作品タイトル不明
第147話・守りたい日常
夜の帳が、魔境の大森林を静かに包み込んでいく。
日はとうに沈み、世界が夜空に埋め尽くされた時間帯。けれど、その夜の暗さとは無縁のように、有羽の家の庭だけは明るかった。魔導灯――有羽が作った魔法のランタンが、柔らかな光を庭いっぱいに灯している。
だが、この場を明るくしているのは魔導灯だけではない。空気そのものが明るいのだ。
人の声がある。侍女たちが弾むように、護衛たちが豪快に、王女と女神が楽しげに、そして黒いのと白いのが言い争う。全員が騒ぎながら、ひとつの食卓を囲んでいる。
本日のメニューは焼肉。神鉄製の鉄板がじゅうじゅうと音を立て、切り分けられた魔物肉を豪快に焼き上げている。脂が弾けて、香ばしい匂いが充満しており……さらには複数のタレまで用意して、皆の食欲を刺激してやまない。
特に、初めてこの焼肉を味わうニクスは――凄い顔をして肉を頬張っている。
「ぐ、お……う、うめぇ……んだこの肉は? ただ切って焼いただけじゃ、この味には絶対ならんぞ? タレか? いや、そもそもの肉質がおかしい……ぐ、ぐおおおおお!」
ニクスは、口の中のものを飲み込むのも惜しいとばかりに、さらに一枚を掴み取る。
護衛たちが理解を示す顔を浮かべながら、うんうんと頷いていた。
「でしょうな。初めて有羽殿の焼き肉を味わう者は、必ずこうなる」
「思い出すな……我らがこの鉄板の前で、理性を失ったあの日のことを」
「歓迎しよう、ニクス殿。これで我らは同志だ」
彼らも知っているのだ。有羽の用意する「焼肉」は、ただ肉を焼いただけでは実現しない美味を纏っていると。この美味を前にしたら、ただただ頬がとろけるばかりだと。
そして、そんな肉を用意した有羽はというと――こちらは、ニクスが作ったスープを一口飲んで、とんでもない顔を晒していた。
「ぬ、が……な、なんじゃこのスープは? ありえねぇ……野菜の甘味、骨の旨味、香草の香り、全部あるのに、雑味も臭みもまるでない。嘘だろ? この短時間でこの味は不可能だ! 一体どうやってこんな味わいを……まるでコンソメスープのような……!」
わなわな震えながら、有羽が驚愕の声をあげる。その近くでは侍女たちが、有羽と似たような顔でスープの液面を凝視している。
「何ですの、この深い味わいは……これが、スープ?」
「あまりに旨味が深すぎます……ニクス様の調理、皆も見てましたよね?」
「ええ。骨を煮込んで、その後に野菜を入れただけの……ええ?」
美味い。あまりに美味すぎる。あらゆる具材の旨味がスープの中に凝縮されている一品。
同時に、料理を嗜む者ならすぐに思い至る。このスープは「有り得ない」と。
あまりに時間が足りないのだ。これほどのスープを作るには、何時間も煮込み、そして雑味を丁寧に取り除かなければ成し得ない味だと。
有羽が思わず口走ったコンソメスープに迫る味わい。一日では到底完成しない味に近しいものが、この短時間で出来上がるはずがない。
そのため――有羽がニクスに視線を向けた。
「……おいニクス。実際、どうやったんだよ? 全然からくりが分かんねぇんだが」
「……兄弟の肉の秘密教えてくれたら、俺も教えてやるぜ。交換条件な」
「……ちっ、仕方ねぇか。肉ってのはな、新鮮なものが必ずしも最上って訳じゃないんだ。温度と湿度を管理する、熟成って工程を踏むことでだな――」
「なるほどな。じゃあ俺のやり方も教えてやるよ。……俺の本質知ってんだろ? 均衡だ均衡。その均衡を弄ったんだよ。つまり旨味と雑味の均衡を弄って、旨味を押し出し雑味だけを吸い上げる。するとスープには豊潤な旨味だけが残って――」
「はぁ!? お前それズルすぎじゃね!? 反則技もいいところだろうが!」
「お前が言うな兄弟!! 再起魔法ありきで調理されたら、こっちもズルしなきゃ太刀打ちできねぇんだよ!」
「ふざけんな! てめぇには料理人の矜持がねぇのか!?」
「知るか! 美味けりゃいいんだよ美味けりゃ!!」
ぎゃあぎゃあ。
本日何回目かの黒白の口喧嘩である。仲が良いのか悪いのか、まったく分からないやり取り。
そして、そんな黒いのと白いのに対して脇目も振らず……スキエンティアとアウローラは、実に平和そうであった。二人とも、にこにこと幸せそうな笑顔で焼肉を頬張っている。
「むふー……やっぱり有羽君の焼くお肉は美味しいねぇ。わたし初めてここに来た時、焼き鳥食べさせてもらったんだけど、あれも凄く美味しかったなぁ」
「ああ、有羽がたまにやる鳥の串焼きですか。あれもいいですよねぇ。タレの甘味と鳥肉の旨味が絶妙で、何本も食べちゃう味で……」
「そうそう! 止まんないんだよねあの味! 次から次に食べちゃう感じで……あ、アウローラちゃん。そこのお肉いい感じに焼けてるよ」
「お。……ありがとうございますスキエンティア様。それにしても本当に美味しい……なあ有羽、ちょっといいか?」
そこで、アウローラが有羽に視線を向ける。
ニクスとメンチの切り合いをしていた有羽は、かけられた声に首を傾げる。
「ん? 何さ?」
「米はあるか? この焼肉と米の組み合わせは凄い合うと思うんだが……」
そのアウローラの考えに、護衛たちや侍女たちは、一斉に目を見開く。
昼に食べたカレーライス。その時に味わった米という穀物の力は、王国側の面々に強烈な印象を残していた。あの白い粒は、味の濃い料理と組み合わさると凄まじい力を発揮する。ならばこの焼肉と合わせればどうなるのか――考えぬ者はいなかった。
そしてその考えを聞いた有羽は……にやりと笑う。
「ふっふっふっ……俺が米の手抜かりをすると思うたか? この通り、沢山炊いてあるぞ!」
どん、とテーブルに土鍋を乗せる有羽。
一体いつの間に準備していたのか。土鍋の蓋を開けると、つやつやと輝きを放つ白米たちがてんこ盛りで湯気を放つ。
当然、その場に居た者は全員群がる。護衛も侍女も、身分も立場も関係ない。だってスキエンティアとアウローラまで勢いに押されてるんだから。
「お、おい待て! 押すな!」
「侍女隊、前へ! 前へ出ろ!」
「アウローラちゃん、わたしにも一杯ちょうだいー!」
「スキエンティア様まで押されているではないか! こらぁ!」
何か叫んでるけど、多分届いていない。
そして、そんな食いしん坊万歳な者たちが、米と焼肉の組み合わせを味わえばどうなるか――。
「こ、これは!?」
「肉の旨味を米が受け止める……やはり、この米は凄いですよ! 味の濃い主菜に、あり得ないレベルで適合する……っ!」
「止まらない……米が、止まらない……っ!」
「お前たちぃ! 私は兎も角、スキエンティア様まで押し退けて、米に群がるんじゃあない!!」
がー、っと叫びながら……アウローラもちゃっかり肉を乗せた米を頬張っていた。隣の女神様も同じように。抗議しつつも、手の動きは食へ一直線だ。
そして有羽もまた……白米と焼肉を味わいながら、感嘆のため息を。
「……やっぱりすげぇなリザードマン。白米が用意されてる時点でとんでもないのは分かってたけど……」
そう。リザードマンが栽培した、用意した米は全て精米済み。なんと白米にする技術が、この異世界に既に根付いていた。リザードマンたちの間だけの、狭い範疇ではあるが……とんでもない技術体系。
有羽が驚きの声をあげているのに気づいたアウローラが、問いかけるように声を。
「有羽から見ても、リザードマンの技術は凄いものなのか?」
「凄いなんてもんじゃねぇよ。十分すぎるくらいに最高峰だっての。米ってのはな、育てるだけじゃ終わらねぇ。食える形まで持っていくのに手間が掛かる。そこを越えてるんだから、とんでもない連中だよ」
そして再度、もりもりと米を食す。
全員が無言で味わい始める。肉もスープも全部美味いが――その中で、一番味が薄いはずの米が、全てを受け止める土台になっている。
美味さのレベルを米が上げている。そしてそんな米は備蓄がきいて、麦に負けない主食に成り得る。
「はぁ……米が、これ程までに可能性に満ちていたとは。凄いな本当に」
アウローラが再度の溜息を零す。王族として、これほど可能性に満ちた穀物があったことに驚きを隠せない。改めて、米の普及に全力を尽くそうと誓った瞬間であった。
そして、そんなアウローラの横顔を見た有羽は……より強く、意思を固める。
一国の王女が、米の有用さに気づいて、その味を褒めて、普及を誓った。
それを嬉しく思わない筈がない。この味は、この米は、有羽の記憶の中の主食なのだから。
例えそれが、張り付けられた模造品の記憶なのだとしても……この味が好きな事実は変わりないのだから。
(だからこそ――この世界は壊せないよなぁ)
有羽の前に用意されている未来は、どれも暗い。黒竜の後継になるか、世界の深奥へ潜るか、それとも何もできずに破局を迎えるか。どの道を選んでも、悲惨なことになる。
五体無事で生還できる可能性は低い。あるいは見た目は変わらないかもしれないけれど……「今の有羽」が連続して生きれる保証はない。「三人目」の有羽が、何食わぬ顔でアウローラと笑い合うかもしれない。
それを自覚することすら無いのかもしれないけれど――それでもこの米を美味いと笑う声があって、アウローラがその可能性に目を輝かせて、皆がひとつの食卓を囲んでいるのなら、壊させるわけにはいかなかった。
壊される未来を、許容などできなかった。
だがその静かな決意を、別の声が断ち切る。
「……それじゃ、そろそろ話を進めようか。お腹も満たされてきたところだしね」
有羽が悲壮な決意を固めている脇で、スキエンティアが口を開いた。
その口調は落ち着いていた。静かな声色で――今まで黙っていた事実を話そうとする気配。
「おい、女神さん」
「どうしたの有羽君?」
「いや、どうしたのっていうか……ここで言うつもりか? そもそも、言ったところで何も事態は――」
「逆だよ有羽君。言わなきゃ、何も変えられない――何も助からないんだ」
じっと有羽を見つめるスキエンティア。
そして小さく口を動かして、有羽にだけ届く言葉が――おそらく風を操作して、有羽の耳にだけ声が。
何か労わるよう、そんな声が届く。
(……大丈夫。安心して。有羽君のことを全部話すつもりはないよ……黙ってて欲しいんでしょ?)
(……それは)
(黙ってるから。有羽君が喋らない限り、わたしも喋らないから……アウローラちゃんに、教えないから)
スキエンティアはまだ、全てを話すつもりはなかった。
全てを話すには、あまりに重すぎる。世界の真実、有羽の真実、その全ては話せない。実は有羽は森に生命維持を支えられていて、しかも「二人目」で、本物は七年前に死んでいました――そんなこと、有羽自身の許可もなく語れるわけがない。暴けるわけがない。
「――でも、これだけは話さなきゃいけない」
だから今は、それ以外を。
明かりが灯る夜の庭に、女神の声が静かに落ちる。
「――神聖国が、光輝神が、今やろうとしていること。このまま行くと世界がどうなるのか……それを、ちゃんと皆に知ってもらう必要がある」
侍女たちが息を呑み、護衛たちが姿勢を正す。
アウローラの瞳からも、さっきまでの焼肉への幸福感が静かに消えていく。代わりに戻ってくるのは、王女としての顔だ。
有羽は少しだけ視線を逸らした。
スキエンティアの言い分は正しい。言わなければ誰も動けない。だが、言ったところで何が変わるのか。有羽の胸の内には煩悶だけがある。
それでも――スキエンティアの想いは、もう止まらなかった。
「ここから先はもう、有羽君ひとりの問題じゃない。森だけの問題でも、神だけの問題でもない。王国にも、魔国にも、帝国にも、全部関わる――世界の話なんだよ」
だからこそ、女神は語り始めた。少しでも救われる未来へ進むために。
食卓を囲むだけでは届かない。日常だけでは守れない。
人と神と森の番人が、同じ盤上で手を打たなければならない、その場所へ進むために。