軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

〝傷顔〟のヘーゼル。【前編】

ーーー〝傷顔〟のヘーゼルは、10歳の時に全てを失い始めた。

赤毛のヘーゼル・グリンデルは、伯爵家の令嬢として、それまでお父様やお母様に慈しまれて伸びやかに過ごしていたが、ある日、隣の領へ向かう途中に、お父様が賊に襲われて行方不明になった。

営んでいた商売が徐々に上手くいかなくなり、その借金の申し込みに赴く矢先のこと……だったというのを、幼いながらに朧げに知っていた。

遺体は見つからず、壊れた馬車だけが山道に転がっていたのだという。

お父様の顔も見れないまま、棺だけを埋めてお母様と悲しみに暮れるヘーゼルの前に、フラリと一人の男が現れた。

その男は整った身なりをしていたが、目の下に濃いクマがあり、感情の浮かばない瞳でジッと母を見つめていた。

お母様は、まるで幽霊でも見たかのように男を目を見開いて、ヘーゼルの肩を強く掴んだまま、真っ白な顔で唇を震わせていた。

二人の間で、どんな話し合いがあったのかは知らない。

だけど裕福な商人だというその男は、半年後にヘーゼルの義父になった。

その前から……お父様を失い男と出会った時から、お母様は体調を崩し始めていた。

いつも男に怯えていたお母様は、やがて部屋から出て来なくなり、面会も許されなくなった。

お母様の専属として男が連れてきたという新しい侍女は、いつもにこやかにヘーゼルに接していたけれど、決してお母様のところに行かせてはくれず。

時折深夜に、部屋の方から『ヘーゼルだけは……』と、誰かに懇願するような声が聞こえていた。

次に見た時は、一年後、お母様が亡くなった時だった。

ガリガリに痩せ細り、まるで骨のようになったお母様が棺に入れられた時、ヘーゼルは、その足首に皮膚が削げているような惨たらしい傷痕を見た。

後から思えば、足枷でも嵌められていたかのような、その痕。

お母様は、義父になったあの男に監禁されていたのかもしれなかった。

ーーーそして、殺された。

食事を抜かれたのか、毒を盛られたのか。

その時のヘーゼルには分からなかったけれど。

義父はすぐに、母の侍女だった女と再婚した。

そして使用人棟に住んでいた、女の子どもを呼び寄せた。

明るいハチミツ色の髪の、ニコニコと満面の笑みを浮かべた一つ下の少女は、その笑顔のままヘーゼルから全てを奪って行った。

持ち物を、服を、部屋を、居場所を。

義父はまるで、ヘーゼルをいない者のように扱った。

そうして数年。

使用人のように働き、すっかり輝きを失ったヘーゼルは、与えられる賄いを食べて、時折影から家族の団欒を覗くようになった。

ミザリはいつだって笑顔だった。

それ以外の顔は見たことがない。

義父にとってヘーゼルは空気だった。

そこにいる事すら認識しない。

侍女だった後妻だけが、時折嘲るようにヘーゼルに目を向けた。

物を奪う時だけ、ミザリが笑みを向けた。

もしかしたら、と、一縷だけ望みを抱いていたのは、14歳で通わせてもらえる貴族学校のこと。

令嬢として入学することが出来れば、この状況も変わるかもしれない、と思ったけれど。

その歳になっても、ヘーゼルの扱いは何も変わらなかった。

ずっと、忘れ去られたように。

そしてさらに一年が経って、影から覗いている時に、ミザリが貴族学校に通う話が出た時に……ヘーゼルの中で、何かがプツン、と音を立てて切れた。

全てを奪われた。

もう二度と、この状況は変わらない。

ヘーゼルが死ぬまで。

あるいは、連中が死ぬまで。

ヘーゼルはもう、伯爵家の令嬢ではなかった。

全ては、血の繋がりすらない連中に奪い去られたのだ。

だから。

ミザリの誕生日のお祝いの日に。

ヘーゼルを忘れた連中が、お祝いに訪れる場に……皆が盛り上がる場の真ん中に進み出て、ヘーゼルは吼えた。

「あたしがいらないなら! いないモノとして扱うなら! 今この場で、消えてやるわ!」

そうして、手にしていた果物ナイフで、自分の腕を深く掻き切った。

吹き出す血に、お祝いの雰囲気が一転、女どもの絶叫が響き渡るのを、ヘーゼルは高らかに笑いながら睥睨する。

誰も誰も誰一人、助けちゃくれなかった。

ヘーゼルのことを、誰一人。

そうして真正面に目を向けたヘーゼルは……そこに、悍ましい光景を見た。

あいつらは、笑っていた。

普段決して、こちらに目を向けずに朗らかに誰かに笑いかける義父も。

ニヤニヤと笑うだけで、話しかけては来ない義母も。

いつだって満面の笑みを浮かべているミザリも。

こんな状況でも、いつもと変わらない笑顔を浮かべていた。

お前のやることなど、全て無駄なのだと言わんばかりに。

ミザリなど、もらった誕生日プレゼントの大きな包みを抱えたまま。

朦朧とする意識の中で、ヘーゼルは倒れ伏し。

怨嗟を込めて、最期のつもりで、彼らに言葉を吐きかける。

「ーーー呪われてしまえ」

※※※

……次に目が覚めた時。

あると思っていなかった、目覚めの後で。

ヘーゼルは、その場に居合わせた治癒士の応急処置で一命を取り留めて、治療院へ運び込まれたことを知った。

三日間昏睡状態であり、ようやく話せるようになるまで一週間。

伯爵家へ法務省の貴族犯罪捜査官が事情聴取をしているというのを教えてくれたのは、ヘーゼルを訪ねてきた黒髪の青年。

ーーーだったら、何でもっと早く。

最初に浮かんだのはそんな恨み言で。

「何で、死なせてくれなかったの?」

皮肉な笑みを浮かべた口からついて出たのは、拒絶の言葉だった。

一瞬痛ましそうな色を瞳に浮かべた青年は、小さく頭を横に振った。

「……すまなかった」

何に対しての謝罪なのか。

彼が事情を尋ねたいというのに黙秘したヘーゼルは、動けるようになったら、部屋につけられた衛兵の監視の目を掻い潜って窓から身を投げることを狙っていた。

その矢先に……義父が訪ねてきて、優雅な仕草でベッドの横にある椅子に腰掛けた。

トールダム・グリンデル。

ヘーゼルから全てを奪い去った男は、相変わらず目の下に濃いクマを作り、感情の浮かばない瞳をしていて。

ーーーおそらく初めて、無表情にヘーゼルを正面から見つめた。

「何故死のうと思った?」

そう問いかける彼の後ろでは、昼間だというのに突然倒れ込んだ衛兵が、眠りこけていて。

反対側にあるベランダの窓の外では、場違いに穏やかな青空が広がり、心地よい風が白いカーテンをはためかせていた。

「16になれば、金持ちに身柄を売り払ってやるつもりだった。そうすれば、お前はあの家から出て行ける」

トールダムが口にしたのは、狂った言葉だった。

ヘーゼルは笑みを浮かべる。

「へぇ、そういう腹づもりだったのね。ーーー何もかも奪い取っておいて、これ以上言いなりになると思ってるの!?」

「顔は整っているからな」

死なれては金にならない、と。

そう言外に告げた彼に、ヘーゼルは笑みを深めた。

「それは残念だったわね。……なら、そのお金も手に入らないようにしてあげるわ!」

ヘーゼルは、躊躇いもなく自分の顔に両手の爪を突き立てた。

襲い掛かる痛みを意にも介さず、満身の力を込めて顔の皮膚を顎先まで削る。

「アハッ……アハッ……残念だったわねぇ、お金にならなくてさァ!! これであたしが死んでも文句はないでしょう!?」

ボタボタと熱を持って顔から滴る血が、上掛けの布を赤色に染めていく。

そんなヘーゼルに対して、全く動じずに。

トールダムは、口を開いた。

「好きにしろ。興味はない」

と。

「ア……?」

「別に金など、どうでもいい。先ほどの話はこれからの話ではなく、ただの予定だった話だ。お前が生きようが死のうが、もう私にとってはどうでもいいが」

そこで初めて、口の端に笑みを浮かべる。

「どうせなら目の前で苦しんで死んでくれ。私の気が晴れる」

「何ですってェ!?」

「どちらかと言えば、死んでくれる方が溜飲が下がる。……あのゴミのような家の血を継いでいるからな。一つだけ誤解を解いておいてやるが」

トールダムは、ヘーゼルに対して予想もしなかった事を口にした。

「私はお前から何も奪ってなどいない。ただ、私のものだった財産を返して貰っただけだ」