軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第152話・ふたりの想い

朝の光が庭に差し込む中……夜よりも暗く重い空気が、庭全体を覆い尽くす。

有羽は語る。隠していた全てを語る。一度口から放たれれば、後は濁流のように広がる。何もかもを、アウローラ達に曝け出した。

語り終えるまでの時間は、決して短くはない。それなのに、誰もその場を動けない……固まったように立ち尽くして聞いている。侍女たちは顔を強張らせ、護衛たちは息を呑んだまま動かない。ニクスは腕を組んだまま目を伏せ、スキエンティアが苦しげに有羽を見つめた。

例外がレジーナとラディウス。この二人は既に、クロエから詳細を聞いているからこそ動じていない。しかし、そんな二人ですら口を挟めない。それだけ、アウローラ達にとって衝撃で信じがたい内容。

やがて――そんな重苦しい時間も、終わりの時が来る。

「――それで全部だ。俺のことも、この森のことも、この世界のことも。今分かってる限りの全部だ。模造品で代替品な俺の……森に繋ぎ止められてる「二人目」の世渡有羽の全部だ」

有羽は一度、大きく息を吐いた。

心の内に、洞が出来た感覚がある。隠し通していたものを、秘し続けると決めたものを広げてしまった虚脱感。何かが失われて、けれど同時に背中の重荷が消えた安堵感。異なる二つの感情が、有羽の胸の中に生まれた。

だが、全てを聞き終えたアウローラは、感情を抱く余裕すらない。

呆然と、虚ろな目を有羽に向けている。

「有羽……お前、なんでこんな大事なことを黙って……」

「……言えってのか、こんなことを? 本当の世渡有羽は七年前に死んでいて、今ここにいる俺は「二人目」で、その「二人目」の俺はもうすぐ死んでしまいます……そんなことを言えってか?」

有羽が浮かべた、空っぽの苦笑。見ている者の胸を締め付ける、空虚な空笑い。

「レジーナさんは言えって言ってたけどよ……無茶言うなよ。言える訳ないだろうがこんなこと。どんな神経してれば言えるんだよ、こんなこと」

有羽は恨みがましい目で、レジーナを見据える。こちらの思惑を全て無視して、全てをつまびらかにした第一王女の横暴ともいえた言動。それに対する非難を込めた視線。

しかしレジーナはどこ吹く風。むしろ苛立ち混じりの半眼を、有羽に向けてくる始末。

「ぐだぐだと細かい男ね。世界でも有数の力を持っているくせに、肝が小さいと言うかなんというか……玉ついてんでしょうが。しっかりしなさいよ、この甲斐性無し」

「……アンタの性根が予想以上にぶっ飛んでることだけは、よく分かったよ」

本日判明してしまった、麗しの第一王女の男前すぎる本性。仁王立ちで言い放つその姿に、有羽は青筋を立てながら……けれど意識は彼女よりも、その妹に集中する。

アウローラが蒼褪めた表情を浮かべながら、有羽に向かって歩みを始める。

一歩。そしてまた一歩。

普段の明るさを消したアウローラが、有羽の眼前に立つのはすぐだった。

(怒られるかな? 殴られるかな? ……泣かれるのだけは、勘弁してもらいたいな)

自分を間近で見上げるアウローラを見ながら、有羽はそんなことを考える。

彼女を置き去りにして、有羽が事を進めようとしたのは間違いない。知られたくなくて、教えたくなくて、傷つけたくなくて……泣かせたくなくて。

他の方法を探す時間すらない。最長で半年、そこから長くなる未来は見えず、短くなる可能性ばかりが増えるだけ。神聖国の動きが危ういことは、有羽だって知っていたから。

ただ、何を選んでもどの道を進んでも、望む未来は無いと確信してしまったから。

そして、沈黙を選び……今に至る。結果的に、全てが露呈して真実は詳らかにされた。

せめて、泣いて欲しくない。護りたいお日様の泣き顔だけは見たくない。

そんなことを、思った。

「……私は、姉上ほど受け止めきれない」

アウローラから漏れた言葉は、小さな声。

聞いたばかりの真実に、どう反応していいのか判断できずにいる戸惑いだ。

「姉上のように、どうでもいいだなんて笑い飛ばせない。有羽の今までのこと、隠してたこと、全部すぐには受け止めきれない」

無理にでも浮かべようとした笑顔が引き攣り、形を成さずに霧散する。

明朗快活なアウローラの意識が、震えながら壊れていく。レジーナのように受け止めて開き直りたいのに、それができない。

知った事実が重すぎて。背負うにしては、あまりに惨すぎて。

「――辛い。今言ったこと、話してくれたこと、全部聞いているだけで辛い」

別の世界からの来訪者であること。その本人は七年前に死んだこと。目の前にいる有羽は「二人目」で、その実態はゴーレムに近しい存在であること。

そして、その「二人目」の前に広がっている選択肢が――どれもこれも死と同義なものばかりだということ。

受け止めきれない。受け止めてなお、どうでもいいと結論づけられるレジーナが異常なのだ。真っ当でありながらも冷淡に、命を数のひとつとして計算する視座の高さ。人の支配層としての価値観の完成度。誰しもがレジーナのように受け止められる訳ではない。

だが、アウローラが今一番苦しんでいるのは……別の理由。

胸が張り裂けそうなほど苦しいのは、もっともっと個人的な理由。

「……一番辛いのは……お前が、黙ってたことだ」

疎外された孤独感。拒絶を選んだ有羽の悲壮。

一緒の時間を過ごしたいと願っていたアウローラに対して、あまりに惨い有羽の選択。

「これからも、これから先も、ずっとお前と一緒に生きたい。私はそう思ってた……そう思ってたのに……有羽、お前は違ったのか? 私は、お前の悩みを聞く資格すら無いのか?」

アウローラの視界が滲んでいく。

溢れるモノが、頬を伝うモノが、彼女の視界を歪ませる。

共に歩くことを否定された――女の悲しみ。

「前に有羽は言ったじゃないか。どこかで間違えそうになったら止めろって。間違ってるって私が感じたら、その時は止めろって……あれは嘘だったのか? 私は、一緒に悩むことも出来ないのか? 一緒に苦しむことさえ無理なのか? そんなに私は、頼りないのか?」

そこまで役に立たないのか。そこまで足手まといなのか。

――頼ってさえくれないのかと、独りにされた悲しみが胸を打つ。

「――私は、お前が好きだ。お前が好きなんだ、有羽」

その言葉は、一切の躊躇いなく放たれた。

ずっとずっと形にすることを躊躇っていた言葉が、今だけは素直に口から零れる。

涙で滲んで何も見えないまま、視線を真っ直ぐ有羽へ向けて。

「……もう独りは嫌だ。もう、独りで置き去りにされるのは嫌だ。何も出来ないまま、独りぼっちにされるのは、もう耐えられない。耐えられないんだよぉ……!」

三年前、戦地から遠く離れた王都で愛する人を失った。

何も出来なかったあの日の自分。手を伸ばすことさえ許されなかったあの時の絶望。可能性以前の話――可能性すら与えられなかった、アウローラの無力感。

あの時伸ばせなかった手が、今は有羽に向かって伸びる。

それでも、有羽の胸に縋りついた手に、何の力も無くて。服を掴むことすら覚束なくて。止まらない涙が、好きな人の顔さえ映してくれなくて。

それでも――それでも――。

「置き去りにしないでくれ。独りきりにさせないでくれ。この二年間、この森で、馬鹿みたいに話してたじゃないか。同じように話してくれよ……喋ってくれよぅ……」

有羽の胸に額を押し付けて、アウローラはすすり泣いた。

何も出来なかったとしても。何の役にも立てないのだとしても。

蚊帳の外にされるのだけは、もう耐えられない。次に置き去りにされたら、もう二度と立ち直れない。それが解っているから……アウローラは泣き縋る。

「――有羽殿。先達からひとつ助言だ」

そこに、ラディウスの声が飛ぶ。

穏やかな聖騎士の声。感情のブレはまるで見えないが、鋭い視線だけは有羽を射貫いて動かない。反論を許さぬ声が、有羽に対して届けられた。

「女性に恥をかかせるのは、男として落第だ。そして、男が女性に流させていい涙は、嬉し涙だけだ。あと、プロポーズは男から行わないと、女性側は怒る場合がある」

「……何か、三つくらいに増えてないか?」

「そうやって、細かいところを気にするのも減点対象だ――僕は、愛しの奥さんにそう習ったよ」

片目を瞑り、僅かに笑みを浮かべながらラディウスは視線を移した。

移された先にいるのは、不機嫌そうな顔で有羽を睨むレジーナの姿。

言いたいことが、ぶつけたい文句が山のようにありそうな顔のまま……彼女は絶対に譲れない気持ちだけを、有羽に伝える。

「――私が貴方に求めるのはひとつだけ。妹を泣かせておいて、まさか無言で済ませるつもりじゃないでしょうね?」

「……それは」

「貴方の前に並んでる選択肢が悪辣なことは分かってる。けど、今はそんな未来なんて無視してしまいなさい。私の妹の涙に対して、どんな答えを出すのか――知りたいのはそれだけ。それ以外は求めていないわ」

世界のことよりも、未来のことよりも、目の前の妹を見ろと――レジーナの求めることはそれだけだ。どんな面倒事よりも、愛しい妹を無視する方が許せない。立ち姿だけで、そんな激情を露わにする。

逃がす気の無い姉の視線に晒されて、思わず顔が引き攣る有羽。

しかし、逃げ場は何処にも無い。有羽の背後から――白い兄弟の声まで届く。

「兄弟」

「……何だよニクス。お前まで、何なんだよその眼は」

「言えよ兄弟。言っちまえ。後のことなんて考えるな。今は目の前の、お前に泣いて縋ってる王女様にちゃんと応えてやる方が先決だぜ」

肩越しに振り返ると、ニクスは笑みを浮かべていた。いい加減誤魔化すのはやめろと、その顔が雄弁に語っている。

その隣にいる女神も……探求神スキエンティアも、優しげな眼差しを携えていた。

「有羽君」

名を呼ぶ声色さえ優しい。

有羽には分からない。その優しさが、包み込んで暖めるような労わりが、スキエンティアの「どんな感情」から生まれているのか、想像もついていない。

スキエンティアは、ただ教える。

――アウローラと同じ想いを持っているからこそ、教えられる。

「応えてあげて――ううん、応えてあげなくちゃ駄目だよ」

「……でも、俺は」

「うん。そうだね。応えたって未来は変わらないかもしれないよね。実際、何の解決にもならずに、何も好転しないと思う」

神だからこそ分かる。ここで有羽が想いを口にしたとして、何も変わらない。有羽の未来が暗雲から解き放たれる訳ではないのだ。絶望は絶望のままで、断崖は今もなお断崖のまま。

世界は残酷で、想いだけでは幸せな未来に届いてくれない。スキエンティアが神だからこそ、そんな無慈悲な現実をよく解っているのだ。

それでも。

「それでも、無意味じゃないよ。無駄でもないし、無価値でもない」

きっと応えることに意味はある。無力で何の価値も生まないのだとしても。

その想いは、人が人として追い求める祈りに違いなくて。

だって――。

「――女の子は、好きな人に応えてもらうだけで嬉しいんだから」

心を受け入れて、手を差し伸べる――それだけできっと、救われる心がある。

スキエンティアは、とびきりの笑顔でそれを有羽に伝えた。今この場で、誰よりもアウローラの気持ちに寄り添えている彼女だからこそ浮かべられた、最高の笑顔で。

(俺は――)

多くの人の言葉を聞いて、有羽は胸の内に問う。

何を言えばいいのか。何を答えればいいのか。

そもそも、自分が伝えたいものは何なのか。

(俺は――――)

有羽が周りを見渡せば、皆が見ていた。自分の答えを、ただ黙って見守っている。

レジーナが、ラディウスが、侍女や護衛が。

クロエまでもがいつの間にか足元で、有羽を見上げて待っている。

再び後ろを見れば、ニクスが苦笑を浮かべて、スキエンティアが穏やかな笑顔で見つめている。

過去でもなく、未来でもなく――今を生きる有羽の選択を、見守っている。

(俺は――――――)

何かが胸の奥で形になる。

小さくて、目立たない、そこにあるのが当たり前になっていた有羽の想い。

胸の奥で、ずっと感じていた想い。形にせずに、けれど育っていた大切な気持ち。

それが今――形になる。

「俺は……お前が好きだよ、アウローラ」

胸元のアウローラに向けて、それを示す。

泣き縋っていたお日様が、顔を上げて有羽を見る。

瞬きをすることさえ忘れたように、透明な雫を流し続けるアウローラ。

そんな彼女と目が合った。

「俺は偽物だし、模造品の身体だし、森から出れないし、近い将来消えて無くなる……そんな、残骸みたいで不安定なゴーレムにすぎないのかもしれないけど」

有羽は、話していて笑いたくなる。語れば語るほど、自身の置かれている状況に救いがないと否応なしに解らされて。

それでも。

「それでも――お前が好きだよ。お前と一緒に生きていきたい」

彼女の他に、欲しいものなんてない。

偽物で構わない。模造品で結構だ。不安定で残骸なゴーレムのままでも、手放したくない陽だまりが腕の中に在る。

彼女以外は、何もいらないから――。

「アウローラと一緒に、ふたりで歩いていきたい」

手放したくない温もりを、全力で抱き締める。

未来よりも過去よりも、護りたい者が 現在(ここ) に居るのだと、ようやく気づけた。

「うん……うん……!」

アウローラは小さく頷きながら、有羽の抱擁に身を任せる。

涙を零しながら、何度もしゃくりあげながら、それでも歓喜の笑顔を絶やさぬまま。

同じ道を歩いていこう。

道の先は、続いていないのかもしれないけれど。

幸せな未来は、どこにも存在しないのかもしれないけれど。

離れずに、ひとつになって、ふたりの足跡を刻んでいこう。

誓いはここに。

――ふたりの想いは、今ようやく結ばれた。

「……まったく。ようやく素直になったのね。じれったいったらなかったわ」

そんな有羽とアウローラの様子を見守っていたレジーナが、呆れたような声を出す。

ふたりの想いが通じ合った、いつまでも見ていたい光景……なのだが、放置すれば妹と永遠にイチャイチャしそうな有羽に苛立つ光景でもある。姉の心は複雑だ。

そして、水を差された形になった有羽は、ジト目をレジーナに向ける。

「……アンタは随分好き勝手言ってくれたよな、レジーナさん。人のことを、唐変木だの甲斐性無しだのアンポンタンだのと」

「何よ? 全部本当のことでしょうが。言っておきますけどね、妹を泣かせた輩に丁寧に接してあげるほど、私は温厚じゃないのよ?」

目には目を。有羽のジト目に負けぬ、レジーナのジト目が突き刺さる。

有羽は心の底から、レジーナの印象を上書きして修正した。見た目は華麗で気品溢れる王女様だが、実は内面の血の気が多い。多分、酒場で腕まくりしながら酔っぱらいの対処していても違和感が無い。

随分とデカい猫を被っていたものだと思い……有羽のそんな感想に気づいたのか、ラディウスが苦笑する。

「うん。びっくりする気持ちは分かるよ有羽殿。でも残念ながら、これが僕の奥さんの素なんだ。どうか諦めて欲しい」

「ちょっと。残念て何よ、残念て。愛しの妻に随分な言いようじゃなくて?」

不服そうに頬を膨らませ、ラディウスの頬をつねって伸ばすレジーナ。

可愛い仕草ではない。むんずと聖騎士の頬を掴んで、力一杯伸ばしている。

アウローラ専属の侍女や護衛でさえ、初めて見る光景なのか。全員が汗を垂らして、口元が引き攣っていた。

けれど、ラディウスは平然と。全てを受け入れる達観めいた笑顔を浮かべるばかり。

「……こんな感じでね。十年前の悪魔騒動の時も、このノリで大暴れしたのがレジーナさ。いやぁ懐かしい。僕も最初この本性を知った時は、それはもう驚いて驚いて……」

昔話に花を咲かせようとすれば、頬つねりの天罰がより一層激しくなる。

整った顔立ちの貴公子の頬が、無残にも伸ばされて……伸ばされたまま、ラディウスは笑顔で言葉を続けた。

「……でも、レジーナは十年前も王国の危機を救ってくれた。悪魔を討伐したのは僕だけれど、討伐までの道筋を作ってくれたのはレジーナなんだ」

聖騎士は思い出す。悪魔によって街の住民が無力化された、十年前の危機。

あの時、逃げずに対抗策を考えてラディウスと共に悪魔に立ち向かった勇敢な姫君――それこそがレジーナだ。

どんな絶望的な状況でも、未来を諦めず、希望を捨てない。

そんな彼女が頼もしくて愛しくて、ラディウスはレジーナと共に歩む道を選んだ。

そして、だからこそ。

「そう、だからこそだ有羽殿――何の勝算もなしに、僕の奥さんはここにやって来ないよ」

ただ、真実を暴露するために来た訳ではないのだと、ラディウスは信じている。

有羽が驚き、その背後のニクスやスキエンティアでさえ目を丸くした。

最中、レジーナはラディウスの頬から手を離して……改めて鋭い視線を携える。

「実際、私が掴んだモノが何を意味しているのかは分からないわ。貴方たちの会話の内容は、クロエちゃんを通して伝わったけど……私は貴方たちのような超常の能力は持ち合わせていない。私自身が今の状況を、どうにかできる訳じゃない」

レジーナの戦闘者としての実力は低い。 存在格(レベル) で換算すれば、せいぜいが二十。王族として恥をかかない程度に鍛えているにすぎない。

だから、彼女自身に事態を好転させることはできない。

けれど。

「それでも――細い糸を、太くするくらいの「可能性」なら見つけた」

彼女の思考が、その類稀な頭脳が、僅かに存在する「違和感」を見過ごさなかった。

だから彼女はここにいる。有羽の意識を変えるためだけではなく、アウローラの想いを遂げさせるためだけでもなく。

その全てを超えた先にある、僅かな光を掴むために。

「それを教えにきたのよ。 世界のハッピーエンド(くだらない結末) を覆すためにね」

ふたりの幸せな道標――ただそれを、この世界に突き立てるために。