軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

『はるちゃん』の『お国入り』②

――1533年、霜月末。

阿波国・徳島への道。

撫養を出た一行は、吉野川河口を避けながら水運用に整備された新しい船着場へと向かっていた。

潮の香りが濃い。

だが――。

「……臭いが、少ない?」

御簾の隙間から外を見ていた『はるちゃん』――永寿内親王が、小さく呟いた。

海雲こと三好元長が、馬上から振り返る。

「お気付きになられましたか」

「はい……港町なのに、あまり臭わないです」

それは、この時代ではかなり異様なことだった。

普通、港町は臭う。

魚。汚泥。糞尿。腐敗。人が集まる場所は、どうしても不衛生になる。

だが阿波は違った。

港から少し離れた場所へ、水路が引かれている。排水用だ。

しかも荷揚げ場が区分けされている。

「魚は向こう」

「木材は別」

「塩蔵倉は風下へ」

私(長慶)が説明すると、『はるちゃん』が目を丸くする。

「分けてるんですか?」

「混ざると腐るし、病気も出るから」

「……」

海雲が苦笑する。

「千熊丸は、“臭い”を嫌うのでな」

「いや大事だよ! 疫病防止にもなるし!」

この時代、衛生観念はまだ薄い。

だが未来知識持ちとしては、ここは譲れない。

特に港。海運国家にとって、港は“血管”だ。

そこが病で止まれば全部止まる。

『はるちゃん』は、しばらく黙って港を見ていた。

荷を運ぶ人夫たち。

縄を引く船乗り。

倉を数える役人。

行き交う商人。

だが、ただ混沌としているわけではない。

動いている。

“流れ”がある。

「……京と違います」

ぽつりと言った。

「うん」

「京は、“積み重なった都”でした」

「そうだね」

「でもここは……」

彼女は少し考え、

「“動いている町”です」

と言った。

私(長慶)は少し笑う。

「正解」

阿波はまだ若い。だから変えられる。

港も。街も。制度も… 全部“今から作れる”。

その時だった。遠くから、大きな歓声が聞こえた。

「おおおおおおおっ!!」

ざわり、と空気が揺れる。

港道の先。 そこには、夥しい人、人、人。

農民。町人。漁師。船頭。鍛冶。女たち。子供たち。

さらに、その後方には阿波国人衆。三好一門、細川家臣出身者、海賊衆、寺社勢力、商人座。

阿波を構成する“全て”が文字通り入り乱れて並んでいた。

『はるちゃん』が息を呑む。

「……こんなに」

私(長慶)もその数の多さに、迫力に驚いてしまった。

「え、ちょっと待って多くない?」

「増えましたな」

「増えましたな、じゃないよ父上?」

海雲が笑う。

「皆、“見たい”のです」

「何を!?」

「未来を」

さらっと重いことを言う。その瞬間。

「永寿内親王殿下、万歳!!」

「四州近衛様!!」

「殿(長慶)様ーっ!!」

歓声が爆発した。

びくっと肩を震わせる『はるちゃん』。

当然だ。こんな民衆の熱狂を、彼女は初めて見る。もちろん私(長慶)自身もだ。

「おひいさまー!!」

「よう来てくださった!!」

「阿波へようこそ!!」

最前列の子供たちが、一斉に手を振った。

それを見て、『はるちゃん』の表情が変わった。

恐怖ではない、純粋な戸惑いだった。

「……歓迎、されてます」

小さな声。

私(長慶)は頷く。

「うん」

「どうして……」

その問いへ答えたのは、意外にも海雲だった。

「皆、知っております」

馬上から、穏やかに言う。

「帝が、永寿様を託されたことを」

「……」

「つまり、“この国を認めた”ということを」

民にとって、それは大きかった。

戦国は不安の時代だ。

明日生きられるか分からない。

領主が変わる。

戦が起きる。

焼かれる。

奪われる。

そんな時代に。

帝が、皇女を、阿波へ送った。

それはつまり。

“ここは滅びぬ国として育てる”

そういう意思表示でもあった。

静かに『はるちゃん』は、民を見つめた。

すると、人垣の中から、一人の老婆が前へ出てきた。

周囲が慌てる。

「お、おい!」

「危ない!」

だが老婆は震える足で進み、深く頭を下げた。

「……よう、おいで下さいました」

掠れた声。

「うちらぁ、ずっと……待っとりました」

目を見開く『はるちゃん』。

老婆は泣いていた。

「戦ばっかりで……」

「息子も死んで……」

「孫も飢えて……」

震える手。

「でも若様が、粥を配ってくださって」

「港に仕事作ってくださって」

「寺で字ぃ教えてくれて……」

周囲の民も、静かに頷いていた。

「そして」

老婆は顔を上げた。

「今度は、“おひいさま”が来てくださった」

涙だらけの顔で笑う。

「……これで、この国は本当に変わるんじゃと」

『はるちゃん』は、言葉を失っていた。

皇女として、“畏れられる”ことは知っている。

けれど、“希望として見られる”ことは、初めてだった。

その時、小さな女の子が、とてとて前へ出てきた。

両手で、一輪の花を持っている。

「おひいさま!」

周囲がざわつく。

少女は必死に背伸びしていた。

「これ!」

差し出されたのは、野に咲く小さな白い花。

『はるちゃん』は、一瞬戸惑い。

それから、そっと牛車ならぬ馬車を降りた。

「永寿様!」

阿波へと一緒についてきた侍女たちが青ざめる。

だが彼女は静かに歩き。

少女の前へしゃがみ込んだ。

「……私に?」

「うん!」

少女の満面の笑みと共に小さな花が『はるちゃん』へと手渡される。

「ありがとう」

本当に嬉しそうに花を受け取った『はるちゃん』。

そして、花を見つめて

「きれいですね」

と、笑った。

その時、空気が変わった。『はるちゃん』を見る、阿波の民衆の目の色が変わった。

「……ああ」「本当に、優しい方だ」「帝の姫様や……」

ざわめきが、熱へ変わっていく。

私(長慶)は横で見ながら、ちょっと遠い目をした。

(あ、これ完全に“阿波のおひいさま”ルート入ったな……)

海雲が小声で笑う。

「観念せい」

「いやまだ早いでしょ?」

「もう遅い」

脳内の『長慶おじさん』まで頷いた。『うむ。民衆人気である』

(小学生に求める政治基盤じゃないんだよなぁ!!)

そんな私(長慶)をよそに、『はるちゃん』は花を胸元へ抱えながら、阿波の民を真っ直ぐ見つめていた。

その目にはもう、“京を離れた不安”は無かった。

代わりに宿っていたのは。

――ここで生きる覚悟だった。