軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第149話・女神の決意

有羽の居住空間の庭にある「客間」。有羽の住まうログハウスに似た造りの小屋。それは今や、アウローラとその侍女隊の女の園と言っても過言ではない。

この二年間、ずっと通い続けていつも寝泊まりする空間だ。どこぞの侍女が口を滑らせたように殆ど別荘扱いされている。

高品質な寝具。曇りなき鏡台。石鹸は効能のみならず香りまで最高で、シャンプーやリンスが女性を更に美しく磨き上げる。そこへ化粧水や乳液まで加わるのだから、もうとんでもない。女性陣が定期的に通いたくなるだけの魅力が、この小屋にはある。

そして本日――侍女隊は、過去類を見ないほどの「美」を前に興奮しっぱなしだった。

夕食後、入浴を終えた一同は、同じく身を清めた後のスキエンティアを見て……この客間に連れ込んだ。

「え。ええっと、侍女さんたち? あの……そんなにわたしの髪を梳かなくても大丈夫なんだけど……」

おろおろした様子の眼鏡女神。上位神の一柱が、目をきょろきょろ動かしながら挙動不審な様子。そしてそんな女神を、アウローラの侍女隊が取り囲んでいた。

しかも、ただ包囲しているだけではない。ヘアブラシを手に取って、最高級の美術品――いや、国宝でも扱うような繊細な手つきで、スキエンティアの髪を梳いている。

その晴れ渡る青空のような、美しい髪を。

「――何を仰るのです、探求神様。この御髪の手入れをしないとあっては侍女の名折れ。いいえ、罪悪に等しいかと」

「そうですわ。これほどのきめ細やかな髪……はぁ、なんて美しい」

「それだけじゃありませんわ。この肌艶……王国の最高水準の宝石にも勝ります。磨き上げるのは、我々の義務です」

さらに髪だけではなく、有羽手製の化粧水や乳液を片手に、スキエンティアの手に塗り込んでいく。僅かな傷も乾燥も、この美しさが損なわれる可能性すら許さないといった有様だ。侍女隊の眼はガンギマリである。

そんな侍女隊に――ちょっぴり怯えながら、女神は呟いた。

「う、うーん……何か、有羽君も言ってたけど、そんなに凄いのかなぁ」

よく冗談交じりで自分の事を、美人探求神だのなんだののたまうが……彼女は本気で言っているわけではない。自分の容姿を、取るに足らないものだと思っている。

だが勿論――そんな筈がない。一度髪を梳くだけで、世界に青空が広がる。肩を通り、腰へ向けてさらりと流れ落ちる。部屋の灯りに照らされて、ここだけ快晴の空のようだ。髪のひと房ごとに、蒼穹が宿っているとさえ錯覚してしまう程。

髪だけでそれだ。ならば肌は、顔立ちは……もう考えることすら放棄せざるを得ない。傾国の美が形になるのなら、それは目の前の女神以外にあり得ないくらいなのだから。

だから侍女たちに紛れて、アウローラは言う。目尻を緩ませて、優しくも身近な神を見つめる。

「スキエンティア様、いい加減認めてください。スキエンティア様は美人です。それも飛び切りの、王宮を歩けばそれだけで国が傾きそうな美女なんです」

「……うう、なんか恥ずかしいよ。わたしなんかより、アウローラちゃんの方がよっぽど魅力的だと思うんだけどなぁ」

照れくさそうにしながら、アウローラに視線を向けるスキエンティア。

その考えは……実はある意味正しい。明朗快活な王国の第二王女。彼女の魅力に気づかぬ程、王国の男どもの眼は節穴ではないのだから。

事情を知っている侍女たちは、わざとらしく溜息を吐く。

「――実際、殿下の人気は高いですよ。独り身の貴族などは、婚約者として何人も立候補していますから」

「え? そうなのか? ……ここ最近、そんな話全く聞かないんだけど」

思わぬ台詞を言う侍女に、アウローラは目を丸くして首を傾げる。

かつての夫を亡くしてから今日に至るまでの三年間、再婚話が明確に形になったことはない。最初の内はアウローラが縁談を破り捨て、ここしばらくはそもそもアウローラの耳に届いていない。

そう――届いていないのだ。つまりそれは。

「全て、殿下の耳に届く前に処理しておりますので。……特にここ二年間は、それどころではなかったではありませんか――色々な意味で」

「う」

侍女の細まった眼で見つめられ、呻くアウローラ。

ここ二年間。その言葉の意味を掴めぬ程、アウローラも鈍くはない。森に住まう賢者のスカウト……それを理由にずっと一人の男性のところへ通っていた。

最初はその通りだったけれど、いつしか会いに行くことが理由になってしまい、気がつけば心の奥に想いを抱いていた。

「有羽様のところへ行って戻ってまた行って……ええ、新しい伴侶など元々作る暇がありませんでしたからねぇ。当時はやきもきしましたが、今となったらむしろ……ねぇ?」

「そうですわねぇ? 私どもとしましても、最初は有羽様との関係が近いことを危険視しておりましたが……途中からは全く進展しないもので、逆にもどかしかったですわ」

「まったく、その通りかと。成人前の若い少年少女でさえ、もう少し接近するものですわ」

そんなアウローラの行動を、間近で見続けてきた侍女たちは容赦がない。互いに想い合っていて、甘酸っぱくて、それなのにくっつかない若い男女。何度叫びたくなったことか。その思いの丈を、一切誤魔化さずに吐露していく。

で、そんな愚痴を目の前で聞かされたアウローラはというと――当然、夕陽より顔を赤らめて目を回していた。

「う、ううううううううう~……」

「うわぁ、アウローラちゃん顔真っ赤だよ。大丈夫?」

「大丈夫ではありませんスキエンティア様! ……お、お前たちっ! 何だ一体! 何なんださっきから! 主人を辱めてそんなに楽しいのか!?」

両手をぶんぶん振って、怒声をあげる第二王女。お子様みたいな仕草の彼女は、御年二十歳。年齢を誤魔化しているんじゃないかと疑ってしまう程、感情表現が初々しい。

その初々しい主人を、侍女たちは全員揃ってとても良い笑顔で見ている。

「違います。楽しいだなんて、そんな悪趣味な」

「じゃあなんだ!? そのどう見ても楽しげな眼は!? 私を揶揄って楽しんでいるようにしか――」

「嬉しいのですよ、殿下」

「――」

絶句。怒りの声すら止まって、言葉を失ってしまう程――侍女たちの顔は、優しさに満ち溢れていて。主と臣下の間柄以上の、心からの祝福を贈っていて。

無防備に受け取ってしまったアウローラは、真っ赤な顔のまま俯く。打算も揶揄もない、純粋な感情に彼女は耐えられなかったのだ。

だから、指と指を突き合わせて、口ごもるばかり。

「……で、でもでも、まだ有羽から返事貰った訳じゃないし、有羽の気持ちはまだ分かんないし……」

「それ以前にまだ告白してないじゃないですか殿下」

「う」

「……もっとも、あれはもう告白したも同然でしたけど」

思い出す。有羽と向き合いながら言った、アウローラの言葉を。

伝えたいことがある。落ち着いたら、一段落したら――大切な話があると。アウローラはそう言い、それに有羽は応じた。有羽自身も、一切誤魔化さぬ瞳で。

だから、分かる。だから、言える。ずっとずっと見守ってきた彼女たちだから。文字通り苦楽を共にした「女」だから。

「――我ら侍女隊が断言します。お二人の様子を見てきた私たちが誓って言えます。有羽様は、殿下のことを好いておりますよ。ええ、それ以外あり得ません」

それ以外、あるものか。あの有羽が、あんな優しげな微笑みを誰にでも向けるわけがない。

「殿下は気づいておられないでしょう? ……有羽様が優しく微笑むのは、殿下に対してだけです。我々と有羽様は随分気安い関係になりましたが、それでも優しく見つめるのは殿下だけなのですよ」

この二年間、侍女たちの中で有羽の優しげな笑みを向けられた者はいない。あの笑顔は、真っ直ぐで、正直で、ひたむきで、お日様のようなアウローラにだけ向けられた唯一無二の証明。

ずっと足踏みばかりしていたけれど――二人の想いは、常に相手に向けられていて。

そんな二人が遂に、関係を進める言葉を口にしたのだ。それを喜ばぬ侍女はいない。

きっと大変なことになる。素性が謎に包まれた森の賢者と、若く美しい王国の王女。二人の仲が、何も問題なく進展するとは思っていない。まだまだ苦難は消えていない。

それでも、二人は未来を見つめた。

ならば。

「面倒事を全て終えたら、またここに来ましょう殿下。そして――」

――そして、二人の未来を進めよう。

困難も苦労も、二人で一緒に抱えながら。

そんな二人を、見守りながら。

「……うん。そうする。そうしたい。そうでありたい……これから先も、有羽と一緒に、生きていきたい。歩いていきたいんだ」

まだ紅潮したままの顔で、けれどもアウローラは頷く。力強く、逃げる気のない顔で前を見る。

温かい空気が流れた。アウローラにも、侍女にも、先の道を信じる決意の色があって。

――そんな中、スキエンティアだけが、寂しげな笑みを浮かべていた。

◇◇◇

魔境の森も、夜が更ければ少しは静かになる。無論、遠くでは魔物が今も蠢いているだろうが……ここは有羽の結界内。大きな音など届かない。聞こえてくるのはせいぜいが、虫や風のざわめきだけ。高位魔物の戦闘音なぞ、最初から遮断されている。

だから、今夜も何事もなく、就寝の時間。スキエンティアの家、例のコンテナハウスの前までアウローラが付き添っていた。

「それではスキエンティア様、おやすみなさい。また明日の朝に」

「うん。また明日ね、アウローラちゃん」

入浴を終えて、身嗜みも整えて、あとは眠りにつくだけの状態。二人は穏やかな笑顔のまま、小さく挨拶を交わす。

スキエンティアが背を向けて、コンテナハウスの中に入ろうとする。

その、間際。

「――あの、スキエンティア様」

アウローラがその足を止めた。

聞かなくても良いことかも知れない。むしろ聞かない方が正解なのかもしれない。

けど、アウローラにその選択は取れなかった。あまりに真っ直ぐな彼女には――王族の顔をしないでいいこの場所では、どこまでも純粋になってしまう。

「……夕飯前に尋ねたこと……答えて貰う訳にはいきませんか?」

ゆえに、再び問う。黙っていれば、スキエンティアも掘り返さなかっただろうに。

女神は振り返りアウローラと向き合う。浮かんでいた顔は、曇りなき笑顔。まるで、アウローラを安心させるために浮かべたような、母性溢れる笑み。

「――わたしは、有羽君を護りたい、護ってあげたいって思ってるよ。天に座する神の一人として、ね?」

苦笑しながらスキエンティアは「答え」を口にした。

アウローラはその「答え」の真贋を知ることができない。知る術もない。外交に長けた姉のレジーナだったなら、女神の瞳の奥にあった本当の感情を掴んでいたかもしれないが……アウローラにはできない。

だから自然と、安堵の息を漏らす。けれど完全には信じ切れず、疑問も胸に。

護りたいと言った女神の言葉。それは本当に、神としての庇護欲だけなのかと。

「そう、なのですか……? その、有羽のことを何と言うか……特別に感じているなんてことは……」

「まあ特別と言えば特別だよ? だって有羽君、わたしのこと全然敬ってくれないんだもの。扱いも雑だしさぁ……もう、いやになっちゃう」

困ったものだよ――そう言って笑うスキエンティアの表情は、本当に楽しげで。

再び、アウローラの中に不安がよぎる。本当に、本当に神として見ているだけなのだろうかと。神として見守るだけで、そんな優しそうな目で笑うのだろうかと。

だってその優しげな眼差しは、有羽がアウローラを見る時のそれと、あまりに似ているから――。

「だから、ね? アウローラちゃん」

けれど、そんなアウローラの疑問と不安は途中で分断される。

笑いかけたスキエンティアが……突然、抱きしめたのだ。

優しく。温もりでアウローラを包み込むように。胸いっぱいの思いやりを宿しながら。

「……スキエンティア様?」

「安心して――有羽君に、無茶なことさせないから。アウローラちゃんが見れない間、わたしが見てるから」

抱きしめられているアウローラには、スキエンティアの表情は窺えない。だけど声の真摯さは分かる。疑いようがない。未来を見守る女神の声が、王女の胸に届く。

そうだとも。疑う余地は無い。探求神スキエンティアの想いは本物だ。自らの感情を誤魔化していたとしても――有羽とアウローラの未来を見守る、その優しさに曇りなど欠片も無い。

だからそれは、まごう事なき本物の願いで。

あまりにも切ない、ひとりの女性の祈りで。

(――有羽君を、死なせたりさせないから)

スキエンティア自身が、己の魂に誓った決意でもあった。

生まれた感情を、隠した想いを、ひとつ残らず抱きしめて。

不安げなアウローラを不安にさせないように……弾けんばかりの笑顔を浮かべる。誰も見えない、誰も知ることができない女神の笑顔が、夜空を見上げていた。

「わたしもソルの奴の動向見て、いざとなったら動けるように準備しておくよ。うん、お互い世界のためにがんばろう? ほら一緒に……がんばろー!」

「が、がんばろー?」

唐突に年若い少女のような仕草をするスキエンティア。それを受け、きょとんとした顔で、小声で反応するアウローラ。

しかし、その小さな反応では不服であったようだ。スキエンティアは頬を膨らませて、間近でアウローラと顔を合わせる。

「声がちっちゃいよ! もっと元気よく拳を振り上げて……がんばるぞー!」

「が、がんばるぞー!」

そして、二人一緒に夜空に向かって拳を突き上げる。

女神と王女が、その決意を空に向かって吠える。

――そんなやり取りが、やっていた本人には可笑しかった。だから同時に笑い合う。夜空の下で、同じ想いを持った女性が、楽しそうに笑い合う。

ひとしきり笑った後……二人は向き合った。

「それじゃおやすみ、アウローラちゃん。また明日ね」

「はい。おやすみなさい、スキエンティア様」

小さく挨拶を交わして、アウローラは一度丁寧に頭を下げた後、自らの客間に戻っていく。

その後ろ姿を――スキエンティアは見守る。

(うん。頑張るからわたし)

女神は決めていた。アウローラと有羽のやり取りを見たあの瞬間、その心を決めていた。

有羽が選ぶ選択は、どれもが絶望的な道。何を選ぼうが、どこに進もうが、有羽本人のハッピーエンドはその片鱗すら見えてこない。

そして――有羽のことを大事に大切に想っているからこそ、有羽が取るべき選択も推測できてしまう。

僅かな可能性に賭けて、崖の底へ飛び降りる……そんな自殺めいた答えを。

(有羽君だけで無理なら、わたしが潜る。海の底まで。世界の深奥まで)

だから決めているのだ。

探求神の権能。最深奥の万魔図書館。これは有羽の扱う再起魔法と、ほぼ同質の代物。世界記録にアクセスして、必要な情報を閲覧する神の法。

スキエンティアは考えた――同じことができる筈だ、と。

世界の深奥に潜れるのは有羽だけではない。きっとスキエンティアも同じことができる。全ての「枷」を外して、ただ知識だけを求めれば世界の奥底に――星言語の領域まで手が届くと。

(絶対に、護ってみせるから――わたしの身に代えてでも)

女神は決意していた。初めて実感した、淡い想いを胸に抱いて。

大好きな人の未来を護る――ただ、それだけのために。