作品タイトル不明
第五十七話:経済の檻を食い破れ 〜三郎の密輸ルート最適化〜
天文七年 十一月 / 西暦一五三八年 十一月
視点:足利 三郎(維直)
「――馬鹿め。関所を増やせば流通が止まると、本気で信じているのか」
飯盛山城の書斎。持ち込まれた畿内の地図を見下ろしながら、俺は思わず冷笑を漏らした。
京の細川高基が仕掛けてきた堺への「硝石と塩の流通制限」は、一見すると我が陣営の生命線を締め上げる凶悪な一手に思えた。特に火薬の原料である硝石の途絶は、千満丸と共に量産体制を整えたばかりの讃岐鉄砲隊をただの鉄の筒に変えかねない。
だが、前世で高度に複雑化したサプライチェーンの 管理(ロジスティクス) をかじった俺から見れば、細川のやり方はあまりにも穴だらけだった。
彼らがやったことといえば、旧来の主要街道に関所を急造し、通りかかる商人から硝石を没収し、高額な津料(通行税)を課しただけ。つまり、「既存のルート上に障害物を置いた」に過ぎないのだ。
「若君、弦十郎にございます。細川が関所を強化した大和口、および山城国境の兵数と、寝返った国人らの配置図を持ってまいりました」
音もなく部屋の隅に現れた百地弦十郎が、懐から数枚の書状を取り出した。初陣となる『剣山黒縄衆』の働きは完璧だった。彼らは細川の包囲網の「隙間」を、克明に暴き出してきたのだ。
「上出来だよ、弦十郎殿。敵の関所の位置がこれだけ正確に分かれば、あとはその外側を迂回する『最適化された 密輸網(ステルス・ルート) 』を敷くだけだ」
「密輸網、にございますか?」
「そう。商売の本質はね、遮断されればされるほど、物資の価格が跳ね上がり、それを運び込もうとする商人の射幸心を煽るという点にある。細川が塩と硝石を止めれば止めるほど、堺の闇市場ではその価値が数倍に跳ね上がるのさ。ならば、その『法外な利益』を餌に、こちらが用意した安全な裏道を商人に歩かせればいい」
俺は地図の上の、ある一点を指さした。
瀬戸内海から淡路島を経由し、堺の港へと直接滑り込む海路。そして、陸路であれば主要街道を避け、黒縄衆が安全を確保した険しい山伏の隠れ道(修験道)だ。
「ここで、先月神太郎殿と菅達心が完成させた、あの『規格化された快速船』が生きてくる。細川の水軍が網を張る前に、安宅の新型船で夜陰に乗じて硝石を運び込む。陸路は、柳斎が知る山伏のネットワークを使って、小分けにした硝石を巡礼者の荷物に擬態させて運ぶんだ」
名付けて、プレハブ密輸作戦。
職人の勘に頼らず、運搬の手順から荷物の梱包サイズまで完全に均一化し、マニュアル通りに動かせば百姓や山伏でも寸分の狂いなく物資をリレーできる仕組み(システム)を構築した。
効果は劇的だった。
細川高基が「これで堺は干上がるはずだ」と高を括っている間に、堺の地下倉庫には、安宅水軍と黒縄衆の手によって、以前よりも遥かに多い量の硝石が、誰にも気づかれずに超高速で運び込まれ、集積されていった。
それだけではない。
流通を無理に止めたことで、本当に干上がったのは細川高基の側だった。
街道の関所で無理な没収を繰り返した結果、一般の商人たちが京への流通そのものを敬遠し始め、京の街では逆に「深刻な塩不足」が発生し、物価が高騰。民や周辺の国人たちから細川への不満が爆発し始めていたのだ。
「若君……恐ろしい御方にございます。細川家は自ら仕掛けた檻の中で、勝手に首を絞め合っております」
弦十郎が、戦慄と興奮の混じった声で呟く。
「仕組みを理解していない者が、安易に市場を統制しようとするからこうなるのさ。……さて、敵の経済が自滅で大混乱に陥っている。この隙を突いて、次の一手を打たせてもらおうか」
俺は四歳の小さな手で、地図の上の「京」の文字を完全に塗りつぶした。
武力ではなく、技術と経済の仕組みで敵を圧倒する。足利三郎の冷徹な新時代の戦は、旧世紀の権力者を確実に破滅へと追い込みつつあった。