軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第三十三話:神の領域、人の計算

天文五年 十二月 / 西暦一五三六年 十二月

京の地下に張り巡らされた「石の暗渠(下水道)」は、劇的な変化をもたらした。かつては汚水が溢れ、悪臭と疫病の温床だった九条界隈から、目に見えて病に倒れる者が減り始めたのである。町衆たちは、この奇跡を「泥公方様の加護」と称え、三郎が築いた羅生門に手を合わせるようになった。

しかし、この「物理による救済」を快く思わない者たちがいた。これまで「病は祟りであり、祈祷こそが唯一の救いである」と説き、多額の布施を集めてきた巨大寺院の僧侶たちである。

「……若君、比叡山や延暦寺の末寺たちが、市中で不穏な動きを見せております。彼らは『泥公方が地の底を掘り、龍脈を乱したために、さらなる災いが訪れる』と触れ回っているようですな」

松永久秀が、面白そうに報告する。彼は、三郎がもたらす科学的な知見が古い宗教的権威を侵食していく過程を、特等席で眺める観察者のようだった。

三郎は、四歳の小さな手で筆を握り、次なる都市計画——「公共給水場」の設計図を引いていた。

「……久秀、彼らが怒るのは勝手だけど、数字は嘘をつかないよ。下水を通してから、この界隈の死亡率は三割以上下がった。彼らの祈祷が一度でもそんな結果を出したことがある?」

「くく、正論ですな。なれど、人は正論だけでは動きませぬ。特に利権を奪われた宗教家は、時に武士よりも残忍になりますぞ」

その夜、工事現場を視察していた三郎を、再び刺客が襲った。今度は野心ある武将が放ったプロの忍びではない。利権を奪われ、三郎を「仏敵」と信じ込まされた狂信的な僧兵たちであった。

「死ね、異形の稚児め!」

暗闇から飛び出した僧兵の長刀が、三郎の喉元を掠める。だが、その刃が三郎に届くより早く、背後から放たれた 礫(つぶて) が僧兵の側頭部を砕いた。

「……若君の邪魔をするな。この御方は、新しい世の形を描いておいでなのだ」

現れたのは、三郎が土木工事で雇い入れた、かつての浮浪者たちであった。三郎から食事と仕事、そして「泥の知恵」という誇りを与えられた彼らにとって、三郎は救世主そのものだったのである。

三郎は、目の前で倒れ伏した僧兵を見つめ、静かに呟いた。

(……僕は、人を助けるために道を造っている。でも、その道が誰かの恨みを買い、また別の誰かが僕のために人を殺す。……これが、戦国という時代の因果なのか)

かつて建設現場で安全と工程を管理していた頃には、想像もつかなかった重圧。三郎は、自分の手についた乾いた石灰の白さと、僧兵から流れた血の赤さのコントラストに、強い吐き気を覚えた。

事件を知った三好長慶は、激怒した。

「……寺社勢力がこれほどまでに露骨な手に出るとは。もはや話し合いの余地なし。若君、某がこれら不埒な寺をすべて焼き払いましょうか」

「待って、長慶。……それでは、僕たちも彼らと同じになってしまう」

三郎は、震える声を抑えて長慶の袖を引いた。

「……彼らが『龍脈が乱れた』と言うなら、僕が『龍』をこの目で、彼らに見せてあげる。物理の力で、彼らの神仏を圧倒するんだ」

三郎が計画したのは、京の広場に巨大な「噴水」と「自動給水システム」を構築することだった。高低差を利用したサイフォンの原理と、自作の石灰コンクリート製圧力管。これを用いれば、人力を使わずに水が空高く噴き上がり、清浄な水が街中に供給される。

それは、当時の人間からすれば「奇跡」以外の何物でもなかった。

数日後、京の広場に、巨大な石造りの噴水が出現した。三郎が仕掛けを解くと、地中の圧力によって澄んだ水が空に向かって高々と噴き出した。

集まった町衆からは、割れんばかりの歓声が上がった。

「おお……水が、水が空を飛んでいる!」

「龍神様だ! 泥公方様は、龍神を従えておられるぞ!」

野次馬に混じっていた僧兵たちは、その圧倒的な光景を前に、長刀を落として膝をついた。彼らがどれほど祈っても成し得なかった「奇跡」を、わずか四歳の少年が、ただの「泥と石」の組み合わせで実現してしまったからである。

三郎は、噴水の水しぶきを浴びながら、冷徹な目で僧侶たちを見据えた。

(……これが、僕の戦いだ。武器を使わず、恐怖を使わず、ただ『便利さ』という名の暴力で、君たちの旧い世界を塗りつぶしてあげる)

四歳の足利三郎の背中には、もはや子供の無邪気さは微塵もなかった。そこにあるのは、中世という巨大な「設計ミス」を修正せんとする、孤独な技術者の意志だけであった。