作品タイトル不明
第七章「公開処刑」
招待状が届いたのは、晴れた午前中のことだった。
差出人の名を見た瞬間、私の手が止まった。
王太子アルベルト・フォン・ライヘン殿下より。
リナが隣で息を呑んだ。
父が居間から出てきて、封筒を一瞥して眉を上げた。
クロード卿が、私の肩越しに差出人を確認して、無言のまま表情を一切変えなかった。
内容はこうだった。
来週の王宮晩餐会に出席するよう、との命令に近い招待。
理由は記されていなかった。
ただ「重要な発表がある」とだけ書いてあった。
『おっと元婚約者から招待状! 内容が薄く、理由が書かれていないのは意図的な可能性が高いですね! 王太子の最近の動向と支持率の推移から推察するに、これは主人公に対して何らかの公の場での反撃を試みる算段と見られます! 罠の匂いがします!』
「罠、ですか」
クロード卿が静かに言った。
「……実況がそう言っているなら、そうなのでしょう」
「いえ、あの……これは推察ですので、外れることも」
「今まで外れましたか」
「……ありませんでした」
「では罠です」
断言だった。
清々しいほどの断言だった。
父が腕を組んだ。
「断ることはできんか」
「王太子からの招待を断れば、それ自体が問題になりかねません」
クロード卿がそう答えた。
それから私を見た。
「私も同行します。何があっても、すぐ動けるように」
「……よろしくお願いいたします」
私は招待状をテーブルに置いた。
一週間後。
アルベルト殿下が、何を仕掛けてくるのか。
『なお主人公の未来演算によれば、当日の展開は殿下にとって非常に都合の悪いものになる可能性が高いです! ご本人はまだ気づいていませんが!』
「……少し、安心しましたわ」
クロード卿が微かに目を細めた。
それが彼なりの「同意」だと、最近わかってきた。
◆
王宮の晩餐会は、三百人規模の社交行事だった。
貴族、官僚、各国の外交官——社交界の主要人物が一堂に会する場だ。
言い換えれば、何かが起きたとき、三百人が目撃者になる場でもある。
私は薄いブルーのドレスを着て、クロード卿に付き添われて会場入りした。
入った瞬間、視線が集まった。
もう慣れた。
慣れてはきたが、決して心地よくはなかった。
アルベルト殿下は会場の中央にいた。
相変わらず完璧に整えられた金の髪、藍の礼服。
その隣には、あの赤いドレスの令嬢——リディア・コーネル嬢がいた。
新しい婚約候補として噂される彼女は、殿下の腕に手を添えて、にこにこと笑っていた。
私は静かに会場の端へ向かった。
嵐が来る前の静けさ、というものが、本当にあるとしたら、こういう感じだと思った。
晩餐が始まり、料理が運ばれ、会話が弾んだ。
私は無難な話題だけを選んで、無難に時間を過ごした。
問題は、晩餐が終わった後に起きた。
アルベルト殿下が立ち上がり、グラスをナイフで叩いた。
三百人の視線が集まった。
「皆に改めてお伝えしたいことがある」
殿下の声は、よく通った。
「先日の卒業舞踏会において、ローゼン嬢との婚約破棄を宣言した。その際、謎の声が飛び交い、会場に混乱を招いたことは記憶に新しいと思う」
会場がざわついた。
私はグラスを持ったまま、動かなかった。
「改めて申し上げる。ローゼン嬢の有する能力は、国家の秩序を乱す危険なものだ。本人の意思で操作できないとはいえ、王宮の機密が漏洩するなど、看過できる問題ではない」
『おっとここで王太子殿下、主人公の危険性を公の場で訴える作戦に出ました! これは世論の印象を操作しようという試みですね! なかなか考えましたが——少し遅かったかもしれません!』
会場のざわめきが変わった。
笑いを含んだ、そういうざわめきになった。
実況令嬢の声を聞き慣れた人々が、その声を聞いた瞬間に空気を読んだのだ。
殿下の頬が少し硬くなった。
それでも続けた。
「ゆえに、ローゼン嬢には当面の間、公の場への出席を自粛していただくことを——」
そこで私の実況が、すっと入ってきた。
『おっと王太子殿下、自粛命令を出そうとしています! しかしここで一つ申し上げますと、殿下の右外套ポケット、何か紙が入っていますね? あれは……リディア・コーネル嬢宛に書かれた恋文ですね! 日付が婚約破棄の二週間前です! さらに申し上げますと、現在会場に来ていない令嬢——カシア・ベルモン男爵令嬢宛の手紙も、左ポケットにありますね! 日付は婚約破棄の一ヶ月前! これはいわゆる——二股、いや三股案件では!?』
会場が、完全に静止した。
三百人が、全員、息を止めた。
殿下の顔が、みるみるうちに真っ赤になった。
それから真っ白になった。
紅白が交互に現れるさまは、ある意味見事だった。
リディア嬢がゆっくりと殿下から手を離した。
その動作が、静かな会場に非常によく見えた。
「……ア、アルベルト様、これはどういう——」
「ち、違う、これは違っ——」
『おっとここで殿下、弁解を試みました! しかし右ポケットに手が伸びています! あ、紙を隠そうとしましたが袖口から一枚落ちました! 拾われました! 読まれています! 読んでいるのはカルデン侯爵のご令室、キャロル夫人です! 表情が険しくなっています!』
「……『愛しのリディア、あなたの笑顔が私の全てだ、アルベルト』……」
キャロル夫人の朗読が、会場に静かに響いた。
読み上げた後、夫人は紙をそっとテーブルに置いた。
会場が爆発した。
笑い声とも悲鳴ともつかない声が、あちこちから沸き上がった。
私はただ立っていた。
怒りよりも呆れが先に来た。
呆れを通り越して、もはや感情がよくわからなくなっていた。
『おっとこれは前代未聞の自滅劇! 主人公を黙らせるために呼んだ晩餐会で、自分の秘密が全部暴かれるという、まさかの大逆転! 因果応報という言葉が輝きを放っています!』
殿下が私を指さした。
顔が真っ赤だった。
「おまえが——おまえがこんなことを——!」
「わたくしは何もしておりません」
私は静かに答えた。
静かに、だが、はっきりと。
「殿下が手紙を持ってきた。わたくしの実況はそれを見ただけです」
「だから危険だと言っている! そなたの能力は——!」
「危険なのは隠し事をしている方では?」
言ってしまってから、少し驚いた。
自分の口から出た言葉なのに、らしくないと思った。
でも、取り消す気にはなれなかった。
会場が、また一度静まった。
それからまた、笑い声が広がった。
◆
その後の晩餐会は、もはや収拾がつかなかった。
殿下は退場し、リディア嬢は取り巻きの令嬢たちに囲まれてひそひそと話し合いを始め、キャロル夫人は読み上げた手紙を証拠として保管すると宣言した。
私はクロード卿とともに、早々に会場の端へ退いた。
「……ヴァルナー卿」
「はい」
「わたくし、余計なことを言いましたか」
彼は少し考えてから答えた。
「真実を言いました」
「それは余計ではありませんか」
「状況的には、適切でした」
そう言ってから、彼はわずかに——本当にわずかに、口の端が動いた。
笑った、と言っていいのかどうか迷う程度の、小さな動きだった。
『おっと騎士団長、笑いました! ほんの少しですが、確かに笑いました! これは観測史上初の事象です!』
「……観測史上初、は言いすぎです」
「でも珍しいことは確かですわ」
彼はまた無表情に戻った。
戻ったが、耳が少し赤かった。
『なお王太子殿下の支持率は本日の晩餐会を経て壊滅的な数字に達する見込みです。ご本人は現在自室で枕に顔を埋めている模様です。ご愁傷様です』
「……ご愁傷様」
私も小さく繰り返した。
怒っていないと言えば嘘になる。
でも、もうそれよりも、全部が遠い出来事のように感じられた。
三年間の婚約が、今夜で完全に終わった。
終わり方はひどいものだったけれど——終わった。
空になったグラスを見下ろしながら、私はひとつ、静かに息を吐いた。
『本日の実況、以上です。なお主人公は今、思ったより清々しい顔をしています』
「……少し、清々しいですわ」
クロード卿が、また少しだけ、口の端を動かした。
今度は確かに笑っていた。