作品タイトル不明
【20】
数か月ぶりに王都のフォートレル男爵家の屋敷を見上げ、領地の屋敷より豪華だな、と思った。王都の屋敷はほかに貴族にも見られるので、手が込んでいるのだろう。そう言う貴族は多いのであまり気にしていなかったが、領地の屋敷を見た後だとわざわざ華美にしているのだな、と思えた。品の良い華美さなのですごいと思う。
「おかえりなさい、ユーグ。グレースさんも」
出迎えてくれたのはアメリーだった。フォートレル男爵たるレイモンは出かけているようだ。
「ただいま戻りました」
「お久しぶりです」
ユーグとグレースがそれぞれ挨拶をする。アメリーは微笑んで「元気そうね」と二人に中に入るように促した。
「グレースさんは、なんだかきれいになったわね」
元から顔立ちは整った子だと思っていたけど、とさらりと言われ、グレースは首を傾げた。反応したのは言われた本人ではなく、その夫だった。
「そうだろうか? もともとこれくらい美人ではなかったか?」
「それは惚気?」
「どこら辺がそう聞こえるんだ……」
ユーグは本気でわからないようで、そうつぶやいた。さらりと褒められたグレースは後からじわじわと来た。ちょっと頬が熱い。
「……まあ、仲がよさそうでよかったわ。グレースさん、うちの娘たちが一緒にお茶をしましょうって」
「あ、はい」
どうやら、ユーグの姉妹も王都に来ているようだ。少しあきれ気味の調子でアメリーに言われた。グレースは首をかしげる。少し不安そうに見えたのだろうか、アメリーが困ったように微笑んだ。
「グレースさんは気にしなくていいのよ。息子にあきれているだけだから」
「はあ……」
グレースはきょとんとして、アメリーとユーグを見比べた。ユーグも首をかしげていた。わからなかったのは自分だけではなかったようで安心する。
王都に残っていた侍女たちとも、久々に顔を合わせた。思えば、領地にいた使用人たちは、ナタリーと顔を合わせたことがなかったから、だからグレースを比べるようなことをしなかった。だが、王都の屋敷の侍女たちは、ナタリーのことも知っているから、初めからグレースにあたりが強かったのだと、冬の間領地にいて気が付いた。
「おかえりなさいませ、グレース様」
「た、ただいま……」
無表情にアネットに言われ、グレースは緊張する。だが、アネットの態度は前からこんなものだった。無表情で淡々とはしているが、グレースの好みに合わせてくれたり、グレースを馬鹿にしたほかの侍女をたしなめてくれたのも彼女だ。
それよりも、驚いたようにまじまじとこちらを見てくるサビーヌたちの視線が痛い。何かおかしかっただろうか、と自分の格好を確認してしまう。
「グレース様、なんだかおきれいになられましたね」
やはり無表情でそう評したのはアネットだ。先ほど、アメリーにも言われたことである。別に顔が変わったわけではないはずだが、とグレースは自分の顔に触れた。
「ユーグ様に愛されていらっしゃるのですね。正直、あのユーグ様がと思うと意外ですが」
「あい……」
手が触れている頬が熱くなるのを感じた。それにしても、アネットはユーグにも容赦がない。子供のころから知っているからだろうか。
旅装を解く途中でも、アネットは「まあ」と声を上げた。平坦な声だったので、あまり驚いたように聞こえなかったが、本人によるとかなり驚いたらしい。むしろ、サビーヌたちの息を呑む声の方が大きかった気がするが。
「しばらく、首の出る服は着れませんね……」
鎖骨の上の方にくっきりと赤い跡があった。虫刺されにも見えるそれは、馬車の中でユーグに強く吸われたところだ。とはいえ、夜会でもなければデコルテを出すドレスは着ないので、大丈夫だろう。
ユーグはやはり、そういうことをしたいのだろうか。彼に触れられるのは気持ちいいが、実際にその時になって、グレースは自分がそう言った夫婦の営みについての知識が浅いことに気が付いた。領地にいる間にそう言う雰囲気になったことはあるが、グレースが終始きょとんとしていたのでユーグの方があきらめて引いた、という事件があった。
そして、その一件はユーグも気にしていたらしく、少し落ち着いてからグレースはアメリーとお茶の時間を持った。
「さて、フォートレル男爵家の領地はどうだったかしら。報告書も見ているけれど、グレースさんにも教えてほしいわ」
そう言ってアメリーは領地のこと、そこでどう暮らしていたかをグレースに話させた。グレースは会話がうまい方ではないので、こうして話すことを指定してもらえると助かる。
「あなたとナタリーさんでデュノア伯爵家の領地を運営していたというのは、本当のようね……」
グレースから思ったよりしっかりした報告がなされたからだろうか。アメリーはしみじみと言った。
「聞いているかしら。あなたの実家のこと」
「……多少は」
娘二人が一度に家からいなくなったデュノア伯爵家。もともと困窮している家ではあるが、普通に考えれば二人いなくなったのだから、多少の余裕が出てきてもおかしくはない。だが、そうはいかなかった。
「家計や家政は、私と姉で回していました。それが一度に抜けたのですもの。早晩、こうなることはわかっていました」
わかっていたが、それを何とかしてやろうと言う気はグレースには起きなかった。姉のいない実家は、ただの生家である、と言うだけで、思い入れもない場所だ。特に何かをしてもらった記憶もないし、母や弟には明確にさげすまれていた。
そもそも、母が浪費をやめればかなりの金が浮く。父も決して無能ではないのだから、娘たちがしていたことを聞いて記録を確認し、発展はさせなくても維持させることは決して不可能ではなかったはずなのだ。それを怠ったのだから、グレースが何か言うことはない。
そう語ると、アメリーはほっとしたように微笑んだ。
「あなたは優しい子だけど、無駄に身を削るようなことをする必要はないと思っていたから、そう言ってくれてよかったわ。何か言われても、あなたはフォートレル男爵家の嫁なのだから、そう言い張りなさい」
「はい」
ユーグと同じことを言われて、親子なのだな、とグレースは微笑んだ。アメリーもグレースの表情を見て少し口角を上げたが、すぐに真顔になった。
「それで、少々気になることがあるから聞くけれど」
「あ、はい」
こちらが本題なのだろうな、とグレースは察したが、思い当たることがないので緊張してアメリーの言葉を待つ。
「グレースさんは、夫婦の営みについてどれくらい理解している?」
「ふうふのいとなみ」
何を聞かれたかわからなくて、棒読みに繰り返した。グレースの理解が及んでいないことに気づいたアメリーがもっとはっきりと言った。
「つまり、子供ができるような行為のことだけれど」
「……子供ができる原理は理解していると思いますが……」
「思ったより学術的な回答が返ってきて、驚いているわ……」
そのまま説明を求められたので、語ってみる。おおむね正解でいいらしい。通常、こういったことは母親から娘に伝えられるものだが、デュノア伯爵家は母親があれである。まともな教育は期待できない。
ナタリーは祖母から学んだはずだ。少し年齢の下がるグレースがその年頃になることには祖母はなくなっていたから、グレースはナタリーから概要を聞いている。過不足なく教本付きで教えられたので、グレースに足りないのは知識ではなく情緒だと思う。
グレースと話をしたアメリーも同じ考えに至ったらしく、ため息をついた。
「ユーグにもそのあたりは期待できないものね……」
残念な夫婦ですみません。