軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

新婚旅行(1)

翌日の昼食後、宿に訪問者があった。

「お久しぶりですわ。リュシエンヌ様、ニコルソン子爵」

わたし達の部屋を訪れたのはお義姉様だった。

綺麗な金髪をがっちり巻いて、お化粧もしっかりして、でも、今日は控えめな装いのような気がする。

侍女らしき人を一人だけ伴って来たようだ。

「お久しぶりです、お 義姉様(ねえさま) 」

二人で手を取り合って挨拶をする。

八ヶ月ぶりの再会なのでとても嬉しい。

「あら、リュシエンヌ様、なんだか以前よりも大人っぽくなられましたわね?」

「そうですか?」

「ええ、更に魅力が増してニコルソン子爵も夫として大変でしょう?」

ややからかうようなお義姉様の言葉に、ルルが「全くだよぉ」と大袈裟に肩を竦めて返すので、お義姉様と笑ってしまった。

実を言えば、お義姉様に会うのは楽しみだったけれど、同時に少し緊張していた。

この八ヶ月、手紙を出すこともしなかったから。

でもお義姉様は笑っていた。

「今回は旅行先にここを選んでくださって光栄です。それに、またリュシエンヌ様と会えてとても嬉しいですわ」

「わたしもお義姉様とお会い出来て嬉しいです」

わたしが変わったというけれど、そういうお姉様こそ、前よりもいっそう美しくなったと思う。

お義姉様は今年、学院を卒業する。

お義姉様はわたしより一つ歳上だけど、わたしは二学年飛び級をして卒業したので、お義姉様は今三年生だ。

あと半年もしないうちに学院を卒業する。

そうなれば、王太子の婚約者として、未来の王太子妃として国政にももっと関わり、忙しくなることだろう。

「そういえば、お義姉様、学院の授業があったのではありませんか?」

わたしの問いにお義姉様が悪戯っ子みたいな笑みを浮かべた。

「ふふ、大丈夫です。対抗祭で優勝したので、お休みをいただく間の授業は免除してもらいましたのよ」

「ああ、なるほど」

学院では学生同士が魔法を競い合う対抗祭という行事があり、それで好成績を残すと、好きな授業をいくつか免除出来るというのがある。

お義姉様はそれを使って休んだのだろう。

そもそも学院は前世の高校や大学と違って単位とか出席日数とか、そういうものは関係がないので、休もうと思えばいくらでも休めるのだ。

もちろん、あまりに成績が悪ければ問題にはなるだろうが。

「それでは別荘へご案内いたしますわ」

そういうことで、ウィルビレン湖へ向かうことになった。

お義姉様の馬車について行く形で別荘へ行く。

目立つかな、と思ったけれど、公爵家が貴族の応対をするのはよくあるらしく、街の人々はわたし達のことをあまり気にしていないようだった。

賑やかな街を抜け、湖へ近付くにつれて喧騒が離れていく。

湖の周りは森があり、別荘は、湖の奥まったところにあるのだという。

到着すると、確かに人気は全くなかった。

「ここは公爵家の所有地でもありますの。公爵家の者以外の立ち入りは禁止しておりますから、人目を気にせず、ごゆっくりお寛ぎください」

お義姉様の方で気を回してくれたらしい。

「ありがとうございます」

ルルと暮らしている家に雰囲気が似ている。

あの屋敷ほど大きくないが、二階建てで、いくつか部屋があるようだった。

湖のすぐそばに屋敷があって、目の前は砂浜があり、屋敷を出たらすぐに湖へ行ける。

メルティさんがわたし達について、ヴィエラさんと護衛の人達は荷物を下ろしに行ったようだ。

お義姉様に鍵を渡されて、玄関へ向かう。

玄関に鍵を差せば、すんなりと回った。

「一応、食材も数日分、ご用意してあります。料理人も手配出来ますけれど、どういたしましょうか?」

お義姉様の言葉にルルが頷く。

「お願い出来る〜?」

「ええ、もちろん。では、料理人をすぐに手配させますわ。滞在は四日でしたわね?」

「そうだよぉ」

お義姉様が控えていた侍女に振り返れば、侍女が一つ頷いて静かに下がっていった。

別荘の中は青を基調としていて、ダークブラウンの木と合わさり、落ち着いた品の良い雰囲気だ。

よくよく見ると飾ってある絵画はウィルビレン湖だし、絨毯などの刺繍は魚や植物を模したものでオシャレである。

「あそこに管理人用の家がありますから、何か必要なものがありましたら遠慮なく管理人に申し付けてくださいまし」

あそこ、と窓の外をお義姉様が示し、見れば、確かにこじんまりとした家が建っている。可愛い。

あと、さっきから外に出たくてうずうずしていた。

ルルはそれに気付いていたようだ。

「リュシー、湖に行く〜?」

「うん、行きたい」

「じゃあ準備してくるからぁ、ちょ〜っと待っててぇ」

ルルがわたしをソファーに座らせると出ていった。

お義姉様が「準備?」と首を傾げる。

「お義姉様、せっかくですからお話は遊びをしながらしませんか?」

「遊び?」

お義姉様が首を傾げた。

「はい、波打ち際で遊んだり、湖畔を裸足で歩いたりするんです」

「まあ、この時期にですか? 寒くありませんか?」

「ちょっとだけです」

そう答えればお義姉様がふふ、と笑った。

「たまには良いかもしれませんね。わたくしも小さな頃はよく湖で遊びました。懐かしいですわ」

ダメと言われたらやめるつもりだったが、どうやら遊んでも構わないらしい。

「ここは奥まった場所ですから、多少気楽に過ごしても問題ありませんわ」

お義姉様がぱちりとウインクをした。

もしかしたら、夏場に避暑に来る貴族達の中にも暑さに負けて湖畔で水遊びをする者が多いのかもしれない。

ルルが戻ってくる。

何も持っていなかったけれど、恐らく空間魔法に必要なものを入れて来たのだろう。

ルルにエスコートしてもらい、お義姉様と話しながら屋敷を出る。

砂浜を歩いて湖のほとりへ向かう。

ある程度近付いたら、ルルが空間魔法で荷物を取り出し、メルティさんがそれを準備していく。

あっという間にパラソルが立てられ、日陰の下に布が敷かれ、飲み物やお菓子が用意された。

「リュシー、靴、脱ぐでしょ?」

ルルの問いかけに頷いた。

わたしの目の前でルルが屈んで、わたしのブーツの紐を解いて、脱がせてくれる。

ルルの肩に手を置かせてもらってバランスを取る。

横を見れば、お義姉様も侍女に脱がせてもらっている。

ドレスを着たまま自分で靴を脱ぐのはちょっと難しいので、誰かに脱がしてもらうのは一番楽なのだ。

それから靴下も脱がしてもらう。

ルルの手が足に触れてドキッとしたのは秘密だ。

素足を砂に下ろすと、柔らかくて、温かくて、サラサラしていた。

「行っておいでぇ」

微笑んだルルに頷く。

「うんっ」

「でも遠くまでは行っちゃダメだよぉ?」

「分かった」

ドレスの裾を持ち上げ、湖へ駆けていく。

砂を踏みしめる感触が楽しい。

お義姉様も素足になって歩いてくる。

湖の水はとても透き通っていて、ブルーサファイアと呼ばれるだけあって、美しい色をしていた。

そっと水に足を浸けてみる。

……結構冷たい、かも?

入るというよりかは、波打ち際で遊ぶくらいでいいかもしれない。

お義姉様もゆっくり近付いてくる。

「砂が暖かくて気持ちいいですわね」

「そうですね」

柔らかな砂の感触がくすぐったい。

「お義姉様、お兄様とは最近どうですか?」

わたしが足先で少しだけ水を蹴るとぱしゃんと水が跳ねる。

お義姉様も真似をして足先で軽く水に触れた。

「そうですわね、仲良くやれていると思いますわ。そうそう、お互いの呼び方も変わりましたのよ」

「呼び方ですか?」

「ええ、わたくしはエカチェリーナだから『リーナ』で、アリスティードは『ティード』ですの」

わたしとルルがお互いを愛称で呼び合うように、お兄様とお義姉様も愛称で呼び合うことになったらしい。

「可愛い愛称ですね。……ふふ、わたし、お兄様の愛称は『アリス』になるのかなあって思ってました」

「わたくしもそう言ったら『アリスは女性名じゃないか』と嫌がって、それでティードになりましたのよ」

「そうなんですね」

顔を見合わせて、二人で笑う。

お兄様とお義姉様が問題なさそうで良かった。

元より仲が良いと分かっていたけれど、愛称で呼び合うくらいなら、きっとこれからも大丈夫だろう。

……リーナとティードかあ。

ちょっと似ていて、婚約者や夫婦で似た愛称を使うというのもなかなかにいいなと思った。

「リュシエンヌ様の方こそ、いかがですか? ニコルソン子爵は独占欲が強いようですから、困ることもあるのでは?」

思わずルルを振り返った。

パラソルの下に座ってこちらを見ている。

目が合うと手を振られたので、振り返す。

「いいえ、ありません。ルルと暮らして、一緒にいられてわたしは毎日幸せです」

「それなら良かったですわ」

「むしろ、わたしの方が我が儘ばかり言っています」

それにお義姉様が「あら」と顔を上げた。

「そうですの?」

「ええ、ルルが甘やかしてくれるので」

「まあ、惚気られてしまったわ」

お義姉様がクスクスと笑い、ぱしゃりとわたしの足に水をかけてくる。

それに負けじとわたしも水をかけ返し、二人でぱしゃぱしゃと水遊びに興じる。

冷たいけど楽しい。

……まさかこんな風に遊べる日が来るなんてなあ。

見上げた空は高く、雲ひとつない快晴だった。

* * * * *

リュシエンヌとクリューガー公爵令嬢が湖畔で水遊びをしている。

よく晴れた空の下、美しいブルーサファイアの湖で無邪気にドレスの裾を持ち上げて遊ぶ二人を眺めながら、ルフェーヴルは『何かの絵画みたいだなぁ』と思った。

貴族の令嬢は足を晒すことはない。

なので、本来ならばああいう遊びは良くない。

けれども楽しそうな二人を見ていると、それを指摘するのは野暮な気がして、ルフェーヴルは黙った。

それにここは人の目がない。

多少好き勝手にしても構わないだろう。

同じくパラソルの下で控えている侍女が「あらまあ」とクスクス笑っているものの、止める様子はないので、ルフェーヴル同様に微笑ましく感じているようだ。

……あれ、ドレスの裾が濡れたかもなぁ。

この天気なので少し濡れたくらいではすぐに乾くだろうが、ルフェーヴルはそんなことを考えながら眺める。

話をしながら遊んでいるらしく、笑い声が聞こえてくる。

遠目にも楽しげな二人に、たまにはいいかぁ、とルフェーヴルは小さく笑った。

リュシエンヌがルフェーヴルに見せてくれる表情も好きだが、アリスティードやクリューガー公爵令嬢に見せる表情も悪くない。

眺めているとリュシエンヌと目が合った。

「ルル!」

リュシエンヌが手を振ってくる。

それに同じく手を振り返す。

「ルルも遊ばないっ?」

リュシエンヌと公爵令嬢がこちらを見る。

ルフェーヴルはあまり濡れるのが好きではない。

昔、まだ暗殺の師の下で暮らしていた頃に、湿地でしばらく過ごせと放り出されたことがあった。

湿地は羽虫が多く、じっとり湿っていて、泥だらけで動き難く、ずっと濡れたままで、それらがじわじわと体力を削ってくるので一番嫌いだった。

濡れた時、髪や服が肌に張り付く感じが鬱陶しくて、雨の日などにびっしょりと雫がつくと、それはもう動き難くて堪らない。

それで動けないということはないが、濡れた感触はルフェーヴルにとっては昔のあの湿地での不快な記憶を思い出すため、あまり良い感覚ではないのだ。

だが、水遊びをしているリュシエンヌ達は楽しげで、不快そうには見えなかった。

……分かってるんだけどねぇ。

水自体は何も悪いものではない。

入浴すれば汚れは落ちるし綺麗になるし、湯に浸かると体が温かくなって気分も良くなる。夏場の暑い日には水に足を浸せば心地良い。

ただ、やはり、昔の記憶が頭を過る。

湿地での暮らしはルフェーヴルの記憶の中で最も最悪だった。

気を抜けば底なし沼にはまるし、そういうところは大抵他の動物も死んでいて酷く臭くて、清潔な水はないし、食べられるものもあまりない。

寝る場所はいつも濡れていて、飲めるのは泥水で、食べられるのは腐りかけの動物の死骸か適当に生えている雑草やその茎くらいのもの。

常に身体中が泥だらけで、濡れた泥は重く、しかし乾いてパリパリになったそれが肌に残ると痒くなる。

出来れば、もう二度と経験したくない。

「……ルル?」

気付けばリュシエンヌがそばにいた。

濡れた足に砂が沢山くっついている。

それは不快だろうに、リュシエンヌは全く気にした様子もなく、ルフェーヴルに手を差し出してくる。

魔法で変えた、ルフェーヴルと良く似た灰色の瞳が見つめてくる。

「どうかな? やっぱり、嫌?」

差し出された手とリュシエンヌの顔を交互に見る。

……ここは 湿地(あそこ) ではない。

あの湖の水は泥水でもないし、ルフェーヴルはもう、師匠に訓練をさせられていたあの頃のルフェーヴルでもない。

ルフェーヴルは考え、そして、靴に手をかけた。

ブーツと、その下の靴下を脱ぎ、リュシエンヌの手を取りながら立ち上がる。

リュシエンヌが嬉しそうに笑い、ルフェーヴルの手を引っ張って湖へ駆け出す。

「遊ぼう、ルル!」

やはり苦手意識はすぐには消えないけれど、その日、ルフェーヴルは少しだけ水の感触が嫌いではなくなった。

でも、水は思ったより冷たかった。

* * * * *