作品タイトル不明
61話 償いと観察
全ての力を失って、へたり込んだクライド。
それを見下ろしつつ、エルメスは自身の右手を見やる。
「…………」
そこで未だもがいているのは、先ほどクライドから引き剥がしたコウモリの魔物。
クライドと同じ魔法を再現したエルメスは、彼の心中も朧げながら察せられるようになっていた。
コウモリの魔物から伝わってくるのは、恨みも何もなくただクライドに対する忠誠と、心からの心配のみだった。
「……ごめんね」
それをしっかりと理解した上でエルメスは右手を離し、即座に強化汎用魔法でコウモリの魔物を焼き尽くす。謝罪の言葉と共に、せめて苦しまないようにと最大の火力でもって。
植え付けられたものであり、結果エルメスたちを最も苦しめたものとは言え、その行動は紛うことなき忠誠心の発露によるものだ。
その心の在り方を理解した以上、それに一定の敬意は払うべきだと思った。
……相変わらず、最後は敵対すべき魔物の方に人間よりも好意的な印象を覚えてしまうのはなんとも皮肉なことだ。
そんなことを考えつつ、エルメスは再度クライドに向き直る。
クライドは変わらず呆然とした表情だったが、徐々に意識がはっきりと戻ってきたのだろう。少しずつ目に光が戻り、視界が焦点を結び──
そして、目の当たりにした。
──自分に向けられる、学園中の生徒たちによる糾弾の視線を。
「ひっ──!」
エルメスが魔物のストックを削りきり、残った僅かな魔物も既にカティアたちによって殲滅された。同時に、呼応するように学園を覆っていた黒い壁も消失し、目に見える脅威は全て去った。
そうなった以上、目の前にいる明確な恐怖の対象であったクライドに怒りの感情の矛先が向くのは自明の理。生徒たちの反応は、訳の分からない怪物となっていたクライドに対する恐れも多く残っているが……それでも尚、決して少なくないクライドに対する悪感情が直接彼に突き刺さる。
誰よりも他者の称賛を求めていた彼にとって、それは耐えられるものではなく。
「なっ……なんだ、やめ、やめろ、その目を向けるなぁ……っ」
視線を遮るように顔を覆って尻もちをついたまま後ずさる。
当然、その抵抗はなんの意味も成さず、むしろ視線の厳しさを強めるだけ。
それを悟ったか、今度はクライドが顔を上げたまま──必死の形相で口を開いた。
「し、仕方なかったんだ! 僕一人のことじゃない、あの男に騙されてやったことで! そうだ、あのコウモリの反逆だって奴の仕込みに違いない、僕はそれに取り込まれただけの被害者で、そう、ここまでするつもりはなかった、僕はただ……っ」
だが、流石のクライドでさえも自己擁護が途中で不可能になる程のことをしでかしてしまっている。余計に強まる周りの視線。脂汗を滝のように流しつつ、必死に視線をクライドは彷徨わせ──そして、その目が一人の少女を捉える。
「──さ、サラ嬢!」
縋るように、サラの名を呼び。彼女の反応を一切考慮しないまま捲し立てる。
「君なら分かるだろう、僕は被害者だ! なぁ、心優しい君のことだ、邪悪なる人間に使われてしまった僕を、可哀想な僕を許してくれるだろう!?」
……それもまさしくあの日、アスターが破滅する直前、最後に彼女へと縋りついたことを再現するかのようで。
けれど彼女は、何も変わらなかったアスターと、そしてクライドとは違う。
あの時は、怯えながらだった。カティアに頼りながらだった。
──今は、違う。視線は真っ直ぐに、自分一人の力でしっかりと、クライドに歩み寄って。
彼女は、告げる。
「……ええ。──きちんと、すべきことを果たしたのならば」
最初の肯定の言葉で希望に目を輝かせるが、続く言葉で顔を曇らせる。
そんな彼に向かって、サラは語る。
「貴方のしたことは、許されません」
「!」
「わたしの大切な場所を……皆さんにとっても、大事な場所を。一方的に踏み躙ろうとしたことは、許してはいけない。……許せば、もっと大きなものが大切な場所から溢れてしまうから。今のわたしには、これが限界です」
穏やかに、許さない……許せない理由を叩きつけた後、彼女は。
「……でも、わたしは。本当は貴方にも赦しを、救いを与えたい」
続けて告げる。今の彼女にとっての、理想と現実の境界線を。
「だから、償って欲しい」
「!」
「いえ、償って ください(・・・・) 。傲慢かもしれませんが、わたしの許しを得たいのであればこれは絶対です。決められた形で、多くの人が納得する形で、正式なやり方で、禊を済ませてください。何を代償にしようとも、どれほどの時間がかかろうとも」
「ぁ、ああ……」
絶望の呻き声をあげるクライドに向かって、サラは最後に美しく微笑んで。
「……それが済んだのならば、わたしは許します。その上であれば、わたしのできる限りで、貴方を貶めるものから貴方を守ると約束します。
──だから、どうか、償いを」
それは、慈悲という名の呪縛だった。
彼女を求める限り……いや求めずとも、彼女は手の届く限りで罪を犯したものを煉獄へと放り込む。逃げることは許さず、誤魔化すことも認めない。救いたいと思うものにこそ、必要であれば艱難辛苦を強制する。
普通なら、これほどのことをした人間は見限るはずだ。見捨てて、打ち捨てるはずだ。
だが、彼女はそれをしない。してもらえない。
『見捨ててもらえない』という恐怖を、クライドはそこでようやく存分に味わった。
これから始まる償いと名のついた地獄を、彼女は救いのため、むしろ最も積極的に勧める側なのだ。
「い、いや、いやだ……!」
「大丈夫です。償う過程で、傷ついたら 治してあげます(・・・・・・・) 。逃げ出したくなったら、 繋ぎ(・・) 止めて(・・・) あげます(・・・・) 。……幸い、わたしの魔法はそれに適していますから」
「いやだぁああああああああっ!」
罪業から逃げたい。都合の悪いものは全て無視したい。その上で、自分にとって甘美な結果だけを自分一人で独占したい。
そう考えていたクライドにとってのみ──今の彼女は、地獄の使者に映ったことだろう。
「ぁああああああああ──!!」
涙を流し、喚いて逃げ出そうとするクライド。
けれどそれは認められるはずもなく。サラの展開した結界にあっさりと閉じ込められる。結界を叩く音も、喚き声も遮断され、もはや聞こえることはない。
こうして。
学園を陥れた罪人は──正しく聖女の手によって、裁かれたのだった。
◆
「……あー、だめだったかぁ」
そんな学園の様子を、遥か彼方から遠見の魔法で見守る男が一人。
先ほどまで、黒い結界を展開していた男だ。万が一にも追跡されることを防ぐため結界を展開できるぎりぎりまで離れてから解除を行い、その上で『彼の魔法』の応用で魔力の痕跡すら完璧に除去した上で見つからない場所まで退避していた。
その上で、安全なところから学園の顛末を見届けていたのだ。
「正直、彼の魔法ならいい線は行くと思ったんだけど。魔物のあれも良い誤算だったが……『 星の花冠(アルス・パウリナ) 』か、あれは予想外だった。断片でしかないとは言え、流石は第二の魔法と言ったところなのかな」
そう告げつつ、遠見の魔法を解除する。
……クライドを始末する必要はない。大した情報も与えていないし、自分の正体も魔法を駆使して掴ませないようにした。向こうは彼の顔すらもう覚えていないだろう。
慈悲ではない。──心底、どうでもいいのだ。
魔道具だって、元々使い捨てのつもりで貸し出されたものだ。わざわざ回収するのはリスクの方が高い。よって、彼はあの場に戻る気はない。
「ボスも無茶を言うよなぁ。『俺一人で、かつ できるだけ(・・・・・) 魔法を(・・・) 使わず(・・・) 学園に大打撃を与えろ』、だなんて。丁度扱いやすいのが居たから良かったけど、居なかったらもうちょっと魔道具が必要だった。……全く、こっちのリソースだって無限じゃないってのに」
愚痴を言いつつも、声色に対象への悪感情は存在しない。むしろ親しみすら感じさせる口調で、彼は恐らく癖なのであろう独り言を続ける。
……ともあれ、目的は達成した。まさかの人的被害ゼロは流石に予想外だったが、施設の方はそうはいかない。事件自体の脅威も相まって、しばらくは教育機関として機能はまずできないだろう。
そう認識して、男はもう一度学園に目を向ける。
……そうして、思い出す。この学園を襲撃する理由。報告にあった、学園にもたらされつつあったという『変化』の内容を。
「……虐げられているクラスが下克上を起こすことによって、生まれの魔法だけで全てが決まるわけではないと強く認識させる。そうして学園全体に新しい価値観を取り入れて活性化させる、か。はは、なるほど──」
その効果も、有用性もしっかりと確認した上で。
男は──笑って、告げる。
「──馬ッ鹿じゃねぇの?」
その声色は、今までと比べて段違いに重く、暗い──紛れもなく、本音の色。
「変わるわけないだろあんな奴ら。いや、 変わって(・・・・) もらっちゃあ(・・・・・・) 困る(・・) んだよ。あいつらは愚かで、どうしようもなく、けれど力だけは無駄に膨れ上がってなくちゃならないんだ」
あれをどうにかするくらいなら、猿に人語を喋らせる方がまだ望みがある。全くもって愚かしい努力としか言いようがない。
そうだ、彼にとってはまさしくクライドのような人間こそが最高の『貴族』だ。彼はその点を心から評価し、この計画の要としたのだから。
「変わるな。停滞しろ。愚かなままで居るべきだ。高貴の御旗を掲げたまま、その幻想の輝きを馬鹿みたいに見上げ、気持ち悪い顔で眺め続けていてくれ」
男は続ける。飄々とした態度の奥から、微かな裡の感情を覗かせて、こう告げた。
「じゃないと── ちゃんと(・・・・) 、 滅びて(・・・) くれない(・・・・) じゃないか」
今までで、最も重いその言葉。そんな自らの声色で精神の高揚を自覚したか、男は深呼吸を一つ入れていつもの調子を取り戻す。
「……ま、見るべきものは確認したか。これ以上の長居は無意味だねぇ」
視線を切り上げ、声を戻して言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
「特に──あの銀髪の男の子。ヤバい。あいつが多分学園変化の中心だし、実力もとんでもないとは聞いていたけど想像の三倍くらいとんでもなかった。俺でも戦えば……まぁ、ギリ勝てるくらいかね」
これもボスに報告すべきことだな、と呟きつつ、男は身を翻して。
「任務はおしまい、退散だ。あの子と戦うのは面倒──」
「それは光栄です」
──固まった。
「…………マジで?」
絶対に追跡されない工夫を凝らして、感知できない場所から観察していたはずなのに。
何故か、居た。間違いなく先ほどまで学園にいたはずの銀髪の少年──エルメスが、完全な臨戦態勢で自分の背後に立っていた。
……どうやら、無事任務を終えるにはもう一仕事する必要があるらしい、と。
男は冷や汗を流しつつ、どうするかと頭を巡らせるのだった。