作品タイトル不明
鉱夫の命は拾った金貨より軽い
急いで馬車に戻り、街へと向かう。
色々なことが頭の中を巡っていた。
……鉱山、採掘、排水、粉塵、生活用水……。
わたしが考え込んでいるからか、横にいるルルは黙って静かにしてくれている。
そう時間をかけずに馬車は街へ戻り、お願いした通り、街のすぐそばの川へ連れて行ってくれた。
そこは鉱山の脇を流れる川と繋がっており、馬車から降りて、その様子を一目見て分かった。
「やっぱり、汚染されてる……」
しかも先ほどの川よりも酷い。
水も、水底も、川の周辺も赤茶色に染まっていた。
当たり前だが水中に水草はなく、川の周辺にもあまり植物は生えておらず、とても普通の川とは言えない。
ルルもそんな光景は初めて見たようで眉を顰めている。
川に近付き、水に手を入れ、掬った水の臭いを嗅ぐ。
少し刺激臭のような、変な感じがする。
さすがに口をつける気にはなれなかった。
水を川に戻し、ルルが差し出してくれたハンカチで手を拭う。
こんな水を飲んだり、これで作物を育てたりしたら、どう考えても体調を崩してしまうだろう。
この街の人にとっては見慣れた川の光景なのかもしれないが、この赤茶色は、きっと鉱山から出た物質が混じっているせいだ。
……そう、多分、鉱害が出てるんだ。
騎士の一人に川の水を汲んでもらっておく。
「井戸も見せて」
騎士が「こちらです」と案内してくれた。
川からやや離れた場所にある井戸だった。
確かにこの井戸から水を汲んで、川近くの家まで戻るのは大変だろうし、それなら川の水でいいやと思ってしまうのだろう。
井戸を覗き込んでみたが、中は透き通った水が溜まっていた。
試しに汲んでもらい、一口、飲んでみた。
領主の館で飲んだ紅茶と似た、変な味がした。
……もしかして、水全てに鉱物が溶け込んでいる?
井戸の水も水筒に詰めてもらい、馬車に乗り、領主の館へ帰る。
一刻も早く鉱害について話をしなければ。
「リュシー」
ルルがわたしの手を取った。
無意識に爪を噛んでしまっていたらしい。
「何か分かったのぉ?」
それに頷き返す。
「子爵夫妻と管理官に説明しなきゃ……。このままだと鉱夫どころか、街の人全体に、療養所にいる人達と同じ症状が出ちゃう」
「もしかしてあの濁った川が問題〜?」
「あの川は多分、問題の一端に過ぎないと思う」
そうしている間に馬車は領主の館に到着した。
馬車を降りて、子爵夫妻と管理官への面会を取り付けた。
緊急の要件だと執事に伝えたからか、すぐに夫妻と管理官は予定を変更して時間を作ってくれた。
それと共に金属を分離する魔法を扱える者も呼ぶよう手配してもらった。
応接室に通され、夫妻と管理官と会う。
「急ぎの要件と聞きましたが、あの病について何か分かったのでしょうか?」
子爵の問いにわたしは頷いた。
「はい、鉱夫や街の人々のあの病は鉱山が原因です」
子爵夫妻と管理官が顔を見合わせ、視線を落とす。
「そうかもしれないとは感じておりました。ですが、鉱山が問題なのであれば、あの病は鉱夫にのみ起こるのではないでしょうか?」
管理官の言葉にわたしは首を振った。
「鉱夫は鉱山で働いているので街の人々よりも影響を受けています。しかし、問題はこの街や鉱山周辺の水なんです」
「水?」
「はい、説明するよりも見ていただいた方が早いと思って、金属を分離出来る方を呼んでいただきました」
視線を向ければ騎士が別の部屋から人を連れてきた。
やや年配の男性で部屋に入ると礼を執った。
「突然呼び出して申し訳ありません」
「いえ、御用はなんでしょうか?」
「ここにある二つの水に、砕いた岩から金属を分離する魔法をかけていただきたいのです」
テーブルの上には洗面器がある。
どちらも陶器で、片方は透明な水が、もう片方には赤茶色に少し濁った水が入っている。
男性は戸惑った様子ではあったけれど、詠唱を行い、水に分離魔法をかけた。
魔法式が展開されて水が光る。
そうして、光が収まるとテーブルに置かれた洗面器の横に砂みたいなものが僅かに現れた。
二つの洗面器に魔法がかけられ、そして、透明な方からは本当に目に見えるかどうかの微かな量が、赤茶色の方からも少量だが明確に見えるくらいの量が採れた。
全員が首を傾げてそれを見た。
「それは金属なのですか?」
夫人の言葉に大きく頷いた。
「はい、水の中にこれほどの鉱物が含まれているのです。そして、これらは金属です。この街の水をそのまま飲むということは、この金属を常に体に取り込んでいるということでもあります」
「まあ……」
「水に鉱物が混ざっているなんて……」
夫妻が酷く驚いた表情でテーブルを見る。
管理官が難しい顔をした。
「この街の水が不味いのはそのせいでしょうか?」
「それはあると思います。金属は食べ物ではありませんし、大体は人間にとって有害です。少量では問題なくても、毎日目に見えないほどの小さな金属が混じった水を何年、何十年と飲み続ければ、それらが体に蓄積されて害が出てくるでしょう」
「なるほど……」
夫妻も管理官も黙ってテーブルを見る。
「それに鉱夫は掘削や荷運びをします。もしかしたら鉱山の作業工程の中で、粉塵を吸って、その粉塵の中にも金属が混ざっている可能性もあります。そうなると鉱夫達は空気と水の両方から金属を摂取することになり、より、重い症状を引き起こすのではと考えています。……鉱夫が短命なのも、それが理由かもしれません」
ルルが思い出したように口を開いた。
「そういえば、昔は鉛を使ったおしろいがありましたね。毎日肌に塗っていると鉛の毒を吸収して、中毒を起こしてやがて死ぬという」
「うん、それと似たようなものだよ。しかもこの水で育った作物にも金属が含まれるから、水と食事の両方から毒を摂取してる状態かもしれないの」
それに夫人は「そんな……」と顔色を悪くする。
ふっと子爵が顔を上げた。
「しかし、そうだとしたら今まで何故騒ぎにならなかったのでしょう? この街は昔から鉱山の街です。もっと以前から問題になっていたはずですが」
「多分、暮らしが良くなったからだと思います」
「どういう意味ですか?」
夫人が首を傾げる。
「旧王家時代、鉱夫は過労働を強いられてきました。そのせいで、肉体への負担も大きく、食事も満足に摂れなかったために短命でした。でも、新たな王家に代わり、生活や食事が見直されて、良くなったことで人々の寿命が延びたのではありませんか?」
「確かに昔は鉱夫は三十や四十まで生きると祝いを行うくらい、短命だったそうです」
管理官が同意するように言う。
「今の鉱夫はいかがでしょう?」
「労働環境の見直し、食事の改善など、確かに現在の鉱夫の寿命は倍近く延びています」
「昔は寿命で亡くなっていたから病で体がつらいのか、過労働でつらいのは分からなかったのかもしれません。それが寿命が延びたことで、長年口にしてきた金属の毒で体に害が出て、症状として現れているのだと思います」
全員が黙り、部屋に沈黙が落ちる。
ルルが手を伸ばしてテーブルの上にある粉に触れた。
指先に砂みたいな金属がついて、それを確かめるように指同士を擦り合わせる。
目の前にあるのは本当にごく僅かな量でしかないが、水は毎日飲むし、この街で育てた作物だって口に入れるだろう。
毎日、毎日、少しずつ毒を摂取する。
そうして毒で体に問題が出ると症状が現れる。
「『鉱夫の命は拾った金貨より軽い』」
管理官がぽつりと呟いた。
でも、鉱夫だけの問題ではない。
「それから、先ほども少し触れましたが鉱山での作業で粉塵を吸い、金属を取り込んでしまう人も多いので、出来れば金属を通さないように魔法を付与したマスクを着用した方がいいかと。口と鼻を、こう、布で覆う感じのものなのです」
「そうですね、粉塵の対策も必要でしょう」
「急ぎ作らせます」
子爵と管理官が頷いた。
「水に関してですが、分離魔法を街の人々に広めるか、水を汲む場所の近くに魔法式を設置して、川や井戸など水を使う際に一度水に分離魔法をかけるべきです。体内に金属を入れないことが重要ですから」
全ての金属は取り切れなくても、このまま飲み続けるより良いだろう。
……他に何かいい方法ってあったかな?
考えていると夫人が訊いてきた。
「今現在、症状が出ている者達は体内の毒を取り除けば健康になれるのでしょうか?」
「それは無理ですね」
ルルがほぼ即答に近い早さで言った。
「体内に溜まった毒は臓器などの働きを悪くします。症状が出るほど深刻な状態になってしまっている場合、金属を取り出しても、傷付いた部分は完全には治りません」
夫人が悲しそうな顔をする。
療養所の光景を思い出して、胸が痛んだ。
もう症状の現れてしまっている人々を完全に治療することは出来ないが、今後、症状が現れる人を減らすことは出来るかもしれない。
「この話は一刻も早く人々に広めてください。わたしも帰り次第、急ぎお兄様やお父様にこの件について報告します」
子爵夫妻と管理官が頷いた。
……この鉱害問題はきっとここだけの話じゃないはず。
他の鉱山でも似たようなことが起きている可能性もある。
とりあえず、今は分離魔法で水から金属を取り出して、それから水を飲んだり使ったりしてもらうように周知、徹底させなければ。
* * * * *
リュシエンヌがどこか気落ちしている。
アリスティードへ渡す報告書を作っているものの、どこかぼんやりとしていて、無意識なのか小さく溜め息を吐く。
昼間、療養所を見てからこんな状態だ。
大丈夫そうに振る舞ってはいるが、療養所の様子は衝撃的だったのだろう。
ルフェーヴルにとっては特に感じるものはなかったけれど、これまでリュシエンヌはあんな風に弱った人間を見る機会は少なかった。
しかも大勢の人間がただ死を待つのみという状況だ。
……リュシーは繊細だからねぇ。
他人の苦しみや痛みを慮ってしまうのだ。
他人のことなど放っておけばいいのに。
それが出来ないのがリュシエンヌなのだけれど。
椅子に座り、机に向かうリュシエンヌを後ろからそっと抱き締める。
「ルル、どうしたの?」
すぐにリュシエンヌが顔を上げた。
「何でもないよぉ」
ただ、リュシエンヌを慰めたいと思う。
しかし、その心をどうしたら軽くしてやれるのかルフェーヴルには分からない。
悲しい時、苦しい時、つらい時、人は誰かの温もりを感じることでその苦痛が和らぐのだという。
だからルフェーヴルはリュシエンヌを抱き締める。
まだ娼館にいた幼い頃、娼婦達が母親のいないルフェーヴルを慰めるために抱き締めたように。
あの頃からルフェーヴルは寂しさなど感じたことはなかったが、リュシエンヌと過ごすようになってから、常に自分が空虚感を抱えていたことに気が付いた。
今はもう、その空虚感はない。
リュシエンヌがそばにいるからだ。
抱き締めた腕にリュシエンヌの手がそっと触れる。
「『鉱夫の命は拾った金貨より軽い』」
この街独特な言い回しをリュシエンヌが呟く。
両親と子供一人の平民の家族で贅沢をしなければ、金貨一枚で一月くらいは過ごすことが出来る。
鉱山で働く鉱夫は実入りはいいが、鉱夫になれば心身共に負担がかかって短命になる。
恐らくその短命さを揶揄したものなのだろうが、もう一つ、意味があるとルフェーヴルは感じた。
鉱山での作業は危険が伴うだろう。
特に昔は今よりももっと危険が多かったはずだ。
若くして死ぬ者など珍しくもなかった。
だから、偶然拾った金貨を使うよりも、鉱夫の命は軽い。
そう思うことで、言うことで、それは仕方のないことだと人々は諦めていたのかもしれない。
「そんなの、おかしいよ」
リュシエンヌがもう片手に持ったペンを握る。
「軽い命なんてない」
「そうだねぇ」
リュシエンヌの言葉に頷いた。
命の重さなど本来はない。
どんな人間だって命は命、同じである。
それを軽いとか重いとか言うのは感覚に過ぎない。
その人間が自分にとって重要ならば重く感じる。
その人間が自分にとってどうでも良ければ軽く感じる。
ただ、それだけだ。
しかしそれをリュシエンヌに言う必要はないだろう。
ルフェーヴルにとって命の重さを感じるのはリュシエンヌだけで、それ以外の、ルフェーヴル自身も含めた命などどうでも良い。
それは、ルフェーヴルの感覚の重みである。
「軽い命なんてないんだろうねぇ」
ルフェーヴルが殺してきた命もそうだ。
その重みをルフェーヴルは理解しているけれど、それを背負う気はない。
暗殺者はそれを気にしていては続けられない職業だから。
* * * * *