作品タイトル不明
芝生の子供達。
――1533年、師走。
徳島城、政所。
夜の冷え込みが強くなり始めた頃だった。
城下の喧騒も少し遠のき、政所の灯だけが、静かに障子へ揺れている。
その一室で。
「……疲れた」
私――四州近衛孫次郎長慶稀仁は、机へ突っ伏していた。
政所には、いつもの顔ぶれがいる。
篠原小一郎(長房)。
篠原佐吉(佐吉兵衛)。
佐々木太郎(高経/右京進)。
一宮次郎九郎(成助)。
大西小太郎(頼武)。
新開太郎(元実)。
重清四郎(小笠原長政)。
森彦太郎(元村)。
芝生城時代からの、“体験学習仲間”だった。
政所の隅では、『はるちゃん』こと永寿内親王が、静かに書付をまとめている。
もうすっかり、この空気へ馴染んでいた。
ぱらり、と紙をめくる音。
「次、撫養の港改修願いです」
「もう!」
「あと塩釜の増設」
「まだ増やすの?」
「船が増えておりますので」
真顔だった。
私(長慶)は天を仰ぐ。
「誰だよ港整備始めたの」
「殿(長慶)です」
小一郎が即答した。
「ぐっ……」
言葉を詰まらせていると、政所に笑いが漏れる。
その笑いはどこか柔らかかった。
昔とは違う。芝生城の頃は、もっと皆、必死だった。言葉通り、生き残るために。
その空気を、一番覚えているのは、小一郎だった。
彼は静かに障子の向こうを見る。
「……不思議なものですね」
ぽつり、と漏らした。
「ん?」
「芝生城で、紙漉きをしていた頃は」
小一郎は少し笑う。
「まさか、こうなるとは思いませんでした」
芝生城。
まだ私(長慶)が“ただの三好の嫡男”だった頃。
次代の側近候補として、阿波の国人衆の子供たちは、定期的に集められていた。
理由は単純。『国を知れ!』
海雲――三好元長が、そう決めたからだ。
武だけでは、乱世を生き残れぬ。
だから子供たちは、城の中だけで育たなかった。
私(長慶)と共に行動した。
山へ行き。
港へ行き。
工房へ行き。
畑へ行き。
そして、見てるだけではなく、全部、“実際にやらされた”。
「いや本当に地味に地獄だったよね、紙漉き」
佐吉が即座に言った。
「あれは寒かった」
「冬の水が死ぬほど冷たい」
「指の感覚なくなるし」
「殿、途中で桶ひっくり返してましたよね」
「やめろ」
即答だった。そんな私(長慶)の反応に皆が笑う。
『阿波紙』: 質もはるかに向上し、種類も色も用途も多様になった。
今では堺でも評判になり始めている。
だが当時の彼ら(幼年期)には、ただの重労働だった。
冷たい水に、繊維を叩く作業。
漉き、乾燥。
単純だが、ものすごく手間がかかるのだ『紙づくり』って。
幼い国人の子供たちは、最初皆不満顔だった。
『なんで武士がこんなことを』正直そう思っていた。
側近候補ってこんなことまでしないといけないのか? と。
だが、殿(千熊丸/長慶)だけは違った。
『すげぇ……』
目を輝かせていた。
『木が紙になる……!』
職人が困惑するほどだった。しかも質問が止まらない。
『なんで薄くすると強くなるの?』
『水質で変わる?』
『保存年数どれくらい?』
『量産できる?』
紙漉き職人が、最後には疲弊していた。
佐々木太郎が吹き出す。
「職人衆、“また来た……”って顔してましたな」
「してた」
「完全にしてた」
「でも最後には皆、説明してくれてた」
それが殿(千熊丸/長慶)の妙なところだった。
身分で押さない。
職人を見下さない。
むしろ『どうやって作るの?』と、本気で知りたがる。
だから、現場の者たちが次第に心を開いた。
「太布も酷かった」
今度は大西小太郎が遠い目をする。
「樹皮剥ぎ」
「叩いて」
「繊維にして」
「撚って」
「織る」
長い。とにかく長い。幼い子供にとっては辛抱を強いられる作業だった。
だが殿(千熊丸/長慶)は、これにも途中から真顔になっていた。
『これ、木から布作ってるんだよね?』
『は?』
『つまり、綿がなくても服作れるんだ』
職人が固まった。
子供の発想ではなかった。
『山だけでも生きられるってことじゃん』
その時の顔を、小太郎は今でも覚えている。
“仕組み”を見ていた。
ただの布ではない。
物流。 資源。 供給。 代替。
そういうものとして見ていた。
やがて、改良された『阿波太布』は様々な繊細な『繊維』を生み出し、『阿波絹』と共に『阿波布』として『阿波国内』だけではなく都を中心に流通することになった。
「殿(千熊丸/長慶)、昔から“国全体”で物を見るんですよな」
次郎こと一宮次郎九郎がぽつりと言った。
「一個の品じゃなくて、“それがどう回るか”を見る」
小一郎が静かに頷く。
「海雲様も、早くから気付いておられました」
だから集めた。国人の子供たちを。
最初は殿(千熊丸/長慶)の側近候補を選ぶつもりで集められたはずが、今では自分たち(側近)を筆頭にあの時集められたほぼ全てが、千熊丸の手足となって今の『阿波』の様々な分野で働いている。
未来の阿波を支える者として。
「養蜂もやったなぁ……」
森彦太郎が苦笑する。
「刺された」
「めちゃくちゃ刺された」
「殿(千熊丸/長慶)、巣箱覗き込みすぎなんですよ」
「だって気になるじゃん!」
皆また笑う。
とは言っても、当時『蜂蜜』は貴重だった。
薬。 保存食。 甘味。
そして何より、“売れる”。
実際、阿波の至る所で始められた『養蜂』は『樹蜜(楓砂糖)』と共に『阿波』に莫大な富をもたらした。
それによって阿波全土の生活も一気に向上した。
殿(千熊丸/長慶)は、その頃から言っていた。
『戦だけやってても国は貧しくなる』
子供の言葉ではなかった。
『ちゃんと“作れる国”にならないと駄目』
その意味を、今なら全員理解している。
静かに聞いていた『はるちゃん』が、ふと尋ねた。
「皆様、最初から“よし様は特別だ”と思っておられたのですか?」
少し、政所が静かになる。
答えたのは新開太郎だった。
「……いや」
意外な返答だった。
「最初は、“変な奴”でした」
「え〜」
即座に私(長慶)は抗議する。だが皆、頷いていた。
「急に紙の保存方法考え始めるし」
「港見ると消えるし」
「船見つけると話長いし」
「職人と延々喋るし」
「畑見て喜ぶし」
「あと寝ない」
「寝ろって言っても寝ない」
『はるちゃん』が真顔で頷いた。
「今もです」
「はるちゃん?」
政所に笑いが広がる。
けれど、小一郎だけは、少し違う顔をしていた。
「……ただ」
静かな声。
「皆、途中から気付いたんです」
灯明が揺れる。
「殿(千熊丸/長慶)は、“俺たちの国”を見ておられる、と」
国人衆は、本来なら競い合う。
縄張り。水。港。山。
争いは絶えない。
だが殿(千熊丸/長慶)は違った。
『阿波全部で豊かになればいい』
本気でそう言った。
しかも、言うだけではない、本当に動いた。
港。 紙。 塩。 蜂蜜。 道。 橋。
全部、繋げ始めた。
そして、誰より先に現場へ行った。
泥だらけになって。
職人と話し。
船頭と飯を食い。
農民の話を聞いた。
だから… 国人衆の子供たちもまた、次第に変わっていった。
「……気付いたら」
佐々木太郎が笑う。
「皆、“阿波を良くする側”に回ってたんですよな」
それは、不思議な感覚だった。
主君へ従う、とは少し違う。
一緒に国を作っている。
そんな感覚。
その時、外から、どっと歓声が響いた。
「?」
私(長慶)は顔を上げる。
小姓が慌てて入ってきた。
「殿(千熊丸/長慶)!」
「なに!?」
「城下の子供たちが!」
「……また?」
完全に『また』だった。
「“よし様に阿波焼見せたい!”と……」
政所の全員が吹き出した。
くすくす笑う『はるちゃん』。
「人気者ですね」
「違うよ! 絶対また新作持ってきただけだよ!」
「それはそれで好かれております」
反論できなかった。
小一郎が立ち上がる。
「行きましょう」
「えぇ……」
「殿(千熊丸/長慶)が行かぬと、職人衆が待ち続けます」
「なんで?」
「褒めると皆、本気出すので」
実際そうだった。阿波の職人たちは、千熊丸へ妙に見せたがる。
新しい釉薬。
新しい紙。
新しいガラス。
新しい船材。
なぜなら、この主君は、“分かる”から。その価値を。苦労を。未来を。
そっと立ち上がった『はるちゃん』。
「私も参ります」
「寒いよ?」
「大丈夫です」
柔らかく笑う。
「阿波の“暮らし”を見るの、好きですから」
私(長慶)は、少しだけ照れくさくなって頭を掻いた。
その横で、芝生城時代からの側近たちは、静かに笑っていた。
あの頃、泥だらけで紙を漉いていた子供たちは。
今、徳島城の政所で、まだ幼さを残しながらも、本当に、“国”を動かし始めていた。