軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第二章「止まりませんわー!?」

翌朝、私は自室のベッドの上で天井を見つめていた。

昨夜の出来事が、まるで悪夢のように脳裏をぐるぐると回っている。

ただし悪夢と違うのは、目が覚めても何一つ解決していないという点だ。

婚約を破棄された。

心の声が全員に聞こえた。

広間が爆笑した。

私は穴があったら入りたかった。

穴はなかった。

以上が昨夜の要約である。

『おはようございます! 本日も実況嬢ミレイユ、絶賛生存中です! 昨夜は三時間しか眠れず、目の下にうっすらクマができております! それでも美人なのは伯爵令嬢の底力でしょうか!』

「……朝から元気ですわね」

私はぼそりと呟いてから、すぐに後悔した。

呟くとそれへの反応もまた実況として返ってくる、という悪循環にすでに気づいていた。

しかし黙っていても実況は流れる。

つまりどうあがいても逃げ場はない。

ため息をついてから、ゆっくりと体を起こした。

窓の外、朝の光が差し込んでいる。

いつもと変わらない朝だ。

何も変わっていない——私の頭の上で声が流れ続けていることを除いては。

侍女のリナが扉をノックして入ってきた。

いつも明るい彼女の顔が、今日はどこか引きつっている。

「お嬢様……その、昨夜のことが新聞に」

「新聞に」

「はい。一面に」

私は手を伸ばした。

リナが差し出した朝刊を受け取り、広げた瞬間、目が点になった。

見出しはこうだった。

『王太子、卒業舞踏会にて電撃婚約破棄——謎の実況声、会場を席巻』

その下には、昨夜の実況の一部がそのまま引用されていた。

『前代未聞、全国放送級のやらかし』という文字が、活字で堂々と印刷されていた。

『おっと朝刊一面登場! これは一気に知名度が上がりましたね! ミレイユ嬢のデビュー、前途多難にして華々しい!』

「華々しくありませんわ」

私はぱたんと新聞を閉じた。

閉じてから、また開いた。

もう一度閉じた。

現実は変わらなかった。

問題は、翌日にも続いた。

そのまた翌日にも。

実況は止まらなかった。

私がどれだけ深呼吸しても、瞑想を試みても、「止まれ止まれ止まれ」と念じながら庭を十周走っても、止まる気配が一切なかった。

むしろ庭を走っている最中も律儀に実況が流れていたので、使用人たちがこっそり観戦していたという情報をリナから入手した。

『ここで庭師のヴィルヘルム老が主人公に向かってこっそり親指を立てました! 民衆の心を掴みつつあります!』

「掴まなくていいんですの!!」

そして三日後、私は父に呼ばれた。

ローゼン伯爵、つまり私の父は、鷹のように鋭い目をした人物だ。

滅多なことでは動じない。

それでも今日の父の顔には、明らかに「どうしたものか」という色が浮かんでいた。

「ミレイユ。王宮から召喚状が届いた」

「王宮から、ですか」

「貴族会議に出席するよう求められている。例の……その、実況の件で、議会に説明を求めたいとのことだ」

父は言いにくそうに最後を締めくくった。

私は一瞬、頭の中が真っ白になった。

貴族会議。

国の重鎮が一堂に会する、あの貴族会議に。

私が。

『ここで大舞台への出演が決定! ミレイユ嬢、活躍の場がどんどん広がっております! 本人はまったく望んでいませんが!』

「望んでおりませんわ!!!」

父が静かに目を伏せた。

哀れむような目だった。

娘が哀れまれている。

わかっていた。

わかっていたけれど、どうにもならなかった。

貴族会議の会場は、王宮の東棟にある円形の議場だった。

天井が高く、石造りの壁には歴代国王の肖像画が並んでいる。

重厚な木製の席が同心円状に配置され、そこには国の名だたる貴族や官僚たちが顔を揃えていた。

私は父に付き添われ、議場の中央へと進んだ。

視線が刺さる。

全方位から刺さる。

好奇と警戒と、それから何か——品定めをするような目が、じわじわと私に向いていた。

落ち着いて。

落ち着けミレイユ。

ここはただ説明をする場だ。

実況さえ暴走しなければ、丁寧に話せば問題ない。

問題ない。

大丈夫。

『おっと主人公、自己暗示を試みています! 成功する確率は現時点でかなり低いですが、努力は買いたいと思います!』

低いと言わないでくれ。

議長席に座っていた宰相が立ち上がった。

グレーの顎髭を整えた、恰幅のいい人物だ。

オルセン宰相——王国の内政を束ねる、実質的な権力者の一人。

「ローゼン嬢。本日はご足労いただき感謝する。単刀直入に聞くが——例の『実況』なるものは、意図的に使役しているものかね?」

「いいえ、まったく。わたくし自身にも制御ができず——」

そこまで言いかけた、その瞬間だった。

宰相が書類の束をさりげなく机の引き出しへ滑り込ませた。

その動作は素早く、ほんの一瞬のことだった。

しかし私の目には見えた。

そして私の心も、確かにそれを認識した。

『おっとここで宰相オルセン閣下、質問中にもかかわらず何かを引き出しへ隠しましたね? ちらりと見えましたが、あれは何でしょう? 書類の右上に金額らしき数字が見えました! 複数の署名入りで、官印もありましたね! これはもしかして——賄賂関連の証書では!?』

議場が、しん、と静まり返った。

宰相の顔が、みるみるうちに土気色になった。

私は頭を抱えたかった。

頭を抱えたまま議場から走り去りたかった。

だが足が震えて動かなかった。

「ち、ちがっ——これは違う、この書類は単なる」

『おっと宰相、弁明の声が裏返りました! これは動揺のサインと見ていいでしょう! 隣席のカルデン侯爵、今非常に不審そうな顔をしております! あ、目が合いましたね!』

カルデン侯爵なる人物が、はっとして目をそらした。

宰相は今にも倒れそうな顔をしていた。

私も倒れそうだった。

精神的な意味で。

議場がざわめき始めた。

「調査を」「問題があるのでは」「実況がそう言っているなら」という声が飛び交っている。

実況がそう言っているから調査、という論理が成立しつつある。

この展開はどこへ向かっているのか。

父が隣でこっそり私の腕を掴んだ。

助けを求めているのか、それとも止めようとしているのか、どちらとも取れる力加減だった。

『なお、主人公ミレイユ嬢は今この瞬間も実況を止めようと全力で念じております! 止まりません! 脳内で「止まれ止まれ止まれ止まれ」と唱えておりますが、むしろ念じれば念じるほど流暢になっている可能性があります!』

「な……なっています? むしろ?」

うっかり声に出してしまった。

また笑い声が散った。

今度は議場に集まった重鎮たちの笑い声だ。

国の未来を担う人々が、私の心の声に笑っている。

もうここは地球ではないのかもしれない、という気がしてきた。

結局、その日の貴族会議は予定を大幅に超過した。

宰相の引き出しの中身は令状を持った騎士団によって回収され、調査が始まると宣言された。

さらに実況が続く中で、別の席に座っていた官僚二名の不審な動きも暴露されたため、会議はほとんど機能しなくなった。

帰り道、馬車の中で私は無言だった。

父も無言だった。

しばらく沈黙が続いてから、父がぽつりと言った。

「ミレイユ」

「……はい」

「お前は今後、相当に面倒なことになるかもしれん」

「……存じております」

「だが、お前は何も悪くない」

父の言葉は短かった。

それだけだった。

それだけだったけれど、私はなぜかその言葉が喉の奥に刺さった。

泣くものか、とこらえながら、窓の外に流れる夕暮れを見た。

『おっと父上、ここで短くも深い一言! 娘への愛情が滲み出ております! ミレイユ嬢の目が潤んでいます! 泣かないよう全力でこらえていますよー! 根性があります!』

「…………」

私はなにも言わなかった。

今回ばかりは、言い返す気力がなかった。

ただ窓の外を見たまま、静かに唇を結んだ。

翌日の朝刊には、こう書かれていた。

『貴族会議にて不正発覚——「実況令嬢」の声、国家の腐敗を暴く』

実況令嬢。

その呼び名が、この日から一人歩きを始めた。

望んでもいない名前が、望んでもいない形で、国中に広がり始めた。

『実況令嬢ミレイユ、本日より国家レベルの有名人となりました! 次回もご期待ください!』

「期待しないでくださいませ……」

私の呟きは、夕暮れの馬車の中に、静かに消えた。