作品タイトル不明
『阿波の国人たち』③
阿波の国人城主たちは、今日もまた残っていた。
「そういえば、覚えておるか?」
「今度は何です?」
「“皆保険”」
しん――と場が静まった。
『あれは最初、本当に意味がわからんかったな」
「そうそう、皆に聞いても、『…………何じゃ、それは?』とか『わしに聞くな』じゃった」
しかし、とりあえず千熊丸のいうままにその制度を導入することにした。
そういう意味では阿波の国人たち、大人たちは寛大だった。
もちろん、千熊丸のみた『未来の制度』がこの時代にそぐわない可能性も大きかった。
しかし、千熊丸の『みなで支え合う』という考え方は間違っていないこともわかったからだ。
災害や疫病で働けなくなったものは『死』に直面する。
武士だってそうだ。戦で怪我を負えば、生活に困窮することも多々あった。
『衛生』や『医療』の充実と、その恩恵を受けられることができる制度だと千熊丸から説明された。
その原資は集められた『税』の一部を使うといったものだった。
「そもそも『阿波』の税率はそんなに高くはなかったのだ」
当時を思い出した、大西親武。
「それを三公一貯六民!」
集められた『一貯』の一部が『皆保険』に使われた。
医療の充実、医師、薬師や産婆、看護師の養成。
様々な『衛生』用品の開発。
多岐にわたる聞いたこともない制度がどんどんと作られていった。
これを成し得たのが、早くから『阿波』で導入された『寺子屋』をはじめとする教育制度だった。
農民だろうが、女子だろうが、身分を問わず、領民であれば『学ぶ』ことができるようにしたのだ。
もちろん、阿波の国人たちも最初は警戒した。
教育をつけると、支配できないからだ。
それは戦国の常識だった。
それを変えたのが『千熊丸』だった。
導入された『教育制度』は、単なる机上のものではなかった。
『千熊丸』のいう『初等教育』においてでさえも単なる、読み書き、計算だけではなかった。
様々な職種の基本的なものも学び、実践させた。
『中等教育』と言われる『三好学校』では身分を問わず主に行政に関わる人員を育成した。
『三好学校』と『職業訓練所』は二段階で構成されていた。
一段階目は『三好学校』の生徒も一緒に学ぶ。内容は全職種のより深い作業経験。初等教育よりさらに専門的なものだ。令和でいえば中学校にあたる。
(ここで、文官(行政官)候補は全職種のさらに専門的な流れをすべて見ることができた)
二段階目は本人が希望する『職種』に分かれて、さらに技術を磨く。令和でいえば、各種専門学校や高校、大学のようなもの。
そこを卒業できれば、学んだ職種に関する仕事に就けたり、自ら店を出すこともできる、免許制も導入した。
つまり、『阿波』の教育機関を修了すれば『医療』や『衛生』に関する基礎的な一通りの知識も得ることができたのだ。これにより阿波の領民の『衛生』に関する知識が向上した。結果死亡率が低下していくことになった。
そのことに気づいた時、阿波の国人たちは『千熊丸』のいう『人財』という言葉の意味を理解できた。
(手塩をかけて育てた人財を戦で失うことの愚かさも同時に)
『皆保険制度』も、そこを終了したものたちが主になって動いた。
そして1530年、今から三年前に『阿波式皆保険制度』は開始された。
『阿波』の領民は、もちろん国人たちも、その家族も守られるようになった。
そう、『千熊丸』から飛び出す言葉は突飛なことも多い。
けれども、彼らはもう知っている。
最初は意味不明でも、数年後には『ああ、これ必要だったんだ……』となることを。
「寺子屋の時もそうだった」
森九郎左衛門が酒を飲みながら言う。
「最初、“百姓に文字を教える”と聞いた時は正気を疑った」
「うむ」
「女にも教える、だからな」
「頭がおかしくなったかと」
全員、頷いた。
戦国である。
知識とは権力だ。
武士。
僧。
一部商人。
それ以外へ広げるなど、普通はしない。
だが、千熊丸は本気だった。
『読める人増えると国が強くなる』
しかも説明が妙に具体的だった。
『帳簿読める』
『騙されにくい』
『流通増える』
『技術継承しやすい』
子供の発言ではない。
「今じゃ、寺子屋が足りぬ」
篠原長政が苦笑する。
本当にそうだった。
阿波では今、読み書き希望者が増え始めている。
農民。
商人。
職人。
さらに、娘たちまで。
「この前、村の娘に算で負けた」
新開実治が真顔で言った。
爆笑が起きる。
「いや笑い事ではない」
「何した」
「米勘定」
「負けたのか」
「暗算で負けた」
さらに笑いが広がった。
しかし、誰も、“女子が学ぶこと”そのものは、もう否定しなかった。
なぜなら実際、便利だった。
「三好学校など、最初は意味が分からなんだ」
小笠原長久が言う。
三好学校。
阿波三好が整備を始めた、“実学中心”の教育機関。
寺子屋より上。だが京の学問所とも違う。
読み書き。
算。
測量。
物流。
造船。
農法。
薬学。
とにかく、“実際に使う知識”へ偏っている。
「武士の子が、測量棒持って走り回っておる」
森九郎左衛門が苦笑する。
「うちの嫡男もやっておった」
「地図描いて喜んでたな」
「あと港の水深測ってた」
戦国武士の子供とは思えない。
だが今の阿波ではそれが“普通”になり始めている。
「職業訓練所、などというものまで出来た」
一宮成永も呆れたように言った。
鍛冶。
陶工。
船大工。
紙職人。
染物。
ガラス。
技術を、“教える場所”。
普通なら『秘伝』だ。家の中だけのはずだった。
だが千熊丸は違った。
『技術者増えた方が国強い』
さらに現実を突きつける。
『一人死んで消える技術、危ない』と。
最初、職人たちは猛反発した。
当然である。技術とは飯の種なのだ。
しかし、千熊丸はそこで終わらなかった。
『教えた職人へ、ちゃんと金払う』
皆、ひっくり返った。
さらに…
『弟子が増えると生産増える』
『品質も安定する』
『結果、もっと売れる』
その通りになった。
「阿波焼も最近値が上がっておる」
大西親武が言う。
「堺から注文来てるらしい」
「ガラスもだ」
「あと油」
国人たちは、もはや理解している。
技術は囲うだけでは増えない。育てた方が強い。
そして、話題は、“兵”へ移った。
「……弩、か」
空気が少し変わる。
戦の話だった。
弩。そして大型弩――バリスタ。
千熊丸が、絵巻物へ描いていたもの。
これも最初は、全員、意味が分からなかった。
『なんで弓を機械にする?』
言われるままに試作して、撃って、皆黙った。
「鎧ごと持っていきおった」
森九郎左衛門が低く言う。
「しかも、訓練短くて済む」
「そこが厄介だ」
普通の弓兵は育成に時間がかかる。
だが弩は違う。一定の訓練で扱える。
さらに、千熊丸は言った。
「守る戦に向いてる」
バリスタも同じだった。
港防衛。
城壁。
船。
“点”ではなく、“面”で守る思想。
しかも千熊丸は、やたら兵站を気にした。
『矢の規格を揃える』
『補給切れると終わる』
『兵が飯食えない軍は弱い』
戦国武士とは思えぬ発想だった。
「だから家法も変わった」
篠原長政が静かに言う。
阿波三好の家法。
それは今、大きく整備され始めていた。
三好学校を修めた(千熊丸の名付けた)『法務官』という者たちが中心になり、法整備を進めていた。
勝手な徴発禁止。
無意味な焼き討ち制限。
農繁期の動員配慮。
寺社保護。
街道整備義務。
港維持。
さらに“民を飢えさせた代官への罰則”
様々な分野で整えられてく。
「最初、“甘い”と思った」
と言ったのは、新開実治。
「だが違った」
厳しいのだ。
むしろ“継続して国を維持する”ことへ対して。
「千熊丸様は、“戦の後”を考えておる」
誰かが呟く。
焼けば終わる。
奪えば終わる。
だが、その後、誰が田を耕す?
誰が港を回す?
誰が税を払う?
そこまで考えていると。
『皆保険』と千熊丸は言った。
『病気で働けなくなると国力落ちる』
『薬と医者、皆が使えた方がいい』
『あと予防大事』
さらに。
『怪我人放置すると労働力減る』
完全に国単位の発想だった。
「薬草園は増えたな」
「医師見習いも育て始めた」
「寺にも薬置き始めた」
全部、繋がっている。
皆保険。
まだ制度としては未完成。
しかし、目指しているものだけは分かる。
「……結局」
小笠原長久が、静かに笑った。
「千熊丸様、“人を減らしたくない”のだな」
その言葉に、誰も反論しなかった。
戦国は…
人が死ぬ時代だ。
飢える。
病む。
逃げる。
それが普通。
ところが、だ…
木から落ち、“胡蝶の夢”を見た少年は、最初から、そこを嫌っていた。
人を増やしたい。
生き延びさせたい。
学ばせたい。
働けるようにしたい。
豊かにしたい。
その結果として、国が強くなる。
阿波の国人たちは、もう気付いていた。
四州近衛と阿波三好が作ろうとしているものは。
単なる戦国大名の領地ではない。
“文明”そのものなのだと。