作品タイトル不明
ルルとリュシーの日常(2)
頭を撫でられる感触に意識が浮上する。
体の下から「リュシー?」と声が響く。
まだ眠くて額をこすりつけると、温かなそれが小さく揺れて、ころりと体の向きが変えられた。
頬に何かが触れる。
「オレの奥さんはよく寝るねぇ」
唇に柔らかな感触が触れる。
二度、三度と触れられて、目を開ける。
間近にルルの顔があった。
「寝ててもいいよ?」
「でも好きにするからねぇ」と囁かれる。
ぼんやりしていると体を撫でられた。
触れるかどうかという微妙な感覚で、でも、指先が体のラインを辿るように伝っていくくすぐったさに目が覚めた。
「ルル、くすぐったい……っ」
思わず体をよじると「ダーメ」と押さえられる。
わたしの体を確かめるようにルルの手が撫でるので、くすぐったさを我慢する。
「ん〜……うん、もういいよぉ」
ルルの手が離れる。
「お腹空いてなぁい?」
「ちょっと空いた、かも?」
「昼食にしよっかぁ」
ルルが起き上がるとサイドテーブルからベルを掴み、軽く振った。
ちりりん、と可愛らしい音が鳴る。
起き上がったルルが靴を履いていると、部屋の扉が叩かれた。
ルルが「いいよぉ」と声をかければ扉が開かれる。
「お呼びでしょうか?」
リニアさんだった。
「昼食の準備してぇ」
「かしこまりました」
リニアさんが頷くと、一礼して、部屋を出て行く。
その間にルルがわたしを起こして、肩にストールをかけてくれた。
空間魔法から取り出したグラスにピッチャーから水が注がれ、ルルが一口飲み、渡される。
それは果実水で、あまり冷たくなかった。
飲んでいる間にリニアさんがメルティさんを伴い、サービスワゴンを押して戻ってきた。
テーブルの上に二人分の食事が並べられる。
食事を並べ終えると二人は静かに下がっていった。
……うーん、ルルのこと分かってるなあ。
これで下手に部屋に残ってると、多分、ルルの機嫌が悪くなるだろう。
ルルに抱えられてテーブルへ移動する。
席に座ったルルの膝の上に下される。
「ちょ〜っと待ってねぇ」
ルルが食事を一口ずつ、食べていく。
最初は毒見だったこれも、途中から、確認する作業になっていることに気が付いた。
先に味を確認して、わたしが苦手なものはないかを調べているのだ。
それから、スプーンに掬って差し出される。
わたしが口を開ければ、そっと口の中へスプーンが入ってきて、口を閉じればするりと引き抜かれる。
……うん、美味しい。
野菜とベーコンの旨味があるスープだ。
飲み込めば、二口目が差し出される。
ぱくぱくとそれを食べる。
ルルはわたしに食べさせつつ、自分も、カップに入ったスープを左手に持って飲んでいる。
……ルルって器用だよね。
わたしはあんまりそういうのが得意じゃない。
何かをやりながら、別のことをするという、同時並行作業が苦手だ。
スープを食べ終わると、今度は野菜と卵のキッシュが差し出される。
あむ、と食べる。これも美味しい。
わたしがよく噛んでいる間にルルも一口、二口と自分の食事を進めている。
なんとなくそれを眺めてしまう。
ルルの食事する姿が好きだ。
動きは雑なのにこぼさないし、食器同士の当たる音もあまりしないし、食べる速度は早いのに、綺麗に食べる。
あと、一度に沢山食べる。
ルルは日に二回、昼と夜に食事をするようだ。
朝は食べず、昼はがっつり食べて、夜は軽く。
ルルが夕食を食べる姿を見たのは屋敷に移ってからだった。
それでもティータイムもよく食べているので、何故太らないのかと思っていたら、夜中から早朝にかけて、わたしが寝ている時間に体を鍛えているらしい。
ちなみに今までよく食べるなあと感じていたが、あれは『食べられる時に食い溜めしてるだけ』なのだとか。
ルルの場合は暗殺だけでなく間諜の仕事も請け負うため、数時間から半日、時には丸一日、食事を出来ないこともある。
そのため、食べられる時に食べておくというクセがついているそうだ。
それを直さないのは、仕事に復帰した時のことを考えてなのだろう。
昼食はルルに全て食べさせてもらった。
わたしの口元を拭いて、ルルがわたしの手に果実水の入ったグラスを持たせた。
それを飲んでいるうちにルルも自分の食事を終わらせる。
わたしをソファーへ移動させると、ルルがベッドに戻り、ベルを鳴らした。
やって来たリニアさんに言う。
「片付けといてぇ」
リニアさんも分かっていたようで、サービスワゴンにテキパキと食器を下げるとすぐに部屋を出ていった。
ルルはわたしをまた膝の上へ乗せる。
重たくないのかな、と疑問に思うけれど、ルルがそうしたいならわたしが何か言うことではない。
いつもなら、食後は少し休憩した後に庭先を一緒に散歩するのだが、今日は雪も降っているし、ルルもわたしを部屋から出す気はないと言っていたので、それはないだろう。
ルルに抱き着き、思う。
……沢山食べた分はどこにいくんだろう?
わたしの倍は絶対に食べているのに、ルルのお腹に触ってみても、硬い腹筋があるだけだ。
思わずペタペタと触っているとルルが笑った。
「リュシー、くすぐったいよぉ」
ハッと我へ返って顔を上げればルルにキスされる。
「積極的なのは嬉しいけどぉ、あんまりかわいいことされると我慢出来なくなっちゃうから。……ね?」
ルルに手を取られて、腹筋から離される。
わたしの手にルルがキスをする。
ちょっと怪しい雰囲気のルルにドキドキしつつ、これ以上ドキドキすると、また胸が苦しくなりそうだと感じた。
「ちょっとお手洗いに……」
と、言えば、ルルは解放してくれた。
トイレに入り、扉を閉めて、両手で頬を押さえる。
……ほんとに夜まで我慢するのかな。
ルルは有言実行なタイプだから、恐らく、そうするのだろうけれど、わたしの方が心臓がもたないかもしれない。
とりあえず用を済ませて戻れば、手招きされて、またルルの膝の上へ座ることになった。
わたしが読みかけで放ったらかしにしておいた本をルルが手に取る。
…………あ、それ……!
慌てて手を伸ばしたが、ルルがわたしの手をひょいと避けて題名を口にした。
「……円満な夫婦関係の築き方?」
本の題名を見てルルが目を瞬かせた。
「何これ?」
ルルが不思議そうな顔で本を見て、わたしを見た。
「それ、ここに移る時に持ってきた本の中に混じってたの。わたしのものじゃないんだけど……」
題名が題名だったので、試しに読もうと思って持ってきたのはいいものの、中身を読み始めてすぐにわたしは本を閉じた。
「だけど〜?」
「その、内容がちょっと、わたしには刺激が強くて、読めないっていうか……」
「ふぅん?」
わたしが手を引っ込めるとルルは本を開いた。
大きな手がぺら、とページを捲る。
サッと流し読みをしたルルが、あは、と笑った。
「確かにこれはリュシーには刺激が強いかもねぇ」
その本の内容とは、いわゆる、夫婦生活に関することだった。
そう、夜の、閨でのあれこれについてである。
……確かに必要なことなんだろうけど……。
書いてあることをルルとする、と考えたら、顔から火が出そうなくらい気恥ずかしくなってしまったのだ。
でもルルはそうでもないらしく、笑いながら、中身を流し読みしている。
ただの説明書ならともかく、内容の書かれ方がはっきり言って官能小説みたいな感じなので読み進められなかった。
ルルが本を閉じる。
「リュシーは読まなくていいよぉ」
ぽい、とルルが本をテーブルへ投げ捨てた。
「いいの、かな?」
世の仲の良い夫婦が本当にそういうことをしているのかは不明だけれど、知っておいて損はない気はするが……。
ルルがわたしの頭を撫でて、引き寄せられる。
「そういうことはオレが教えてあげるからぁ、他人の話なんて気にしなくていいんだよぉ」
……ルルがそう言うなら。
ちょっと気になるけれど、本の内容を頭から追い出しつつ頷いた。
確かにわたし達はわたし達だし、一般的な夫婦とは違う部分もあるし、ルルが嫌がるなら読まない。
……まあ、恥ずかしくて読んでいられないけど。
そんなことを考えていると、ちゅ、とルルにキスされる。
「それにぃ、本で読むよりもこういうのは実際に経験して覚えた方がいいんだよぉ」
怪しい手つきで頬を撫でられる。
「……ルルも経験して覚えたの?」
訊き返せばルルが目を丸くして、首を振った。
「違うかなぁ。ほらぁ、オレって七歳までは娼館に住んでたでしょぉ? その時にさぁ、娼館の女達がよく客と寝た時のことについてぼやいてたんだよねぇ」
「……閨のこと話してたの?」
ちょっと驚いた。
ルルが頷く。
「客との会話とかは言わないけどさぁ、客にこうされて嫌だったとかぁ、こうして欲しいとかぁ、そういう愚痴っていうのぉ? 基本的に女ばっかりの場所だしぃ、自然とそういう話はしても恥ずかしくないって感じだったんじゃないかなぁ」
「なるほど」
ルルの場合はその人達の話をずっと聞いていたから、知っているというわけだ。
……ん、でもそれって……?
「ルルも他人の話、気にしちゃダメ」
ぺち、と両手でルルの頬を挟む。
「その、そういうこと、どうしたらお互いに良くなれるのか、一緒に探していこう?」
ルルが夜にも尽くしてくれるのは、多分、そういう話を子供の頃にずっと聞いてきたからなのだろう。
そこからわたしのことを気遣ってくれるのは嬉しいけれど、同時にモヤッとしてしまった。
「だって、わたしとルルとの間のことだし」
嫌なら嫌と言えばいい。
好きなら好きと言えばいい。
……わたしだって、ルルに何かしてあげたい。
ただしてもらうだけは嫌だ。
それにわたしとルルとのことなのだから、他の人の意見を参考にしないでほしい。
そういう話をするのは恥ずかしいけど。
ルルの灰色の目が二度、瞬いて、それから「あー……」と呟きながら片手で目元を覆った。
「ルル?」
名前を呼ぶと、もう片手で抱き寄せられる。
ルルの顔が見えなくなった。
「それは無理」
端的に言われて慌てた。
「あ、えっと、はしたなかったかな……」
ルルが「そうじゃなくてぇ」と言う。
「オレ、リュシーに嫌われたくないし、怖がられたくないから、リュシーの嫌がることはしないようにっていつも考えてる」
「……うん」
「本当にオレのしたいことしたら、嫌われる自信がある」
それはまた、変な自信である。
でも本気でそう思っているみたいで、ルルの口調は真剣で、ちょっと肩が落ちていた。
……ルルのしたいことかあ。
嫌われる、なんて、一体どんなことなのか逆に興味が湧いてくる。
「ルル。ルルがしたいことって、どんなこと?」
ルルが押し黙った。
どこか困惑したような、躊躇うような雰囲気だ。
そんなルルは初めてである。
「あのね、わたし、ルルのことが大好きだよ」
「……うん」とルルが返事をする。
「怒らないし、聞いてもルルのこと、嫌いにならないよ。それにルルのしたいこと、わたしは知りたい」
ルルが沈黙する。
ややあって、ルルが顔を寄せてくる。
ぼそぼそとルルは言った。
それは確かに一般的なことではなかった。
「他には?」
ルルがぼそぼそと呟く。
いつもの自信満々な姿はない。
視線を逸らして、いつわたしに怒られるかと身構えている姿に、わたしは安心させるために頷いた。
「いいよ、ルル」
ルルがギョッとした顔でわたしを見た。
「……嫌じゃないの?」
考えてみる。
……うん。
「毎回全部そうだとどうなのかなって思うけど、時々なら。それに優しくないルルもちょっと見てみたいかも?」
ルルの話を総合すると、普段は優しくしようと心がけているけれど、本当はわたしに対してもっと手酷くしたいというか、自分の好きなようにしたい的なことだった。
具体的に言われたことを思い返して、頷いた。
「……いいの?」
「うん」
「オレ、歯止め効かなくなるかもしれないし……」
言われて、わたしは笑った。
「別にいいと思うけど。それだけ、ルルはわたしのことが好きだってことだよね?」
あれをしたいとか、これをしたいとか、それって結局はわたしのことが好きで、自分のものだと思ってるからやりたいのだろう。
「わたしはルルの奥さんなんだから、そこまで気を遣わなくてもいいと思わない? 本当に嫌なら嫌だって言うよ」
ルルが考えるように黙った。
それから、恐る恐る訊かれる。
「リュシーが嫌だって言ってもやめなかったら?」
「その時はルルのこと蹴るよ」
「蹴る……」
ルルがぽかんとした顔をして、唐突に、プフッ、と吹き出した。
「そっか、蹴るかぁ」
おかしそうにルルが笑う。
「そんなこと考えたこともなかった」
わたしの蹴りなんてルルにとってはなんのダメージにもならないだろうけど、意思表示にはなるだろう。
「じゃあ、リュシーが本気で嫌だなって思ったら、オレのこと蹴って。そうしたら多分、正気に戻るから」
「うん、でも蹴る前に言うと思う」
ルルが笑って「だろうねぇ」と言った。
でも、ルルの要望を聞いて思った。
……ヤンデレだなあ。
知っていたけど、改めて実感した。
「リュシー、愛してる」
あと立ち直りが凄く早い。
……だけどなあ。
きっとルルを蹴ることはないだろう。