作品タイトル不明
新婚旅行(2)
お 義姉様(ねえさま) が帰った後。
公爵家から来た料理人が作った美味しい夕食を食べて、入浴も済ませて寝室へ行く。
メルティさんとヴィエラさんは下がっている。
二人とも疲れているだろうし、わたしもルルと二人で過ごしたかったので、今日は早めに休んでもらうことにした。
寝室の扉を叩けばルルの声がした。
扉を開けて、中に入る。
青とダークブラウンの落ち着いた室内は、暖炉に火が灯されて、その明かりが部屋を柔らかく照らし出している。
ソファーに腰掛けていたルルが立ち上がった。
「リュシー、ちゃんとあったまったぁ?」
近付いて来たルルが手を差し出し、わたしもそれに自分の手を重ねた。
「うん、いつもより長めにお湯に浸かったよ」
長時間水遊びをしたので、遊んだ後はしっかり火に当たって体を温めたし、夕食後の入浴も体が熱くなるくらい長めに入った。
おかげで今のわたしはちょっと体温が高い。
ルルの素手に触れると、ルルが小さく笑った。
「本当だぁ、いつもよりあったかいねぇ」
手を引かれてソファーへ向かう。
三人がけのソファーに座れば、隣にルルが腰を下ろして、ギュッとわたしを抱き寄せた。
薄着のルルに、わたしは肩に羽織っていたブランケットをルルの肩へと移動させる。
「ルルもあったかいね」
「オレも入浴してきたからねぇ」
この時期の水遊びはさすがにルルも寒かっただろうか。
もうすぐ冬になる頃なので、夜になると寒いくらいだが、今日のように暖かい昼間もある。
特に今日は風もなかったのでいい天気だった。
「ルル、水遊びどうだった?」
ルルに寄りかかりながら問う。
「ん〜、まあ、そこまで悪くはなかったかなぁ」
「濡れるの好きじゃないって言ってたけど、どうして? 別に入浴するのが嫌って感じでもないよね?」
むしろ、ルルは毎日入浴している。
本当に濡れるのが嫌いなら、お風呂も嫌がってあまり入らないと思うのだが。
見上げれば、ルルが「あー……」とわたしを見下ろした。
「結婚式の日にさぁ、オレの話をしたよねぇ? その時に師匠のところで暗殺者になるために色々な訓練したって話をしたの、覚えてる〜?」
それに頷いた。
「オレがその訓練の中で一番きついなぁって思ったのがぁ、湿地でしばらく過ごせっていうのでねぇ……」
ルルがぐたーと寄りかかってくる。
「湿地ってどこも泥でさぁ、ずーっと濡れたまんまだしぃ、全身泥だらけになるしぃ、羽虫は多いしぃ、底なし沼もあるしぃ、泥が乾くと今度は痒いしでそれはもう最悪な場所なんだよねぇ」
思い出したのかルルが眉を顰めて溜め息を吐く。
……ルルが最悪って言うんだから、相当酷いところなんだろうなぁ……。
思わずルルの頭を撫でれば、ニコリと微笑み返された。
「そこで多分二、三週間くらい? 過ごしたと思うんだけどぉ、常に体が濡れてるってすっごく不快なんだよぉ。それに泥ばっかりだから綺麗な水もないしぃ」
「……あ、もしかしてルルが前に泥水を飲んだことがあるって言ってたのも、そこ?」
「そーそー。まあ、そこ以外でも泥水は飲んだことあるけどねぇ。……あのクソジジイ容赦ないからさぁ、ギリギリ生き残れるかどうかって場所にばっかり放り込むんだよぉ」
「大変だったね。頑張ったルルは偉いよ」
ちゅ、とルルの頬にキスをする。
ルルがくすぐったそうに目を細めた。
「まあ、その湿地での生活が本当に酷くてぇ、濡れるとその時のことを思い出してあんまり楽しい気分にはなれないんだよぉ」
こつんとルルの頭がわたしの頭に軽く触れる。
それから甘えるように頭をこすりつけてくるので、わたしは手を伸ばしてルルの頭をまた撫でた。
「どんな生活だったの? 話したくないなら、言わなくていいけど……」
好奇心で訊いたわたしにルルが「そうだねぇ」と暖炉の火を眺めた。
思い出しているのか、灰色の瞳がどこか遠くを見ている。
「さっきも言った通り湿地はどこも泥ばっかりなんだぁ。草も生えてるから土って部分もあるけど、そこも、寝転がるとじわじわ背中が濡れてくる感じでさぁ、じっとり湿ってて、小さな羽虫がブンブン飛んでて、動く度に足とか腰に泥がまとわりつく感じ〜」
想像するだけでも不快な場所なのが分かる。
「そういうところにナイフだけ持たされて、放り出されるんだよねぇ」
……わたしだったら死んでるだろうなあ。
子供のルルを想像してみる。
今より背が低くて、でも多分同年代の子よりは背が高くて、細身で、きっと女の子みたいな可愛い顔だったのだろう。
ナイフ一本を持たされ、いきなり、湿地に連れて行かれる。
「訓練の期間はいっつも決まってなくてぇ、三日くらいの短い時もあれば一ヶ月って長いこともあってぇ、だから、いつまで耐えれば終わるっていう希望もないんだよねぇ」
「それはつらいね」
「うん、あそこだけはもう行きたくない」
はっきりとした口調だったので本心からの言葉だろう。
「しかもさぁ、飲み水は全部泥水だしぃ、食べられるのってそこら辺に生えてる雑草とか、その茎とか、あとは底なし沼にはまって死んでる動物の腐りかけの肉なんだよねぇ」
「……ルル、よく生きてたね……」
そんなものを口にして数週間も過ごすなんて、わたしには想像もつかないくらい酷い状況だったはずだ。
「オレもさぁ、まだ子供だったから『ここで死ぬのは師匠に負けた気がする』とか思って必死だったんだよぉ」
「死にたくない、じゃなくて?」
「死ぬより、師匠の出した課題が出来ないことの方がその時のオレは嫌だったんだぁ。師匠としては凄い人だけどぉ、途中からは『こいつムカつく』って思ってたなぁ」
「オレ、ほんっと子供だったなぁ」とルルが笑う。
そういう経験をしてきたなら、濡れるのを嫌がるのも仕方ないと思うし、子供の頃にルルはむしろかなり奮闘したんじゃないだろうか。
もし、今のルル同様にわりと何でも出来ちゃうタイプの子供だったなら、尚更、出来ないと言うのが嫌だったのかもしれない。
「でも、今日は濡れてもそんなに嫌じゃなかったかなぁ。完全に楽しいってわけでもなかったけどぉ」
素直なルルにわたしは苦笑した。
「ごめんね、もう無理に誘わないから」
「ん〜……」
わたしの言葉にルルが顔を寄せてくる。
「リュシーが訓練してくれるって言うならぁ、濡れてもいいかもしれないけどねぇ」
訓練? 思わず首を傾げた。
腰に回るルルの腕に少し力が入る。
「たとえば、一緒に入浴してくれるとかねぇ」
ボッと顔が熱くなるのが分かった。
……よ、夜のことだって恥ずかしいのに?!
そういう雰囲気でもいまだに恥ずかしいのに、まさか、一緒にお風呂に入るだなんて、それこそ恥ずか死にしてしまいそうだ。
「あはは〜、照れてる? かーわい」
笑いながらルルが頬にキスをしてくる。
……冗談、なのかな?
「……その、ルルが嫌じゃないなら、いいよ?」
恥ずかしいけど、ルルならいい。
わたしが言うとルルが「え?」と驚いた顔をして、それから、少し目元が赤く染まった。
ルルの照れた顔を見るのは屋敷に来たあの日以来だ。
あー、とか、うーん、とか、ルルが唸る。
ギュッと抱き締められた。
「……本当にいいのぉ?」
「うん、ルルだからいいよ。凄く恥ずかしいけど」
「そっかぁ」
ルルの頭が肩口に寄せられ、ぐりぐりと頭をこすりつけられた。
ルルが照れているのがかわいい。
「お屋敷に帰ったら、訓練しよう?」
「うん」とルルが素直に頷く。
……ルルかわいい……!
ルルの頭を撫でながら、つい、笑みこぼれた。
いつもはわたしを甘やかしてくれるルルが、わたしに甘えてくれるのが嬉しい。
しばらくそうしてゴロゴロとわたしにくっついていたルルだったが、ふと、何かを思い出した様子で顔を上げた。
「そうだぁ、リュシーが来たらやってあげようと思ってたことがあったんだっけぇ」
そう言って、ルルがわたしを横抱きにする。
少し歩いてベッドの上へ下された。
履いていた室内用のスリッパを脱がされる。
「うつ伏せに横になってぇ」
と、言うのでベッドへ寝転がり、うつ伏せになる。
ルルがベッドの縁に座って靴を脱いだ。
それからルルはうつ伏せになっているわたしの上へ跨った。ぎし、とベッドが揺れる。
ちょっとドキドキしていると、腰の辺りにルルの大きな手が優しく触れた。
「旅で疲れたでしょ〜? 座りっぱなしって体に結構クるしぃ、寝てもあんまり疲れが取れなかったりするしぃ、寝る前にこうして揉みほぐすといいんだよぉ」
ルルの手が強すぎない力加減でグッグッとわたしの腰を上から押して回る。
温かなルルの手もそうだけれど、絶妙な押し加減が少し痛くて、それが気持ちいい。
腰から背中、肩ヘとマッサージされて思わず「ぅあー……」と声が漏れてしまった。
それにルルの笑う気配がする。
「明日からは観光だねぇ」
ルルがマッサージをしながら話しかけてくる。
「うん」
「リュシーは楽しみ?」
「楽しみ。ずーっとお屋敷にいるのも好き。だけど、時々、こうやって出かけるのも好き」
グッグッとマッサージされて心地良い。
「でもね、それって全部『ルルが一緒にいる』ってことが前提にあるからかな。もし一人だったらあんまり楽しめないと思う」
この大きな手が安心する。
他の誰よりもわたしが信頼している手だ。
「ルルがわたしを外に出すのは嫌って言うなら、出なくてもいいの。ルルがいてくれるなら、それでいい」
ルルは結婚する前、まだわたしがもう少し幼かった頃は『わたしを家から出さない』と言っていた。
わたしもそれでいいと思ったし、今でも、わりとそう思っている。
今回は新婚旅行だから出たけど、普通にただ旅行って言われても、わたしは頷かなかっただろう。
肩越しにルルに振り返る。
「ルルはわたしを外に出すの、嫌でしょ?」
ルルの灰色の瞳と目が合った。
「そうだねぇ、リュシーが外に出るのが嫌っていうよりかはぁ、かわいいリュシーを他の奴に見せたくないって感じだけどねぇ」
「ふふ、嬉しい」
体を捻ってルルに手を伸ばす。
その手にルルが頬を寄せてくる。
他人に触れられるのを嫌がるルルが、わたしにだけは、こうして触るのを許してくれる。
独占欲を見せてくれる。
それが嬉しいから、ルルの言うことを聞いてしまう。
「だけどさぁ、オレ、リュシーがオレ以外に見せる表情も結構好きなんだよねぇ」
ルルが意外なことを言った。
「それに気付いたのは最近なんだぁ」
わたしの手の平にルルがちゅ、とキスをした。
「だから今はリュシーがアリスティード達に会うのは、そんなに嫌じゃないよぉ。さすがに知らない男とかと楽しそうに笑ってたりしたら、そいつを 殺(け) して、リュシーを屋敷に閉じ込めちゃうかもしれないけどさぁ」
少々過激だけど、それはルルらしかった。
仰向けに寝転がってルルを抱き寄せる。
「そんなことしないよ。わたしにはルルだけ」
覆いかぶさったルルが頷いた。
「オレもリュシーだけだよぉ」
それから、ルルがわたしの唇にキスをすると体を起こし、わたしをころりとうつ伏せにさせると、またマッサージを始めた。
お風呂上がりということもあるけれど、マッサージをされると体の内側からぽかぽかとしてきて気持ちがいい。
のんびりとしながらルルの手だけを感じる時間はなんだか凄く贅沢な気がした。
同時に、少しだけ物足りない気持ちになる。
……もっと触ってほしいな。
でも、ルルのマッサージが終わるまでは我慢しなくちゃとも思う。
せっかくルルがわたしの体を気遣ってくれたのだから、最後までしてもらった方がお互いいいだろう。
「リュシー、なんかそわそわしてなぁい?」
ルルの言葉にドキリとする。
……わたし、そんなに分かりやすいかな。
ルルの手が止まったので、わたしはゆっくりと体を起こすことにした。
それに気付いたルルが退いてくれて、ベッドの上に座ると、ルルが見つめてくる。
どうかした、という風に小首を傾げたルルに近付く。
「ルル……」
そっとルルの手を取って、頬に触れさせる。
はしたないと思われるだろうか。
だけど、今はルルに触れてほしいと思う。
毎日ルルと触れ合っているのに、どうしてか、もっとと我が儘になってしまう。
「もっと、触って?」
ルルが目を丸くした。
でもすぐにキスされる。
「明日からは観光があるから控えようと思ったのに」
少しだけ離れたルルが言う。
「じゃあ、差し支えないくらいで触ってあげる」
もう一度重なった唇に、わたしの「うん」という返事は飲み込まれた。
間近にある灰色の瞳が怪しげに細められる。
……今日は沢山甘えちゃおう。
きっとルルは甘やかしてくれるから。