作品タイトル不明
『はるちゃん』の『お国入り』④
話は前後する。
――1533年、霜月末
阿波国・徳島城。
吉野川河口近く。
新たに築かれた城は、まだ“新しい木”の香りを残していた。
徳島城。
それは従来の山城とも、古い館とも違う“政務と流通の中心”として作られた城だった。
高く聳えるだけではない。
港へ繋がり、町へ開き、倉へ直結し、街道へ流れる。
軍事拠点でありながら“人と物を回すための城”。
それが、この城だった。
◆ 徳島城・大手門
海路から入った一行は、既に徳島城へ入城していた。
『はるちゃん』――永寿内親王は、城下を見下ろせる櫓から、しばらく景色を眺めていた。
「……本当に、“町が動いております”」
ぽつりと言う。城下を一望できるその場所から『はるちゃん』の視線の先には
川湊。荷船。市。職人町。整えられた街路。
そして、建築途中の区画がよく見えた。
まだ作っている。まだ広げている。
そう、この城下町も、城もまだ“完成していない”のだ。
だからこそ、生きて見える。
私(長慶)は『はるちゃん』の隣で頷く。
「徳島は、まだ育ててる途中だから」
「勝瑞とは違うのですね」
「うん」
勝瑞は、“阿波三好”の本拠地だ。
古い権力。古い家臣。古いしがらみ。それらを抱えている。
だが徳島は違う。“新しく作られている”。
だから私(長慶)は、こちらへ『四州近衛の政所』を置いた。
◆ 政所
その日の夕刻。
徳島城『政所』では、評定が開かれていた。
こちらは“四州近衛”としての政務。
つまり、単なる阿波一国のではない。
讃岐。
伊予。
土佐。
四州全体を視野へ入れた統治機構だった。
広間には、私(長慶)と海雲。私の側近の小一郎――篠原長房と側近たち。他には奉行衆、海商、寺社代表。
そして、阿波国人たち。
彼らは今、静かに“新しい主家”を見極めていた。
◆ 阿波国人の戸惑い
「……未だに、不思議ですな」
阿波国人の一人が、酒を置きながら言った。
「何がだ」
「戦より先に、“倉”を建てる」
苦笑混じりだった。
「普通、城を大きくするでしょうに」
別の国人が笑う。
「実際、若様(長慶は古参からそう呼ばれている)は石垣より港を優先された」
「しかも関銭を減らした」
「正気とは思えなんだ」
周囲が小さく笑う。
だが、誰も反対はしない。
理由は単純だった。実際に、銭が増えている。
人が集まり、港が動いている。
つまり“結果”が出始めていた。
◆ 畿内粛清後の空気
その場には、畿内から流れてきた者たちもいた。
細川晴元派。
三好政長側近。
没落した被官。
ただし、阿波三好は、畿内粛清へ直接関与していない。
あの当時、海雲と私(長慶)は阿波へ籠もって内政を進めていた。
だからこそ逆に、畿内で起きた“大粛清”の凄惨さが流れてくる人々の口から伝わっていた。
「京は…… 空気が変わりました」
ある旧被官が低く言った。
「皆、口を慎む」
「……」
「誰が次に消えるか分からぬ」
重い空気。
細川晴元と畿内三好政長一族は既に処断された。
しかし、その余波はまだ京に残っているらしい。
出口の見えない逼塞感が京を支配していた。
だからこそ、彼らから見た今の阿波の空気は異質だった。
皆、生きている。働いている。未来の話をしている。
それが、逆に信じられないようだった。
◆ 海雲の立場
「……大殿様」
旧細川方の男が、静かに頭を下げた。
「我らを、生かしてくださったこと…」
「礼は要らぬ」
海雲は短く言った。
「国を回す人間まで殺せば、後で困る」
あまりにも現実的だった。
だが、それが海雲だった。
感情ではなく “国として必要か”。そこを見る。
「それに」
海雲は酒を飲み、
「もう終わった話じゃ」
と言った。そこには、妙な冷静さがあった。
晴元への執着も、政長への怒りも、既に薄い。
なぜなら今、阿波は“過去の政争”より忙しいのだ。
港。
流通。
寺子屋。
新田。
街道。
塩。
船。
やることが山ほどある。
◆ 小一郎の実務地獄
「殿(長慶)」
「ん?」
「予算が足りません」
「また?」
「寺子屋増設」
「港湾補修」
「冬備蓄」
「全部重いです」
小一郎が無表情で帳面を差し出す。
まだ若いのに胃痛役が板についてきている。
「あと職人足りません」
「……どこも?」
「どこもです」
実際、今の阿波は常に“人不足”だった。
確かに人が集まり始めている。だがそれ以上に、やることが多すぎる。
橋を架ける。
倉を建てる。
港を掘る。
水路を引く。
全部、人手がいる。
「だから移民受け入れを」
「治安管理が追いつきません」
「ぐっ」
小一郎が淡々と続ける。
「あと、殿(長慶)」
「はい」
「“冷やした甘味専用蔵”は後回しです」
「何で!?」
「民生優先です」
「くっそ正論!!」
恒例になった私(長慶)と小一郎のやりとりに周囲が笑う。
しかし、その笑いはどこか柔らかい。
昔の三好家評定は、もっと殺気立っていた。
誰が裏切るか。誰が奪うか。誰を討つか。そんな話ばかりだった。
今は違う。
港の予算。備蓄。寺子屋。流通。
まるで、“国を育てる相談”をしている。
◆ 『はるちゃん』の違和感
ある夜、『はるちゃん』は、徳島城下を歩いていた。
供は少ない。
冬の夜気、川からほのかに潮の香りが来る。
町には、まだ灯があった。
「……遅くまで、人が動いています」
隣の侍女が答える。
「港がございますので」
『はるちゃん』は静かに見つめる。
荷を運ぶ者。
帳面を書く者。
魚を捌く女たち。
炭を積む子供たち。
皆、疲れている。
けれど、どこか、“諦め切っていない顔”をしている。
京で見た貧民街とは違う。戦国では珍しい空気だった。
◆ 阿波の女たち
その時、市場帰りの女たちが、『はるちゃん』に気付いた。
「……あっ」
「おひいさま」
慌てて頭を下げる。
だが、『はるちゃん』は立ち止まり、
「寒くありませんか?」
と声を掛けた。女たちが固まる。
「え」
「お魚、たくさんですね」
「あ、はい……」
戸惑いながら答える女。
その魚籠を見て目を輝かせた『はるちゃん』。
「立派です!」
その瞬間、女たちの顔が、ぱっと緩んだ。
「へへ……」
「今日はよう獲れたんです」
「殿様(長慶)が港広げてくれたけん」
自然と会話になる。
女たちは気付いていた。
この姫は、“見下ろさない”。
ちゃんと人を見る。
そして『はるちゃん』自身も少しずつ理解し始めていた。
阿波という国を。
◆ 『はるちゃん』の気付き
業務を終えて、天守近くで私(長慶)は冷風に当たりながら港を見ていた。
そこへ『はるちゃん』が来る。
「起きてたの?」
「はい」
彼女は隣へ立つ。
しばらく無言。
そして、小さく言った。
「……分かってきました」
「何が?」
「皆、よし様へ期待している理由です」
私(長慶)は苦笑する。
「いや期待重すぎて胃痛なんだけど」
「でも……」
『はるちゃん』は、港の灯を見た。
「皆、“明日も暮らせる”と思い始めてます」
風が吹く。遠くで船の鐘が鳴った。
「乱世なのに」
「……うん」
「それって、すごいことです」
私(長慶)は少し黙る。
そうだ、彼女のいう通りだった。
戦国では、それだけで奇跡に近い。
明日も飯がある。
働く場所がある。
冬を越せる。
それだけで、人は生きられる。
静かに『はるちゃん』は笑った。
「だから皆、“四州近衛”を怖がるんですね」
その言葉に、私(長慶)は少しだけ驚いた。
彼女はもう見始めている。
この国の“優しさ”が、同時に“脅威”でもあることを。