軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

『阿波の国人たち』②

阿波・勝瑞館。

夜も更け始めた頃。

評定を終えた国人たちは、珍しくそのまま残っていた。

酒はあるし炭火も暖かい。

何より“今の阿波”について語り始めると止まらないからだ。

「……しかし、本当に変わったな」

森九郎左衛門が、しみじみと呟く。

「何がだ?」

「全部だ」

即答だった。

勝瑞の外を見れば分かる。夜でも人の気配がある。

以前ならあり得なかったことだ。

昔は、夜が早かった。

そもそも明かりも少なく、そのため暗かった。

ということは犯罪に巻き込まれやすいということだ。

だから皆、日が暮れれば家に閉じこもる。

だが今の徳島城下や勝瑞周辺は違った。

千熊丸が大豆や様々なものから油を抽出することに成功し、その過程で生み出されたものから蝋燭を作ることに成功した。なので、灯がある。

蝋燭の周囲を風除けとしてガラス瓶を使ったもので覆い、風の影響を受けないように作られた街頭。

定期的に火の確認や蝋燭の交換がされていた。もちろんガラスの覆いも煤がつけば掃除もできるし、交換もできるようになっていた。

整えられた街路を定期的に回る見回りもいる。

夜回りの声も聞こえる。犯罪も激減した。

しかも、どこからか湯気の匂いまで漂ってくる。

「最初、“湯屋を増やす”と言われた時は意味が分からなかった」

大西親武が笑う。

「戦に関係あるのかと」

「実際、皆そう思っておった」

だが千熊丸は真顔だった。

『身体洗える場所は大事!』

『病気減るからね』

『あと疲れ取れるでしょ?』

さらに一言。

『皆、綺麗な方が嬉しいでしょ』

戦国の武士とは思えぬ発言だった。

とはいえ結果は明白だった。

湯屋は流行った。

仕事を終えた職人が通い、船乗りが通う。農民も来る。

湯へ浸かり。飯を食い。それぞれが入り混じって話をする。

本来交わらなかった人の垣根は、『寺子屋』で共に学ぶ機会によって低くはなってはいたが、さらに『湯屋』という公共施設ができたことでさらに低くなった。

すると、人が集まり情報が集まる。それを通じて様々な商いが生まれている。

「……まさか、風呂で国力が増えるとはな」

新開実治が遠い目をする。

皆、そんな彼を見て笑った。けれども否定できない。

しかも、千熊丸の『発案』で見つけられた『温泉』

『阿波三好』は“温泉”まで整え始めた。

山間部の湯。海沿いの湯。

最初は小さかった。ところが、自然と口コミで広がっていくと、

旅人が寄る。商人が泊まる。船乗りが休む。

すると街道が自然と賑わい『温泉街』ができた。

さらに『温泉地』までの街道が整うと、『寄り合い馬車』というわずかな料金で誰でも『温泉』が楽しめるようになった。

千熊丸は、昔から言っていた。

『人が“また来たい”って思う場所、大事だよ』

当時は意味不明だった。でも今なら分かる。

「衣も変わった」

一宮成永が、自分の袖を見下ろす。

柔らかい布地。昔の武士の衣はもっと粗かった。

だが今の阿波では、太布の改良が進み、絹も増え、染めも安定した。

『阿波布』『阿波絹』と呼ばれるようになり、市場も増えた。

しかも『阿波布』は着心地の良さに加えて“丈夫”だったため、普段使いとして領民だけではなく武士も使うようになった。

その上さらに最近では、都から持ち帰られた『綿』の栽培も始まった。

まさしく『阿波』は『布』によって大きく変化していた。たかが『布』されど『布』だ。

しかも千熊丸が、やたらそこへ拘ったからだった。

『普段着がちゃんとしてると生活楽になる』

意味不明だった。特に庶民にとって『服』は着られればいい。丈夫であればいいだった。

ところが、いざ様々な『阿波布』が開発されると、安価でそれは市場を出回った。

身につければ着心地も良く、従来に比べると手入れも楽だった。

『洗濯用石鹸』と呼ばれる専用の細かく削られた『石鹸』と千熊丸の『発案』で作られた手回し式『洗濯機』というもの普及も大きかった。冬の冷たい時期に身体を水に晒すという機会が激減したことで、身体を損なう人も減った。それによって死亡率も減った。

何より暮らしも本当に楽になった。

「女子衆が喜んだのが大きいですな」

篠原長政が苦笑する。

「服の色が増えた」

「染めの色も増えた」

「軽い着心地」

本来、戦国の衣服は重い。

洗うのも大変。だが阿波では改良が進んだ。

理由? 千熊丸が『動きやすい方がいい』と言い続けたからである。

さらに、“食”が変わった。

「……飯が美味くなった」

森九郎左衛門が真顔で言う。

皆、深く頷く。これは本当に重要だった。

塩が安定した。油が増えた。保存技術が上がった。

干物。味噌。酢。蜜。

味覚も増え、食が変わった。

千熊丸が『肉』を奨励したのも大きかった。

もちろんそれだけではない。『米』も『正条植え』や千熊丸の阿波南部での『再生二期作』奨励によって劇的に増えた。一度の田植えで二度の収穫ができた。それができたのは『土地にも栄養が必要』という千熊丸の『発案』で開発された『腐葉土』。自然の落ち葉以外にも『コンポストトイレ』から各自回収されたものを混ぜ発酵させたものを肥料にしたら、これも『米』だけではなく『田畑』や果樹での収穫が一気に上がったのだ。

すると、人間、露骨に元気になる。

「あと甘味」

誰かが言った。皆、笑う。

「あれは永寿様も原因だ」

「いや、その前に千熊丸様だ」

「“あいす”とかいう謎の食べ物まで出てきた」

「冬に食うものではない」

「でも『こたつ』の中で食べると美味い」

笑いが広がる。

実際、甘味の効果は大きかった。まさしくそれは“余裕”の象徴だからだ。

飢える国では菓子は生まれにくい。

だが今の阿波では、菓子職人が育ち始めている。

それ自体が『国の豊かさ』だった。

「住まいも変わったな」

小笠原長久が、しみじみと言う。

阿波では、家の作りも変わり始めていた。

風通し。湿気対策。南国阿波の夏は絶対条件だ。

とはいえ、この時代は小氷期。確か、海外の火山大噴火して日本もその煽りで冷害が増えていたことを『令和のおばちゃん』は知っていた。この為、対策は『衣』や『食』だけではなかった。そう『家』もだ。

衛生対策に井戸や排水を分け。水回りも整える。飲み水も煮沸や浄化したものの徹底。

さらに。木材だけではなく石灰――後のセメントに近い技術を導入し、建物の構造の強化によって今後起きる災害対策も推し進められた。地震だけではなく、台風にも耐え垂れるように。

「いや本当に、“暮らし”なんだよな……」

大西親武が笑う。

「千熊丸様が拘るのって」

「ああ」

戦略だけではない。

兵数だけでもない。

もっと根本。人がちゃんと生活できるか。千熊丸様はそこを見ている。

「昔、芝生城で言っておられた」

傅役だった篠原長政が、ふと思い出す。

『戦って、“生活壊れる”から嫌』

幼い千熊丸の言葉だった。

皆、その時は苦笑した。

しかし、今なら分かる。

千熊丸様は最初から“戦の後”を見ていた。

「だから、“天領”になっても」

新開実治が静かに言う。

「不思議と恐ろしくない」

普通なら中央支配は怖い。

だが、今の阿波国人たちは違う。

彼らが見ているのは、“支配”ではない。

変化した民の顔だ。

子供の顔色が良くなった。

冬の飢えが減った。

娘たちが字を覚え始めた。

港へ行けば仕事がある。

湯屋で笑い声がする。

旅人が増える。

市場が賑わう。

そして、逃げる者が減った。

「……国ってのは」

森九郎左衛門が、静かに呟く。

「城だけじゃなかったんだな」

誰も否定しなかった。

城は守るもの。

けれど、その中に生きる人がいなければ、意味がない。

外では、雪混じりの風が吹いていた。

勝瑞も徳島城下にも、今の阿波には確かな“熱”があった。

それは戦火ではない。人の暮らしが積み重なる熱だった。

そしてその中心には、木から落ち“胡蝶の夢”を見た少年がいる。

未来の道具を描き。

港を語り、物流を整える。

風呂を増やし、民を健康にする。

甘味を作り、幸せにする。

服を丈夫に軽くし、

道を整え、民の足を作る。

戦国の武士らしからぬことばかりしている。

しかし、阿波の国人たちはすでに理解していた。

千熊丸様は“勝つ国”ではなく“皆が生き続けられる国”を作ろうとしているのだと。