作品タイトル不明
療養所と原因
翌日、わたし達は寝坊した。
朝食は部屋で摂るようにしていたため、寝坊しても問題はなかったけれど、ヴィエラさんは少し呆れた顔をしていた。
午前中はルルと二人、部屋でもう一度休んだ。
主にわたしの寝不足のせいだが。
ベッドで、わたしとルルとで寝転がって過ごした。
何をするでもなく、ただ、抱き締め合うだけ。
夜のことなんて何もなかったかのように。
「暑いねぇ」
抱き締め合ったままルルが小さく笑った。
どうしてか、それがとても嬉しかった。
それから、日が大分高くなった頃、身支度を整えて昼食へ向かった。
セクストン伯爵夫妻と管理官は既に来ており、挨拶を交わし、席に着くと、夫人に声をかけられた。
「昨夜、体調を崩されたと聞きましたが大丈夫ですか?」
昨日の夜のことを思い出してしまい、赤くなりそうな顔をなんとか誤魔化した。
「え、ええ、広くて居心地の良い浴室だったのでつい長湯して、そのせいで少しのぼせてしまいました」
ルルが横で微かに笑ったけれど、夫人は「そうでしたか」と浴室を褒められたことを喜んでいた。
そうして何事もなく昼食を終えた。
「街を見て回る前に、体調を崩した人について知りたいのですが、どのような症状があるのでしょうか?」
食後のお茶を飲みながら訊けば、夫妻と管理官が視線を落とした。
三人は顔を見合わせ、そして管理官が口を開く。
「まず、肺を悪くする者が増えました」
鉱山で働く者は肉体労働が多く、日々体を酷使するため、元より肉体の限界を感じて仕事を辞める者は多い。
しかし最近は体の限界よりも肺を患う者が増えた。
それだけでなく、体の不調を訴える者も出てきた。
「体のだるさや眩暈、貧血、力が入らない、嘔吐、酷いと労働中に気絶する者もおります。膝や腰などが痛いと言う者も多いです」
何より不思議なのは、鉱山で働いていない街の者達の中からもその症状の訴えがあるのだと言う。
「街の外れに教会に併設された療養所があります。症状の重い者達はそこで静養しておりますが、原因が分からないので治療法もなく、症状を訴える者は増える一方です」
「その療養所を見に行ってもいいですか?」
「それは構いませんが……」
言葉を濁した管理官の言いたいことが分かった。
病人だらけだから、見ても良い気分にはならない。
「大丈夫です。病人の様子を見たり、話を聞いたりすることで分かることもあるかもしれませんから」
「そういうことでしたら、こちらから療養所に話を通しておきましょう」
「はい、お願いします」
そういうことで部屋に戻り、少し休んでから午後は街へ出ることにした。
護衛とヴィエラさんを連れてルルと馬車に乗る。
街よりも先に療養所を見に行くことになった。
カーテンを開けて街の様子を眺める。
街は人が多く、賑やかだった。
ただ、見たところやや年嵩の者の割合が多い。
窓の外を眺めていたルルが呟く。
「ふぅん、確かにこの街は体に何か問題のある人間が多いみたいだねぇ」
「そうなの?」
ルルを見れば、ルルが視線を外に向けたまま頷く。
「街の人間、よく見てみなよぉ。動きがちょ〜っとぎこちないでしょぉ?」
言われて、窓の外へ視線を戻す。
流れる車窓をよくよく見れば、ルルの言うように、街を歩く人の中には杖をついたり腰に手を添えて歩いていたりする人が多いように思えた。
それに、街の人達を眺めて気付く。
……お年寄りが少ない?
疑問を感じているうちに景色は流れてしまう。
街の中を通り、賑わいが減っていき、やがて街の外れに馬車は辿り着いた。
そこそこの大きさの教会があった。
教会の責任者だろう年嵩の司祭様がすぐに出てきて、挨拶をし、それから敷地の奥に案内される。
「一つご注意していただきたいことがございます」
司祭様が声を抑えて言う。
「どうか療養中の者達に触れたり、動かそうとしたりしないでください。彼らの中には話すことも困難なほど弱っている者もおりますので……」
「そんなに重症の方もいらっしゃるのですか?」
「はい。我々は彼らが少しでも苦しむことがないように祈り、癒しておりますが、効果がないのです」
そう言った司祭様は痛みを堪えたような表情だった。
とにかく療養者を刺激しないようにと言われて頷いた。
療養所は敷地の森の中にひっそりと建てられており、周囲も、通された内部も静かだった。
でも、全く音がしないわけではない。
人の声が聞こえた気がして耳を澄ませば、ルルがわたしの耳を両手で塞いだ。
「ルル?」
見上げれば、ルルが眉を顰めていた。
わたしに顔を寄せたルルが言う。
「リュシエンヌ様、ここにいるのは苦痛に苛まれた者達です。その姿や声を聞く勇気はありますか?」
立ち止まったわたし達に司祭様が振り返る。
その暗い表情が全てを物語っていた。
ルルの問う視線に頷いた。
ルルの手が耳からゆっくりと離れていく。
司祭様の案内で部屋に通された。
それなりに広い部屋にはベッドが八つ置かれていた。
ベッドには人が横になっている。
横になっている人の体が僅かに、よく見なければ分からないくらいゆっくりと上下している。
室内では教会の者が横になっている人の世話をしていた。
水を飲ませたり、毛布をかけたり、治癒魔法をかけたり。
小さな呻き声と咳き込む音だけが部屋にあった。
ハッとして司祭様を振り返れば、静かに一つ頷かれた。
部屋の外に出て、扉を閉めて、司祭様が答える。
「一階には重症者がおります。重症者は、治癒魔法で痛みの軽減をしながら安静に過ごすことで何とか日々を過ごしています。上へ行くほど軽症になっています」
それでもご覧になりますか、と訊かれる。
震えそうになる手を握り締めて頷いた。
司祭様は静かに療養所を案内してくれた。
一階は本当に重症者だらけだった。
殆どが自分で動くことも出来ないらしく、教会の人々が世話をしており、誰もがぐったりとベッドに横たわっていた。
顔色が悪く、呼吸もゆっくりで、苦しそうに咳き込む人も多い。
二階は一階より少し軽症で、咳き込む人がやはりいるが、自分で体を動かすことが出来るようだ。ただ、そこかしこで「痛い」と声がする。
なんとか廊下を歩いている人もいたが随分と緩慢な動きで、すぐに息が上がってしまうのか壁に寄りかかってしまっていた。
三階は自分で動いて、話せる、軽症の人達がいた。
でも、空気はとても重い。
どの階の人達も気だるそうで、腰や膝などを手でさすっている人が多く、お年寄りばかりだった。若い人はいない。
全ての部屋を見終わった後に司祭様へ問う。
「お医者様はいらっしゃるのでしょうか?」
「はい、おります。こちらへどうぞ」
一階に戻り、一つの部屋に通された。
ここには数名のお医者様がいて、常に一人は常駐しているそうで、その一人がわたし達と話をしてくれるとのことだった。
お医者様は四十代後半ほどの男性だった。
管理官と子爵から話が通っていたようで、挨拶を交わし、お互いに名乗り、それから話を聞いた。
「人によって症状が多少異なる場合もありますが、大半は同じ症状を訴えています」
倦怠感や息切れ、顔色の悪さや眩暈などの貧血のような症状に、腹痛や下痢、体が冷える、嘔吐、酷いと失神することもあるらしい。
特に体を動かすと途端に具合が悪くなるそうだ。
安静にしていれば症状は起き難い。
けれども肺を患っていることも多く、咳き込んだり呼吸がしづらくなったり、それに加えて関節や体の痛みを訴える者もいる。
「これらの症状は特に高齢の者に多いです。若い人でもたまにいますが、これほど重症ではありません。それに、中には鉱山で働いていた者もおりますが、大半は普通に街で暮らしていた者達ばかりなのです」
その言葉に「え?」と思わず訊き返した。
「鉱夫はあまりいないのですか?」
「ええ、まあ、昔から『鉱夫の命は拾った金貨より軽い』と言われるくらいですから」
初めて聞く言葉に目を瞬かせれば、お医者様が苦笑した。
「ドランザーク特有の言い回しです。鉱山で働く者は体を酷使するせいか早死にしやすく、平民が偶然拾った金貨を使い切るよりも寿命が短い、という風に 喩(たと) える言葉ですね」
「そんな言葉があるんですね」
「それくらい、昔の鉱夫は短命だったのです。しかし現在の王家となり、国が変わってからは段々と生活も良くなり、鉱夫や街の者達の寿命も延びてきています。そのうち、その喩えも使わなくなるのではと思っていたのですが……」
けれど、そうはならなかった。
原因不明の症状で苦しむ人が出てきたのだ。
その後は療養者にどのような治療を施しているか聞いたが、苦痛を和らげることしか出来ないようだった。
お医者様はそのことに胸を痛めていた。
医者なのに患者を救うことが出来ない。
「お話を聞かせてくださり、ありがとうございました」
お礼を言うとお医者様は小さく首を振った。
「いえ、少しでもお役に立てたのでしたら幸いです」
その表情は悲しげなものだった。
ルルや司祭様と共に部屋を後にする。
司祭様にもお礼を述べて、いくらかお金を寄付してから教会から出て街へ戻る。
……あんなに苦しんでいる人達がいたんだ……。
ゆっくりと流れる車窓をぼんやり眺める。
鉱山からの収益がわたしの下に入ってきていたが、そのお金がどんな風に生み出され、そこにどんな人達が関わっているのか、これまでわたしは深く考えたことがなかった。
あまりにわたしがぼうっとしていたからか、ルルに抱き寄せられた。
「リュシー、大丈夫〜?」
それにわたしは頷いた。
「うん、ちょっと、ううん、かなり衝撃的だったけど、やっぱりわたしは知るべきだったんだなって思ったよ。沢山の人の苦労のおかげでわたしは生活出来ているんだね」
「つらい?」
「つらくはないけど、重い、かな」
ギュッとわたしを抱き締める腕に力がこもる。
「その重みはリュシーだけで背負う必要はないよぉ。オレも鉱山からの金を使ってるしぃ、それは一人で背負う重みじゃないんじゃなぁい? 背負うならオレも一緒だよぉ」
「ありがとう、ルル」
抱き締められてルルに寄りかかる。
しばらくそうして過ごしていると、ルルが馬車の前方の壁を軽く叩いた。
小窓が開けられ、ルルが「どこかで休憩しよぉ」と言い、小窓の向こうから騎士の「かしこまりました」という返事があった。
ややあって馬車の揺れが穏やかになっていき、やがて停車する。
完全に馬車が停まり、外から扉を叩く音がした。
それにルルが扉を開ける。
「このままじゃ気分が上がらないから、ちょ〜っと散歩でもしよっかぁ?」
降りながら言うルルに「うん」と頷く。
確かに、今の暗い気持ちのままいてもどうしようもないし、これから街を見に行くのに、そんな表情でいたら街の人から話を聞き難くなるだろう。
差し出された手を借りて馬車を降りる。
ふわっと吹く風は木陰だからか少し涼しい。
風に合わせて木々の葉擦れの音がする。
騎士の一人がルルに耳打ちした。
「近くに川があるみたいだよぉ」
「行ってみたい」
「じゃあ、行ってみよっかぁ」
繋いだ手はそのままにルルが歩き出す。
騎士達やヴィエラさん達も護衛としてそばにいる。
森の中は草や木の根が多く、歩き難いはずなのに、ルルに手を引かれてついて行くとそれほど歩くのに苦労はしなかった。
先を行く騎士やルルが枝を払ったり小石を避けたりしてくれるおかげで歩きやすいのだろう。
時々ルルが「そこに木の根があるよぉ」「段差あるから気を付けてぇ」と声をかけてくれる。
しかも手は繋いだままなので、足元に集中しても、ルルが手を引いてくれるから安心して身を任せた。
さくさくと森の中を進む。
しばらく歩くと視界が開けた。
そこには川が流れていた。
「え?」
その川を見て驚いた。
色が、少し赤茶色だったのだ。
「……濁ってるねぇ」
横でルルも珍しく目を丸くしていた。
「最近は天気も良かったと思ったけどぉ、水が濁る理由はなんてあったっけぇ?」
「いえ、ここ数日この辺りで雨は降っておりません」
振り向いたルルに騎士の一人が答えた。
その騎士とは別の、街に入る前にドランザーク出身だと会話をした騎士が口を開いた。
「この川は昔からこうなのです。街周辺の川は、大体このように赤茶色になっております。鉱山で採掘中に出た水を捨てたり、宝石が出た際には川で洗ったりしていますから」
「……この川以外もこんな色をしているんですか?」
思わず川を見下ろした。
少し赤茶色になった水底には水草が少なく、魚などの水生の生き物の姿もパッと見はいないように感じられる。
この世界でも川を見たのは数回しかないけれど、どう見ても、これは普通の川と違うのは分かった。
前世の世界の川ともそれは違っていた。
同時に嫌な予感がした。
「街周辺の川もこんな風になっているとして、飲み水や作物を育てる水はどこから手に入れているんですか?」
「飲み水は井戸が主ですが、井戸から遠くて川に近い家は川の水を煮沸して飲むこともあります。作物用の水も近くの川の水を使っています」
それにハッとする。
領主の館で飲んだ紅茶の味を思い出した。
あの変な味も水質の問題だとしたら。
ふと前世の記憶を思い出す。
学校に通っていた時に授業で先生が話していた。
鉱山には、そして鉱山の採掘には問題がある。
だがそれは全てが目に見えるものではない。
……この地域の水って、もしかして汚染されてる?
「……街の川と井戸も確かめなくちゃ……!」
この街の人を苦しめる理由が分かるかもしれない。