作品タイトル不明
第146話・スキエンティアとアウローラ②
スキエンティアの家――という名のコンテナハウス。そのコンテナハウスの中で、二人の女性の会話が進んでいた。
話題は、世渡有羽。アウローラがこの森に来る事になった経緯から始まり、出会ったその時からの内容を言葉に乗せる。
そうして、アウローラの話が語られていくに従って……スキエンティアの表情が、驚愕に歪む。
「ええ? 有羽君ってば、そんなに長い間アウローラちゃんを追い出し続けたの? この森の中で? 危ない魔物てんこ盛りなのに?」
「はい……ですが、あれは私が悪かったのです。王族の権威なんてこの森では意味が無いというのに、当たり前のように前面に出してしまった。通じない法を、剣のように振るってしまった」
かつての過ちを思い出して、アウローラは僅かに俯いた。
王国の中では、王族という肩書きは秩序を動かす力になる。軍も、官僚も、貴族も、その重みを理解して動く。
だが森は違う。ここでは王国の法も、王族の威も、ただの外の論理でしかない。あの日の自分は、そのことに思い至らなかった。思わぬまま踏み込んで、気づかぬまま押しつけた。
だがスキエンティアは、少し首を傾げた。
「うーん……でも、それにしたってねぇ? 本当に武器突きつけたわけでもなかったんでしょ? 王族の態度が鼻についたのは確かとしても、それだけで結界の外に放り出すのは、有羽君の反応もだいぶ過剰な気がするんだけど」
あまりと言えばあまりな対応。そんな有羽の対応に眉を寄せるスキエンティアだが……何かを思い出したように手を叩く。
「あ、でも。私の時もそうだった。最初に会った時、物質崩壊の術式向けられてたような気が」
「ぶっ、物質崩壊!? スキエンティア様に向けてですか!? あ、ああああ……ゆ、有羽。お前はなんて罰当たりなことを……!」
「あっはっは。今思うと、とんでもないねぇ……でもそっか。こうして思い返すと、有羽君の行動は一貫してるんだね」
「一貫、ですか?」
スキエンティアの言葉に、アウローラは首を傾げる。
一貫……その言葉は、一見するとしっくり来る。有羽は確かに頑なだった。王都行きも、爵位も、地位も、褒賞も、どれだけ差し出しても頷かないという意味では、確かに一貫している。
けど、何か違う気がした。スキエンティアの言う一貫は――何か、有羽の根幹を示していると。そんな気がして。
スキエンティアは目を伏せて、薄く微笑む。
その笑みには、僅かな哀しみが宿っており――。
「うん――有羽君は、他人に対して排他的なんだよ」
――その瞬間、アウローラの思考が止まる。そして同時に納得した。
世渡有羽の根は、何も変わっていない。二年前から、アウローラと会った時から。
いや、正確にはその前から。アウローラが知る由もない昔から……七年前の「二人目」になった時から、根の部分で、有羽は心に他人を住まわせようとしていない。
「……いや、ちょっと違うかな。閉鎖的って言った方がいいのかもしれない。そして同時に悲観的でもあるし、単独行動を好んでる。助けても見返りは求めない。礼や勧誘は重荷。それでいて、自分が動いた結果、誰が得をして誰が損をするのかまで考える。技術を広めた場合の、政治的や経済的な影響まで考える――そんな思慮深さまである」
スキエンティアは静かな口調で、有羽の内面を推察する。
探求の女神は最初から、有羽の閉鎖性に気づいていた。アウローラの話を聞いて、更に考えは形となっていく。
「この森の中で、傷を癒した後に外へ追い出すって、ほとんど死ねって言ってるのと同じでしょう? それでもやった。つまりその時の有羽君は、最低限の良識だけ果たしたら、その先はどうでもよかったんだよ。相手が王女でも、神でも、関係ない。私だって結界の前で、初手で消されかけたんだもの」
スキエンティアが最初に有羽に会った時のことを思い出す。
結界の前で難儀していたあの時、有羽は正体不明のスキエンティアを――初手で滅ぼそうとした。脅しの意味合いが多かったけれど、真っ当な精神の持ち主なら、あんな術を初対面の相手に対して向けない。
だからスキエンティアは分かった……有羽の根幹は壊れている。あるいは、この森専用に「調整」されているのだと。
それなのに、それでも良心が消え失せていない。歪んだ精神構造の中に、他者を労わる気持ちが残っている。
それはなんて――。
「一言で言うと、とっても面倒臭い人、かな? ……いっそ無関心に徹することができれば、あんなに苦しまなくて済むのに。誰も要らない、全部どうでもいいってなれれば、もっと楽だったはずなのにね」
スキエンティアは思ってしまう。
もしも……もしも有羽が、元の世界に居たままだったのなら、あんな風に壊れなかっただろうと。
誰かを想う気持ちと、誰かを害する気持ちが、同じ棚に並んでいる難儀な人間。それがスキエンティアから見た有羽の姿。
独りぼっちで苦しんで……壊れ果てた心で、それでも誰かを想い、同時に排除する精神。
そして今、有羽の目の前に広がっている道は、舗装された地獄への道だ。
その道を歩もうとしている。自分で選んだと、そう自分に納得させながら。
スキエンティアはやるせなさを感じる。だが、向かいに座るアウローラは、その前段階のことで――呆然としていた。
「有羽は……苦しんで、いるんですか?」
知らないからこそ出た問い。
スキエンティアは知っているが、アウローラは知らない。有羽の素性、境遇、立ち塞がっている未来。その殆どを知らない。ただ今、目の前の女神の口ぶりから、有羽が思っていた以上に深いところで壊れているのだと感じ取ってしまった。
「私はこの二年間、ずっと有羽のところに行っていました。助けてくれたことの礼。王都へのスカウトという名目。色んな理由をつけて、有羽の元まで足を運びました……何度も、何度も」
アウローラは思ってしまう。何も知らないから思ってしまう。
ひょっとしたら、自身の行動はずっと有羽の重荷だったのではないかと。
あの笑顔の裏では、ずっと苦しんでずっと迷惑だったんじゃないかと。
思わず涙が零れそうになる。けれどアウローラは流さない。自身が悲しむより前に、するべきことがある。
「有羽にはそれが苦痛だったんでしょうか? それなら私は――」
「もしもそうなら、有羽君はとっくの昔にアウローラちゃんを拒絶してるよ」
言いかけたアウローラの言葉を遮るように、スキエンティアは断言した。
それはない。それだけはないのだと。
「有羽君の感情自体は真っ直ぐだもん。嫌なことは嫌って思う。好きなものは好きって思う。わたしに対してボケ女神って言うんだよ? もう、ホントに酷いんだから」
少しだけ頬を膨らませて、スキエンティアは言う。
有羽が、感情を誤魔化してアウローラの来訪を受け入れている可能性だけはないのだと。
「言葉も態度も全然優しくないし、神に向かって何その口の利き方って思うこともしょっちゅう。でもね、だからこそ分かるの。有羽君は、嫌いな相手とは本当に関わらない。対話もしない。受け入れない。必要なら容赦なく排除する」
事実、有羽は国境線でアギトを圧倒した。破壊的な力を、魔法を行使して、徹底的に痛めつけた。あれが本気で拒絶した時の在り方なのだ。
「だから出会いが最悪だったことと、今受け入れてることは、両方本当なんだよ」
全てが本当なのだ。
二年前に拒絶したことも。今、受け入れていることも。
挨拶は鏡――それはかつて有羽が言った言葉。
向けられた感情が友好ならば、純粋な好意ならば、有羽は閉鎖的な扉を閉じたままではいられない。
だから。
「最初のアウローラちゃんの態度を嫌ったのは、本当。だけど、その後も何度も会いに来て、何度も追い返されて――その間に、伝わったものがあったんだと思う」
水滴が石を穿つように。有羽の拒絶の扉を、アウローラが少しずつ開いた。
打算だけで近づかなかったから。お日様の王女が、笑顔と好意を振り撒くことを忘れなかったから。王族としてだけではなく、一人の人間として、一人の女性として。
だから、有羽はアウローラを受け入れた。
(そうでなきゃ――助けになんていかないもの)
スキエンティアは知っている。有羽の身体が、森の外に出れない構造だということを。
選択肢そのものが無い。出れる筈のない肉体。外に出る、という考えさえ浮かぶ筈のない構成。
それなのに、出たのだ。アウローラただ一人を助け出す為に。
その事実が意味することを考えたスキエンティアは、無自覚の内に寂しげな笑みを浮かべる。
そしてその笑みのまま……目の前のアウローラに問うた。
「それに、本当にスカウトだけ? アウローラちゃんがここに来るのはお礼を言いたいだけ?」
「――それは、違います」
返答は、少しの逡巡もなかった。
真っ直ぐ。どこまでも澄んだ青い瞳を女神に向けて。
「……有羽に、会いに来ています。私が有羽に会いたくて、ここまで来ています。私は、私は――」
「有羽君のこと、好きなんだ」
逃げ道のない問い。あまりにも真っ直ぐで、あまりにも核心で、けれどどこまでも優しい問いかけ。
探求の女神は、試すような眼差しは向けていない。ただ、知りたいと思っている。それだけだ。
だからこそ、誤魔化してはいけないとアウローラは思った。
だからこそ、その問いを真正面から受け止めて。
「――はい」
小さく、しかしはっきりとアウローラは頷いた。
その言葉を口にした瞬間、胸の奥で何かがカチリと音を立てて嵌まった気がした。そうか、自分はやはりそうなのだと。ずっと見ないふりをしてきた感情の名前を、とうとう自分の口で認めてしまったのだと。
けれど、そこに後悔はない。むしろ、呼吸がしやすくなった。
同時に、逃げてはならないと感じた。
この気持ちを、目の前の女神に対して誤魔化してはならないと……心の中の何かが訴えたのだ。
そのためもあったのだろう。アウローラの方も、スキエンティアに対して問いを投げかける。
「……スキエンティア様はどうなのですか?」
「え? 何が?」
きょとんとした顔で、首を傾げる女神。
眼鏡の奥の綺麗な瞳が、丸く見開かれておりとても可愛らしい。整い過ぎた顔が、無防備に首を傾げるとここまで可愛らしくなるのかと……アウローラは胸が落ち着かなくなる。
だが、その可愛らしさに問いをやめる訳にはいかなかった。
「……その、有羽のことを好いているのではないかと、そう思ったのですが」
「え――えぇ!? わたしが有羽君のこと好いてるぅ!?」
吃驚仰天。
スキエンティアはアウローラに問いかけたが、女神の方は自分が問われるとは思ってなかったらしい。
完全に混乱顔で、腕を組んで悩んでいる。人生最大の難問にぶつかったかのようだ。
「いやその……わたし、神様だよ? 有羽君の何倍も長く生きてるし……なんなら実年齢が数万歳のお婆ちゃんみたいなものだし……」
「その容姿でお婆ちゃんは、いささか無理があるかと思うのですが」
「そ、そう? そうかな? そうなのかなぁ?」
「はい。スキエンティア様ほどの美貌は、今まで見た事がありません。正直、姉上でも勝てないような気がして……」
アウローラが改めてスキエンティアの全身を見る。
髪は蒼空を写し取ったように美しい。顔立ちは均整という言葉が霞むほど整っている。全体の容姿は、優れているなんて代物ではない。どんな美術品にも負けない美貌。
アウローラは思った。これは姉であるレジーナでさえ、勝てるような相手では無い、と。
人が並び立っていいような存在ではなく――この女神が本気で誰かに寄り添ったのなら、絶対に勝てない。誰が太刀打ちできるのか。
けれどスキエンティアの様子は、ただただ呑気で。
「アウローラちゃんのお姉さんっていうと、第一王女さん? 確か、王国で「社交の華」って呼ばれてる美人さんなんだっけ?」
「ええ。凄いですよ姉上は。今も昔も令嬢の憧れの的なので……ってそうではなくてですね!」
「う、うん。な、なに?」
脱線しかけた話を戻し、アウローラは強い眼差しを女神に向ける。
不敬かもしれない。女神に対して無礼な物言いかもしれない。
それでも、これだけは言わなくてはいけなくて――。
「有羽です! 有羽のことをどう思っているのですか!」
その、全身全霊の質問をぶつけた。
真正面から受け取るスキエンティア。奇しくも、先程とは逆の構図だ。
だがスキエンティアは、アウローラのように即答できなかった。
というよりも……あまりに想定外すぎて。
(有羽君のこと、か……)
その問いは、想像以上に深い場所へ刺さっていた。
考えてもいない。彼女は神で、太古の昔より人を見守る存在。
特定の誰かを好いたことはない。彼女の好意は、上位者が地上に向けて降り注ぐもの。
アウローラのように、真っ直ぐひとつだけに向けるような想いは――自覚したことさえなかった。
ただ、悩む。そして、考える。
その思考の先で、自然と「何か」が言葉に変わっていく。
「わたしは――」
そしてその言葉が発せられそうになった瞬間。
「おーい! 女神さーん! アウローラ! 飯の準備できたんだけどー?」
コンテナハウスの外から、聞きなれた青年の声がする。
有羽の声だ。反射的に身を正して、互いに視線を交わす。つい今しがたまで、相手の瞳の中に自分の答えを探していた二人が、今度は同時に外の声へ意識を向けてしまう。
「え? もうそんな時間なの? ……うわぁ、まだ全然話し足りないのにー」
「あ、あははは……また後で話しましょうスキエンティア様。私も、まだまだ話したいことがあるので」
苦笑を交わし合い、二人の会話は一旦終わる。
両者の意思疎通はまだ途中。答えも、互いの理解も、何一つ……けれど今は、大事なことが待っている。
それは、美味しい美味しい夕ご飯。スキエンティアがくすりと笑う。
「そうだね。じゃあまずは、ご飯食べに行こーう! 焼肉だよ焼肉ー!」
「はい! 有羽の焼く肉は絶品ばかりなので、これは遅れる訳にはいきませんよ!」
そして二人揃って、家の外に飛び出す。
突然開かれた扉。コンテナハウスの前で待っていた有羽は、現れた両名の顔を見て首を傾げた。
「? お二人さん、何か仲良くなってる? やたら、にっこにこだけど?」
「ふふん。女同士の秘密だ。残念だが、有羽に話せることは何もないぞ?」
「いや、別に聞く気はないけどさ……それより。ほら、焼肉の準備ができたぞ。全員、今か今かと待ってるんだから……早くしないと謀反の危機だぞアウローラ」
「何が悲しくて、焼肉が理由で謀反されねばならんのだ!? ええい、あやつらめ! この森に来ると容赦や遠慮というものがなくなるな!!」
そう叫びながら、アウローラが焼肉の準備が整った庭へ向かって駆けていく。
元気の良い疾走。金髪のポニーテールが、まさにわんこの尻尾のように揺れている。
そんな元気溌剌なお日様王女の姿を見て――スキエンティアは、先程の問いを反芻する。
(有羽君のことをどう思っているのか――)
考える。何故か妙に気にかかり、どこまでも深く深く探求する。
探求神が、アウローラの問い掛けを、自分の奥深くまで追求する。
見えてくるものがある。自分の過去。自分の立場。上位神という枠組み。
何万年という時を生きてきた。何億という人の営みも見守ってきた。
人と人の結びつきも見た。男女の重なりも、その果てに誕生する新たな命も。
全て、見てきた。全て、知っていた。
――知っている、つもりだった。
(ああ――――そうか)
気づいたことがある。
知識としては勿論知っている。人と人の触れ合い、その先に発生する感情の名前も。
異性同士の中で育まれる想い。それらが脈々と受け継がれて、命が生まれ、国が育ち、歴史が紡がれる。その根幹にある、あまりに尊い想いの名。
それを、その意味を――実感したことは、今の今までなかったのだと。
(初めて、なんだ。同格の男の人。同じ目線で見てくれる男の人)
世界に五柱の上位神。五柱しかいない上位神。
覇皇神は感情の持たぬ計算機。放浪神は性別すら定まらぬ逸脱者。光輝神は自身だけを愛する永遠の少年。月麗神はあまりに遠く美しい同じ女神。
それ以外の存在は、全て彼女の下位だ。人も従属神も、彼女を崇める者ばかり。
いない。どこにもいなかった。探求神を女性として扱うような……扱ってくれるような存在は。
同じ存在格で、隣で笑ってくれるような存在は。
そんな人に、初めて出会った。
(わたしを――ただのスキエンティアとして接してくれた、初めての人)
その存在を、ただ見つめた。
神としてではなく……ただ一人の女性として。
向けられたその青年は、女神が立ち止まっていることに気づいたのか、不思議そうな顔で振り返る。
当たり前の感情と、当たり前の顔を、向けてくる。
その当たり前がどれだけ心を揺らしていたのか――今になって、ようやく気づく。
「? どったの女神さん? 焼肉始まるよ?」
「――うん。今行くよ」
笑顔を返して、歩き出す。
視線の先の男性は、女神の心情など何も知らず、女神の数歩先を歩く。
その後ろ姿を見る。ようやく実感した気持ちを、胸の奥で抱きしめながら。
(そっか。わたし――有羽君のことが、好きなんだ)
それは初めての恋。
探求の女神が手に入れた、生まれたばかりの淡い初恋だった。