作品タイトル不明
暗殺者の準備
シャキン、とハサミの擦れる微かな音がする。
指を動かす度に同じ音が続く。
ふわふわの少し癖がある柔らかな茶髪が、音に合わせて切れていく。
……ここまで伸ばしたのに勿体ないなあ。
最後の一房にハサミを通す。
シャキン、と切り終えてルルに声をかける。
「切れたよ、ルル」
鏡越しにわたしを見ていたルルが笑った。
「ありがとぉ、リュシー。後は自分でやるよぉ」
差し出された手にハサミを渡す。
長かったルルの髪は肩口よりも短くなっていた。
* * * * *
秋になり、涼しさを感じるようになった頃。
闇ギルドからルル宛てに手紙が送られてきた。
二人で居間でゆっくりしていた時にそれを受け取ったルルは、ペーパーナイフで封を切って、中の便箋をざっと流し読みした。
それから、その便箋をわたしへ差し出した。
受け取った便箋の中身は至ってシンプルなものだった。
休職してから一年が経つけれど、そろそろ復帰しないかという内容だった。
ルルも確かに、ギルドランキング戦の時に一年休職すると宣言しており、もうすぐ一年になる。
闇ギルドとしてはルルに少しでも早く復帰してほしいのだろう。
……何せ、ランキング一位の暗殺者だもんね。
手紙をルルに返すと、ルルはそれをテーブルへ放った。
「そろそろ復帰しようかねぇ」
ギュッと抱き締められる。
「復帰したくない?」
ルルに問えば、小首を傾げられた。
「ん〜、別に復帰したくないわけじゃないよぉ。むしろ、アサドがオレを一年もよく休ませてくれたなぁって感じ〜」
「やっぱりランキング一位になると仕事が増えるの?」
「もちろん。闇ギルド一位に仕事を任せたいって言うヤツは多いからねぇ。実力が物を言う世界だしぃ」
ルルが暗殺者という仕事をそれなりに気に入っていることは知っている。
危険な仕事だけれど、ルルが続けたいと思っているのなら、わたしは止めはしない。
ただ、無事に帰ってきてくれればそれで良い。
ルルがわたしの頭に顎を乗せる。
「リュシー」
名前を呼ばれた。
「なぁに、ルル?」
「オレの髪、切ってくれる〜?」
仕事をする上で長いと邪魔なのだろう。
「いいけど、わたしでいいの?」
この世界では髪を切るというのは特別な意味がある。
昔から、髪には魔力が宿ると言われており、実際にそうなのかは別として、髪を切るということはその人の魔力を減らすようなものとされてきた。
だから信頼出来る人でなければ髪は切らせない。
わたしの髪は今までずっとルルが切ってくれている。
ルルは自分の髪は自分で整えていた。
髪を切ってほしいと言われたのは初めてだった。
ルルが柔らかく笑った。
「リュシーだからいいんだよぉ」
翌日、ルルは仕事に復帰するための準備を始めた。
以前新しく作ってもらった仕事用の服を出して、普段から手入れをしているナイフなどの武器をいつもより丁寧に磨き、ホルスターなどの不備がないかを再確認し、そして、これまで伸ばしていた髪を切ることになった。
床に大きな布を敷き、わたしのドレッサーの前にある椅子にルルは座った。
肩にも大きな布をかけて、切った髪が服につかないようにしている。
ルルの長い髪にまずは櫛を通した。
「切るのにそんなことしなくていいんじゃなぁい?」
丁寧に 梳(くしけず) るわたしにルルが言う。
「もうルルの長い髪に触れなくなるって思ったら、なんだか名残惜しくて」
「ふぅん? まぁ、いいけどぉ」
指通りが良くなるまでルルの髪を梳り、それから、ハサミを手に持った。
「肩より短いくらいでいい?」
「うん」
ルルの髪を一房手に取り、ハサミを当てる。
手を握ればシャキンと微かに擦れる音がして、ルルの長い髪が切れ、床にパサリとそれが落ちる。
シャキン、ショキン、とハサミでルルの髪を切っていく。
それに一種の感動を覚えた。
ルルは刃物を向けられるのを嫌う。
いや、嫌うと言うより、刃物を向けられると暗殺者として体が反応してしまうようで、わたしもこれまでルルの傍で必要以上に刃物などを持つことはしなかった。
そのルルが、刃物を持ったわたしを自分の後ろに立たせて、髪を切らせてくれている。
それはとても信用してくれているという証だった。
ゆっくり、丁寧にルルの髪を切る。
最後の一房をシャキンと切り終える。
「切れたよ、ルル」
ジッと鏡越しにわたしを見ていたルルが笑う。
「ありがとぉ、リュシー。後は自分でやるよぉ」
差し出された手にハサミを渡した。
ルルはそのハサミをドレッサーに置くと、服の内側にあるホルスターからナイフを取り出す。
そして、それで慣れた手付きで自分の髪を更に短くしていく。
わたしは脇に避けていた椅子に腰掛けて、ルルの髪が短くなっていくのを眺めた。
ショリ、ショリ、とナイフの刃が髪を切る本当に微かな音が断続的に続く。
「やっぱり、髪が長いと仕事の邪魔になる?」
ルルが「そうだねぇ」と鏡に向いたまま答える。
「邪魔なのもあるけどぉ、オレみたいに髪の色が薄いと血がついた時に染まっちゃうからさぁ、返り血で汚れた髪を切ることになるくらいなら最初から短いほうがラクでしょぉ?」
「なるほど」
暗殺者という職業柄、確かに返り血を浴びることはあるだろう。
ルルの柔らかな茶髪では、血が付着した状態で長時間放置していたら染まってしまうかもしれない。
そうなってからわざわざ切るよりも、血が付かないように短く整えていたほうがいいというのは納得出来る理由である。
肩口まであったルルの髪はどんどん短くなる。
しばらく眺めているとルルの手が止まった。
鏡を見たルルが頷き、ナイフを持つ手を下げた。
「……うん、こんなもんかなぁ」
ナイフを仕舞い、頭を払って、残っていた髪を落とした。
そうして肩にかけていた布を外す。
椅子についた髪を払ってから動かし、その布と床に敷いた布を纏めて、中の髪がこぼれないように縛った。
それを脇へ置いて、シャツに手をかけた。
ルルはわたしの視線など気にした風もなく服を脱ぎ、それから、テーブルに畳んで置いてあった服に手を伸ばした。
ルルが本業の時に着ている服だ。
黒地にあまり光を反射しない糸でいくらか刺繍がほどこされているが、ほとんど真っ黒な上下の服を着て、そこにナイフのホルスターを装着していく。
その慣れた動きを目で追いかける。
なんとなく、ルルのそういう仕草が昔から好きだ。
ナイフなどを手入れする時の様子を見るのも好きだった。
まだそれほど寒くないからか、マントはつけなかったが、顔半分を覆う黒い隠し布と赤いマフラーを巻き、わたしを見た。
「ど〜ぉ?」
その姿を見た時にハッとした。
最近は思い出すことがなくなっていたが、ここは乙女ゲームによく似た世界で、お兄様も、ルルも、攻略対象の一人だった。
ルルはファンディスクに出てくる隠しキャラで、わたしはまだそのファンディスクを遊んでおらず、初めてルルと出会った時はほとんどルルのことは知らなかった。
知っているのは名前と職業、外見だけ。
ルルの姿を見た瞬間に感じたのは懐かしさであった。
乙女ゲームの隠しキャラ、ルフェーヴル=ニコルソンという暗殺者。その立ち絵は公開された姿そのものだった。
格好も年齢も非常に立ち絵とそっくりだった。
同時に言いようのない感情が込み上げてくる。
十三年前、わたしは記憶を取り戻した。
この世界が乙女ゲームと同じ世界で、自分が悪役王女だと気付いて、ルルと出会って、とにかく悲惨な最後を迎えたくないと思って。
あれから色々あったけれど、わたしは原作の悪役王女リュシエンヌ=ラ・ファイエットとは違い、お兄様やロイド様とも良い関係を築けたし、ルルと婚約していたし、ヒロインであるオリヴィエ=セリエールことオーリと 彼女(・・) との問題も解決した。その結果はあまり良いものではなかったが。
それでも、わたしはルルと結婚した。
原作のリュシエンヌとは違う道を進んだ。
ヒロインちゃんと呼べる存在はもういない。
わたしはお兄様に嫌われてもいないし、ロイド様と婚約もしていないし、悪役と呼ばれるようなことはしていないし、するつもりもない。
「リュシー?」
ルルが少し驚いたような声でわたしを呼ぶ。
近付いてきたルルの手が、わたしの頬に触れた。
気付けば頬を涙が伝っていた。
「オレが復帰するの、嫌?」
ルルの問いに首を振り、ルルの手を頬に押し当てる。
「違う、違うの。上手く言えないけど、安心しちゃって……」
ルルと初めて出会った時を思い出した。
後宮の寂れた井戸にいたわたしの後ろに、ルルがいて、左右に数歩動いて、それから自分が見えているのかと訊かれた。
……あの時、幽霊かもと思って、足があるか確認したんだっけ。
まだ今よりも若かったルルが懐かしい。
「ルルと出会えて良かった」
ルルがいなければ、きっと、わたしは今のように幸せにはなれなかっただろう。
前世の記憶が戻っていても原作通りになっていたかもしれない。
最初はルルだって愛じゃなかったはずだ。
わたしだって、ルルに感じていたのは多分愛ではなくて。
でも、一緒にいる時間の中で確かに愛になった。
執着とか、共依存とか、普通の愛とは違うところも多いけれど、それでもわたし達にとってはそれが愛だった。
「必ず、わたしのところに帰ってきてね」
ルルが屈んでわたしの額にキスをする。
「必ずリュシーのところに帰ってくるよぉ。オレの帰る場所はリュシーの横だからねぇ」
「うん、それにわたしを殺すのはルルだけだから、わたしを殺すまでルルは死んじゃいけないの」
わたしの言葉にルルが小さく、ふふ、と笑う。
「そうだねぇ」
ルルがハンカチを取り出してわたしの頬を拭う。
いつの間にか涙は止まっていた。
暗殺業に戻らないで、と言うのは簡単だ。
だけど、それはルルのこれまでの人生を否定してしまうようで、わたしはその言葉を言いたくなかった。
何よりルルを信じている。
どんな状況でも、どれほど傷付いても、ルルは必ずわたしの下へ帰ってきてくれる。
たとえ大怪我を負ったとしても。
自分が死ぬ前に、わたしを殺すために帰ってくる。
ルルになら、いつ殺されたっていい。
わたしの命はあの日、ルルに預けた。
初めて首を掴まれ、殺していいかと訊かれたあの瞬間、わたしはルルに自分の命を差し出した。
今でもああして良かったと思っている。
おかげで、わたしはルルを手に入れた。
「そう約束したからねぇ」
ルルは気紛れなところはあるが、一度交わした約束は破らない。
頬に触れていた手がわたしの髪をさらりと掬う。
「でも、オレはリュシーのほうが心配だよぉ」
掬った髪の一房にキスをされる。
「いくら王城だって言っても良くないことを考えるヤツはどこにでもいるからねぇ」
わたしは相変わらず週一くらいのペースでルシール=ローズという名と姿で偽って、宮廷魔法士の見習いとして働いている。
その間、ルルはスキルを使って隠れて傍にいてくれたが、今後はルルも仕事をするとなると、そうもしていられない。
それぞれ別々に働くことになる。
指輪だけでなく、ネックレスもきちんとつけるつもりだ。
ルルからもらった指輪には物理防御と魔法防御、あと状態異常無効化がかけられている。
しかもネックレスにはアラーム機能がついている。
ある単語をわたしが言うと、魔法の使用者であるルルにわたしが危険だということが伝わるのだ。
指輪の魔法でわたしが傷付けられることはまずないだろうが、心まで魔法で守れるわけではないため、ルルが即座にわたしの下へ駆けつけられるようにその機能をつけたのだ。
「少しでも危険だと感じたらルルを呼ぶよ」
ルルが頷いた。
「オレにとってリュシーより大事なものはないからねぇ。仕事のことなんて気にしないで、リュシーは自分のことを最優先にするんだよぉ?」
「分かった」
立ち上がり、ルルの頬に手を伸ばす。
暗殺者の装いの時、ルルは匂いが移ることを嫌う。
だから頬にだけ触れた。
「ルルも仕事中は自分の命を最優先にしてね」
ルルがもし死んだとしても迷わず後を追うが。
「リュシーのためにも簡単に死ぬつもりはないよぉ」
約束を守るルルがそう言うなら安心だ。
ルルがわたしの手にすり寄った。
「……さぁて、これから挨拶回りをしてこないとねぇ」
「どこに行くの?」
「とりあえずは 義父上(ちちうえ) とぉ、アリスティードとぉ、アサドのところかなぁ」
ルルが指折り数えながら言う。
「そっか、行ってらっしゃい、わたしの旦那様」
背伸びをしてルルの頬にキスをする。
表情はあまり見えないが、ルルが嬉しそうに目を細めたのが分かった。
「行ってきます、オレの奥さん」
布で顔を隠しているからか、二本指でルルは自分の口元へ触れると、その指をわたしの唇にそっと当てた。
それがキスの代わりなのだと気付いて嬉しくなる。
転移魔法の詠唱を始めたので、少し離れる。
行ってらっしゃいと手を振れば、ルルも振り返してくれて、光の中でルルの姿が掻き消えた。
「愛してるよ、ルル」
ただいま、とルルが言ってくれるまで、わたしはいつまでも待っているから。