作品タイトル不明
第五十八話:三好長慶の決断 〜牙を研ぐ若き怪物〜
天文七年 十二月 / 西暦一五三八年 十二月
視点:三好 長慶
「――ここまで見事に、戦わずして敵の息の根を止めかけてみせるとはな」
飯盛山城の本丸、冷え切った冬の空気が満ちる広間で、俺は手元の書状を睨みつけたまま、思わず低く唸り声を漏らしていた。
書状をもたらしたのは、我が三好家に新たに加わった漆黒の影――『剣山黒縄衆』の弦十郎だ。そこに記されていた京の惨状は、およそ一年前の俺であれば到底信じられぬほど、凄まじい「自滅」の記録であった。
堺を干上がらせるべく細川高基が敷いた硝石と塩の流通制限。それが、我が弟の神太郎(冬康)が安宅家で造り上げた新型の快速船と、賀茂柳斎が束ねる山伏たちの隠れ道によって完全に無力化されたばかりか、市場の理を無視した関所の乱発は、逆に京の街から物資を奪い去った。
京では塩の一升がかつての数倍に跳ね上がり、民の怨嗟の声が細川の御所を取り巻いているという。兵を養う銭も兵糧も、無理な関所のせいで商人に逃げられ、細川高基の財政は今や完全に破綻しかけていた。
「長慶兄上、堺の工業特区の千満丸からも書状が届いております。三郎殿の規格化の指図により、讃岐鉄砲隊の配備はすでに完了。いつでも動かせるとのことです」
側近くに控える重臣が、興奮を隠せぬ面持ちで報告を重ねる。
陸には、千満丸が規格化し、いつでも予備の部品を付け替えられる大量生産の鉄砲隊。
海には、神太郎が菅達心と共にプレハブ造船で爆発的に増強させた安宅の快速水軍。
そして影には、敵の動向を一寸の狂いもなく透破する剣山黒縄衆。
これらすべての怪物を、わずか四歳の神童――足利三郎という存在が、その「仕組み」の知恵だけで、この一年足らずの間に揃えてみせたのだ。
三郎殿は「仕組みで勝てる」と言った。その言葉通り、敵は自ら仕掛けた経済の檻の中で、勝手に首を絞め合って衰弱している。
「……長慶、何を迷う。これほどの勝機、二度と訪れぬぞ」
俺の脳裏で、かつて一向一揆と細川の謀略にハメられ、無念のうちに自刃に追い込まれた父・三好元長の最期が、鮮烈な血の記憶とともに蘇る。
あの時、三好家は孤立無援だった。だが、今の俺たちの手には、天下の誰も見たことのない陸海空――否、陸と海と影の「規格化された暴力」が握られている。
ここで動かねば、三好の氏神に顔向けができん。
細川高基が自滅し、その足元が完全にガタついているこの冬の終わりこそが、父の無念を晴らし、三好が天下に名乗りを上げる絶好の 秋(とき) だ。
俺は静かに立ち上がり、広間の壁に掛けられた太刀を手に取った。
「――諸将へ触れを出せ。これより我が三好軍は、京の細川を討つべく、新年の雪解けとともに飯盛山を出陣する」
座並ぶ家臣たちが、一斉に息を呑み、次の瞬間には地鳴りのような平伏の音を響かせた。
「千満丸の鉄砲隊を前衛に据え、神太郎の水軍には淀川の水運を完全に封鎖させよ。そして弦十郎、黒縄衆には京の内部から、細川に味方する国人どもの離反を工作させろ」
「御意にございます」
闇の中から弦十郎の低い声が応じる。
武力ではなく、技術と経済で敵を干上がらせた四歳の神童。その仕上げの盤面を、俺たち三好の武力が一気に踏み荒らし、刈り取る。
天文七年の極月。寒風が吹き抜ける飯盛山城で、俺は青白い牙を研ぎ澄ませながら、来たる新年の大乱に向け、ついに天下への第一歩を踏み出す決断を下すのであった。