作品タイトル不明
幕開け
夜になり、月が大分天上へ近付いた頃。
夕食も湯浴みも終わってルルとまったり過ごしていると、ふと横にいたルルが顔を上げた。
それだけで次に何が起こるか分かった。
通信用の魔道具がカタカタカタッと震え始める。
魔力のないわたしには分からないけど、ルル曰く「前兆を感じる」そうで、通信用の魔道具に連絡が来る直前にはいつもルルがそちらを見るので、その仕草も見慣れたものだった。
ソファーから立ち上がったルルが大股で机に向かい、ずっと震えている魔道具を掴むと、また大股で戻ってくる。足音はない。
差し出されたそれを受け取った。
「ありがとう、ルル」
横に座ったルルが笑って頷いた。
わたしは魔道具をパカリと開けた。
魔道具は丸くて、平たくて、前世で見かけたファンデーションのあれに似ている。
開ければ魔法式が光り、魔道具の上にお兄様の上半身が半透明で表示された。
「こんばんは、お兄様」
お兄様ももう寝るだけらしく、ラフな格好だ。
魔道具を使う時は人払いもしているようなので、今夜はもう誰かに会うつもりもないのだろう。
「ああ、こんばんは、リュシエンヌ。……ルフェーヴルもそこにいるのか?」
お兄様の視線がわたしから僅かに外れる。
それを見たルルが体を寄せてくる。
「呼んだぁ?」
ルルの手がわたしの肩を抱き、頬を合わせられる。
「なんだ、いるのか」とお兄様が少しがっかりした顔して、ルルが「残念でしたぁ」と笑っている。
毎回、似たようなやり取りが行われる。
お兄様もルルも、以前のように毎日顔を合わせることがなくなったからか、そういうやり取りを楽しむことが増えたような気がする。
なんだかんだ言ってルルもお兄様のこと、それなりに気に入ってるんだろうなあ。
笑っているルルの横顔は楽しそうだった。
でもすぐにお兄様が苦笑をこぼす。
「本当にお前はリュシエンヌにべったりだな。仕事が始まった時につらくなるぞ」
ルルが通信用の魔道具を指先でトントンと叩く。
「そのためにコレを作ったんだよぉ。仕事中でも連絡が出来るようにってさぁ。まあ、色々と使用制限あるけどさぁ」
ルルと一緒に開発した通信用魔道具だが、何でも思った通りに作れたわけではない。
映像も送信出来るこれは魔力使用量の多さと魔道具への負荷から、使用時間は五分に限られている。
しかも連続して使えない。
それに魔力を使用するので、魔力を感じ取れる人からすると、さっきのルルみたいに察せてしまうため、使う場面も限られてくる。
ルルみたいに暗殺者としてどこかに隠れている時などにこれを使えば、先ほどのルルのように気付かれてしまう。
魔力の揺れを感じるそうだが、そう言われても、わたしは魔力がないのでその魔力の揺れとやらの感覚が全く分からない。
ただルルやお兄様が表現するには「空気が揺れる」「魔力が濃くなる」らしい。
隠蔽魔法を使えばとも思ったけれど、魔法の熟練者は隠蔽魔法の痕跡すら分かってしまうから、結局は隠蔽もあまり意味がないとのことだった。
ルルが使うとしても、わたしから連絡を取ることは難しいだろう。
ルルが何をしているか分からないため、うっかりどこかに潜んでいる時に通信を繋げてしまうと大変なことになってしまう。
通信用魔道具の使い道はともかく、週に一度くらいはお兄様とこうして顔を見て話せるのは嬉しい。
時々、お父様から連絡が来ることもある。
「確かにな。多少制限があっても、こうして顔を見て話せるのは大きい」
「でしょぉ?」
前は毎日顔を合わせていたお兄様と週一しか会えないのは残念だけど、でも、こうしてルルとずっと二人で過ごせるのは幸せだ。
リニアさんやメルティさんには「時には外に出てください」と言われるが。
ずっと、ずっと、それこそルルと出会った時から思い描いていた未来だったから。
お兄様は毎週、王城であったことを教えてくれる。
世情に疎くならないようにという配慮らしい。
……疎くなっても平気だと思うけどね。
お兄様なりに心配してくれているのだろう。
「そういえば、エカチェリーナがもう新婚旅行の話をしていてな。まだ結婚まで一年半もあるのに気が早いと思わないか? リュシエンヌ達だって結婚後、落ち着いてから行っただろう?」
お兄様の言葉にルルがピタッと止まった。
途切れた会話にお兄様が「まさか……」と呟く。
「お前達、行ってないのか?」
……行ってない。
ちなみにわたしが結婚後に外に出たのは、ルルが闇ギルドのランキング戦に出た時だけだ。
それだって夜の本当に短い時間だった。
婚前旅行として夏期休暇にクリューガー公爵領に遊びに行ったので、新婚旅行なんて気にしていなかった。
別に旅行に行かなくても不満はない。
お屋敷も庭も広くて圧迫感はないし、毎日ルルと一緒にいられるし、食べたいものを食べて、やりたいことをやって、充分だった。
でも、お兄様はそうではないようだ。
視線を逸らしたルルをお兄様が睨む。
「ルフェーヴル、それは流石にどうかと思うぞ。お前は誰か、挨拶に行くべき相手はいないのか? リュシエンヌの方は私達だからいいが、お前にも誰か親しい間柄の者が一人くらいはいるだろう?」
それにルルが黙ったまま首を捻った。
……うーん、ルル、暗殺者だもんね。
闇ギルドの親しい人にはランキング戦で会っているし、それ以外のルルの親しい人というのは少なそうだ。
しかもルルが生まれた高級娼館はルルとわたしが婚約した時くらいに潰れたそうで、もうルルは帰る場所もないらしい。
闇ギルドにルル専用の部屋があると聞いたことはあるものの、わたしと出会ってからはそこは全く使っていないのだとか。
ルルの母親はルルが生まれてすぐに亡くなった。
そういう点ではわたしもルルも似ている。
そこで、ふと思う。
「ねえ、ルル。ルルのお師匠様は?」
以前ルルが自分の過去について話してくれた時に、暗殺の師匠のこともあった。
ルルの両親に挨拶をすることは出来ないけれど、その人なら良いのではないだろうか。
お師匠様には会ってみたいと思っていた。
もしかしたら子供の頃のルルの話がもっと色々と聞けるかもしれない。
珍しくルルが嫌そうな顔をした。
「ええ〜、あのくそジジイ?」
通信具の向こうでお兄様が興味深そうな顔をする。
「なんだ、そういう相手がいるなら挨拶をしに行くべきだ。なあ、リュシエンヌ?」
わたしの気持ちを読んだようにお兄様に言われて、頷き返した。
「うん、わたしもルルのお師匠様に挨拶に行きたいな。だってルルを育ててくれた人でしょ?」
「育てたって言うかぁ、鍛えられたって言うかぁ。ほんとくそジジイだよぉ? 何回殺そうとしたか分かんないくらぁい。……全部避けられたけど」
わたしに抱き着いたままルルが顔を顰める。
お兄様が若干身を引いた。
「師匠だろう?」
「そうだけどぉ、ほんと容赦なかったんだよぉ」
「お前以上に?」
「オレ以上に〜」
お兄様が「そうなのか……」と黙った。
ルルは結構容赦ないので、そのルル以上となると正直に言って想像がつかない。
……でもルルは基本嘘吐かないしなぁ。
「えっと、そんなに会いたくないの?」
ルルの頭に手を伸ばして、よしよしと撫でる。
素直にそれを受け入れてくれるルルがかわいい。
ふわふわの少し癖のある髪は触り心地が良くて、形の良いルルの頭はまあるい。
わたしの手にルルが擦り寄ってくる。
「んー……、会いたくないってほどでもないけどさぁ、会ったら絶対こき使われると思うんだよねぇ。リュシーはそんなに会いたいのぉ?」
「うん、会いたい。だってお師匠様がルルを鍛えてくれたおかげで、ルルはこうして今まで生きてきてくれたんだもん」
「そっかぁ」
ルルが考えるように一瞬黙って、そして頷いた。
「会いに行こっかぁ」
ふ、とルルが小さく息を吐く。
もう一度ルルの頭を撫でて、頬にキスをする。
「我が儘聞いてくれてありがとう、ルル」
「どういたしましてぇ」
お返しにルルからも頬にキスをされた。
お兄様が魔道具越しに呆れた顔をしている。
でもこれくらい、当たり前なんだけどな。
「お前の師匠はどこに住んでるんだ?」
お兄様の問いにルルが答える。
「国の東にある森だねぇ」
「曖昧だな。どこの森だ?」
「秘密〜。あっちも暗殺者だからさぁ、どこで暮らしてるかっていうのは基本的に他言禁止なんだよぉ」
なるほど、とわたしもお兄様も納得する。
暗殺の師も暗殺者というのは当然だろう。
「住んでる場所が変わってなければ、何度か転移魔法使えば行ける距離だよぉ」
ルルは転移魔法がお気に入りらしい。
王都へお兄様やお父様への手紙を持って行ってもらうこともあるのだが、そういう時は大抵、転移魔法で移動しているようだ。
暗殺者が転移魔法を使えるというのは更に最強になった感じがする。
ルルはただでさえ全属性持ちなのに。
わたしに与えられた女神様の加護の影響で身体能力も魔力値も上がったそうなので、本当に向かうところ敵なし状態なのだ。
そのルルが会うのを躊躇う人……。
会ってみたいという好奇心もある。
お兄様が何かに気付いたようにこちらを見る。
「そうだ、どうせ東に行くならクリューガー公爵領に寄って行ったらどうだ? 新婚旅行らしくなるぞ」
夏期休暇のことを思い出す。
あの時は王女として行ったので護衛がいたり、行ける場所が限られたりしていたけれど、今はあくまで子爵夫人なのであの時に比べたら動きやすい。
ルルに瞳の色を変えてもらえば目立たないだろう。
……ルルは嫌じゃないかな?
見上げれば、ルルが仕方ないなあという顔をしていた。
「行きたい?」
ルルに訊かれる。
「行きたい。今度は一般人として街を楽しんでみたいなあ。腕を組みながら街を歩くの」
「じゃあクリューガー公爵領で何日か滞在してぇ、それから師匠のとこに行こっかぁ」
「やった、旅行楽しみ!」
ルルにギュッと抱き着けば、抱き返される。
お兄様が魔道具の向こうで小さく息を吐く。
「エカチェリーナには私からも言っておくが、リュシエンヌもエカチェリーナとクリューガー公爵に手紙を出しておいた方がいい」
「はい、そうします」
「何はともあれ、楽しい新婚旅行になるといいな」
その後はわたし達の方の話を少しして通信を切った。
ソファーでゴロゴロしながらも、つい口元がニヤついてしまう。
……新婚旅行かあ。
もう既に夫婦になって半年と少し経つものの、やっぱり、自分で夫婦と思うのと、他の人から言われるのでは感じ方が違う。
ルルはたまにわたしのことを「オレの奥さん」って呼ぶことがある。
嬉しくて、少し照れくさくて、幸せな気分になる。
わたしもルルを「わたしの旦那様」って呼ぶことがあるけれど、普段はあんまり呼べない。
呼ぶとスイッチが入っちゃうから。
「旅の準備をしてもらわないとねぇ」
ルルの言葉に頷いた。
リニアさんやメルティさん、ヴィエラさんには手間をかけさせてしまって申し訳ないけれど。
……でも逆に嬉々としてやってくれるかも?
わたしが外に出ないこと、特にリニアさんは凄く気にしていたから、新婚旅行に行くと言ったらすぐに準備してくれそうな気もする。
「そうだね」
今生二度目の旅行である。
ルルのお師匠様と会うのも楽しみだ。
* * * * *
新婚旅行が嬉しいのか、ここ数日、リュシエンヌの機嫌が非常に良い。
元より機嫌の悪い時など見たことがないが。
正確に言えば、新婚旅行というよりかは、ルフェーヴルの師匠に会うことが楽しみのようだ。
……くそジジイに会っても何も面白くはないと思うんだけどねぇ。
ルフェーヴルの暗殺の師は穏やかというか、物静かな人で、普段はわりと無口な人でもあった。
しかも自分のことについて全く語らないため、弟子であるルフェーヴルでさえ、師匠が一体どのような人生を歩んできたのか、何故暗殺者になったのかも知らない。
しかし暗殺の師としてはそれなりに尊敬している。
師から教わったことは今でも活かされているし、容赦のない教育のおかげで生き延びた場面も何度かあった。
ルフェーヴル自身、師を真似ている部分が多い。
思えば、この喋り方も師が「柔らかい口調は人の警戒心を低くする」というので、師の穏やかな口調を子供ながらに真似し始めて身についたもので、いつしかそれが当たり前になった。
他にも色々と真似ているが、もう、自分ではどこを真似たのか分からない。
それくらい、師はルフェーヴルに影響を与えた。
これほどルフェーヴルに影響を与えた人物は、リュシエンヌを除けば師匠だけである。
ただ、結婚の報告をする相手としてはどうかと思う。
……多分、くそジジイの方もオレの結婚には興味ないと思うんだけどなぁ。
かつてのルフェーヴルがそうであったように、ルフェーヴルが結婚しても「そうなのか」くらいの感覚なのではないだろうか。
それでもリュシエンヌが会いたいと言うなら会わせるが。
「……何年ぶりだっけ?」
そういえばもう随分と顔を合わせていない。
闇ギルドに引き渡された時以来かもしれない。
きっと師もかなり老けたはずだ。
「まあ、死ぬ前に一回くらいは顔見せておくのも悪くないかぁ」
最後の方は「もう教えることはない」と闇ギルドに引き渡すように放り出されたが、それでも技術を継承してくれたことには感謝している。
その教え方にはかなり問題はあったが。
これは良い機会なのかもしれない。
リュシエンヌに呼ばれる声がして、ルフェーヴルは立ち上がる。
あまり認めたくはないが、親のような人間と言われた時にとっさに頭に思い浮かんだのは師匠だった。
……父親というより、じいさんだけど。
ルフェーヴルの実父は生きているが関わりを断っているし、関わりたいとも思っていないし、リュシエンヌと婚約した時に自分に関わるなと脅しもかけた。
母に種をくれたことは感謝しているが、それだけだ。
それよりも生きる術を叩き込んでくれた師匠の方が、まだ父親らしいと思える。
「……絶対言わないけどね」
もう一度聞こえた声にルフェーヴルも返事をする。
「リュシー、今行くよぉ」
今更、アンタはオレの父親だ、なんて気恥ずかしいだけだ。
それにあの師匠のことだから、そんなことを言おうものなら「成長したな」とか言われそうで嫌だ。
そういうのは柄じゃない。
「ねえ、ルル、お師匠様へのお土産は何がいいと思う? やっぱり王都で買うべきかな? 食べ物は避けたほうがいいよね? あ、お師匠様は好きなものとかある?」
妻に抱き着かれてルフェーヴルは笑う。
「土産はオレが選んでおくよぉ」
弟子であるルフェーヴルですら、師の好きなものは知らなかったが、適当に買っていっても恐らく受け取ってくれるだろう。
リュシエンヌと出会ってから、ルフェーヴルの周りには人が増えた。
リュシエンヌにアリスティード、ベルナール、リュシエンヌの侍女達に、疎遠だった兄弟弟子、使用人達。
出会う前までは想像もしていなかった人生だ。
気配を隠してひっそりと生きていたあの頃が少し懐かしいが、それでも、戻りたいとは思わない。
幸福の味を知ってしまったから。
「リュシー」
ギュッとリュシエンヌを抱き締める。
「なあに、ルル?」
暗殺者の腕の中で幸せそうに微笑む妻が、ただただ愛しかった。
「オレと結婚してくれて、ありがとうねぇ」