軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

49話 彼女の願い

──入ってくるのが、分かった。

(……やめて)

大司教の魔法が、思念が。心の壁を破壊して、同系統の魔法持ちである自分が無意識に張っていた防壁も叩き壊して、入り込んでくるのが分かった。

(……やだ)

それを理解しても、自覚しても抗う術は最早ない。何故なら、

『ははははははは!』

侵入し、蹂躙する大司教の思念が。魔力が、魔法が、あまりにも強力すぎたから。

『さぁ、終わりの時間だ小娘! 貴様も配下に降れ、神の僕となれ。此処より築く、神の国の礎となるが良い!』

大司教ヨハン・フォン・カンターベル。

凄まじい意志と、恐ろしい思念と──あまりにも揺るぎない願いを持った。その方向性はどうあれ、紛れもなく教会の最上位に上り詰めるに相応しい人間。

『諦めろ。貴様が何をしようと、どう足掻こうと! 私は私の理想を遂げるまで絶対に止まらん。貴様如きが、その歩みを阻めるなど思わないことだなぁ!』

自分には、そこまでのものがない。見つけられない。

故に大司教の言葉も、一切の否定ができない。その通りだと、思ってしまう。

……こんなのに、勝てるわけない。

相手の強さに、自分の弱さに。心が折れてしまった彼女には……もう、何一つ抵抗する手段も意志も、持つことができなかった。

『──終わりだ』

それを理解してか。

大司教が、ニィナの心を隅々まで破壊して。ついに最後の最後、心の深奥でうずくまる彼女を引き裂こうとして──

──止まった。

『…………は?』

(…………え?)

奇しくも、大司教ヨハンとニィナが同じ疑問の声を上げる。

ニィナの心の本体を破壊すべく伸ばされた大司教の手が、彼女の寸前。

──淡い 翠(みどり) の壁に、阻まれていた。

『……なんだ、これは』

大司教の思念が更なる疑念に染まるのをよそに、ニィナも顔を上げて手を伸ばす。

半透明で、どこか温かなそれに触れた瞬間、彼女はそれが何かを理解した。

だって──彼女にとって、最も馴染みのある魔法だったから。

(──『 妖精の夢宮(イル・フェルリナ) 』)

彼女の血統魔法、魅了の魔法。それが、 彼女自身に(・・・・・) 掛けられていた。

誰が──との疑問もすぐに解決する。何故なら彼女の知る限り、それを使えるだろう人間は彼女以外に一人しか存在しない。

(エル君の、『 妖精の夢宮(イル・フェルリナ) 』だ。でも、いつ!? 大司教の予知を掻い潜ってどうやって──!!)

それも、タイミングは一つしかない。すぐに思い至った。

──リリアーナと対峙した時だ。

あの時の王女様は、謎の黒水晶の魔道具を使って『エルメスの魔法』を使用することができていた。彼のものとわかる強力な『 精霊の帳(テウル・ギア) 』をはじめとした、彼の再現した多種多様な魔法を扱っていた。

ならば、その中に──『 妖精の夢宮(イル・フェルリナ) 』が含まれていたとしてもおかしくはない。

それを戦いの中で、リリアーナが他の魔法に混ぜてこっそりと放った。

他の攻撃魔法ならこっそり放ったとしても彼女の魔力感知を掻い潜れない……いや、仮に『 妖精の夢宮(イル・フェルリナ) 』だったとしても行動を支配するような類なら気づいただろう。

何故なら以前エルメスが話した通り……彼女は、自分に害をなす魔法に対しては恐ろしく敏感だから。

でも、この魔法は。

この『 妖精の夢宮(イル・フェルリナ) 』は違う。一切の害意なく、そこにあるのは真逆の感情だけ。行動を抑制する意図もなく、まさしく『ただ魅了するだけ』の効果を抽出し、故にニィナ自身にも気づかれることなく彼女の心に 魅了(チャーム) を乗せた。

そして。

思考改変系魔法の法則、二つ目。

──『 最初に(・・・) かけた方が(・・・・・) 圧倒的に(・・・・) 有利(・・) 』。

上書きが極めて難しいという、その法則を応用した先んじての魅了。

それが意味するところは、一つ。

(……全部、分かって。守ってくれてた)

エルメスは、大司教の洗脳魔法が異常なことも、その牙がニィナに向く可能性が極めて高いことも全て読み切った上で。

あの、予知によって凄まじく限られた状況で。大司教によって一番読まれやすいという最も不利な立場であったにも関わらず。

その中で手を尽くした。予知が乱れたタイミングで仕込みを行い、唯一全く読まれないリリアーナに実行させることで完璧に大司教の目を掻い潜り。自分にも気づかせないことで完全に発覚の可能性を絶った。

そうして、このタイミング。

最も重要な状況で、最も致命的な大司教の一手を潰し。ニィナを守るべく、魅了の先がけによる彼女の心の保護を行ったのだ。

……ニィナは思い出す。

かつて学園で、彼と別れた時。彼に告げられた言葉を。

『その上で──貴女の願いが、心からのものであるのならば。貴女の想いが、誰に憚ることのない美しく思えるものであるのならば』

『そうであるならば、頼ってください』

『その時は──必ずや、僕の力の及ぶ限りで味方になると約束します』

これまで、彼女を支え続けてきた言葉。

でも同時に……無理だろうなと思っていた言葉。この極めて彼に不利な状況下では、話をするどころか彼女に会うこと自体もまず不可能に近い状況では。どう足掻いても力になることは無理だろうと、ニィナ自身諦めていた言葉。

でも、違った。

彼は、しっかりとそれを守った。話すことができなくても彼女の事情をしっかりと推察し、その上で宣言通り、力の限りを尽くして。今ここで、致命的な心の暴虐から最後の最後に彼女を守る、とびきりの魔法を用意した。

翠の壁に、もう一度触れる。

すると……伝わってきた気がした。

──こんなことしかできなくてごめんなさい、と。

──辛い状況で、ずっと頑張らせてしまってすみません。でも……負けないで、と。

そんな声が、彼がこの魔法に込めた想いが、確かに聞こえた気がしたのだ。

(──そっ、か)

そして、少女は知る。

己の心の在処。自身の想いの先。

彼女が抱くべきものが、何であるのかを。

そこで、大司教の思念が叫んだ。

『は。こんなもの──何だと言うのだッ!』

もう一度、腕を振りかぶる。心の破壊を邪魔する翠の壁を、今度こそ破壊しようと力を込める。

……そうだ。大司教の洗脳魔法、通常手段と組み合わせたその魔法の威力は規格外。

過剰な改変が不可能な法則も、同系統の魔法持ちに効かない法則も全て貫通した。

ならば今回の、最初にかけた方が有利な法則でさえ貫通しない道理はない。

『どうやらこの魔力、またエルメスが邪魔をしているようだなぁ! だが言っただろう、その程度で私の歩みを阻めるなどと思うなと!』

更に、エルメスはまだ思考改変系魔法への造詣は然程深くない。

洗脳魔法を長年活用してきた大司教と比べてしまえば、術者としての力量は未だ大きな開きがある。いくら先にかけたほうが有利とは言え、それを覆して奴の魔法を破壊することは十分可能。

『さぁ、今度こそ、終わりだッ!』

その確信と共に、大司教の思念は三度目の正直とばかりに腕を振るう。

……だが。

それは、あくまで大司教の魔法が十全に力を発揮できる……通常の洗脳手段が有効な状況であればのこと。つまり。

── ニィナの(・・・・) 心が(・・) 未だ(・・) 折れた(・・・) ままで(・・・) あれば(・・・) 、という前提付きでの話だ。

『……な、ぜだ』

大司教が、再度止まる。

それはエルメスによる翠の壁に阻まれたから──ではなく。

この空間全体に満ちる力によるもの……そう、侵入者を排除しようとする、この心の本来の持ち主によるものに他ならない。

それを理解した上で、大司教の思念は前を向く。そこには、

『……なんだ、何だ貴様』

立ち上がり、今までとは全く違う表情を浮かべた、少女の姿。

その美しい金の瞳に宿るは、輝ける想いの……大司教が一番嫌いな類の、想いの数々。

『何故、そんな顔をしている! 貴様が、今更ぁ!』

嫌悪感も露わに、大司教の思念は叫んだ。

『今更立ってどうなる、何の夢を見ている、貴様ごときに何ができる! 流されるままの、取るに足りない、何の願いもない貴様が──』

「 あるよ(・・・) 」

だが、そこで。

今までで一番強い、確かな意志を込めた言葉で。彼女は端的に、こう答えたのだ。

「あるよ、あったんだよ」

ニィナ・フォン・フロダイトは思い出す。

彼女を折る原点となった言葉。今しがたもかつての弟の口を借りて放たれた、呪いの言葉。

『好きな人間の心を捻じ曲げる。そんな醜い血統魔法の持ち主がさ……どうやって、素晴らしいものになれるって言うんだい?』

それが、彼女を縛った。

この魔法が、嫌だった。無いとは思っていても、その魔法を無意識に使って悲劇を起こしそうな自分が嫌だった。そんなくだらない言い訳で、何にも頑張れず、誰とでも一定の距離をとって漫然と生きているだけの自分が嫌で嫌で仕方なかった。

……でも、本当は。

だからこそ──本当は。

「あったんだ。ボクにだって、願いは」

それを、大いなる願いを持てないせいだと思っていた。

世界を懸けるような、素晴らしいものを持てないせいだと考えていた。だからきっと、ああいう場に自分はずっと立てないと線を引いていた。諦めていた。

……けれど。

それでもいいと、今、思えた。彼の魔法が、そう思わせてくれた。だから。

「あなたみたいに大きくはない。カティア様みたいに素晴らしいものじゃない。サラちゃんみたいに突き詰められるものでもない」

彼女は、自身の想いを定義する。

多くのことがありすぎたせいで忘れていた、あの日の呪いから始まった始原の願いをもう一度取り出す。

「小さくて、ささやかで。あなたたちと比べるまでもなく、取るに足りなくて。

──でも、女の子なら誰だって抱く。そんな願い」

不思議な気分だった。

今の今まで、世界の終わりかってくらい落ち込んでいたのに。もう何があっても無理だと、完全に心が折れたと思っていたのに。

たった一つの魔法で、ささやかなメッセージで。あっさりと真逆の気分になって、我ながら単純すぎると笑ってしまうくらい、何だってできそうな気がしてくるんだから。

それを、人はなんと呼ぶのか。

彼女は、とうの昔に知っている。

「ボクの、願いはね」

それは。

「──恋をしてみたいんだ」

『──』

「好きになった人の心を惑わせる。そんなひどい魔法を受け継いでしまった、人と関わりすぎることが怖くなったボクでも。それを全て知った上で、好きになっていい人と出会いたい」

呆然と。

あまりに予想外の願いを示された大司教に構わず、ニィナは続ける。

「何にも本気になれないボクでも、その人のためなら何でもできるような。想いが燃え上がるような、その時の何もかもを捧げられるような。そんな素敵な恋がしたい。そう思える人を、見つけたい。──ううん」

理解できない生き物を見るような。

随分と失礼な視線を向けてくれる大司教の思念を指差すと、ニィナは。

「もう、見つけてるんだ。だからさ」

確かな意思と、揺るがぬ願いと共に、告げる。

「どいてよ。エル君のところ、行けないじゃん」

『き、さま──!』

大司教が激昂する。

『そんな、そんなくだらないもので! 私の理想を!』

「くだらない……まぁ、確かにねぇ。あなたたちみたいに大きくはない、それは認めるし、間違いないよ。──でもね」

そこで言葉を区切ると、ニィナは……微笑んで。

魔法なんて、なくても。全ての人を魅了するような。誰もが恋に落ちるような。

可憐な微笑と共に、少女は告げる。

「 普通の女の子(・・・・・・) はね。そういうくだらない願いのためにこそ、命をかけられちゃうものなんだ」

今まで。こんな自分でも。

どれほど地獄を見ても、どれほど心が削られても。彼のため、彼を救うためだから動けた。その過程を何よりの証拠として、彼女は宣言した。

再度呆ける大司教に、あなたには理解できないだろうけど、と続けてから。

「だから、もう一度言うよ。どいて」

笑みを、不敵に。彼の想いを、彼のあり方を借りるように変えて。

「──その程度で、ボクの恋は阻めないから」

意趣返しの如く。真っ向から、願いをぶつけた。

『──ッ!』

激昂が臨界に達したか、大司教の思念が言葉もなく襲いかかってきた。魅了の守りを突き破り、力ずくでニィナを洗脳の支配下に置くべく。

でも、最早、恐れは微塵もない。

阻む。抑える。

大司教の洗脳の魔法は強力で。一度侵入を許した以上、その撃退は容易ではない。彼女一人では為す術はなかっただろう──けど。

今の彼女には、彼の守りがある。それを何よりの自信として、彼女は抵抗を続け。

そして。

「──今だよ。エル君」

決戦当日。

あの日起こったことは、あくまで大司教の洗脳魔法による思念とのやりとり。

故に大司教はその内容を窺い知れない──それを逆手に取った。

洗脳の魔法を撃退……否、単純に撃退したのであれば流石にかかっていないことがバレる。故に一度侵入されたことを逆に利用し、同系統の魔法を持つ彼女だからこそできる調整をした。

ある程度は向こうの自由にさせつつ、心の深奥だけはしっかりと守る。それによって、『表面上洗脳にかかってはいるがいつでも任意に解除できる』状態を保ったのだ。

そうすれば、そしてそこから上手く立ち回れば。

全て自らの思い通りと考えている大司教に、最後の最後で致命的な隙を生み出させられる。そう周囲の状況から予知し確信したニィナは、それを確実に成すべく決戦で立ち回った。

ある程度は指示通り進み、大司教の目を完全に欺くために一度は貫く──正直これが一番辛かったし不安だったけど、彼はすぐに理解して受け入れてくれ、それがまた喜ばしく。

結果、完璧に予知通りエルメスの魔法が炸裂し、大司教の護衛手段を破壊した。

かくして、盤面は完全にひっくり返った。

最強の駒には逆に動かされ、要の駒は反転し。

一転、 王手(チェック) を突きつけられた大司教に向かって。

「──お願いします」

「うん」

信頼を込めた彼の言葉に、喜びと共に頷いて。ニィナは大司教を見据える。

……大司教ヨハンは、善意を信じない。そういう思いで動く人間は、何が何でも否定をしなければ気が済まない。

──ならば、 善意(それ) に倒されろ。

理解できなかったことが、敗因だと。そんな言外の宣言と共に、ニィナは地を蹴って。

ついに。北部反乱を終わらせる瞬間に向けて、少女は駆け出した。