の話!?」

「昨日の夜、ソフィアさんがジュードさんを見かけたんだって。リーナの店の前で、頭抱えてしゃがみ込んでたって」

「へ?」

ジュードが、店の前で。あの別れの後、しゃがみ込んでいた……?

マリアから告げられた想像もしなかった事実に、リーナの思考が停止する。持っていた布巾が、知らず手の内で固く握りしめられていた。

「それでね、ソフィアさんが声を掛けたら慌てて逃げちゃったって! もう街中その話で持ちきりよ。ねえ、絶対何かあったでしょ?」

マリアはカウンターに手をつくと、好奇心を隠そうともしない顔で、ぐいと身を乗り出した。リーナの返事を今か今かと待つ瞳が、期待に細められている。

「な、何もないわよ!」

リーナは慌てて否定した。でも、自分でも声が上ずっているのがわかる。

「ジュードさんと二人で何話してたの?」

リーナは視線を逸らした。マリアの追及は容赦ない。

「もしかして……告白された?」

「わ、わからないの!」

リーナは思わず声を上げてしまった。

マリアが目を丸くする。リーナはまな板の上の人参を見つめたまま、小さく呟いた。

「途中で遮られたから、本当に告白だったのかも分からない。もしかしたら全然違う話だったかもしれないし……」

『俺……リーナのこと――』

あの続きは何だったのだろう。

「リーナのことを友達だと思ってる」だったら?

「リーナのことを妹みたいに思ってる」だとしたら。

「リーナのことを良い料理人だと思ってる」だったりなんかして!?

考えれば考えるほど、分からなくなる。勝手に期待して傷つくのは嫌だ。

でも、もし本当に――。

「リーナ、聞いてる?」

マリアの声が遠くから聞こえた。

リーナは我に返って、顔を上げる。マリアが心配そうにこちらを見ていた。

「ねえ、その『俺……リーナのこと――』の続き、気になる?」

気になる。気になって仕方ない。

前世でも恋愛経験のなかった自分が、こんな場面に遭遇するなんて思ってもみなかった。ドラマの中だけの話だと思っていた。それに転生してからも婚約破棄という形で捨てられている。元婚約者のことは好きでも何でもなかった。むしろ破棄されて清々したくらいだ。でも――

浮気されて捨てられるというのは、やはり傷ついた。自分には価値がないのだと、突きつけられたような気がした。裏切られることの苦しさを、この身体はまだ覚えているのだ。

「そりゃ、気になるけど……」

リーナは消え入りそうな声で呟いた。言葉の続きを勇気を出して言ってみる。

「もし、告白じゃなかったら恥ずかしいし」

リーナの声は、語尾になるにつれて消えていった。マリアは少し考えるように首を傾げ、それから、ぽん、と手を叩く。

「私も恋愛とか詳しくないけどさ、でもね。ジュードさん、リーナの店の前でしゃがみ込んでたんだよ? ソフィアさんが声かけたら慌てて逃げたって言ったでしょ? 普通の話の途中だったら、そんなことしないんじゃない?」

リーナは息を呑んだ。確かに、そうかもしれない。普通の話なら、そんなふうには――。

「それにさ」

マリアは優しい目でリーナを見つめる。

「リーナはジュードさんのこと、どう思ってるの?」

リーナは言葉に詰まった。

頭の中に、ジュードの笑顔が浮かぶ。美味しいと言ってくれる時の、嬉しそうな表情。遠征から帰ってきた時の、ほっとする気持ち。いないと、何だか寂しい。

好き、なのかもしれない。でも、それを認めるのが怖い。マリアのまっすぐな視線から逃れるように、リーナはまな板の人参へと目を落とした。

「わかんない」

「難しく考えすぎだよ? リーナ」

マリアは笑った。明るく、屈託のない笑顔だった。

「好きなら好きって、まず自分で認めちゃえば楽になるよ。気づかないふりしてると、余計に苦しくなるんだよ。ヤなことばっかり考えちゃうしね?」

どうすればいいのか分からなくて、助けを求めるようにマリアを見つめてしまう。

「まず自分だけでも『好きなんだ』って認めてあげなきゃ。それで、次にジュードさんが来たら、ちゃんと続き聞いてあげなよ。きっとまた来るから。今度こそちゃんと、最後まで話させてあげなきゃね」

マリアの言葉が、静かに染み込んでくる。

そうだ。まず、自分の気持ちに正直になればいい。

『好き』だと。

認めてしまえば、少しは楽になるだろうか。

「ありがとう、マリア」

リーナは小さく微笑んだ。

「うん! 応援してるからね!」

マリアは元気よく手を振って、店を出ていった。

一人になった店内に、静寂が戻る。

リーナは窓の外を見た。朝の光が、店先の看板を照らしている。いつもと変わらない、穏やかな朝だ。

マリアの言葉が、頭の中で繰り返される。

好きなら好きって、認めればいい。次に会ったら、ちゃんと続きを聞けばいい。

リーナは深く息を吸って、開店の準備を再開した。