作品タイトル不明
師匠の秘密
ガルムさんの家を出て、それが見えなくなると、ルルは転移魔法を使った。
視界が一瞬光に包まれ、鬱蒼と生い茂る青い森が次の瞬間には赤や黄色のものへと変わる。
ルルがわたしを地面へ下ろしてくれた。
枯れ葉の多い地面は柔らかい。
思わず、意味もなくルルの後ろを振り返った。
もう違う場所なのだと分かっているけれど、なんだか、あのシンプルな緑の屋根の家がまたふっと現れるのではないかと思ってしまったのだ。
もちろん、いくら見たところで出てくるはずはないのだが、それが無性に寂しく感じる。
ルルの手を握れば、しっかりと握り返される。
「リュシエンヌ様!」
名前を呼ばれて振り向けばメルティさんがいた。
いつからそこにいたのか、少し離れた場所にはわたし達が乗っていた馬車が停まっており、御者や護衛の騎士達も待機していた。
待ち合わせ場所に転移したようだ。
メルティさんが駆け寄ってくる。
「お帰りなさいませ」
嬉しそうなメルティさんの笑顔にわたしも笑う。
「ただいま」
メルティさんが来ると、ルルが一旦離れる。
「護衛達とちょっと話してくるねぇ」
「行ってらっしゃい」
すぐ近くだけどなんとなく手を振る。
ルルも笑って振り返してくれた。
ルルが離れるとメルティさんに問われる。
「お師匠様とお会い出来ましたか?」
「うん、ちょっと雰囲気がルルに似た人だった」
「まあ、そうなのですか?」
メルティさんがヴィエラさんへ目を向けて、ヴィエラさんが頷くと、メルティさんが小さく息を吐く。
「想像がつきませんね……」
「似てるのは雰囲気くらいで、他は全然似てないよ。穏やかで、物静かで、でもちょっと冷たい感じ」
わたしの説明にメルティさんが「ああ」と納得した風に頷いた。
「うちの使用人達みたいな感じなのですね」
「うん、そうかも」
ヴィエラさんは何も言わなかったけど、代わりに頷いていたのでそうなのだろう。
話しているとルルが戻って来る。
「そろそろ行くよぉ」
馬車や護衛達が集まっている。
差し出されたルルの手を取った。
優しく手を引かれて歩き出したわたしの後ろを、メルティさんとヴィエラさんもついて来る。
全員が集まるとルルが確認するように少しだけ声を張り上げた。
「全員いる〜?」
護衛や御者達が互いに顔を見合わせる。
そうして、ルルを見て頷いた。
ルルも頷くと、詠唱を開始した。
長い詠唱に耳を傾ける。
聞き取れないけれど、それでも、ルルの詠唱を聞くのが好きだ。
いつもより落ち着いた声が詠唱を行い、わたし達の足元に大きく魔法式が展開される。
これからルルの転移魔法で一気に王都の近くの森まで飛ぶ。
人も物も多く移動させるのと、距離があるのとで、さすがに一日で往復は難しいが、帰りくらいなら問題ないらしい。
足元の魔法式が光り、ふわっと浮遊感に包まれる。
景色がまた変わった。
先ほどの森のような、でもそれよりも、もっと紅葉が進んだ森に到着する。
光が収まると、ルルがふう、と小さく息を吐く。
「あ〜、疲れたぁ」
ギュッとルルに抱き着かれる。
「お疲れ様、ルル」
抱き着いてくる腕を労わるように撫でた。
ルルが空間魔法から瓶を取り出し、中身を飲み干す。
多分、魔力回復薬だろう。
護衛が近付いて来る。
「子爵様、どの辺りに来ているのでしょうか」
地図を片手に寄って来た護衛にルルが顔を上げる。
「今はココだねぇ。王都から馬車で二、三時間ってところかなぁ」
「……凄い。いえ、失礼しました。では問題なければ、このまま馬車で王都に入りますか?」
「うん、そうしてぇ」
護衛の思わずといったばかりに漏れた呟きにわたしはうんうんと頷いた。
……そうだよね、ルル凄いよね。
馬車で数日の道のりが一瞬なのだ。
頷いているとルルに頭を撫でられた。
「オレは疲れたからぁ、リュシーと馬車で休んでるよぉ。何かあったらヨロシク〜」
「了解しました」
護衛が下がり、ルルに見下ろされる。
「もうオレ達がすることはないしぃ、馬車に乗ろっかぁ」
そう言ったルルは僅かに気だるそうだった。
そんなルルは初めて見た。
「ルル、大丈夫?」
「大丈夫だよぉ。ごっそり魔力取られたけどねぇ」
歩き出したルルにくっついて馬車へ向かう。
ルルの手を借りて乗り、ルルも乗って来ると、外からヴィエラさんが扉を閉めた。
カーテンは全て下りていた。
座席の端に座って、わたしは膝を叩く。
「ルル」
それだけで分かったようで、ルルはごろりと座席に寝転がってわたしの膝に頭を乗せた。
片足を曲げて立て、もう片足は落としている。
馬車の中だからちょっと窮屈そうだった。
本当に疲れたのかルルは片腕で目元を覆い、力を抜いて、ぐたーっとしている。
頭を撫でると、はあ、とまた溜め息が聞こえてくる。
それが疲れているだけの溜め息にしては、色々と混じった重いものに感じられて、わたしは訊いた。
「ルル、お師匠様に会えなくなって寂しい?」
ルルが「え?」と腕を持ち上げた。
灰色の目が二度、瞬き、細められる。
「……そーいうのじゃないかなぁ」
言いながらも、ルルはなんとも言えない顔をする。
目を覆っていた腕をルルは自分のお腹の上へ置いた。
何か考えている様子で少し眉が寄っている。
「なんて言うかぁ……。こっちのことなんてなぁんにも考えてない感じでさぁ、それが腹立たしい、みたいなぁ?」
ルル自身も理解出来ていないのかもしれない。
ただ、ルルがイライラしているのは分かった。
ここまでルルが怒っているというか、ムカついている姿を見るのは初めてだ。
ルルの頭をそっと撫でる。
「もう会わないって言われてムカついてるの?」
「ん〜……、うん」
「それは会わないことが腹立たしい? それとも、お師匠様が勝手に決めたことが腹立たしい?」
「……勝手に決めたことが、かなぁ」
ルルの目が天井を見上げる。
「別にもう会わないってのはいいんだけどぉ、それを勝手に決められたのはムカつく……」
ムスッとした顔でルルが天井を睨んだ。
「本当はさぁ、オレがそう言うつもりだったんだぁ」
「もう会わないって?」
「そぉそぉ、もうオレは 師匠(アンタ) を超えたって言ってやろうと思ってたのにさぁ、先に言われてぇ、一瞬でも『なんで?』って思っちゃったのもムカつくって言うかぁ……」
ルルが難しい顔で天井を睨んでいて、わたしはそんなルルのことが微笑ましかった。
恐らく、ルルはお師匠様の手から自分で飛び立ちたかったのだろう。
それを先に叩き出されちゃったものだから不完全燃焼になって、しかも一瞬でもお師匠様の方を振り向いてしまって、そんな自分のことも少し腹立たしいみたいだ。
ルルもヴィエラさんもそれぞれに、それぞれなりにお師匠様を慕っていて、きっと『特別』に思っている。
だからこそ突き放されて苛立っているのか……。
ふとお師匠様との会話を思い出した。
「あの子に執着出来るものが見つかって良かったです。……暗殺者としては褒められたことではありませんが」
「どうしてですか?」
「それは弱点になり得るからですよ。昔のルフェーヴルには執着するものがなかった分、弱点もありませんでしたが、今はあなたという弱点があります」
……もしかして……。
お師匠様はルルとヴィエラさんのことを思って、もう二度と会わないと言ったのだろうか。
師匠という存在は『特別』だ。
そうして『特別』は『弱点』にもなり得る。
お師匠様はルルとヴィエラさんの弱点になりたくなかったのかもしれない。
……やっぱり、ルルのお師匠様なんだなあ。
その可能性に気付くと苦笑が漏れた。
器用な人なのに不器用なんて、まるでルルだ。
子が親に似るように、弟子も師匠に似るのだろう。
「いいお師匠様だね」
そう言えば、ルルが「ええ〜?」と不満げな声を上げた。
「どこが〜? 自分勝手なクソジジイじゃん」
「わたしはいい人だと思うけどなあ」
「それはリュシーだからだよぉ。オレ、訓練以外で師匠があんなに喋ってるところ初めて見たよぉ」
「そうなんだ」
確かに自分からお喋りするようなタイプではなさそうだが、話しかければきちんと返事をしてくれる。
ルルに似た雰囲気で、ルルのお師匠様だから、つい好奇心もあって色々と話しかけてしまった自覚はある。
……でも、そういえば。
「ルルについては聞いたけど、結局、お師匠様については何も聞けなかったなあ」
ルルがわたしを見た。
「師匠の話、聞きたかったのぉ?」
「うん、暗殺者の人生ってどんななのかなって。ルルは普通の暗殺者とは多分、全然違う人生を歩んでるでしょ?」
王女を助けたり、王女の侍従になったり、王女と婚約したり、王女と結婚したり。ルルの人生は暗殺者とは言い難いものになっている。
……あれ? 全部わたしのせい?
思わず首を傾げてしまう。
ルルが「まぁねぇ」と笑った。
「暗殺者が表に出ること自体、ないからねぇ」
……しかも爵位持ちだもんね。
子爵様なのに、闇ギルド一位の暗殺者。
いや、この場合は逆なのだろう。
闇ギルド一位の暗殺者なのに子爵で、オマケに妻は元王女というのだから、わたし達のこれまでを知らない人からしたら謎な人生を歩んでいるように見えるだろう。
「でも、師匠は師匠、オレはオレだよぉ」
ルルの言葉に頷いた。
「そうだね。もし教えてもらえるならあの火傷についても訊いてみたかったんだけど、さすがにそれは失礼だと思って訊けなかったし」
「火傷?」
ルルが目を瞬かせた。
「師匠、火傷なんてしてたっけぇ?」
それにわたしも「え?」と目を瞬かせてしまう。
数秒、ルルと顔を見合わせた。
「えっと、お師匠様、凄い火傷があったよね? ほら、右の頬とか右手とか、右足も引きずってたよね? だからてっきり右半身全部、酷い火傷でもしたのかなって……」
わたしの言葉にルルが考えるような顔をした。
それからすぐに、何かに気付いた様子でパッと起き上がり、座席に座った。
「ねぇ、リュシー。師匠の外見、覚えてる?」
「うん、覚えてるよ」
「教えてくれる〜?」
ルルの言葉に首を傾げながらもわたしは、ガルムさんの外見について説明した。
オレンジがかった赤色の、暗い紅茶色の短髪。
紫色の瞳に、右頬から首までにケロイド状の火傷の跡があって、それは右手の甲にも広がっていて、色白で。
身長はルルより十センチくらい低くて、でも背筋がピンと伸びた人で、細身だけどそこそこ肩幅があって痩せている風には見えなかった。
五十代後半から六十代前半くらいの年齢だと思う。
顔立ちは火傷があったものの、整っていた。
それをルルに伝えれば、ルルがぐしゃぐしゃと自分の髪を乱すように頭を掻いた。
「あんのクソジジイ……!」
怒りの混じった唸りだった。
何故ルルが怒っているのか分からない。
「ルル、どういうこと?」
訊きながらルルの頭に手を伸ばし、ルルが乱した髪を整える。
ルルは不機嫌な子供みたいな顔をしていた。
……みたいな、というか、そうなんだろうけど。
「オレから見たって言うかぁ、オレが昔っから知ってる師匠ってぇ、オレより色の濃い茶髪にこげ茶色の目なんだよねぇ」
ルルの言うお師匠様は茶髪にこげ茶色の瞳で、色白で、身長はルルより十五センチほど低くて、六十代半ばくらい。顔立ちはわりと平凡。
右足は引きずっているが、火傷の跡はない。
「え、でも……」
「そぉ、リュシーの見てた師匠と全然違うんだよぉ」
起き上がったルルにギュッと抱き締められる。
「なんでわたしとルルとで違って見えたの?」
ルルがはあ、と本日三度目の溜め息を吐いた。
そうして、すり、と頬擦りされる。
「それなんだけどさぁ、すっごぉくムカつくんだけどぉ、多分リュシーが見てたのが正しい師匠の姿だと思うんだよねぇ」
「わたしの方が正しいの? ルルじゃなくて?」
「うん、リュシーは魔法の直接的な干渉を受けないでしょぉ? オレの 認識阻害(スキル) が効かないように、師匠のスキルもリュシーには効かなかったんじゃないかなぁ」
それにわたしは首を傾げた。
「お師匠様のスキル……」
「たとえば自分の姿を誤認させる、みたいな〜? オレの認識阻害も、オレを見た相手に認識させないように……まあ、簡単に言うと『存在が分からないようにする』って感じだからぁ、一般的な幻影魔法とは違うんだぁ」
ルルの認識阻害は発動させると、発動者、つまりルフェーヴル=ニコルソンという存在自体を見た者に認識させないものらしい。
言ってしまえば、その人物の『認識する』という部分、脳に直接的に作用しているスキルだ。
でもわたしの体は魔力がないので作用しない。
だからわたしにはルルが認識出来る。
ちなみにルルのスキルは猫や鳥など魔力を持たないただの動物には作用しないそうで、スキル使用中には周囲の動物の動きに細心の注意が必要なのだとか。
隠れていても動物には見えているし、幻影を使って隠れたとしても匂いでバレる。
そして幻影魔法は体の表面などに魔力を張って誤魔化すので、目に見える形での現象となり、わたしの目にもその現象として幻影が見える。
この間、ルルが見せてくれた幼いルルとわたしも、その方法で行った幻影魔法だそうだ。
「弟子にまで姿を 偽(いつわ) るとか、ほんっと性格悪くなぁい?」
スキルの使用には魔力を消費しない。
常時発動しても負担は少ないだろう。
もしかしたら、ルルを引き取る前からずっとスキルを使用して姿を偽っているのかもしれない。
…………あ、そっか。
不意に、初めてルルとガルムさんが話している時に覚えた違和感に気が付いた。
あれは恐らく、ルルの視線の位置に違和感があったのだ。
わたしの見ていたガルムさんと、ルルの見ていたお師匠様とで、身長に若干の違いがあって、ルルの視線の位置が少し低かったのだと思う。
「なるほどねぇ。昔っから右足引きずってる理由、訊いても教えてくれなかったわけだぁ」
「お師匠様の右手に直で触ったりしたことは?」
「ないよぉ。訓練の時は手袋つけてたしぃ、普段の生活で手が触れることもなかったしぃ、クソジジイも触られるのが嫌いな 質(タチ) だと思ってたからぁ」
ルルがまたごろりとわたしの膝に頭を乗せる。
不貞腐れているルルの頭をよしよしと撫でたが、あまり機嫌は良くならない。
……お師匠様の方が一枚上手だったんだね。
それをルルも分かっているのだろう。
また腕で目元を覆う。
「……勝てたと思ったのに……」
そう呟いた口調は呆然としていて、幼い響きがあって、そして、どこか迷子の子供みたいに頼りなくて。
わたしは優しくルルの頭を撫でた。
「ルルのお師匠様は、最後までお師匠様で、凄い人だったんだね」
最後まで尊敬出来るお師匠様だったのだ。
闇ギルドランク一位の暗殺者に己の本当の姿を悟らせず、違和感を与えず、偽りの姿を貫き通した。
それがルルのお師匠様らしい気がした。
……どっちも不器用で捻くれてるなあ。
ルルが腕をズラす。
「……うん」
頷いたルルは小さな子供みたいだった。