軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第82話「皇女殿下のチェックも受ける」

──十数日後、国境の森の近くで──

「お招きありがとうございます。魔王領の皆さま。交易所の視察に参りました」

馬車を降りたソフィア殿下は、優しい笑みを浮かべた。

ここは、魔王領の国境近く。

まわりには帝国の兵士と、魔王領の人たちが集まっている。

魔王領のメンバーは、ライゼンガ将軍と兵士たち。文官のエルテさん。

それに、俺とメイベルだ。

「ごぶさたしております。魔王領の方々。部隊長アイザック・オマワリサン・ミューラと申す者です」

部隊長のアイザックさんが前に出た。

「ご招待に応じ、ソフィア殿下をお連れした。皇女殿下がここにいらしたのは、魔王領との友誼を尊重されてのこと。魔王領の方々もそれをわきまえ、殿下に無礼のないように。背後に我々精鋭が控えていることを、忘れぬように。それから──」

「失礼ですよ。アイザック・オマワリサン・ミューラ」

ソフィア皇女がアイザックさんの言葉を遮った。

すると、アイザックさんは彼女の前で膝をついて、

「自分は殿下を守護する者です。御身を安全を第一に考えるのが、自分の仕事であります。どうか、ご理解ください、殿下」

「あなたの立場はわかります。ですが、魔王領の方々は私たちの良き隣人なのです。それを忘れないようにしてください」

そう言ってソフィア皇女は、穏やかな笑みを浮かべた。

視線は俺の方を向いている。

俺とソフィア皇女はずっと、 羽妖精(ピクシー) たちを通じてやりとりをしてきた。

こっちを見たのは『ここに来た目的はわかっています』というサインだろう。

「我らは、ソフィア殿下のご訪問を歓迎しております」

魔王領を代表して、ライゼンガ将軍があいさつする。

「我らは、魔王陛下とソフィア殿下の合意の元、交易所の設置を進めて参りました。今回はその検分をお願いしたく思い、殿下にご足労いただいた次第であります」

「ありがとうございます。ライゼンガ将軍さま」

「休憩施設も準備しております。殿下には後ほどそちらで、疲れをいやしていただきたいですな」

「よろしくお願いいたします」

あいさつが終わり、ソフィア皇女が歩き出す。

国境の森の近くには、十数個の 天幕(テント) が並んでいる。

地面は平らにならされていて、飛び入りで 露店(ろてん) が開けるようになっている。

敷地のまわりを木製の柵で囲んでいるのは、動物避けと魔獣避けだ。

ここが魔王領と『ノーザの町』の交易所になる予定だ。

交易所のことは『ノーザの町』にも伝わってる。

町の人たちは、魔王領との交易所が出来たことにおどろきながらも、近くに商売相手が現れたことを喜んでいるらしい。

ここは帝都から離れていて、近くには大きな町もない。

そこに魔王領との商売の機会が現れたことは大きい。町の人たちも、とりあえず利用しようと考えているそうだ。

「交易所での主な取り引きは、これらの天幕の中で行われることになっております」

ライゼンガ将軍が説明をはじめる。

「左半分の天幕は、魔王領の商品を、もう半分には『ノーザの町』の方々の商品を並べていただくつもりでおります。その方がお互いに安心して取り引きができると、魔王陛下と宰相閣下もおっしゃっておりました」

「賢明なご判断ですね」

「天幕はこちらで用意いたしました。いかがでしょうか」

「とても立派なものと、おどろいております」

「天幕には、特別な素材を使っておりましてな。中で煮炊きができるように、風通しの良い素材で作られているものもあれば、弓矢を通さぬ素材のものもあり──」

話しながら、将軍とソフィア皇女たちは歩き出す。

これからしばらくの間、彼女は交易所の予定地を見て回ることになっている。

それから、奥にある 休憩所(きゅうけいじょ) で一休みする予定だ。

「それじゃエルテさん。後はお願いします」

俺は文官エルテさんに声をかけた。

「俺はメイベルと一緒に、例の準備をしますから」

「例の準備というと……あの」

「はい。『貴人用・しゅわしゅわ風呂』です」

俺が言うと、文官エルテさんの顔が、ぼっ、と、真っ赤になった。

実験のときのことを思い出したらしい。

真面目だからな。エルテさん。

普通の『しゅわしゅわ風呂』だけじゃなくて、『貴人用・しゅわしゅわ風呂』の実験台にもなってくれたんだ。

「……あ、あれは……あれほど恥ずかしい体験をしたのは……初めてです」

「……ご自身が希望されたんですよね?」

「そうです! そうですけど……」

エルテさんはもじもじと、スカートの裾を握りしめて、

「そ、その話はもういいです。それより、例の魔法陣の写しはご覧になりましたか?」

「はい。エルテさんが、宰相閣下を説得してくれたんですよね。写しを俺のところに送るように、って」

「……し、仕方ないでしょう? ソフィア皇女に、魔法陣について訊ねる必要があったのですから。羽妖精に写しを持たせるというのに、それを錬金術師さまにお見せしないわけにはいきません。公平ではなくなってしまいます!」

「魔法陣そのものの安全性も確認されたみたいですからね」

「そうです。魔法陣だけではなにもできないと、陛下とケルヴ叔父さまが確認されました。だから、錬金術師さまに魔法陣を見せられたのは、私の手柄ではないのです」

「それでも、話が早く進んだのは、エルテさんのおかげですから」

「…………むむ」

真っ赤な顔のまま、はぁ、とため息をつくエルテさん。

「……あなたが悪い人ではないことは、もう、わかってます。困った人で、油断できない人で……文官として、注意しなければいけない人ではありますが……」

よくわからない評価だった。

「でも……魔王領の人たちと、帝国の人たちがこうして対等に話ができるようになったのは、錬金術師さまのおかげです。それは、間違いのないことです。だから──ありがとうございます」

そう言ってエルテさんは、地面に触れそうなくらい深々と、頭を下げた。

「そ、そこまでしなくていいです! そんな、改まらなくても」

「……このままでいさせてください。あなたのお顔を見ると、例の実験のときのことを思い出してしまいますから……」

「だから、無理しないでくださいって言ったのに」

「わ、私は文官として、あなたのアイテムに許可を出す義務が……」

「わかりました。もう、わかりましたから」

ほんとに真面目な人だな。エルテさんは。

でも、それだけに信用できる。

この人なら、帝国との交易も、うまくやってくれそうだ。

「それじゃ俺とメイベルは休憩所に行きます。後のことはお願いしますね」

「承知いたしました。き、『貴人用・しゅわしゅわ風呂』を……しっかりと整備してくださいませ」

「トールさまのやることに間違いはありませんよ。エルテさま」

「……だから困るのです……錬金術師さまは、変な発想で問題を解決してしまうお方ですから……」

そんなことをつぶやくエルテさんと別れて、俺とメイベルは交易所の奥へと向かうのだった。

それから、数十分後。

「よし。ソフィア皇女用の『しゅわしゅわ風呂』は問題なしだ」

俺はお風呂の準備を終えた。

ここは、交易所の一番奥に作られた、ソフィア皇女と魔王ルキエ専用の 休憩所(きゅうけいじょ) だ。

石造りの建物で、中には休憩スペースと脱衣所と浴室がある。

浴槽は特別製で、俺が作った『貴人用・しゅわしゅわ風呂』が組み込んである。

今回、ソフィア皇女に国境まで来てもらったのは、交易所の検分の他に、この『しゅわしゅわ風呂』を使ってもらうためでもある。

いつもは羽妖精を派遣して『フットバス』を使ってもらってるけど、行き来する回数が多くなると、帝国の人に見つかる可能性がある。

でも、ここなら、ソフィア皇女は視察を名目に、いつでも来ることができる。

しかもこの『しゅわしゅわ風呂』は『フットバス』の大型版で、効果も大きい。

もっと早く体調がよくなるし、使う回数も少なくて済むはずだ。

このことは魔王領の皆も納得してる。

ルキエも、自分も交易所を視察して、このお風呂を使いたいって言っていたし。

もちろん、ソフィア皇女には休憩所のことと、お風呂の使い方を説明してある。

あとは彼女が来るのを待つだけだ。

「トールさま。ひとつ、おうかがいしてもいいですか?」

「いいよ。どうしたのメイベル」

「この『貴人用・しゅわしゅわ風呂』のアイディアって、どうやって思いつかれたのですか?」

「え? メイベルがヒントをくれたんだけど……」

「私が、ですか?」

「『しゅわしゅわ風呂』を作ったときに言ったよね。『通販カタログ』で、人が入っているお風呂に泡が多くて、謎の光が差し込んでいるのは、身体を隠すためだって」

「……覚えてらしたんですか? トールさま」

「俺がメイベルの言葉を忘れるわけないだろ」

その言葉をヒントにして作ったのが、この『貴人用・しゅわしゅわ風呂』の安全システム。

名付けて『湯気と謎光線で身体を隠すシステム』だ。

──────────────────

『貴人用・しゅわしゅわ風呂』(属性:火・水・風風・光) (レア度:★★★☆)

風の魔石によって、水流と泡を作り出すことができる。

火の魔石によって、水流と泡をほどよい温かさにする。

追加された風と光の魔石により湯気を誘導して、安全な光を生み出す。

『フットバス』の発展系。

浴槽の四隅に設置した部品により、お風呂全体に温かい水流と泡を生み出す。

このお風呂に入った者は、身体がほぐれて、魔力循環が改善される。

効果は『フットバス』の十倍以上。

風呂の隅に設置された光と風の魔石により、湯気を操作し、謎の光を生み出すことができる。

湯気は入浴者を追尾し、湯気と乱反射した謎の光で、その身体を隠す。

(異世界の本を見たメイベル・リフレインの助言により実現)

魔石は消耗品のため、定期的に交換が必要 (年に1度。新品に交換してください)。

物理破壊耐性:★★★ (魔法の武器でないと破壊できない)。

耐用年数:25年。

──────────────────

これは、地位の高い人の裸を見ないようにするためのシステムだ。

ソフィア皇女がここでお風呂に入るとき、メイドやお付きの人が、うっかり彼女の裸を見てしまうこともあり得る。

普段と違う場所で、勝手が違うから、ミスをすることもあると思うんだ。

そのことで、お付きの人が罰せられたら気の毒だ。

ソフィア皇女は気にしないだろうけど、他の人は許さないかもしれない。

俺の作ったマジックアイテムで誰かが罪を問われたりしたら気分が悪いし、ソフィア皇女も安心してお風呂に入れなくなる。

だから、湯気と謎の光で身体を隠すシステムを作った。

このシステムを使えば、お風呂から出ても床に寝転がっても、湯気と光が入浴者の身体を隠してくれる (実証実験済み)。

これなら、ソフィア皇女が入浴中にメイドさんが浴室を覗いても問題なしだ。

なにも見えなければ、罰せられる理由もないからね。

「これが実現したのは、実験台になってくれたエルテさんのおかげだね」

「生真面目な方ですよね。あそこまで付き合ってくださるとは思いませんでした」

実験のため、俺は工房の『しゅわしゅわ風呂』にも安全システムを組み込んだ。

メイベルとアグニスにお願いして、本当に湯気と謎光線で身体を隠せるかどうか、試してもらうつもりだったんだけど──

「……エルテさんが、実験台になるって言って聞かなかったんだよな」

「……皇女殿下の応接は、自分のお仕事ですから、っておっしゃってましたね」

「……立派な文官になるのって大変なんだね」

「……いえ、エルテさまは、トールさまに恩返しをされたかったのだと思いますよ?」

「そうなの?」

「長年の肩こりが治ったのと……それと、初対面でトールさまを悪く言ってしまったのを、後悔されているようです。それで魔法陣をトールさまに公開するように、陛下と宰相閣下にお手紙を出された……と、アグニスさまがおっしゃってました」

「……ほんとに真面目なんだね」

「宰相閣下の一族は、代々文官を務めてらっしゃいますからね。責任感が強いんですよ」

「だからって、『しゅわしゅわ風呂・安全システム』が正常に稼働しているかどうか、俺に確認させようとしなくてもいいのに」

「ふたつ返事で承知したトールさまがそれをおっしゃいますか」

メイベルが横目で俺を見た。

いや、だって、製作者の責任ってものがあるし。

まぁ結局は、メイベルとアグニスに確認してもらったんだけど。

「確かにエルテさまのお身体は、湯気と謎の光で見えなくなっていました。ただ……」

「ただ?」

「……なんというか、逆に、見ていて恥ずかしかったのです」

「そうなの?」

「はい。確かに身体は見えないのですが、湯気と謎の光のある方に、視線を引かれてしまうというか」

「なるほど」

「エルテさまの顔も真っ赤でした。たぶん、無理をされていたんだと思います」

「無理なら無理って言ってくれればいいのに……」

本当に、責任感が強いな。エルテさんは。

普通は初対面の俺の家でお風呂に入ったり、俺に湯気と謎光線を確認させようとしたりしないよね。

エルテさんは本当に生真面目で、自分の仕事に忠実なんだと思う。

「──っと。そろそろ、ソフィア皇女がこっちに来るころだな」

「はい。私たちも移動しましょう」

俺たちは休憩所の隠し部屋に移動した。

浴室の裏には、こっそりソフィア皇女と話をするための場所がある。

元々は、掃除用具を入れるのに作った場所だ。

床の近くに小さな隙間があり、そこからお風呂の水を捨てられるようになっている。

声も通るから、入浴中の人と密談もできるんだ。

浴室に通じる扉は、浴室側から鍵を下ろすようになっていて、こちらからは開かない。

扉は浴槽の後ろにあるから、ぱっと見では気づかない。

これは俺の意見を取り入れて、ライゼンガ領の人たちが作ってくれたものだ。

当たり前だけど、ソフィア皇女にも話は通してある。

ここでお風呂の感想と、帝国の情報を聞くことにしよう。

「……それじゃ、隠れよう」

「……はい。トールさま」

俺とメイベルは、掃除用具入れの中に隠れた。

耳を澄ますと……ソフィア皇女たちの声が聞こえた。

交易所の見学を終えて、こっちに向かってきているようだ。

「──とても親しみやすい交易所ですね。特に、天幕がすばらしいです。これでしたら、『ノーザの町』の者たちも、安心して利用できるでしょう」

「お言葉に感謝いたします。なお、こちらが貴人用の休憩所になります」

「まぁ、立派なものですね……」

「中には風呂もございます。歩き回ってお疲れでしょう。汗を流されてはいかがですかな?」

「──将軍どの。お気持ちは有り難いが、このような場所で、殿下に入浴をおすすめするのはどうかと。魔王領を信用しないわけではないが……」

「失礼ですよ。アイザック・オマワリサン・ミューラ」

「……は、はい。殿下」

「この交易所は、帝国と魔王領の友好のためにあるのです。良き隣人である魔王領の方々が、私のために湯浴みの機会をくださったのなら、よろこんでお受けいたしましょう」

「……中を 検(あらた) めさせていただきますが」

「構いませぬよ。アイザックどの──」

しばらくの間、アイザックさんたちが休憩所を歩き回る音がした。

浴室の扉を開けて──そのまま戻っていく。

隠し扉には気づかなかったようだ。

この掃除用具入れは二重構造になっていて、『簡易倉庫』の収納空間に隠れられるようになってるんだけど。そこまでする必要はなかったかな。

「問題はないようですな。では……我々は外におります。殿下にはメイドを2名、同行させます」

「わかりました。私は汗を流させていただきます」

「はい。殿下。お気を付けて」

……うまくいったみたいだ。

浴室には、ソフィア皇女がひとりで入ることになってる。

あとは扉越しに話をすればいいだけだ。

「……うまくいったようですね。トールさま」

「……ソフィア皇女はもちろんだけど、アイザックさんも、魔王領を信じてくれてるみたいで良かったよ」

「……その信頼は、トールさまがくださったものですよ?」

俺たちは掃除用具入れから出た。

狭い部屋。

二人が並んで立つのがやっとの、細長い空間で、俺たちは顔を見合わせる。

「帝国の皇女さまと仲良くなったり、国境地帯に交易所を作ったりなんて、トールさまがいらっしゃる前までは、想像もつかなかったことですから」

「俺だって、帝国にいた頃は、自分が誰かの役に立てるなんて思いもしなかったよ」

「私は……トールさまのお側で、魔王領が変わっていくのを見るのが、すごくうれしいんです」

メイベルはメイド服の胸に手を当てて、そう言った。

「トールさまがいらしてから、私と陛下……アグニスさまとの関係も変わって……なんだか、時間の流れが速くなったように思います。この先、魔王領がどうなっていくのか。私とトールさまが、それをどんなふうに見届けていくのか……想像すると、楽しみで仕方ないんです」

「メイベル……」

「だから、ずっとお側においてくださいね」

メイベルは俺の手を握った。

「私はトールさまのマジックアイテムを最初に試す者でいたいんです。お側で、お手伝いさせてください。このまま、ずっと……」

「もちろん。お願いするよ。メイベル」

俺はメイベルの細い手を握り返す。

魔王領で最初に俺を認めてくれたのはメイベルだ。

国境地帯まで送られてきた俺を迎えに来てくれたのも。

メイベルがいてくれたから、俺は恐れずに魔王領に入ることができた。

彼女は俺の恩人でもあるんだ。

「この先なにがあっても、メイベルには側にいて欲しいと思ってる。だから、俺の方からお願いするよ。ほら、今回のこのお風呂だって、メイベルのアイディアで改良できたわけだし」

「……はい。それで……工房のお風呂はどうしましょうか?」

「……湯気と謎光線は邪魔?」

「……アグニスさまと入るなら、光は無い方がいいです。でも、別の場合もありますよね?」

「確かに、ルキエさまが入ることもあるだろうからね。湯気と光はあった方がいいかも」

「そうですねー。そうかもしれませんねー」

なぜかメイベルは、ぎゅ、と、手に力を込める。

俺の指の隙間に指を入れて──あの、唇の端を上げてるのは、どうして。

なにか企んでない? メイベル。

「──いらっしゃるのですか? トール・カナンさま」

不意に、ソフィア皇女の声がした。

俺とメイベルが話をしている間に、もう、浴室へと入ったみたいだ。

「隣の部屋にいます。声は通りますけど、そちらは見えないようになっているので大丈夫ですよ」

「存じております。『貴人用・しゅわしゅわ風呂』の、安全のためのシステムですね」

ソフィア皇女の声が返ってくる。

「──さすがトール・カナンさまです。これで安心して、お話ができます」

「お褒めにあずかり光栄です。殿下」

「──では、そちらにうかがいますね」

……え?

がちゃり。

鍵を開ける音がした。

浴室側から、木製のドアが開いていく。

ドアのノブを掴んでいるのは、湯気で湿った、白い腕。

そのままこっちの部屋に身を乗り出してきたのは──

「殿下? なんでこっちに来てるんですか!?」

「はい。安全のためのシステムがあるとうかがいましたので」

うん。それはわかる。

ソフィア皇女の鎖骨から下は、湯気と光に隠されているから。

『貴人用・しゅわしゅわ風呂』は完璧だ。

湯気で乱反射する白い光は、完全にソフィア皇女の身体を隠している。

「さすがはトール・カナンさまです。あなたさまのマジックアイテムのおかげで、入浴中でも顔を合わせてお話ができるのですから」

「……はい?」

「このお風呂には、湯気と謎の光で、身体を隠すための能力が備わっているのですよね? それはこうして、面と向かってお話をするためなのでしょう?」

なるほど。

俺は『誰かが間違えて浴室のドアを開けても、ソフィア皇女の身体が見えないように』湯気と謎の光で身体を隠すシステムを作った。

でも、ソフィア皇女は『入浴中でも顔を見てお話ができるように』湯気と謎の光で身体を隠すシステムを作った──そう考えたのか。

そういえばソフィア皇女って、俺の前で堂々と下着姿になってたっけ。

あのときは「婚約者からいただいた下着を身につけた姿を隠すべきではない」って言ってた。

となると、今回は──

「は、恥ずかしいのは確かですが……トール・カナンさまの思いを無にするわけにはまいりません。婚約者に対しては『心と身体の願うままにすればよい』と、噂に聞いておりますから」

「わかりました。でしたら、このまま──」

………………いや、それはまずいか。

この状態だと、隠し扉が開けっぱなしになっちゃうもんな。

メイドさんが浴室を見に来たら、俺とメイベルがいるのがバレるかもしれない。

この状態で話をするのは無理かな。

残念だけど。すごく残念なんだけど。

それに、ソフィア皇女が勘違いしたまま、他の人の前で同じことしたら嫌だから──

「お聞きください。ソフィア殿下」

俺は改めて『貴人用・しゅわしゅわ風呂』の機能と目的について説明した。

話を聞くソフィア皇女の顔が、だんだん真っ赤になっていく。

彼女は俺を見て、それから、湯気と謎光線に隠された自分を見て、

「……か、勘違いしておりました。恥ずかしい……です」

足早に、浴室の方へと戻っていったのだった。

「お見苦しいところをお見せして、申し訳ございません。トール・カナンさま。メイベルさま」

「いえ、見苦しくは全然なかった……というか、見えなかったですから」

「お、お気になさらずに。皇女さま」

「そう言っていただけると幸いです。私も、まだまだ世の中のことを知らないのですね」

ソフィア皇女がため息をつく気配。

俺も同じように、ため息をついた。

危なかった。

思わず、あのまま話を続けるところだった。

「それにしても、このお風呂は素晴らしいです。しゅわしゅわの泡と水流が、全身をマッサージしてくれています……」

ソフィア皇女は、気持ち良さそうにつぶやいた。

「『フットバス』よりも……ずっとずっと、魔力の流れが良くなっていくのがわかります。これほどのものを作れるなんて……トール・カナンさまは、本当に規格外の方なのですね」

「勇者世界のアイテムを参考にしただけですよ」

俺は言った。

「それより、魔法陣の件です。魔王領の方で、新たな手がかりが見つかりました」

「存じております。岩山で見つかった魔法陣と、血のついたローブですね」

「魔法陣は写しを殿下にお届けしました。ご覧になりましたか?」

「はい。あれは召喚用の魔法陣で間違いないと思われます」

「やっぱり」

「書状にあったローブですが……おそらく、帝国製のものでしょう。ただ、身分や所属を現す印はなかったのですよね?」

「そうですね。金糸をあしらった高価なものでしたけど」

「となると……誰かが個人的に雇った者の持ちものかもしれません」

ソフィア皇女は言った。

「高位の貴族か、皇帝一族のものか──そのどちらかの可能性があります。その者が雇った魔術師が、召喚魔術の実験を行ったと考えられます」

「調査はできますか?」

「私の方で妹のリアナに訊ねることは可能です。ですが……」

「あまりあからさまだと、ソフィア殿下が魔法陣について調べていることがばれますね」

「はい。ですから、書状でほのめかす程度にいたします。その間に、こちらで調査を進めましょう。その魔術師が実験を続けるつもりなら、まだ国境近くにいるかもしれません」

「わかりました。国境地帯の警備を強化するように、ライゼンガ将軍に進言してみます」

「こちらでも、アイザックたちに巡回をお願いいたします」

ぱしゃん、と、ソフィア皇女が身体を伸ばす気配。

「それと、帝都の方ですが……このような事態となった以上、あちらでも動きがあるはずです」

「高官会議ですか?」

「それもあります。けれど……もしかしたら、別の方が調査に来るかもしれません」

「別の方、というと」

「帝国内でも自治を認められている地方の主、大公さまです」

──大公。

聞いたことがある、確か──

「──大公さまというと、かつて剣聖だった方ですよね……」

「はい。怪我をされてからは、ほとんど大公領を出てらっしゃらないそうです」

剣聖については──実家にいたころ、何度も聞かされた。

先々代の剣聖は、うちの祖父だったからな。

大公は、その次の代の剣聖だ。確か、怪我で引退したはずだ。

ちなみに、今の剣聖はまだ決まっておらず、空位のままらしい。

「大公さまは、今の帝国の状態を苦々しく思っていらっしゃると……噂で聞いたことがあります。あの方が新種の魔獣について知ったら、国境地帯の調査に来られるかもしれません」

「わかりました。このお話は、魔王陛下にお伝えしても?」

「構いません。国境地帯の平穏を願う気持ちは、私も同じですから」

それからは、とりとめのない話が続いた。

ソフィア皇女がソレーユの親友になったこと。部隊長のアイザックさんが、魔王領との交流に前向きなこと。『ノーザの町』の人たちが、魔王領と帝国が共同で治安を守ったことをよろこんでいること。町の人みんなが、交易所ができるのを楽しみにしていることなど。

そんなことを話していると──

「……身体が、とてもぽかぽかしてきました。そろそろ上がりますね」

ざばり、と、ソフィア皇女が立ち上がる音がした。

それから脱衣所の扉を開ける音が続く。

ソフィア皇女が、お風呂からあがったらしい。

「今回はここまでかな」

とにかく、魔法陣とローブについての情報はわかった。

帝国の誰かが雇った魔術師が、国境付近で魔術の実験をしていることも。

ソフィア皇女はアイザックさんに進言して、国境付近の警備を強めると言っていた。

あとでルキエとケルヴさんに情報を伝えて、魔王領でも兵士を出してもらおう。

「ソフィア皇女たちが帰ったらお湯を抜いて、『貴人用・しゅわしゅわ風呂』の調整をしよう。掃除も兼ねて」

「はい。お手伝いいたします」

俺とメイベルがうなずきあったとき──

がちゃり

再び、隠し扉が開く音がして、ソフィア皇女が顔を出した──って、え?

「お礼を申し上げたくて参りました。トール・カナンさま」

「ソフィア殿下? どうしてまた、こっちに?」

「ふふっ。ご安心ください。今は、身体に布を巻いております」

ソフィア皇女は照れた表情で、胸の辺りを押さえた。

身体に巻いた布に触れている──らしい。

でも、湯気と謎光線のせいで布が見えない。

なるほど。

この『貴人用・しゅわしゅわ風呂』は、湯気と光で入浴者の身体を隠すようになってる。

そのせいで、服を着ているか着ていないか、確認できなくなるのか。

盲点だった。

「素晴らしいお風呂を作っていただいたことに、感謝を申し上げたかったのです」

ソフィア皇女は、深々と頭を下げた。

「おかげさまで、身体の調子がとても良くなりました。『フットバス』と、この『しゅわしゅわ風呂』は、私の長年の不調をすべて……溶かしてくださったようです」

「それは、良かったです」

本当に良かった。

俺もがんばってアイテムを作った甲斐があったよ。

「このご恩は忘れません。トール・カナンさま」

いきなりだった。

ソフィア皇女はその両手で、俺の手を取った。

「あなたにお会いしなければ、私は長い命ではなかったでしょう。こうして健康で、普通に出歩けるようになったのも、あなたのおかげです。ですから、私のこの命は──トール・カナンさま、あなたのものでもあるのです」

そう言って彼女は俺の手を──湯気と光で見えない場所に──触れさせた。

とくん、と、心臓の鼓動が伝わって来るところに。

「ソフィア・ドルガリアは、あなたが望まれるままに、この命を使います。もしもこの約定に反したときは、私の命を取られても──異論はありません」

「……ソフィア殿下」

「……なんて、お風呂のあとに言う言葉ではありませんね」

ふふ、と、ソフィア皇女は唇に指を当てて、笑った。

それからまた、一礼して、

「……や、やはり、恥ずかしくなってきました。それでは……失礼いたしますね」

不思議なくらい、満足そうな笑みを浮かべて──ソフィア皇女は、浴室へと戻って行った。

そのあとで、脱衣所の扉が閉まる音がした。

今度は本当に出ていったみたいだ。

「……びっくりした」

「……私はそれほどおどろきませんでした。トールさま」

メイベルは、ソフィア皇女と同じように、優しい笑みを浮かべていた。

「あのお方は多分、もう、選んでしまったのだと思います」

「選んだって……なにを?」

「帝国と、ご自身の気持ちの、どちらを優先されるのかを、です」

「……そっか」

だったら、俺も覚悟を決めないと。

ソフィア皇女を健康にしたのは俺だ。

彼女が今までと違う生き方を選んだのなら、受け入れる。

いつでもソフィア皇女が魔王領に亡命できるように、準備をしておこう。

「そういえばメイベル」

「はい。トールさま」

「ソフィア皇女の身体を拭くための布って、魔王領で用意したんだっけ」

「はい。一応、帝国の部隊長さんがチェックしたと思います」

「そっか。ソフィア皇女は、身体にぴったりと張り付く『水の魔織布』を使ってたのか」

「いえ、普通の布を用意したはずですが……」

……あれ?

おかしいな。だってさっき触れたときに……あれ?

……さっきのソフィア皇女は、本当に身体に布を巻き付けてたの?

「トールさま、どうされましたか?」

「なんでもないよ。それより、ソフィア皇女の見送りに行こう。それから、浴室を片付けて、ルキエと宰相ケルヴさんに書状を書いて──」

やることはたくさんある。

召喚魔術を使った者のことも気になるし、帝国の動きにも気になる。

それから……『貴人用・しゅわしゅわ風呂』も、もうちょっと改良したいからね。

そんなことを考えていると──エルテさんがやって来て、ソフィア皇女が間もなく帰ることを教えてくれる。

俺とメイベルはうなずき合って、隠し部屋を出た。

休憩所のまわりに人の気配はない。俺たちは警備兵の手伝いをしていたことになってるから、そのまま兵士さんたちのところへ。

そうして俺は──つやつやした肌のソフィア皇女を、みんなと一緒に見送ったのだった。