軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第三十七話:濁流の断頭台

天文六年 五月 / 西暦一五三七年 五月

五月半ば、京の都は季節外れの長雨に見舞われていた。

数日間降り続く雨は、三郎が改修を進めていた鴨川の推移を危険域まで押し上げていた。羅生門の詰所で水位計を睨んでいた三郎の顔には、かつての現場監督時代のような険しさが宿っていた。

(……降水量が計算の 限界値(マージン) を超え始めている。地盤の含水率も限界だ。このままじゃ「迎撃」どころか、僕の住処ごと流されるぞ)

三郎は「安全第一」のヘルメット代わりである漆塗りの陣笠を深く被り、三好長慶に命じて近隣の町衆を避難させ始めた。

だが、この混乱と暴風雨の闇を突いて、京の支配権を奪還せんとする反三好勢力の軍勢五百が、三郎の宿所を目指して進軍を開始していた。

「若君、敵襲にございます! 旗印は細川晴元の手勢、ならびに比叡山の僧兵! この豪雨に乗じ、一気に羅生門を突き崩すつもりにございます!」

松永久秀が、雨に濡れた顔で報告に走る。彼の手には、三郎が考案した「遠距離通信用の発火筒」が握られていた。

「……バカだな。こんな増水した川の近くを、重装備で歩くなんて。安全教育を最初からやり直した方がいい」

三郎は冷徹に、手元のレバー……鴨川の「緊急放流ゲート」に直結した引き金に手をかけた。

彼は四歳の子供の腕力では刀も槍も振るえない。だからこそ、自然のエネルギーを一点に集約し、それを解放することで敵を殲滅する「システム」を構築していた。

敵軍の先鋒が、三郎の宿所まであと一町という地点——三郎が川底に「導流壁」を沈め、流路を極端に絞った「渡河ポイント」に差し掛かった。

彼らはここが浅瀬であると信じていたが、三郎の設計では、そこは増水時に**「ベンチュリ効果」**によって流速が数倍に跳ね上がる死のトラップだった。

「今だ。……全ゲート、 開放(オープン) 」

三郎がレバーを引くと、上流の溜池に蓄えられていた膨大な水が一気に放流された。

それは単なる増水ではない。絞られた流路によって加速された水は、文字通り「水の刃」となって街道を横切った。

「な、なんだこれは!? 川が……川が牙を剥いたぞ!」

悲鳴は一瞬で濁流に呑み込まれた。鎧を纏った兵たちは、水圧によって足元の地盤ごと「液状化」した大地に沈み、そのまま激流へと引きずり込まれていく。

刀を抜く暇も、呪文を唱える暇もない。重力と水圧という物理法則の前に、戦国の猛者たちはただの「障害物」として押し流されていった。

数刻後。雨は小降りになり、羅生門の前に広がっていた敵軍の姿は、跡形もなく消え去っていた。ただ、激しく削り取られた大地と、下流へと運ばれていく武具の残骸だけが、そこに「戦い」があったことを示していた。

「……お見事にございます。五百の軍勢を、指先一つで霧散させるとは。若君、貴殿はもはや人の域を超えておいでだ」

久秀が、恐怖すら滲ませた敬意を持って三郎を仰ぎ見る。

しかし、三郎は血の気の引いた顔で、自分の手を見つめていた。

(……五百人。僕が引いた一本の線のせいで、五百の命が『処理』されたのか)

前世でダムや道路を造っていた頃、彼の仕事は「命を守る」ためのものだった。だが今、その技術は史上最も効率的な「殺戮の道具」へと変貌してしまった。

三郎は、戦国の世を生き抜くために選んだ「土木」という武器の恐ろしさに、改めて戦慄していた。

「……長慶。……疲れたよ。今日はもう、畳の上で寝かせて」

四歳の小さな背中を丸め、三郎は宿所へと戻った。

「現人神」の再来と称えられ始めた少年の心には、現代人としての深い罪悪感と、それ以上に強烈な「平穏への執着」が渦巻いていた。