作品タイトル不明
狭間にて II
* * * * *
真っ白な空間が広がっている。
そこに、同じく白い椅子とテーブルがある。
その椅子に女神が腰掛けていた。
黄金のように輝く金髪に、オレンジがかった琥珀のような金の瞳をした、美しい外見の女神だった。
同じテーブルに男神はいた。
長い銀髪に薄い灰色の瞳の男神だった。
女神はテーブルの上にある、人の頭ほどの大きさの水晶を覗き込み、男神は暇すぎて欠伸をこぼした。
それに女神が苦笑する。
「やっぱりつまらない?」
男神が欠伸で出た涙を指先で拭う。
「まぁね。君、集中するとすぐに喋らなくなるし」
「ごめんなさい」
男神は女神が出したままにしていた菓子に手を伸ばす。
暇潰しに食べていたケーキはもうなくなっていた。
甘いものは好きだが、沢山食べたいほどの好物ではない。
だが、それでも手を伸ばすのは、目の前にいる女神が男神のためだけに出してくれたものだからだ。
水晶の中には色彩は違うものの、女神と男神によく似た男女が楽しそうに屋敷の庭を散歩している。
……なんか腹立つな〜。
一瞬感じた苛立ちに男神が水晶を指でつついた。
「それにしてもさ、コレ本当にオレの欠片を使ったの?」
コレ、とはルフェーヴルとかいう人間の男のことだ。
女のほうには女神の欠片が、男のほうには男神の欠片が使われており、この男女はこの二柱の神の気質を受け継いでいる。
女のほうは別にいい。
女神が幼くなったようで可愛らしいから。
しかし男のほうは少し気に食わない。
けれども、何故、気に食わないのかは分からなかった。
「何か気になる?」
「ん〜、オレの欠片を持ってるわりには我慢強いなぁって思ってさ。もしオレが君をどこかに閉じ込められるなら、絶対にどこにも出さないし、誰にも見せないのに」
男神の言葉に女神は嬉しそうに微笑んだ。
「あら、今だってそれに近いでしょう? 他の神々がわたしに会いに来られないように、ゲートを弄ったじゃない」
女神に指摘された男神が視線を逸らす。
この女神は神々の中でもかなり温厚で優しい性格なので、他の神々からも好かれており、何かと訪問者が多い。
そうなると男神が女神と会う時間が減ってしまう。
それはとても面白くない。
だから、こっそり上位神の懐から拝借した管理鍵を使い、ゲートを弄り、それぞれの神へ繋がる道の中からこの女神の下へ繋がる道をわざと引き剥がした。
道が繋がらなくなったことで他の神々は自力でここまで来なければならず、神域間の移動はかなり力を消費するため、神々がここへ来ることはなくなった。
来るのは精々、上位神くらいだろう。
上位神は管理鍵でどの神域にも一瞬で行けるから。
この女神の道と繋がっているのは男神の道だけだ。
もちろん、そのことはすぐに女神も気付いたはずだ。
これまで訪れていた神々が急に来なくなれば疑問に感じるだろうし、道を確認すれば、他の道と繋がっていないことは分かっただろう。
それが良くないことなのは男神も理解している。
「だって君が他の神々ばっかり構うから……」
女神が困ったような顔をする。
「でも、このままだといずれ上位神に気付かれてしまうわ。そうなったらすぐにあなたの仕業だと分かるでしょう。……あの子達を造ったのはあなただもの」
それぞれの神の下へ繋がる道には番犬がいる。
その番犬は記憶力が良く、自分が守護する神と他の神々との関係を把握しており、通して良い神と通すべきではない神とをきちんと区別出来るのだ。
女神の道にも番犬がいて、女神と不仲の神は通さない。
そうして、その番犬を造ったのが男神だった。
番犬達が従うのは守護する神と上位神、そして自分達の生みの親である銀の男神だけだ。
道を切り離した際に番犬も異常に気付いただろう。
だが吠えて異常を報せなかった。
それを行なった人物が番犬にとって、そして自分が守護する女神にとって、警戒対象ではなかったということだ。
そんな神は銀の男神くらいで、男神もそのことは分かっていた。
「また虚無に放り込まれるかもしれないわよ?」
虚無とは神域と神域の間、数えきれないほど膨大な道が存在する空間のことだ。
道の上を通る分には問題ないけれど、一度道を外れると、上も下も判別出来ないような暗闇がどこまでも広がっている。
神なので死ぬことはないが、罰として虚無に落とされると道から強制的に弾かれるので許されるまで延々と暗闇の中を一柱で彷徨うことになる。
他の神々と言葉を交わすことも出来ず、罰で神力を制限されて食べ物などを生み出すことも出来ないため、食事などの娯楽を得られず、ただただ暗闇にいるだけだ。
永遠を生きる神にとって退屈こそが一番の罰なのだ。
ちなみに男神は既に二度ほど虚無に放り込まれたことがある。
一度目は上位神の管理する世界の一つを滅亡させた時。
二度目は上位神の管理鍵を複製し、不正世界を生み出そうとした時。
特に二度目は複製した管理鍵で正規のものではない世界を創造しようとしたため、男神は神域時間で数日、人間などの生きる世界で言えば数千年を虚無で彷徨うことになった。
……さすがにあの時はまずいと思ったけどさ。
けれども、男神は欲望に忠実な神だった。
上位神からまた管理鍵を盗んだだけではなく、勝手に神同士を繋げる道を変えてしまったのだ。
これが気付かれたらまた虚無に落とされるだろう。
しかも三度目なのでもっと長くなるかもしれない。
そっと、女神の手が男神の手に触れた。
「あなたと会えない時間がまた続くなんて、嫌よ」
女神の、オレンジがかった琥珀のような瞳が僅かに揺らぐ。
「今回のことを気付かれたら、もしかしたら今後わたしとあなたの接触を禁止されてしまうかもしれないわ」
「それはイヤだ」
女神の時間が欲しくて道を切り離したのに。
その女神に会えなくなったら意味がない。
いくら男神がそれなりに力のある神だとしても、所詮、まだ中位神でしかなく、上位神の命令を弾くほどの神力はない。
上位神の神力で縛られたら本当に会えなくなってしまう。
「……直してくる」
少し不満に感じながらも男神は立ち上がった。
「直したら、また来てね」
女神の言葉に男神は頷いた。
言われなくても、いつだって会いに来る。
神に強い感情はないけれど、男神にとって、目の前で微笑む女神はトクベツな存在だった。
* * * * *
白い空間に掻き消えるように去っていった男神を見送り、振っていた手を下ろした女神はふと頭上を見上げた。
「これでよろしかったでしょうか?」
女神の問いに、ややあって低い声が響く。
「 是(ぜ) 」
それは上位神の声だった。
男神に管理鍵を盗まれた上位神である。
以前にも、この上位神は管理鍵を複製されており、神々の中でも自由奔放で規則を守らない男神には手を焼かされているようだ。
今回も女神の道が弄られたことに気付いた上位神はすぐに道を戻しに来たのだが、女神がそのままにしてほしいと頼んだのだ。
上位神が動かせば他の神々にも今回の件は知れ渡ってしまう。
そうなれば銀の男神は罰を受けざるを得なくなる。
また、男神と会えない時間が続くのは、女神にとっては寂しく、悲しく、そして退屈な時間となる。
必ず男神自身で直させるようにするから、と懇願した。
上位神も二度も管理鍵を盗まれたと他の神々に知られるのは、上位神の威信を傷付ける。
だから互いに取り引きをしたのだ。
「今回はお慈悲をかけてくださり、ありがとうございます」
女神は椅子から立ち上がり、虚空へ向かって頭を下げた。
神が頭を下げることはまずない。
それはたとえ上位神であったとしても、神という自負と尊厳、自尊心から、他に頭を下げることはしない。
だが、それをしても良いと女神は思った。
あの男神と会えなくなることのほうが嫌だった。
「 否(いな) 、慈悲ではない」
「そうでしたね、これは取り引きです」
「是」
単調で感情のない上位神の声が響く。
女神も男神も中位神であるが、上位神になるには、まだあと神域時間でも数百、数千年はかかるだろう。
上位神は別格の神で、現在は片手ほどの数しかないのだ。
遥かな昔はもっといたらしいが、神々の争いの中で生き残った数柱の者が上位神となり、現在の中位神や下位神を生み出した。
そして、この上位神は女神と男神を生み出した神であった。
「今後も 銀(かれ) が問題行動を起こした際には、わたしをお呼びください。必ずや説得してみせます」
女神の言葉に上位神は答えた。
「期待する」
その一言を残し、上位神は去っていった。
消えた気配に女神は、ふう、と小さく息を吐く。
あの上位神は生みの親でもあるが、同時に女神にとっては上司でもあり、規則そのものでもあり、少しだけ苦手な存在でもあった。
だが決してあの上位神は悪い神ではない。
冷たく感じられるが、これまで酷い悪戯ばかりしてきた銀の男神を許し、好きにさせてくれていた。
よほどのことでなければ罰さなかった。
女神は自由奔放な男神が好きだ。
楽しいことを見つけた時の、あの笑顔が好きだ。
恋愛感情というものは分からないが、男神が楽しそうにしていると、女神も少しだが喜びを感じる。
神は強い感情を持つことが出来ない。
喜びも、悲しみも、怒りも、苦しみも、強く感じない。
神によって多少差はあるが、大体がそうだ。
その中で言うと男神は感情豊かな部類である。
「……あなたはそうでもないのにね」
水晶の中に映る、銀の男神に似た男、ルフェーヴルという人間は腕の中にいる妻に微笑みを向けている。
このルフェーヴルは感情を抑えるのが上手い。
「いえ、そうなのかしら?」
本当に感情を完璧に制御出来ていたとしたら、リュシエンヌと結婚することなどなかったのだろう。
暗殺者が王女の侍従になり、夫になるなんて。
人間の世界ではとても珍しいはずだ。
……神同士は交わることはない。
それは最大の禁忌である。
だから、女神はリュシエンヌとルフェーヴルに幸せになってほしいと思う。
自分達では得られない幸福を代わりに得てほしい。
そうすることで僅かながらでも満たされるから。
席に座り直すと女神はティーカップに手を伸ばす。
男神が戻ってくるまで、もうしばらくかかるだろう。
* * * * *
ヴォン、と黒い番犬が横で小さく吠える。
それが甘える時のものだと男神は知っていた。
しかも番犬はピンと立てた尻尾を左右に振って、生みの親である銀の男神の傍を離れない。
「ちょっと、お前は番犬なんだから道のほうを警戒してよ」
黄金の女神の下へ続く道の真ん中に座り込んだ男神は、横で嬉しそうに尻尾を振る番犬を横目に見た。
その両手は床に触れている。
女神の道を元に戻そうとしたが、管理鍵を持っている上位神はどこにもおらず、管理鍵なしで道の修復をするはめになっていた。
道を切り離すのは管理鍵が必要だが、修復は鍵はなくても何とか行える。
ただし、大量の神力と集中力、そして時間がかかる。
神にとって時間はさしたる問題ではないが、神力がなくなると、行動範囲も出来ることも限られてしまう。
しばらく休めば神力は回復するけれど、男神にとって、神力がなくなるということは自分の 遊び(・・) の幅が狭くなるのであまり好きではなかった。
他の神々よりも銀の男神の神力は多い。
だからこそ、他の神々に様々な悪戯が出来たのだし、他の神々も敵わないと分かっているから諦める。
……神力が減ったって知られたら……。
他の神々から仕返しをされるかもしれない。
神は強い感情は持たないものの、記憶力が良いので、男神のした悪戯はどの神もよく覚えているはずだ。
これまで散々、悪戯をして回っていた。
さすがに好き勝手にしすぎたのだと気付く。
掌から神力が道へ流れていく。
結構な量を注ぎ込んだのに、道が繋がったのはまだ三分の一ほどで、元に戻すにはまだまだ神力が必要だった。
全ての神力とまではいかないが半分近くは使うことになるだろう。
溜め息を吐くと番犬がクゥーンと鳴いた。
「お前はいいよね、彼女の傍にいられて」
また番犬がクゥンと鳴く。
女神が男神に会いに来ても、会えないのには理由がある。
男神は上位神達から勧誘を受けていた。
新たな上位神にならないか、という話である。
しかし男神はそれに頷かなかった。
上位神になってしまったら黄金の女神は銀の男神を、自身よりも上の存在として扱い、これまでのような気安さは消えてしまうだろう。
上位神になれば黄金の女神を自身の配下に置くことも可能だが、同時に、それは女神を力で支配するようなものだった。
……それは、なんか、違うんだよね。
同じ立場の中位神でいたほうが女神に近い。
上位神達は、いつでも上位に来たければ声をかけるように、と言ったが男神にその気は全くなかった。
はあ、と溜め息をもう一度吐き、男神は顔を上げた。
「神なのに、本当に欲しいものは手に入らないっておかしくな〜い?」
番犬が不思議そうに小首を傾げる。
言葉は理解しているはずなので、意味が理解出来ないだけだろう。
……そういう点では確かに人間は少し羨ましい。
力は弱く、短命で、強欲で、そして感情的な生き物。
しかし欲しいものを手に入れることが許されている。
ヴォン、と番犬が小さく吠えた。
「分かってるって。今直してるからもうちょっと待ってよ」
道が完全に直るまであと半分。
上位神が管理鍵を二度も黙って盗まれるはずがない。
道を切り離したことはすぐに気付いただろうし、それをあえて指摘しなかったのは上位神が何か考えているからだろう。
見張るように僅かに感じる上位神の気配に、男神は流す神力の量を増やしたのだった。
* * * * *