軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

『阿波の国人たち』①

――徳島城下が、まだ“新しい城下町”の匂いを残していた頃。

勝瑞館。

阿波三好の評定は、今もここで開かれていた。

徳島城が“四州近衛”の城であるなら、勝瑞は、“阿波三好”そのものの本拠だった。

雪混じりの風が吹く夕刻、広間では、阿波国人たちが静かに酒を飲んでいた。

篠原。

一宮。

大西。

新開。

森。

重清。

皆、阿波の土に根を張る国人城主たちである。開運の手足となり阿波の政策を推し進めていた。

そしてその子供の多くは”四州近衛”の側近として若殿(長慶)のもとで働いている。

最近の話題は主に『天領』についてだった。

「……まさか、本当に“天領”になるとはな」

ぽつり、と森家当主が呟いた。

誰も笑わない。

あまりにも大きすぎる変化だった。

土佐泊城主、森九郎左衛門。因幡国の出身で、元は鎌田九郎兵衞と名乗っていた。縁あって阿波細川家に仕え、阿波佐田館三十八貫を領していたが、息子である彦太郎(元村)が千熊丸の側近に選ばれたことで、海雲に引き抜かれる形で細川家から離れた際、森姓を名乗ることになる。現在は土佐泊に土佐泊城を築城し阿波水軍を率いて、阿波の海を任されている。

ここにいる元長の側近の多くは阿波細川に仕えていた。が、千熊丸の側近候補として阿波の国人城主の子供が芝生城に集められた際、元長の引き抜きがあり、それに応じた者たちだった。

息子たちは千熊丸と過ごし、側近候補に選ばれた。

その後、元長から千熊丸の秘密を打ち明けられた。

それ以後、親子で千熊丸を支えてきたのだった。

そんな中で千熊丸は『四州近衛』を興すことになった。

親世代は『阿波三好』に。息子世代は『四州近衛』に仕えることになった。

ただ、彼らにとっても阿波のみならず、四国丸ごとの『天領化』は想像もしていなかった。

普通、“天領”とは、武家にとって、怖い言葉だ。

中央の支配。徴発。干渉。自由の喪失。を意味するからだ。

地方武士からすれば、面白い話ではない。

だが、阿波の国人たちは、少し違った。

「正直、最初は疑った」

一宮城主、一宮成永が、苦く笑う。

次郎こと一宮次郎九郎(成助)の父親だ。元は三好と同じ小笠原一族。遠い親戚ということになる。

令和にも残っている阿波一宮神社の大宮司家の家長だ。

「“朝廷直轄”などと言われてもな」

「分かる」

「どうせ都の理屈だと思った」

ところが、実際に変わったのは、“都”ではなかった。

阿波そのものだった。

「……橋が増えた」

重清城主、小笠原長久が言う。この人は重清四郎(小笠原長政)の父親。四郎くんは『重清小笠原』。本当は名字は『小笠原』が正しいんだけど、地域的に結構多い名字なので城の名前で呼んでる。

ここも『小笠原』系である『三好』の遠い親戚筋だ。

「道もだ」

「港も広がった」

「関銭も整理された」

それだけではない。

紙。塩。布。蜂蜜。陶器。船。

阿波の産物そのものが、“売れる物”へ変わっていった。

しかも、その利益が、一部の者だけで止まらない。

港町へ流れ。村へ流れ。職人へ流れ。

国そのものが、少しずつ豊かになっていた。

「戦で奪ったわけでもない」

森九郎左衛門が静かに言う。

「なのに、国力が増えておる」

それが異様だった。

酒を注ぎながら、白地城主、大西親武がぽつりと漏らす。

この人は小太郎こと大西小太郎(頼武)の父上。『白地城』は吉野川上流域を抑える重要拠点で、海雲曰く、ここも『小笠原』の縁者らしい。

「……全部、あの絵巻物から始まったのう」

空気が少し静まった。

皆、同じものを思い出していた。

芝生城。

あの頃、数え三歳(実質二歳)まだ千熊丸は幼かった。

木から落ちて、高熱を出し、数日、目を覚まさなかった。

そして、目を覚ました後、何かが変わった。

あれから少しして、まだ若い二十代前半の当主の三好元長(後の海雲)が突然『変なこと』を言い始めた。

彼の側近である自分たちでさえ『おかしくなった』と思ったほどだった。

『海はもっと大きく使える』

『塩は大量生産できる』

『紙は国の力になる』

『女も学んだ方がいい』

『船はもっと速くできる』

意味が分からなかった。

だが、もっと意味が分からなかったのは…

それから少しして、息子たちが千熊丸の側近候補に選ばれた後、元長から見せられた、千熊丸が描いたとされる“絵”だった。

それは千熊丸の傅役である木津城主、篠原長政によって分類され、丁寧に巻物のようにされていた。

山のように積まれた絵巻物。

農具から始まり、見たこともない道具。

奇妙な構造。

橋。港。水路。整然と並ぶ倉庫。大きな船。見たことのない武器。

中には、何に使うか分からぬ物まであった。

しかし、海雲――三好元長は、それを捨てなかった。

むしろ、誰より真剣に見ていた。

『……これは、“未来”かもしれぬ』

そう呟いたのを、今でも覚えている者がいる。

「海雲様は、隠したのだ」

牛岐城城主、新開実治が低く言う。太郎ちゃんこと新開太郎(元実)の父親。元は阿波細川に仕えていたのを海雲がこっち(千熊丸)側に引き込んだ。阿波南部の国人城主だ。

「千熊丸様を」

「ああ」

最初、元長は、先に挙げた内容を自分が考えた事だといい、千熊丸の名前を出さなかった。

今なら、納得だ。

自分たちの息子がそうであったなら、同じようなことをしたかも知れない。

皆、頷く。

外へ出せば危険だった。

幼子が、未来を語る。

そんなもの、乱世では、“怪物”扱いされかねない。

だからこそ、元長に打ち明けられた側近たちである我々もまた『千熊丸』を守ろうとした。。

阿波三好は、徹底して『三好の宝』を守ろうと囲った。

表では『少し利発な嫡男』程度に見せた。

だが裏では、国人衆が総出で動いた。

絵巻物を読み。

職人へ見せ。

試作し。

失敗し。

また作る。

それを延々と繰り返した。

「最初に成功したのは、塩だったな」

篠原長政が笑う。

「あれは驚いた」

「量が違った。質も向上した」

『塩』は命だ。

保存。

流通。

兵糧。

その塩が、安定した。

『紙』が続いた。

阿波紙は品質を上げ、様々な種類のものができ、流通へ乗った。

『油』

様々な油が精製された。これもどんどん質が上がっていった。

石鹸や蝋燭も種類も豊富に大量に作られるようになった。

『蜂蜜』

自然採取のみだったものが『養蜂』できるようになった。

そして様々な種類の『蜂蜜』が安定して取れるようになった。

樹蜜から『楓シロップ』や『楓砂糖』まで作れるようになった。

『太布』

従来の太布よりもっと、繊細で高品質のものができるようになった。

やがて、鮮やかに色染めされた、それは『阿波布』と呼ばれるようになった。

『米』

もともと南国の阿波にとって、米づくりは主力だった。

そこへ、今では阿波では常識になった『正条植え』を導入し、種籾の選別をし、『合鴨農法』を行うことで、より多くの、質の良い『阿波米』が取れるようになった。南部では一年に二回米が取れるようになった。

『清酒』

質の良い『米』と西部の穴吹という清流で酒造りが始まった。

しかもそれまでの『濁り酒』ではなく、透き通った『清酒』と呼ばれるものだった。

あの『清酒』を京に『献上』した。

すると、それを帝が好まれ『天の羽衣』という名前までいただいた。

そうやって、少しずつ。本当に少しずつ。阿波は変わった。

「気付いた時には」

森九郎左衛門が苦笑する。

「もう、戻れなくなっておった」

従来のやり方へなど戻れない。

なぜなら、豊かになってしまったから。

農民が逃げにくくなった。

職人が定着した。

港へ人が集まった。

銭が回った。

そして、国人たち自身が、理解してしまった。

「……豊かな国は、強い」

武だけではない。

国力。

人口。

物流。

それら全部が、“力”だと。

「だから」

一宮成永が、静かに盃を置く。

「“天領”へ反発する気になれぬのだ」

普通なら、嫌がる。

中央支配など。

しかし、今の阿波国人たちは違った。

理由は単純。

『この仕組みを壊されたくない』からだった。

「正直」

大西親武が低く笑う。

「幕府より信用できる」

「言うな」

「事実だ」

苦笑が広がる。幕府は遠い。

だが、千熊丸は違う。

本当に現場へ来る。

港へ。

工房へ。

畑へ。

泥だらけになって、しかも、本気で聞く。

『困ってることある?』

それを… 大人に任せず、十一歳がやる。

「阿波三好の宝、か……」

誰かが呟く。

皆、黙った。

その言葉は、昔から使われていた。

千熊丸。

木から落ち、“胡蝶の夢”を見た子。

未来を見る子。

阿波へ富を呼ぶ子。

だから守った。阿波全体で。

「気付けば」

篠原長政が笑う。

「守っていたつもりが、こっちが引っ張られておった」

皆、吹き出す。

本当にそうだった。

最初は、“危うい子供”だった。

ところが、いつの間にか、国人たち自身が、“未来を見るようになっていた”。

港を広げる。

道を繋ぐ。

寺で学を教える。

女子へ文字を教える。

全部。

昔の阿波なら、考えもしなかった。

今は違う。

「……千熊丸様は」

小笠原長久が静かに言った。

「阿波を、“富国”にしようとしておる」

ただの領地ではない。

ただの勢力でもない。

人が生き。

学び。

働き。

未来を積み上げる場所。

それを本気で作ろうとしている。

その時、勝瑞館の外から、子供たちの笑い声が聞こえた。

国人たちが、ふとそちらを見る。

城下には灯が増えていた。

人がいる。

笑いがある。

荷が動く。

船が来る。

昔の阿波とは、もう違う。

そして皆、分かっていた。

“天領”とは、単に朝廷へ従うことではない。

千熊丸が見た、“未来の国”へ組み込まれることなのだと。