作品タイトル不明
130話 最後の抵抗
その、第一王子の宣言を。近くにいた多くの兵士が聞いていた。
それは、仮にも王族の言葉であるから兵士としての義務感が働いて耳を傾けたこともあるかもしれないし──
──或いは、それ以外の理由。彼らの心のどこかに刺さったからでも、あるかもしれない。
今の言葉を。
エルメスやカティアたちのような人間が言ったとしても、そこまで刺さらなかっただろう。彼らの持つ力はあまりにも隔絶している、それを得るまでに様々な紆余曲折があったとしても、兵士たちは例外なくそれを知らない。兵士たちにとってエルメスたちは最初から別世界の住人、何を言ってもそのフィルターがある以上真に迫った響きは生まれない。
けれど、第一王子ヘルクは違う。王族という立場であっても、この国の人間の多くが彼に向けていた感情は憐憫であり同情だった。生まれた時から分不相応な能力に到達することを求められ、それができなかったあまりか本来かけられる期待ですらも第二王子が生まれた途端に全て持っていかれた。
一言で言うなら、かわいそうな王子様。それが王国人の──とりわけ王族に近しい場所にいる兵士たちにとっての認識であり。ヘルクは憧れ崇拝する対象ではなく、むしろ自分の情けなさや不満を投影する対象だった。
なのに、そんな人が。同情して共感する対象だった人が。
あんなことを考えていた。言ったことが全て心の底から出た言葉だとも、声の響きや状況や──何より彼がこれまで行ってきたことが証明している。
言い知れぬ感情が、兵士たちの中に浮かぶ中。
けれど、その全てを再度絶望に叩き潰すように。カルマがヘルクの前に降り立ったところも、全員が目撃してしまった。
勝てる気がしない。
カルマと対峙した瞬間、極めて冷静にヘルクはそう悟った。
まず、外見が違う。大まかな造形は変わっていないが、全体の輪郭がどこか焔のように不定形な揺らめきを放っている。加えて今まで感じたものとは桁違いの魔力の脈動。近くにいるだけで威圧感に心臓まで止まりそうなほどのそれは微かな発光も伴って、もはや魔物──どころか生物にすら思えない。
例えるならば、神性。或いは精霊。カルマの異様に整った容姿も相まって、そういう隔絶しすぎるあまり別次元の住人に思えるような、そんな存在が目の前にいる。
エルメス、ルキウスと戦った際に、何が起こったのかは知らない。
けれど、眼前の光景が雄弁に証明していた。こいつはあの二人を真正面から打ち破って──加えて、この決定的で超越的な進化を果たしてしまう何かがあったことは。
「ッ、ぁ……」
「怯えてるねぇ」
一歩近づかれるだけで、胃の底が根源的恐怖に凍り付く。それを容易く見透かすと、カルマはぞっとするほど美しく微笑んで。
「じゃあ、大人しくそのままいてくれないかなぁ? そうすれば一瞬でさっさと殺してあげるから。人間って苦しいのは嫌なんでしょ?」
怖い。辛い。こいつの前で息をすることすら苦しい、なんでも良いからさっさと楽になりたい。
そう本能的に思ってしまう。それを見切った上でのカルマの誘いは最早慈悲にすら思えて、文字通りの死という救済がとてつもなく甘美なもののように思えてしまう。
実際そうすれば、きっとすぐ楽になれるのだろう。こいつがこの場面で悪趣味な嘘をつくやつでないことはこれまでの対峙で分かっている。だから、さっさと提案を受け入れることが正解だ。
そう。圧倒的上位者には、身の程を弁え大人しく身を委ねるのが美しい。
この国で生きていれば、誰だってそれを学ぶしその結論に至る。
でも──だから。
「……断る」
胃の底から捻じくり返るような痛みと共にその言葉を吐き出す。苦しげに、けれど本心から。
容易い救済なんていらないから。苦しみ続けるんだと決めたから。誰よりもみっともなくもがくんだって、誰でもない自分の想いに誓ったから。
確かな誇りを持って、ヘルクはそう告げて。
「……そう。じゃあ──」
「っ、ぁあああああああああッ!」
途端に鏡のような瞳になって魔力を高め始めるカルマ。その攻撃に移るまでの僅かな一瞬で、ヘルクは怯懦を乗り越えるように絶叫すると、詠唱を終えていた魔法を撃つ。
「『 白凪の大蛇(エリヴァ・ガルダ) 』ッ!!」
慣れ親しんだ、彼の血統魔法。周りの誰よりも劣っておりかつそれ以外の魔法の使用を封じた、彼の劣等感の象徴であり呪い。その魔法を、けれどそれしかないから放つ。
……分かっている、意地や気合いで奇跡なんて起きないことは。ここで魔法のような覚醒を果たしてカルマを討ち倒すなんて素晴らしい展開は起こらない。こんな状況でこいつに放つ魔法が、何かできるだなんて誰よりもヘルクには到底思えない。
でも、それでも。無駄な足掻きでも、意味のない抵抗でも。
それでも──最後の最後までやるのが自分だから。そんな悲壮な決意と共に魔法を撃ち放つ。
「……はぁ」
カルマの方は、そんなヘルクを覚めた目で見る。
実力の差は明らかだ。こんな魔法、相手をするのも煩わしい。同じ魔法を使って対処するのも面倒だ。
そもそも今の自分の体なら、多少の魔法なんて直撃したところでびくともしない。だから何もしなくても良いのだが流石にそれは舐めすぎだろう。
だから、魔力の放射だけで弾き飛ばす。
舐めているわけでもなく、過剰防衛でもない、戦力を把握した上での極めて適切な対処。実際魔法の威力で見ればその見立てはこの上なく正しく、脆弱な血統魔法を桁外れの魔力放射が蝋燭の火も同様に吹き飛ばす──
── ことはなく(・・・・・) 。
どころか、本来なら吹き飛ばされるはずの魔法が威力を保ったままカルマの魔力放射と打ち消し合うどころか打ち勝って、魔法が直撃し、更に。
カルマの体の(・・・・・・) 半分が凍り付いた(・・・・・・・・) 。
「────────、は?」
生を受けて以降初めての感情と共に、初めての声が出た。
「な、ん」
意味が分からなかった。
まず、あんな弱い魔法が自分の圧倒的な魔力放射に勝てた理由が不明。いやまぁそこまでは良い、明確な形を持たないただの魔力ならもしかすると不具合も起こり得よう。
故に最も不可解極まるのは、その後の現象。
──何故、ヘルクの魔法がここまで自分にダメージを与えている?
「か、ァ」
声を出そうとして、その機能すら凍り付かされて半ば失っていることに気付く。これまで空を飛ぶような心地だったのが、急激に地に叩きつけられたような。エルメス及びルキウスとの戦いで捨て去ったと思った感覚、のたうち回りたくなるような感覚──激甚な痛みと苦しみが、自分の体を支配していることに遅まきながら気づいて。
何より──それを引き起こしたヘルク自身が、この場の誰よりも驚いたような顔をしている。まさかここまでとは思わなかった、とでも言いたげな顔をしているのを見て。
不可解と、不明瞭と、不快感。耐性の無いそれら全ての感覚を一度に味合わされ。
カルマは、人生で一度も体験したことのなかった絶叫をこの瞬間に放つ。
「ッ、なん、だよッ、これ──!!」
◆
「── 効いた(・・・) 」
その、光景を。
唯一確かな理解と共に見るものがいた。
「正直、ッ、賭けだった、けど──完璧に嵌まった。ヘルク殿下も諦めないでいてくれたし、あの魔物の魔法に対するこだわりもプラスに、働い、たな……っ」
エルメスである。
カルマの圧倒的な魔法の直撃を受けあちこちに浅くない傷を作りながらも、それでも確かな意志の光を宿して視線の先を見据える。
──カルマという存在は、凄まじい脅威だった。
完全にエルメスの上位互換。相手の魔法を見て即座にそれを再現してみせ、魔法を見れば見るほどに学習及び対応して無限に強くなる受けの極致。
だが……それでも、エルメスが優っている部分もある。
エルメスにあってカルマに無い部分、それを。
「……気付かなかったでしょう」
カルマとは違う確信を持って、エルメスは告げる。
「僕とルキウス様との戦いを通して、あなたがどれだけ劇的で、圧倒的で、不可逆で──
──そして、 危険極まりない(・・・・・・・) 進化をしてしまった(・・・・・・・・・) のかを」
さぁ、正念場だ。満身創痍だが、倒れている余裕はない。
唯一見えた勝機を全身全霊で手繰り寄せるべく、残った僅かな力を振り絞ってエルメスは駆け出した。