作品タイトル不明
『はるちゃん』の『お国入り』③
――1533年、師走始め。
阿波・徳島城下。
永寿内親王――『はるちゃん』のお国入りから、数日。
徳島城下はまだ祭りの余韻に包まれていた。
港では祝い酒が振る舞われ、寺では安穏祈願。
商人たちは「帝の姫が来た」と浮き立ち、子供たちは「姫様が手を振ってくれた!」と走り回っている。
そして何より、阿波の民たちは敏感に感じ取っていた。
――“京が、本気で阿波を認めた”… それがどれほど大きい意味を持つかを。
◆ 徳島城 本丸
『はるちゃん』は、まだ少し緊張しながら廊下を歩いていた。
『阿波』に入ってから『はるちゃん』は姿を隠さなくなった。
というのも、私(長慶)の母や親族もだが城に引き篭もることなく、結構出歩くのだ。
もちろん、護衛やお供もちゃんと引き連れてはいるけれど。
その時、顔を隠さず、領民と直に接しているという話を聞いたからだ。
そうそう、私(長慶)もだけど『はるちゃん』も京を発ってからすぐに『お歯黒』と『眉剃り』をやめた。
父、海雲はそれを知って、爆笑したいけど『はるちゃん』の手前できず、なんとも言えないような微妙な顔をした。
『阿波』に着く頃には身なりは京風だけど、どちらかというと令和でも通じるような美少女でハイスペックなお姫様になっていた。
そんな『はるちゃん』は、今日もまた『阿波』そのものに圧倒されていた。
京の御所とは違う。
空気そのものが違う。
人の歩く速度が速い。
京から付いてきた侍女たちも随分と変わった。
「港から使者です!」
「材木船、入港しました!」
と、やたら忙しい。以前のような内裏や静かな公家屋敷の感覚でいると、少し目が回る。
「……阿波、動き過ぎでは?」
思わず漏らすと、案内役の侍女が困ったように笑った。
「最近は特に」
「いつもではないの?」
「そうですね。いつもはそれほど… ただ、殿様(長慶)が何か思いつかれると皆走り始めますので……」
「なるほど……」
半分呆れた顔になる『はるちゃん』。
そこへ、どたどたどたっ!!
廊下の向こうから、小さな足音。
「若君様ー!」「千熊丸様ー!」
子供たちだった。
寺子屋帰りらしい。木札や筆を抱えている。『はるちゃん』のそばを通り抜けていく。
その喧騒に『はるちゃん』が目を丸くする。
「えっ、お城の中ですよね?」
「はい」
「子供入っていいのですか?」
「寺子屋はこちら側にございますので」
「近い!」
『徳島城』の城内に『寺子屋』があった。それはこの時代としては異常だった。
普通、戦国の城は“武士の空間”。
本来は、民、それも子供が気軽に入る場所ではない。
だが徳島城では違う。
城と町が完全には切り離されていなかった。
(ただし、居住部分の『西の丸』は『はるちゃん』がいるので警備は厳しい)
そこへ、私(長慶)が角を曲がって現れる。
「おはよう、はるちゃん」
「よし様!」
挨拶を交わしていると、姿を現した私(長慶)に向かって子供たちが一斉に群がった。
「殿様これ見て!」
「字書けた!」
「算できるようになった!」
「先生が褒めた!」
私(長慶)は差し出されるものを一人ずつ見ていく。
「おー、上手い」
「この字綺麗」
「九九もう覚えたの? 早っ」
『はるちゃん』は、そんなやりとりをしている私(長慶)を見てぽかんとしていた。
「……」
そして小声で。
「ものすごく懐かれてません?」
「まあ、城内に寺子屋作ったからね」
「そういう問題でしょうか……」
子供たちは本当に遠慮がない。
袖を引っ張る。
話しかける。
褒めて欲しがる。
戦国の“殿様”への態度ではなかった。
その時、小さな女の子が『はるちゃん』へ気付く。
「あっ、姫様!」
空気が止まる。
他の子供たちも振り向いた。
「ほんとだ!」
「姫様だ!」
「きれー!」
『はるちゃん』が固まる。
「え、あ、えっと……」
京では、皇女へこんな距離感で話しかける者などいない。
その中にいた女の子が『はるちゃん』に恐る恐る近づき。
「これ、あげる!」
小さな花飾りを差し出した。野花を編んだ、素朴な輪。
『はるちゃん』は目を瞬かせる。
「……私に?」
「うん!」
少女も『はるちゃん』も双方満面の笑み。
私(長慶)は少し黙った。
戦国時代、民が皇族へ直接贈り物をするなど、本来ならあり得ない。
だが、ここでは起きている。
『はるちゃん』は、おそるおそる花飾りを受け取った。
「……ありがとうございます」
周囲の子供たちが、ぱあっと笑う。
「姫様しゃべった!」
「やさしい!」
「すげー!」
その勢いに完全に圧倒されている『はるちゃん』。
私(長慶)は吹き出した。
「はるちゃん人気すごいね」
「よ、よし様の国、距離感がおかしいです……!」
だがその声は、少し笑っていた。
◆ 城下町視察
午後、『はるちゃん』は城下を視察していた。
護衛は付く。だが、京ほど厳重ではない。
町へ出ると、人々が自然に道を開けた。
「永寿様!」
「ようこそ阿波へ!」
「寒うございますな!」
商人たちが頭を下げる。
『はるちゃん』は驚いた。
彼らは全く怖がっていない。むしろ、親しみがある。
そして町そのものが、活気に満ちていた。
木材が運ばれる。魚が並ぶ。鍛冶場の音が響く。
どんどん新しい店が建てられているのが見える。
「……本当に、“増えて”ます」
ぽつりと呟く『はるちゃん』にその言葉を拾った護衛官が説明する。
「港整備の後、人が流れて参りました」
「他国から?」
「はい。船乗り、鍛冶、商人、農民……」
『はるちゃん』は再び視線を向ける。
そこには、“希望を持って移ってきた人々”の顔があった。
疲れてはいる。貧しい者もいる。けれど、どこか“明日がある顔”をしていた。
京ではあまり見なかった表情だった。
その時、『はるちゃん』に気づく人たち。
「姫様ー!」
また子供。今度は、小さな包みを抱えている。
「これ、お菓子!」
『はるちゃん』が目を丸くする。
「わ、私に?」
「うん! 阿波のお菓子!」
包みを開けると、小さな米菓子だった。
少し考え『はるちゃん』は一口食べる。
ぱり。静かな音。
そして…
「……おいしいです」
周囲が沸いた。
「姫様が食べた!」
「よかったー!」
同行していた侍女は『はるちゃん』が毒味も通さず、渡された食べ物を口にしたことに驚いたが、同時に盛り上がる民に圧倒されている『はるちゃん』を見て、彼女の横で笑いを堪えていた。
途中から合流した私(長慶)は、そんな『はるちゃん』を見て
「完全にアイドルだこれ」
「あいどる?」
「人気者って意味」
「なりたくてなってるわけではありません……!」
しかし、『はるちゃん』は気付いていた。
この国では“身分の高さ”より“ちゃんとそこにいること”が大事なのだと。
民を見て、言葉を返し。食べて、笑って、それだけで、人は安心する。
それは京では、あまり無かった感覚だった。
◆ 夕暮れの徳島城
やがて日が落ちる。
城の高台から、港の灯が見えていた。
船の火。倉の灯。町の灯。
冬の海辺なのに、まだ人の動きが止まらない。
『はるちゃん』は、その景色をじっと見ていた。
「……生きてますね」
「うん?」
「この国」
静かな『はるちゃん』の声。
「京は、“積み重なった都”でした」
「うん」
「でも阿波は違います」
彼女は灯を見つめる。
「皆で、“今作ってる”感じがします」
私(長慶)は少し黙った。そして小さく笑う。
「たぶん、それが一番近い」
未完成の国。
だから苦しい。問題も多い。足りないものだらけ。
でも、だからこそ、“未来”を入れられる。
『はるちゃん』は、そっと花飾りへ触れた。昼間、子供にもらったものだ。
「……私、少し分かった気がします」
「何が?」
彼女は、港の光を見ながら言った。
「皆が、“四州近衛”を怖がる理由です」
風が吹く。
「よし様、“国を大きくしよう”としてるんじゃないんですね」
私(長慶)は静かに聞いていた。
「“人が、生き続けられる場所”を増やそうとしてる」
その言葉に、私(長慶)は少しだけ目を細めた。
遠く港で、船の鐘が鳴った。
新しい時代の音のように。