作品タイトル不明
第104話 もう僕がいなくても
「│ 崩界轟雷(デストラクション・ヴォルテックス) !!」
ユフィの手に密集する、ありえない密度の魔力。
燃え立つような赤、澄み切った青、聖光を帯びた白、深淵のような黒――属性の異なる魔力が渦を巻き、螺旋状にねじれながら一点へと収束していく。
周囲の空気が焼け、視界が揺れ、気圧さえも歪む。
空に緊張が走り、鳥は飛び去り、海の生き物たちは一斉に姿を消した。
まるで天災が訪れる直前の静寂が、世界そのものを支配していた。
海上の一角、ドラゴンとグランヴェルムを映した海面だけが、不気味なほどに静まり返っている。
空も風も、まるでこの一瞬を見届けようと、息を殺していた。
「――いっっっけえええええええええええええええええええええええッ!!」
ユフィの叫びが、空を裂いた。
その手から放たれた魔法は、神話の災厄そのものだった。
天を貫く雷柱が大気を引き裂き、四方八方へと無数の雷撃が放射された。
閃光とともに炸裂する衝撃波が地鳴りのような音を響かせ、広範囲にわたる海面が一瞬で蒸発し、巨大な水柱が空を目指して立ち昇る。
その中心には、濃縮された魔力が渦を巻いて回転し、周囲のあらゆる物質を引き寄せ、粉砕し、跡形もなく消し去っていった。
直撃を受けた魔人グランヴェルムの巨体がその瞬間、文字通り吹き飛んだ。
──肉が裂け、骨が砕け、再生も追いつかない速度で全身が滅びていく。
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォッッ!!!!???」
断末魔の咆哮が空へ響くも、それすら雷鳴にかき消される。
彼の姿は魔力の奔流に呑まれ、爆煙の渦に包まれて完全に視界から消えた。
海面は抉り取られ、中心には巨大なクレーターのような空間がぽっかりと開き、水は四方へ逃げ出し、数秒間だけ海が存在しない空白が現出していた。
一方、近くにいたドラゴンはというと――。
「あちちちちちちちちちち!! あちちちち!! 火事じゃ火事じゃああああッッ!!!」
ユフィの超火力魔法にまんまと巻き込まれ、翼の先から背中、さらには鱗の隙間まで真っ黒に焦がされ、見事な火だるま状態。
口からは黒煙を吐きながら、空中をぐるぐる旋回。
ドラゴンの姿は焼き鳥の一歩手前だった。
「ドラゴンさん、今すぐ鎮火しますから、止まってください!!」
「飛んだら落ちるじゃろうが!」
ユフィがすかさず叫ぶと、ドラゴンが秒で突っ込む。
「もうっ、仕方がないですね!」
そう言ってユフィは両手に魔力を集中させた。
「│ 奔流大瀑布(フラッド・バスター) !!」
突如として、上空に巨大な水の魔法陣が出現した。
轟音とともに魔力が渦を巻き、水の塊が瞬く間に形成されていく。
次の瞬間、滝のような奔流がまるで天の水瓶が傾いたかのように、燃え盛るドラゴンの上に容赦なく降り注いだ。
どしゃああああああああっっっっ!!
重く冷たい水が、怒涛の勢いでドラゴンを直撃する。
全身を覆っていた炎が、じゅっ!! という凄まじい音とともに、一気に鎮火された。
水しぶきが何十メートルも空へ跳ね上がり、辺りは蒸気の白煙に包まれる。
『ぶはっ!? ぬ、ぬぉぉぉぉっ!? な、なにごとじゃあああああッ!? 溺れるっ、溺れるうううっ!!』
羽根の隙間に入り込んだ水がしゅうしゅうと音を立て、鱗の焦げつきが流されていく。
まるで火のついたマッチを水に突っ込んだように、全身から立ち昇っていた煙もみるみる鎮まり、黒焦げの身体がびしょ濡れになって砂浜へと墜落した。
ユフィもその後を追って砂浜へと着地する。
先に駆け寄ってきたのは、エリーナだった。
「ユフィちゃん! 大丈夫!?」
「はい! なんとか無事に魔人を倒すことができました!」
ユフィが胸を張るのと同時に、ライルが少し遅れて駆け寄ってくる。
「よくやった、ユフィ。無事で何よりだ」
「えへへ……それほどでも……」
褒められて口がニヤけるユフィだったが。
「無事じゃないわ!! わしはこの通り、真っ黒焦げじゃ!!」
砂に突っ伏していたドラゴンが顔を上げて怒鳴った。
その姿は、もはや香ばしく炙られたという表現がぴったりで、全身の鱗はところどころ焦げ落ち、翼の膜は破れてちりちりに焼けている。
なんともグロテスクな光景にユフィは思わず「うわぁ……」とドン引き顔をして言った。
「ちょっと向こうのほうに行ってくれませんか? 吐きそうになるので……うっぷ……」
「お主、協力した仲間に向かってなかなか辛辣じゃのう?」
深々とため息をつくドラゴンの前に、エリーナが出て言った。
「ちょっと待ってね。回復魔法を使うわ」
エリーナは手のひらをかざし、淡い光をその掌に灯す。
「──癒しの力よ」
魔法の詠唱と共に、風に乗って野花のようなやさしい香りが広がる。
神々しい光がふわりと降り注ぎ、焼け爛れたドラゴンの身体を包み込んだ。
「ぬ、ぬお……? こ、これは……?」
みるみるうちに鱗が再生し、焦げた皮膚がなめらかに修復されていく。
驚いたように目をぱちくりとさせるドラゴンが、やがて戸惑いを滲ませながら問いかけた。
「うん、これでよし。目立つ外傷は無くなったわね」
「流石じゃのう。じゃが……」
スッと目を細めてドラゴンは言う。
「魔物を回復するなんて、いいのか? わしは、おぬしらに敵対する種族じゃぞ」
その問いに、エリーナはまっすぐに微笑んで答えた。
「でも、あなたは私たちのために戦ってくれた。何度も空を飛んで、ユフィちゃんとゴボウを運んでくれて……炎の中でも逃げずにそこにいた。だから、あなたは味方よ」
ドラゴンは一瞬だけ、黙った。
その表情はどこか気恥ずかしげだった。鼻先を小さくくゆらせ、視線をそらす。
「……ふん、煽てても、人類の味方になるつもりは――」
「それに……」
ぶっきらぼうに言いかけたその言葉を、エリーナが遮る。
彼女は微笑みを崩さぬまま、さらりと続けた。
「ユフィちゃんのゲロを砂浜に吐かせるなんて勿体無いわ」
「さっきから本当に何を言ってるんですか!?」
気のせいだろうか。
エリーナがボソリと「ユフィちゃんの体液は全部私のものよ……」と呟いたような気がしたのは。
「それで、我はこれからどうすればよいんじゃ?」
焼け焦げていた身体が戻り、いくぶん調子も出てきたのか、首をぐるりと回しながらドラゴンが尋ねる。
「あ、もう用は終わったので帰っていいですよ」
「お主、本当にドラゴン使いが荒いのう……」
しょんぼりと肩(?)を落とす巨大な身体。
全身から妙な哀愁が立ち昇っているのが、視覚的にわかるほどだ。
「やれやれ……じゃあ我は帰るとするか。ほとほと疲れたわい……」
大仰にため息をついたドラゴンは、ばさりと翼を広げようとした――が。
「……ぐっ!? う、うう……羽が……!? 動かん……!!」
苦悶に顔をしかめるドラゴン。
その巨大な翼の膜は、まだ焦げ跡が残り、穴もいくつか空いたままだった。
皮膜が張りきらず、翼として機能していない。
「やっぱり……人間の回復魔法じゃ、魔物の翼までは完全に戻せないのかもな」
ライルが腕を組んで唸るように言った。
実際、翼の端はちりちりと焼け残り、細かな神経や魔素の通り道が寸断されたままらしい。
「これじゃ、しばらく空は飛べんのう……」
がっくりと地面に伏せたドラゴンは、灰色の溜め息を鼻先から吐き出す。
そんな中、ユフィがライルに尋ねた。
「ライル君、エルドラ地方ってどの方向でしたっけ?」
「ああ、そっちだよ」
ライルが指差した先を見て、ユフィはぱっと表情を明るくした。
「なるほど、ありがとうございます!」
「お、おい。ちょっと待てお主、まさか……」
ドラゴンがその不穏な空気に気づいた時には、すでに遅かった。
ユフィが深呼吸すると同時に突風が地を穿ち、竜の身体をすくい上げるように吹き上げた。
「ちょッッ!!!!? ストップ! それは流石に洒落になら……!!」
「│ 風天昇槍(テンペスト・ランチャー) !!」
「ぬおあああああああああああああああああああああああああ!!」
ユフィが詠唱した途端、ドラゴンは渦巻く竜巻に飲み込まれ、白目を剥きながら超高速で空の彼方へと飛ばされていった。
そして次の瞬きの時には青空の彼方にきらーん☆ と軌跡だけ残してドラゴンはエルドラ地方に帰って(?)行ったのだった。
「ふう……これでよしっ!」
満足そうに両手をパンパンと叩くユフィ。
「凄まじい力技を見た気がする……」
「ふふっ、さすがねユフィちゃん」
こうしてグランヴェルムは討伐され、クーグル島には平和が訪れた。
その一部始終を見届けていたザイン。
彼はまるで何かを確信したような顔で、ユフィをじっと見つめていたのだった。
◇◇◇
魔法学園、学園寮。
「帰ってきたー!!」
勢いよく扉を開けて飛び込んできたユフィは、そのままベッドへ一直線にダイブした。
「ふわぁぁ……このもふもふ、最高……」
顔を埋め、両腕で抱きしめるようにしてシーツをぎゅうっと抱きしめる。
柔らかな寝具の感触に、頬をすりすりと擦りつけるその姿は、まさに幸せそうそのものだった。
「ああ……この匂い……懐かしい……」
ごろごろと寝返りを打ちながら、ユフィは深く息を吸い込む。
ほんのりと干した太陽の香りが混じるリネン、木のぬくもりのある天井、窓から吹き込む爽やかな風――そのすべてが、「帰ってきた」ことを実感させてくれた。
思えば、数日間とはいえ、これほど長く寮を離れていたのは初めてだった。
「……私、ほんとに帰ってきたんだよね」
ぽつりと、ユフィが呟く。ベッドに突っ伏したまま、その背中はどこか安堵に緩んでいた。
その時、のんきな鳴き声が部屋に響いた。
「にゃーん」
もふもふとした黒猫が、ぽてぽてと奥から歩いてくる。
小さな足音と、ふわふわの尻尾を揺らしながら、まっすぐにユフィのもとへ向かってきた。
「ただいま〜〜シンユ〜〜っ!」
ユフィはベッドに突っ伏したまま声を上げる。
シンユーもベッドの上に飛んできて、くるくると身体を巻きつけるようにしてユフィの顔の周りを歩いた。
数日間もユフィが不在だったのが寂しかったのか、尻尾をぴんと立て、甘えるように喉を鳴らしている。
ちなみにユフィの留守中、シンユーの世話をしていたのは隣部屋に住むキャサリンだった。
見かけによらずおせっかいな気質の彼女は、食事の用意も抜かりなく、シンユーの毛並みの手入れまでしてくれていたらしい。
「今度ちゃんとお礼しなきゃ。ごぼう持って行かないと……」
キャサリンはユフィが持参したゴボウのファンの一人だ。
美味しい美味しいとごぼうを絶賛してくれる彼女を見ていると、自分の自己肯定感も上がるような感覚になって大変よろしである。
『随分と長くいなかったねえ〜』
まるで猫が喋っているかのような声が、ユフィの頭の中に響いた。
もちろん、実際に猫が喋っているわけではない。
この黒猫・シンユーは、ユフィのイマジナリーフレンドだ。
ユフィの精神を安定させるための存在。
ユフィにとっては大切な心の拠り所であり、今でもこうして彼女の心に寄り添ってくれている。
「いろいろ大変だったのー、聞いてほしいー!」
「うんうん、聞いてあげるよ」
ユフィはすとんとベッドの上に座り込み、シンユーを膝に乗せながら、クーグル島での激闘の顛末を語り始めた。
――ここ数日の出来事は、あまりに濃密で、あまりに壮絶だった。
思い返せば、すべての始まりは王城への突然の呼び出しだった。
緊張しながら王城へ赴いたユフィは、つい攻撃魔法の出力を間違えてうっかり部屋の壁に大穴を空けてしまって――そこから王国の要人たちに囲まれ、「なぜ攻撃魔法が使えるのか」と厳しく追及されることになってしまった。
本来であれば、王国直属の研究機関に実験材料として送られてもおかしくなかった。
だが、王族や高官たちはユフィの力を「制御不能な爆弾」と判断し、その暴発を恐れたのか、代わりに課題という名目の任務を与えてきた。
クーグル島の解放。
こうして彼女は船に揺られ、人生初の船旅で人生初の船酔いにのたうち回り、その果てにドラゴンをエルドラ地方から引っ張ってきて共闘し、そしてグランヴェルムを討ち果たした。
まさに、次から次へと押し寄せる激流。普通の学生なら一生経験しないような日々だった。
だが、すべては終わった。
島に閉じ込められていた人々は全員救出され、クーグル島は再び人類の領域へと戻った――少なくともこれからゆっくりと秩序が取り戻されていくはずだ。
ユフィが巻き起こした数々の騒動と戦果は、彼女自身の口からではなく、同行していたザインの報告によって王城へと伝えられた。
その内容、ドラゴンを従え、魔人グランヴェルムを単独で消し飛ばしたという陳述に、王城の重鎮たちは口を揃えてこう判断したのだろう。
「ユフィ・アビシャスを刺激するのは、極めて危険である」
そのため、ユフィは学園へ戻ることは許可されたものの、引き続き経過観察として扱われ、今後も人前で攻撃魔法を使用することは厳しく禁じられた。
こうしてユフィは学園生活へ戻ることを許されたのだった。
『いろいろ大変だったねえ〜〜』
ことの顛末を話し終えたユフィに、シンユーが労わるように言った。
ユフィはごろんと横になったまま力なく応える。
「そうなんだよ〜〜……すっごく疲れたの……」
王城での尋問は、まるで、透明な壁の中に閉じ込められてじわじわと酸素を抜かれるような苦しさだった。
「しかもさあ……人生で初めて船に乗ったら、酔って死ぬかと思ったの……もう、胃の中が何回表に出たか……」
ベッドの上でごろんごろんと転がりながら、シンユーの毛並みに顔を埋める。
くすぐったいほどの柔らかさとあたたかさに、心の底から安心感がこみ上げてきた。
「グランヴェルムとの戦いとか、ドラゴンとか? あれはぜんっぜん平気だったんだけど……うう……王城と船のほうが断然つらかった……」
ユフィはふぅ、と大きく息を吐くと、シンユーにほおずりをしながら囁いた。
「シンユーのもふもふは、癒し……世界一の癒し……」
『ふふん、もっと褒めてもいいんだよ〜』
シンユーはふふんと、自慢げに鼻を鳴らす。
「でも、ライル君とエリーナちゃんと遠出できたのはすっごく楽しかったな〜」
ばっ、と顔を上げるユフィの瞳は、ぱあっと花が咲いたように輝いていた。
「ライル君はさ〜〜、相変わらずかっこいいし、頼り甲斐があるし、グランヴェルムを倒す案を考えてくれた時はほんとカッコよかった!」
両手をばたばたと振りながら、目を輝かせて語るその姿は、まるで給食で大好きなプリンが出た子供のようだった。
「エリーナちゃんもね! 船酔いした私を解放してくれるし、敵のはずのドラゴンの傷まで治してあげてて、本当に優しかったな……こんなに仲良くなれるとは思わなかった」
幸せそうに、心の底から楽しそうに語るユフィの様子を、シンユーは目を細めて見つめていた。
『ふふん……良い友達ができたんだねえ』
「うん!」
ユフィは満面の笑みを浮かべて頷いた。
その瞳に、一点の曇りもない。
しかしふと、シンユーの声が少しだけ寂しそうな色を帯びだ。
『……もう僕がいなくても、大丈夫そうだね』
その言葉は、やけに静かで、やけに重たくて。
ユフィの目が、はっとして見開かれた。
「ううん、いなくなっちゃダメだよ」
そっとシンユーを抱き寄せる。
両腕の中にすっぽりと収まったシンユーを、優しく、しかし強く抱きしめながら。
「シンユーも、私の大事な友達なんだから」
少しの沈黙が流れる。
ユフィの胸の中で、シンユーがわずかに身じろぎした。
『……そっかー』
ころん、と転がるようにして姿勢を変えたシンユーは、ゴロゴロと喉を鳴らし始めた。
『それは嬉しいねえ〜〜』
その音は風鈴のように柔らかく、温かく、部屋の中を満たすのだった。
◇◇◇
王都の中心地。
街のどこからでもその荘厳な姿を望むことができる、巨大な大理石造りの建造物。
それが、バレンシア教の総本山にして、王国最大の信仰の象徴である「聖浄の大教会」である。
真っ白な尖塔が天に突き立ち、光を反射する大窓には精緻なステンドグラスがはめ込まれている。
その一枚一枚に、古の聖人や天使たちの姿が描かれており、光が差し込むたびに、まるで神の祝福が地上へ降り注ぐかのような神々しさを放つ。
そんな教会の中心部、大聖堂。
無数の蝋燭の炎が静かに揺れ、天井高くまで響く聖歌が空気そのものを清めるかのように満ちていた。
そこにいるのは二人の男。
一人は深紅の法衣に金の縁取りを施した威厳ある姿の老齢の司祭――バレンシア教団の枢機卿、ヘルベルト・マルシリウス。
教義に絶対の忠誠を誓い、その信念で数々の異端を粛清してきた、バレンシア教の鉄の意志を体現する存在である。
もう一人は、黒の旅装に身を包んだ男。沈着な眼差しを宿す監査長、ザイン。
バレンシア教団の調査と監察を担う実力者である。
「──以上が、私の見てきたユフィ・アビシャスについての全てです」
広く荘厳な空間に、ザインの報告が静かに響いた。
ドラゴンとの共闘。
グランヴェルムの討伐。
人々の救出。
そして何より、ユフィという少女の人間性――精神的に不安な部分はあるが、己を顧みずに他者のために動ける真っ直ぐな心。
ザインはそのすべてを、主観を交えず淡々と語り切った。
「……彼女は人類の敵ではありません。むしろ、希望です。経過観察は妥当と判断します」
その言葉は、決して感情に流されたものではなかった。
ザインの声は静かだが、確かな意志を宿していた。
彼はクーグル島での一部始終を、現地で見届けてきた。
ユフィ・アビシャスというがどのような手段で島を解放したのか。
その全てを目の当たりにしてきた者の、重みある結論だった。
「彼女は制御不能な力を振るっているわけではありません。むしろ、自身の存在が周囲にどれほどの影響を及ぼすかを理解したうえで、人々に危害が及ばぬよう、敵を排除しました。……あの場にいた誰もが、彼女に救われたのです」
「……そうか」
ヘルベルトはにこりと、ザインの言葉に対して微笑みを浮かべた。
だがその瞬間、大聖堂の空気が凍りつく。
祈りの場にあるまじき、張り詰めた緊張が場を覆った。
――ぱしんっ!
乾いた音が、厳かな静寂を鋭く裂いた。
次の瞬間、ザインの頬に鋭い衝撃が走る。
視界がぶれ、一歩よろけて片膝をつきそうになる。
聖堂の白い大理石の床に、黒いローブの裾がかすめた。
「……何を見てきたのだ、お前は?」
威圧するような声が、聖堂の石壁に深く響いた。
「は……?」
ザインが状況を理解しきれず、困惑の表情を浮かべる。ヘルベルトは構わず続けた。
「女でありながら攻撃魔法を行使するなど、神の意志に反する。いかなる理由があろうとも、その存在は教義の根幹を揺るがす異端だ」
その声は激情というより、信念の重さを突きつけるものだった。
まるでそれが、天地創造の初めから定められた絶対的な掟であるかのように、揺らぎは一切ない。
「ユフィ・アビシャスという少女の存在は、人間が本来踏み越えてはならぬ禁忌そのもの。彼女がこの世に在る限り、神の秩序は乱れ、我らの教義は失墜する」
ヘルベルトの言葉は、あたかもバレンシア教会全体を代表する声のように響いた。
だがザインは、その実態を見誤らなかった。
──これは、教会本来の理念ではない。
バレンシア教は本来、神から授かった命をすべて等しく尊び、自然と人の調和を目指す教義を根幹としている。
暴力や偏見からの解放、共存と共生の思想こそが、多くの信徒たちの信仰の核だ。
だが、ヘルベルトは違った。
彼はその教義の一部を、自らの解釈で過激に拡大させた原理派の一人だった。
彼らは教義の名の下に、異端を排し、教義の純粋性を保つことを正義と信じている。
そして攻撃魔法は男のみが授かる神の恩寵という、特に保守的な解釈を絶対視するのだ。
ザインは、ヘルベルトの真意をようやく悟った。
――ユフィ・アビシャスの価値など、初めから問題ではない。
彼女がどれほどの魔力を持ち、どれだけ人々を救ったとしても、それは彼の価値基準には一切関与しない。
むしろその力が女という存在に宿ったことこそが、彼にとっては最も許されざる異端だった。
神が定めたとされる摂理に背く者を、この世界に許してはならない。
それがヘルベルトの信仰であり、狂信の根。
たとえどれほどの功績を積もうとも、その者が神の理に背いていると見なされるなら。
その存在をこの世から消し去ることこそが、彼の信ずる教会の正義だったのだ。
「……つまり、あなたはユフィ・アビシャスの有用性を一切考慮せず、その存在をこの世から消し去ろうとしている……そういうことですね」
声音を低く抑えながら、ザインは苦いものを飲み下すように言った。
額に滲んだ冷や汗が、首筋を伝って大理石の床に落ちる。
「お言葉ですが……それは、現実的ではありません」
正面から目を逸らさぬまま、呻くように続ける。
「ユフィ・アビシャスを抹殺することは、もはや不可能です」
あの力は、異常だ。
単独で魔人を撃破する人間など、有史以来一人も存在しない。
王城の重鎮たちですら手を出せず、ただ刺激しないという選択をしたほど。
「あの少女は、もはや一国の意志ではどうにもできない領域に足を踏み入れています。力の次元が……違うのです」
ヘルベルトは無言のまま、ザインをじっと見下ろしていた。表情に変化はない。
ただ、その瞳の奥に何かがじわじわと燃え上がるような気配がある。
「……人間、誰しも大切な者の一人や二人は、いるものだろう」
何気ない一言のように放たれたその言葉に、ザインの心臓がひどく脈打った。
体の芯が、凍りつく。
「まさか……」
問いかける声は、かすれ、震えていた。
だが、ヘルベルトは答えなかった。
ゆっくりと顔を上げ、大聖堂の高い天井を見上げる。
そこには、聖女が神の御手を仰ぐ姿を描いた巨大なステンドグラスがあり、午後の陽光を受けて、七色の光が静かに降り注いでいた。
その光の下で、ヘルベルトはわずかに、唇の端を吊り上げた。
「誰かを愛するというのは、実に愚かなことだな。弱点を、自ら晒すのだから」
それは慈悲でもなければ、祝福でもない。
断罪を告げる神の使徒が浮かべる、冷酷な微笑だった。
ザインは、その無言の宣告を受け止めるしかなかった。
◇◇◇
グランヴェルム討伐の翌朝。
ユフィは制服のスカートをはためかせながら、久しぶりに教室に足を踏み入れた。
ユフィにとっては楽しみにしていた久しぶりの登校だった、なのに……。
(ひ、ひいいいい……!! すっごく注目されてる……!!)
じいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃ〜〜〜〜。
明らかに感じる、周囲の視線の圧力。
筆記用具を出すだけで手元が震えていた。
(な、なんで!? 私、何かやったっけ……?)
視線の主を確かめようと、ちらりと顔を上げてみる・
しかし目が合いそうになると皆、あわてて視線を逸らす。
聞こえるのはひそひそとした囁きと、気まずそうな沈黙。
(クーグル島で魔人を倒したことは皆にはバレてないはず……!! なのになんで……)
そんな風に思考を巡らせていた時。
教室の前のほう、ひそひそと会話する男子生徒たちの会話が耳に入った。
「なあ、知ってる? 軍務大臣のザックスが、先週ここに来たんだぜ」
「え、ザックス様に!? うそ、マジで?」
「で、ユフィを王城に連行していったらしい」
「ユフィを王城に……? おいおい、あいつまた何かやらかしたのか?」
その会話の最後とともに、ちらりとユフィの方に視線が向けられた。
(それだああああああああぁぁぁぁぁ!!)
脳裏にフラッシュバックする記憶。
軍務大臣ザックスが学園に現れ、そのまま王城へと連れて行かれた光景。
(私……国家規模でやらかしたヤツ扱いされてる!?)
冷や汗がどっと吹き出す。
机に肘をついてうなだれると、なんとか深呼吸を繰り返した。
(お、落ち着いてユフィ……私は何もしてないわ、いやちょっと壁壊したけど……それ以外は……!)
うずくまってしまいそうになるその時、後ろから聞き慣れた声が届いた。
「おはよう、ユフィ。よく眠れた?」
ライルだった。
金色の髪を揺らし、いつもと変わらぬ穏やかな笑顔で彼がすっと隣に立つ。
その直後、軽やかな足音がもうひとつ。
「疲れてるだろうから、今日くらい休んでもよかったのに」
エリーナも、銀色に煌めく長い髪をたなびかせながら、ユフィに向かって微笑みかけてくる。
その瞬間、ユフィの硬直していた身体がふっとほぐれた。
皆に大注目を浴びて居心地の悪さが天元突破していた中、いつも通りに接してくれる二人のおかげでユフィの緊張が一気に解ける。
「あ……はい! もう、ぐっすりでした!」
背筋をしゃんと伸ばして、元気よく答える。
「でも、無理しないでね」
エリーナが耳を寄せてきて、ユフィにきた聞こえない声で案じる。
「魔神との戦いで、体力も魔力も、たくさん消耗してるでしょ」
「いえいえ……私みたいなあんぽんたんは一日でも学校を休んだら落第しちゃうので……」
ユフィがしょんぼり答えていると。
「よぉ、ユフィ」
少し遅れて、低めの男の声が聞こえた。
「あ、おはようございます、ジャックさん」
ジャックはいつも通り制服のボタンをはだけさせ、いかにも不良といった風貌だ。
ジャックもユフィの耳元に顔を寄せて小さく言葉を口にした。
「聞いたぜ。グランヴェルムの討伐のこと。大活躍だったらしいな」
ユフィは目を丸くして、照れくさそうに頬をかいた。
「そ、そんな! それほどでも……えへへ……」
頬が赤くなってしまうのを自覚しつつ、笑顔を浮かべるユフィ。
そんなユフィの笑顔を見たジャックはふいに顔をそらし、ぽつりと呟いた。
「……さすが、俺の惚れた──」
「え、なんて言いました?」
ぴた、と動きを止めたユフィが目をぱちくりさせて問い返す。
「いいや、なんでもねえ」
顔を逸らしたジャックは、ほんのりと耳を赤くしていた。
ユフィは頭の上に「?」を浮かべている。
そんな様子を背後からじぃっと見つめていたエリーナが、「ジャック君、やっぱり……?」パキ……ポキ……と腕を鳴らした。
静かな怒気が、彼女の周囲に微妙な振動として伝わってくる。
「安心して、ジャック君。少しだけ頭に衝撃を与えて、ユフィちゃんに関する記憶を消すだけだから」
「いやこえーよ! 何がお前をそんな怒りに染め上げてんだ!?」
「???」
二人のやりとりの意味が掴めず首を傾げるユフィだったが。
「それにしても、この状況をなんとかしないとね」
ライルがぽつりと呟いた。
目線の先では、ユフィへと向けられる、無数の警戒と興味の混じった視線。
「ただでさえユフィは目立つのに……これじゃ、落ち着いて授業どころじゃないだろう」
「あうう……そうですね、授業内容が耳に入ってこなくて落第のピンチです」
ユフィが大きく溜め息をついていると。
「大丈夫だ」
新たな声に振り向くと、そこにはジャックとは対照的にぴっしりと制服を着た男子生徒が立っていた。
「あらエドワード君、おはよう」
にこやかにエリーナが挨拶をする。
宰相の息子らしく、生真面目で冷静なエドワードはユフィを見たまま言う。
「……貴様には五月祭の時に助けられた恩がある。俺に任せろ」
そう言った後、エドワードは教室を見渡して言った。
「みんな、静かに」
その一言で、先ほどまで喧しかった教室がぴたりと静まり返った。
クラスの生徒委員長的ポジションの彼の言葉は、一瞬にして雑談を止める力があった。
まっすぐに眼鏡の奥から生徒たちを見据えると、エドワードは静かに口を開いた。
「ユフィ・アビシャスが王城に呼ばれた理由について、憶測が飛び交っているようだが……俺から、正式な情報を伝えておこう」
ユフィは「え、ちょっ……」と声をあげかけたが、彼の口調があまりに真面目なので、途中で押し黙ってしまった。
「彼女が王城に招かれたのは、ある特異な事例として、王国の魔術研究機関からの調査対象になったためだ」
その言葉に、生徒たちはいっせいに驚きのざわめきを見せた。
エドワードの次の言葉を聞き漏らさんと、皆固唾を飲んで見守っている。
エドワードは満を持したように言葉を放った。
「彼女は、女子かつ魔力を持ちながら、極めて稀な例として、回復魔法がほとんど使えない!」
「うぐっ!?」
ユフィの胸に、何か鋭利な刃物がぶっ刺さった。
「何度も訓練を行い、努力もしていたようだが、ほぼ成果が見られなかったと報告を受けている! その特異性に王国の機関が注目し、本人の同意のもと、ヒアリングと調査が実施された! 今回の件はその一環だ!」
「うぐぐっ!?」
再びユフィの胸に太い刃物がぶっ刺さる!
「なお、迎えに来たのは軍務大臣ガイオス様であるが……これは、たまたま息子であるジャックに別件の用事があって、学園に立ち寄られた際の“ついで”だった、とのことだ」
エドワードの説明に対する生徒たちの反応な次のようなものだった。
「ああ……そういうことだったのか」
「確かに、そういう研究も必要だよね……ユフィちゃん、本当に回復魔法が使えないし……」
「うん、納得した」
なぜか腑に落ちたようで、誰もユフィを疑いの目で見なくなっていた。
むしろ妙に納得している。
あと、ユフィに注がれていた視線が、可哀想な人を見るそれになっている。
結果的には沈静化したが、当のユフィは完全に崩れ落ちていた。
(確かに……確かに丸く収まったけど……!!)
「回復魔法がダメダメすぎて王城に呼び出しを食らった哀れな女子生徒」という不名誉すぎる称号を捧げられるのは不本意であった。
「流石エドワード、とんでもないでっち上げだけど、筋は通ってるね」
「ふっ……ナイスな言い訳だっただろう?」
感心するライルの一方、エドワードが満足げに呟き親指を立てる。
ユフィはぷるぷると震えながら、今自分の気持ちを最大限の声に乗せるのだった。
(全然良くな〜〜〜〜〜いっっ!!)
もちろん、教室で大声で叫ぶなんて勇気はユフィにないので、心の中だけで叫んで終了である。
その時、重く軋むドアの音とともに教室の空気が引き締まった。
足音が床を打ち、眼鏡をかけた初老の男性が入室する。
生徒たちにとってお馴染みの担任教師が、静かに教壇へと歩み寄る。
「席について。朝のホームルームを始めます」
その一言で、教室のざわめきはピタリと収まった。
ライルたちもそれぞれの席に戻り、着席する。
ユフィはずーんと重い気分ながらも、先生の話に耳を傾けた。
簡単な連絡事項が淡々と読み上げられ、進行していく。
今日は魔法薬学の補講が午後にあること、図書室の蔵書整理が明日から始まること、そして──。
「……最後に、遠足についての説明を始める」
その言葉が告げられた瞬間、ユフィの背筋がびくりと跳ねた。
(遠足……!?)
心臓が鈍く脈を打つ。呼吸が浅くなる。
体中の血の気が、サーッと音を立てて引いていくのを、彼女は確かに感じた。
「そういえば、そろそろ遠足の時期だったね」
「学期の中頃に大体あるのよねー」
隣の席では、ライルとエリーナが呑気に話している。
明らかに楽しみにしている様子で、軽やかに笑い合っていたが……。
(うごおおおおあああああああああああああああああああ!?)
静かに、だが激しく、ユフィは机に突っ伏しながら頭を抱える。
思い出してしまった。
かつてミリル村の教会で催された遠足。
春の草原に皆が輪になって楽しそうにお弁当を広げるなか、ひとりぽつんと取り残されていたユフィ。
声をかけてくれる子は誰もおらず、森の中に一人隠れて、目の前を行き来する蟻を無心に数えていた記憶を──。
「蟻さんが……987匹、988匹……」
「ユフィちゃん!? 大丈夫!? 口から魂出てるけど!?」
トラウマが呼び起こされて真っ白になっているユフィを、エリーナがさすっている。
ユフィの奇行はもはやおなじみの光景のため、先生の説明は淡々と続く。
「気になる遠足の場所だが──」