作品タイトル不明
パコ姫
食べ終えて一息ついた後、カフェを出ることにした。
会計を済ませて席に戻ると、霧島さんが荷物をまとめていた。
ふと、紗由がいた席を見た。
そこには誰もいなかった。
机の上には、空になったエスト瓶と、皿だけが残されている。
いつの間にか、退店していたようだ。
こっそり先に帰ったのか、気が付かなかった。
あとで今日のことを説明しないといけないな、と空の席を見て、そう思った。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
カフェを出た後、すぐに帰らず、なんとなく近くの商業施設をぶらついた。
商業施設の中にあった、家電量販店。
その機材コーナーで、霧島さんはやけに生き生きしていた。
マイクの種類、ゲーミングチェアの選び方、配信用のオーディオ機器。
一つひとつ丁寧に教えてくれる。
先輩だけあって、この辺りのことには詳しかった。
紗由にも教えてもらいはしたが、紗由よりも詳しいのかもしれない。
「このマイク、私も使ってるんですよ」
そう言って手に取ったマイクを、満面の笑みで、自慢げにこちらに見せてくる。
その顔が、配信時のクールキャラ、姫川ユリナとは結びつかなくて、少し可笑しかった。
ウィンドウショッピングをし始めて、気づけば早くも一時間ほど経っていた。
霧島さんは夜に配信があるらしく、そろそろ帰るという。
俺たちは駅へ向かって歩き出した。
駅までの道すがら、会話しながら進んでいく。
「そういえば、なんでこの仕事しようとおもったんですか?」
ふと、覗き込むように首を傾けて、霧島さんがこちらの顔を伺う。
その動きで、さらりと前髪が流れた。
「えー、そうですね……」
答えに困ってしまった。
なんて言おうか。妹のガチ恋リスナーを減らすため、なんて言えるはずがない。
「面白そうだったから、でしょうか」
これも、自分の本心だった。オーディションを受けると決めたとき、自分の人生が面白くなる気がした。それは本当だった。
「楽しいですよね。この仕事」
そういって、微笑む。
でも、そのあとすぐに、笑っているような、悲しんでいるような、なんとも判断がつかない表情を浮かべる。
「けど、大変なこともありますよ」
その声には、先ほどまでの明るさがなかった。
「大変なこと?」
「はい、大変なことです」
その顔は真剣だった。何かに悩んでいる、そういう顔。
「一ノ瀬さん、私がインターネットで何て呼ばれているか知っていますか?」
「ユリナ姫ですか?」
周囲に聞こえないように、小声で答える。
配信のコメントではそう呼ばれていたはずだ。
「いえ、もっと悪意のある、蔑称みたいなものです」
周りを少し気にするように視線を動かしてから、霧島さんは一歩、距離を詰めた。声を落とすためか、耳元に口を寄せてくる。
「パコ姫、です」
芯のない、囁くような声だった。
吐息が耳にかかる。
その言葉と相まって、背筋がぞくりとした。
「それが私の蔑称」
パコ姫。あまりいい感じはしない。
軽薄な雰囲気を感じる、そんな、嫌な言葉だ。
「それって……」
うまく言葉が返せなかった。
彼女はおそらく、悩んでいる。
半日一緒にいただけの俺に、なぜ自身の蔑称の話をしたのかはわからない。
誰かに言いたかっただけかもしれないし、俺が相談できそうな相手に見えただけかもしれない。
ただ、理由がどうあれ。
この人のために何かできないか、と思っている自分がいた。
Vtuberは人気商売だ。当然、やっかみもたくさんついて回る。
紗由のようにガチ恋リスナーに悩まされる人もいる。
相手はVtuberだ。ある種、実在しない人物でもある。何でも言える。何でも言えてしまう。
悪意のあるなしに関わらず、ただの言葉が、不特定多数の心ない蔑称が、本人の心を簡単に傷つけることを、俺は知っている。
「僕は、その言葉好きじゃないです」
まっすぐ霧島さんの目を見る。あまりにもしっかりと見つめたせいか、彼女が若干怯んだようにも見えた。
「だって、霧島さんには似合わない。きょう、半日も一緒にいなかったけど、それくらいわかります」
穏やかな笑顔。少し抜けたところ。クールな雰囲気で大人びた感じもするのに、年相応のお茶目さを見せるところ。
どれも普通で、愛らしい。
そんな彼女が、インターネットでは蔑称で呼ばれている。その事実が許せなかった。
「だから―――その蔑称、呼ばせないようにしましょう」
「え?」
霧島さんが目を丸くする。
「蔑称で呼ぶやつらを、『殲滅』するんです」