作品タイトル不明
妻は夫の寝顔を愛でる
「あははははははは」
晩餐の後のサロンに、お義父様の笑い声が響く。
桃色のシンプルなドレスを纏った私は、こっそりとお義父様にカミラさんの勘違いについて相談していた。
アレンは特務隊の面々に捕まり、酒を酌み交わしているのでここにはいない。
護衛として騎士服で立って控えているユンさんは、しばらく笑うのを我慢していたけれど、お義父様があまりに高らかに笑うのでついには「ぶっ」と噴き出した。
「笑い事じゃないんです~!私は真剣に……!」
夫に相手にされない可哀想な妻疑惑、これはどうにか払しょくしたい。
「ごめんごめん、ソアリス。あまりにカミラの勘違いが酷いから、おかしくて」
「お義父様から何とか言ってくださいませんか?私はついに言えませんでした……」
「わかった、私から説明しておこう。二人はまだ『婚約中』なんだって」
からかうようにそう言われ、私はさらに顔を顰めた。
婚約中という言葉をあえて出したのは、お義父様なりのいたずら心だろう。
「けれど、アレンがまだ別室を貫いているとは思わなかったなぁ。てっきりもう意見を変えていると思ったけれど」
「それは、その、私のことを気遣ってくれているからで……」
はっきりと抱きたいとまで言われたのに、私がぐずぐずしてるのと、タイミングが悪かったりと。不可抗力もあるけれど、やっぱり一番は私の意気地がないからだというのはわかっている。
かといって、ユンさんみたいに夜這いなんてできないし、今度求められたら拒絶しないとは決めているもののどうにもこうにもきっかけがない。
「もう荒療治ってことで、カミラの話に乗ってみるのはどう?」
「!?」
「お義父様もね~、そろそろ年だから孫が早く見たいな~なんてね?」
「まだ45歳じゃないですか」
「ははっ、まぁ冗談なんだけれど。ソアリスは自分のためにがんばるのはどうも苦手に見えるから。誰かのため、とかアレンのためだと思えば乗り越えられるんじゃないかい?」
そうかもしれない。
逃げ道を探すみたいで心苦しいけれど、アレンのためとでも思わなければ一生箱入りのままで終わりそうだ。
「まだアレンが戻ってきて半年足らずなんだし、二人がお互いに理解し合って仲良く暮らしてくれれば親としては言うことなしなんだけれど、人はいつ儚くなるかわからないからね」
「お義父様……」
少し淋しげに笑うお義父様は、まだ亡くなったお義母様のことを想っているように見える。
妻を亡くしたとき、お義父様は30歳という若さだった。これまで、再婚しようと思ったことはないのだろうか。
由緒正しい伯爵家の当主なら、とっくに後妻を娶っていてもおかしくないのに。
「アレンのお母様は、どんな方だったんですか?」
気が強くて、凛とした人だったと聞いている。姿絵を見る限り、アレンによく似た黒髪に蒼い目の美人だ。
お義父様は穏やかな笑みを浮かべ、懐かしむように話す。
「とても……」
「とても?」
「愛想のない人だった」
「?」
しんと静まり返るサロン。
ユンさんも「は?」という顔をしている。
「いやぁ、ティアラはね~。見合いで初めて出会ったときはあまりに無表情で、まったく結婚に乗り気じゃないのが伝わってきてどうしようかと思ったよ。私たちは、アレンとソアリスと真逆な感じかな?出会ったとき互いに17歳で、政略結婚だったから見合いと言ってももう結婚することは決まっていて」
「でも、お義父様はお義母様のことを……」
生活が困窮するほど、妻の命を救うために財産をつぎ込んだお義父様。てっきり恋愛結婚なのだと思っていた。
「それが、会うたびに新しい一面を知ってね。好きも嫌いも、自分に正直な人なんだって思ったら可愛く思えてきて。彼女も少しずつ心を開いてくれて、何て言うのかな……懐かない猫をかわいがる感じがクセになったんだよ」
「猫」
「贈り物もそっけなく受け取るんだけれど、隠れてこっそり眺めて喜んでいたり、つれない言葉を発するけれど実は後で反省していたり、そういうところが堪らなく可愛くてね~」
お義父様の惚気は三十分ほど続いた。
とにかく、そっけない妻の本心をいかにして引き出すかにハマってしまったお義父様は、気づけば有名な愛妻家になっていたそうな。
「子どもの頃のアレンは妻に似たんだろうね。じっと相手を観察するように見て、自分のことは何一つ伝えず、何事も自己完結する子だった。ソアリスには苦労をかけたけれど、まぁアレンはこの10年でいい方向に変わったから親としてはさほど心配していないかな」
「そうですか……」
琥珀色のお酒の入ったグラスを傾け、お義父様は微笑む。
優しい雰囲気の横顔は、ときおり見せるアレンの顔によく似ていた。
「2人には家の都合で強引に結婚させてしまって、申し訳なかったと今でも思っているよ。だからこそ、今度は周囲の言葉や都合に構わず、自分たちのペースで家族になっていってもらいたいんだ」
「お義父様」
「でも孫は見たい。ついでに猫も飼いたいなぁ」
「…………そうですか」
あははと軽快に笑ったお義父様は、グラスの半分ほど残っていた酒を一気に飲み干した。
「あ~、お披露目が楽しみだな~。あははははは……。そういえばソアリスもちょっと猫っぽいところあるなぁ」
「お義父様、酔っていらっしゃいますね?」
サロンに来る前から、宰相様やアレンを相手にお酒を呑んでいたはず。
よく見えると頬が赤く、額も赤い。目も虚ろだった。
そろそろお部屋へ、と言おうと思ったそのとき、サロンに同じく虚ろな目をしたアレンがやってくる。
――ガチャ。
「ソアリス、やっと見つけた」
「アレン?探してくれていたのですか?」
席を立つその前に、背後からアレンに抱き締められてドキリとする。
「これほど呑んだのは久しぶりだ」
するりと回された腕が、私の二の腕や肩を撫でる。
「ソアリスの顔が見たかった。もう爺と騎士は見たくない」
宰相様を爺というのはどうかと思うんですが……。
ついてきたジャックスさんによると、宰相様も飲みすぎてすでに部屋へ戻ったらしい。
「アレン、あなたも休んだ方が」
いいのでは、という続きの言葉は出なかった。
いきなり首筋を甘噛みされ、思わず全身が跳ねる。
「っ!」
ひぃぃぃ!ユンさんもジャックスさんも、お義父様までいるところで!!
慌てて逃げようとするも、アレンは私の肩に顔を埋めスンスンと匂いを嗅いでいた。
「ソアリスの匂いがする」
「ほ、報告しなくていいです!」
「愛してる」
完全に酔っぱらっていますね!?
私が慌てているのを見て、アレンは目を閉じたままクスクスと笑う。
「笑い事じゃないです……」
「かわいい。連れて帰りたい」
帰るって、ここはヒースラン伯爵家なのに。
「ジャックスさん、アレンを部屋へ……!」
助けを求めると、彼は苦笑いで首を横に振る。
「この状態のアレン様に触れると、間違いなく殴られます」
「え」
「大丈夫ですよ、アレン様は酔っても普通に歩けますから。むしろ今の状態で敵に襲われても、10人くらいなら余裕で倒せます。ただ甘えているだけなんで、そのまま奥様が寝室へ向かったら一緒に行きますよ~」
「私が連れて行くんですか!?」
ちらりと視線を向けると、お義父様は机の上に肘をつき、手に顔を乗せてスヤスヤ眠っていた。
ユンさんは笑いを堪えつつ、お義父様の肩にショールをかける。
仕方がない。
私は諦めて、アレンの腕をトントンと叩く。
「部屋へ戻りましょう」
「ソアリスのそばにいたい」
「うっ!!」
目が潤んでいる。
朱に染まった頬がとてつもない色気を放っていて、これは直視できない!
「ここにいては迷惑をかけます」
この美貌に慣れていないメイドが見たら、倒れかねない。美しい夫は、存在自体が危険である。
アレンは私が手を引くと渋々それに従い、ジャックスさんの言うようにしっかりとした足取りで2階へ上がった。
よかった。
私の体格と力では、アレンを支えることはできない。遠目から見たら酔っ払っているようには見えず、ただし目を見ると確実に正気ではない感じだ。
――パタン……。
アレンのために用意された寝室は、淡いミントグリーンの壁紙や白い寝具が清潔感のあるシンプルな雰囲気。
ベッドに座って靴を脱ぐと、彼は無意識に剣をサイドテーブルに置く。
私はグラスに水を入れ、座ってぼんやりしているアレンに手渡そうとする。
「大丈夫ですか?」
目は合うけれど、彼は無言で私を見つめていた。
「アレン?」
「……いや、何でもない。ありがとう」
グラスの水を飲み干すと、アレンはふぅとため息を吐いた。
――コトン。
テーブルにグラスを置く音が、妙に響いた。
とても静かな夜で、窓の外にはきれいな月が浮かんでいるのが見える。
「ソアリス」
「はい?」
返事をすると同時に、ぐいっと手を引かれてベッドに倒された。
「アレン!?」
「んん……」
長い腕が私の身体をぐるりと囲い、アレンは目を閉じて動こうとしない。
え、このまま寝る気ですか?
私の心臓は胸を突き破るのではと心配になるほど激しく鳴っているのに、アレンはスッと寝息を立てはじめる。
えええ、どうして寝られるの?
酔っているから!?
それとも、もう私に興味がなくなったとか……。でもさっき「愛してる」って言っていたし……。
わからない。
背中に感じるアレンのぬくもりが、ますます私を混乱に陥れる。
「アレン、離してくれませんか?」
「…………すまない」
起きていた。
起きていたけれど、離してはくれないらしい。
そして耳元でアレンの低い声がした。
「明日、面倒な奴らがくる」
「え?」
「すまない」
何のことだろう。もしかして、お祝いを言いに来る親戚のことを言っている?
面倒な奴らって、どのあたりが面倒なのかしら。
「ご親戚のことですか?」
アレンからの返事はなかった。
本格的に眠ってしまったようで、私がゆっくり体勢を変えてもアレンは目を閉じて動かない。
「仕方のない人」
ヒースラン家の親戚といえば、亡きお母様側はアレンのアカデミーの入学金を用立ててくれるなど、陰ながら支援を続けてくれたと聞いている。
アレンが将軍になってからも、適度な距離感で接してくれていた。
つまり、アレンがいう面倒な奴らというのはお義父様側の親戚だろう。
お義父様は妹が2人、弟が1人の4人兄弟。いずれも他家の人間になっているから、困窮しているときもまったく援助がなく交流さえもなかった。
ヒースラン伯爵家が再興し、一人息子のアレンが将軍になったことで、今になって急にいい顔をし出したということなんだろうか。
私のことも、難癖をつけてくる可能性がある?
考えてもどうしようもないので、私は私にできることをするしかない。
「大丈夫ですよ。私はアレンの妻ですから」
艶やかな黒髪を撫でる。
きっと、朝まで起きないだろうな。
こんな風に、毎夜寝顔を見られる日が来るのかしら。
無防備な寝顔は少しあどけなさが残っていて、かわいく思えた。
「おやすみなさい、アレン」
「おやすみ」
「……起きているんじゃないですか!」
「ん」
結局、二人してそのまま明け方まで眠り、私はこっそり自室へ戻るのだった。