軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第102話 久しぶりの再会

風魔法を用いて、絶賛高空を高速移動中のユフィ。

制服の裾がたなびき、灰色の髪が風を受けて背後に流れる。

足元から吹き上がる風が推進力を生み、地面から数百メートル上空を、ほとんど音もなく疾駆していくその姿はまるで矢のごとく。

海を越え、雲を突き抜け、学園のある平野部をはるか後方に置き去りにした。

やがて見えてくるのは、切り立った崖と岩肌、針葉樹に覆われた斜面、そして薄く雪をかぶった峰々、エルドラの山脈だった。

──エルドラ地方。

それは王国の北端、険しい山々が連なる山岳地帯である。

断崖絶壁の峰々が幾重にも連なり、その奥には人の手の届かぬ森や洞窟が潜んでいる。

魔王領との境界線に近く、山肌には氷が張り付き、吹きすさぶ風には獣の遠吠えが混じる。

生半可な冒険者など到底踏み入れられぬ、魔物の密集地帯であった。

そんな場所に、ユフィはやってきていた。

「なつかしいなぁ……」

空中からその光景を見下ろし、ユフィは思わず目を細める。

ここは、彼女が幼少期から現在にかけて、攻撃魔法をこっそり練習していた場所。

村の周りで攻撃魔法の練習をしようものなら村ごと消し飛びかねない。

そう考えたユフィにとって唯一、誰にも怒られず思う存分ぶっ放せる秘密の特訓場だった。

「……あっ、あの木、私が黒焦げにしたやつだ。雷撃魔法の練習で、ちょっと力入れすぎちゃったんだよね」

ユフィが目を向けた先には、幹の途中から真っ黒に焼け落ちた巨木が立っている。

枝の先は今も枯れたままで、周囲の木々よりもどこか痛々しい姿をしている。

「あ、あの谷も……氷柱をばら撒いて、地面ツルツルにしちゃったことがあるなー。おかげで足滑らせて、思いっきり尻もちついたんだよね」

肩をすくめて笑いながら、ユフィは次々と過去の記憶を辿っていく。

「って、思い出に浸ってる場合じゃない! どっかにいるはずなんだけどな〜……」

飛行の速度を落とし、ユフィは上空で旋回しながらキョロキョロとあたりを見回す。

眼下に広がるのは濃緑の森林と灰色の岩肌。

ところどころに獣道のような筋が走っているが、ユフィが探しているのはそんなものではない。

「う〜ん……どこだどこだ……」

風を切りながら首を左右に傾け、空中をふわふわと滑空する。

そのときだった。

視界の端に、ふっと黒い影がよぎった。

まるで雲のように大きく、まるで鳥のように滑らか。

——いや、鳥にしては、でかすぎる。

「あ!! いた!!」

ユフィは目を輝かせ、両手で口元を覆うようにして叫んだ。

視界の果て、山脈の稜線に沿って、まるで夜そのものが滑空しているかのような巨大な影があった。

それは風を切って飛ぶというより、空間そのものを支配するような静謐さで、空に溶け込んでいる。

冷たい風が吹くたびに、鱗がきらりと陽光を反射し、鋼のような光を放つ。

広げた翼は雲を裂くほどに広大。尾は長くしなやかで、地面に打ちつければ森を薙ぎ払うであろう重量と威圧感がある。

頭部は鋭角的で威厳に満ち、黄金の双眸は知性を宿しながらも獣の本能を忘れていない。

首から背にかけては漆黒の│ 鬣(たてがみ) のような棘が走り、翼膜には古代文字のような紋様が自然に刻まれていた。

吐息だけで山を吹き飛ばすような、そんな錯覚すら覚える存在感。

──ドラゴン。

それは、あらゆる生物が束になってかかっても敵わぬ覇者の風格を持っていた。

危険度はAランク。

王国の一個旅団が束になってかからないと討伐できない強さだの魔物である。

ユフィは風を操って浮かびながら、その巨躯に優雅に並んだ。

ユフィの表情に緊張の色は見えず、あろうことか親しげに手を振った。

「こんにちは〜!」

ドラゴンが飛びながら、ちらりと視線をユフィへ向けたその瞬間、黄金の瞳が、ぎょっと大きく見開かれた。

「!?」

咄嗟に飛行軌道がぶれる。

ドラゴンは驚愕のあまり翼を一瞬ばたつかせた。

まるで「なんでお前がここに!?」と言いたげなリアクション。

ユフィはにこにこと笑みを浮かべたまま、風に乗ってぴたりとその隣をキープする。

「久しぶりですねぇ。元気にしてました?」

澄み渡る空の中で軽やかに響くユフィの声は、まるで久方ぶりに友人を見つけた少女のような、明るく無邪気なものだった。

だが、声をかけられたドラゴンの反応は正反対だった。

驚愕に目を見開き、続いてぐっと片目を細め、硬直したように翼の動きを止める。

その口元には、どう見ても困惑を押し隠しきれていない引きつった笑みが浮かんでいた。

空を支配する絶対的な存在であるはずのドラゴンが、明らかに狼狽している。

その様は滑稽ですらあるが、同時に、ユフィという存在がいかに異質であるかを際立たせていた。

次の瞬間。

「……っ!!」

ばさりと巨大な翼が大気を叩きつける。

重力を無視するかのような加速で、ドラゴンは反転すると空中を一気に逃走しはじめた。

「ちょっ、待ってください!!」

ユフィが慌てて叫び、空を蹴るようにしてその背を追う。

風魔法を駆使して、疾風のごとく飛翔する。

だが、相手は数百年の時を生きた空の覇者。

その飛行速度はまさに神速で、雲海を貫き、尾翼の軌跡で空を裂きながら、逃げる、逃げる、逃げまくった。

「ああもう、逃げ足は速いですね!」

容赦のない加速に舌を巻きつつも、ユフィはぴたりと背後に張りつく。

だが、距離は一向に縮まらない。やがて、ユフィの瞳にきらりと光が灯った。

「……これ以上逃げるというなら——!」

空気の流れが一瞬で変わる。彼女の魔力が収束し、大地から切り取ったような重厚な存在感が空間ににじみ出す。

「│ 岩石鎚衝(ストーン・ハンマー・インパクト) !!」

詠唱と同時に、ドラゴンの真上——青空にぽっかりと浮かぶ一点に、巨大な影が現れた。

それは、山脈ほどの大きさを誇る石造りのハンマーだった。

鋭く削られた槌頭に、精緻な魔力陣が浮かび上がり、大地の意志がそのまま具現化したかのような威容を持つ。

圧倒的な質量を誇るその武器が、ゆっくりと、だが確実に、ドラゴンの頭上へと振り下ろされ始めた。

『ちょっ!? 待って!? それは聞いてない!!』

ドラゴンの咆哮……いや、脳内に直接響くような声。

「ええっ!?」

明らかにその声の主がドラゴンであることに、今度はユフィが驚愕する。

瞬間、ドラゴンはききいっとブレーキをかけた。

直前まで猛スピードで飛行していたせいで、風の壁のような衝撃波がその周囲に広がり、空気がビリビリと震えた。

当然、ドラゴンを一直線に追っていたユフィは、止まりきれない。

「ちょ!? 急に止まらないでください!」

眼前に迫るのは、どこまでも広いドラゴンの鱗だらけの脇腹。

その表面に走る滑らかな鱗の模様と、空気のうねりすら感じられる距離感。

このままだとドラゴンの脇腹に頭だけ突き刺さってしまうのは明白だった。

「│ 水球(ウォーターボールッ) !!」

とっさに叫ぶと同時に、ユフィは水魔法を発動させた。

彼女の掌から噴き出した大小の水球がクッション代わりとなって、自身とドラゴンのあいだに衝撃緩和材として突っ込んでいく。

しかし——。

「ごうぶへっ!?」

あまりに急な出来事に反応しきれなかったのか、ドラゴンが間の抜けた悲鳴を上げた。

その水球ごと、ユフィは豪快にドラゴンの脇腹へと突っ込み、見事な勢いでボディアタックを決めてしまう。

直後、ドラゴンの飛行姿勢が大きく崩れた。

空中でバランスを失った巨体が、ひゅるひゅると回転しながら落下していく。

もちろん、その背にはユフィがしっかりと張り付いたままだ。

「いやああああああああああああっ!?」

『うおおおおおおおおッ!!??』

空に響く少女とドラゴンの悲鳴。

そしてそのまま青空を背に、ふたりは大気を切り裂いて地上へと落ちていくのだった。

◇◇◇

森の奥。

針葉樹が生い茂る中、奇妙に開けた一角があった。

そこは木々の背が低く、天光が斑に差し込む明るい場所。

鳥のさえずりも、風の音もどこか遠く、静まり返ったその空間に。

「……」

ユフィは、腕を組んで立っていた。

その目の前には、巨大な影が畏れ多くも正座している。

鋭く湾曲した角を持つ頭部、滑らかな鱗に覆われた逞しい四肢、金属のように硬質な翼膜を持つ翼を畳み、尾をくるりと身体の前に収めて縮こまるように座るその姿は、あまりにもちぐはぐだった。

威厳と威圧を具現化したかのような存在が、少女の前にペタリと膝をついている。

まるで、教師に叱られる生徒のように。

「あなた、喋れたんですね」

ユフィが問いかけると、ドラゴンはどこか居心地悪そうに視線を逸らしながらも、かすれた声で答えた。

『……あ、はい。一応……上級の魔物は人語を理解する個体も少ないない』

声は低く、耳に響くような重さがある。

だがその響きの奥には、妙に人間臭い遠慮と気まずさが混じっていた。

「へええ〜。そうなんですねえ」

ユフィが感心したように声を上げる。

その何気ない一挙動にすら、ドラゴンはびくうっと肩を震わせた。

いや、肩というか、巨大な翼の付け根がぴくりと跳ねた。

『そそそそれで、我に一体なんの御用だ……!?』

「そんな怖がらなくてもいいじゃないですか?」

『いやそれは無理があるわい!』

即答だった。

地響きのような声で、即座に拒絶するドラゴン。

それもそのはずだった。

ユフィとこのドラゴンとの間には、ちょっとした関係がある。

それも、ドラゴンにとっては一生もののトラウマだ。

つい数週間前、ユフィが攻撃魔法の訓練をしていた頃。

この山域で、彼女はいつものように風魔法を使って上空一万メートルからの自由落下をしていた。

その際、ユフィは当時偶然飛行中だったドラゴンの背に、雷鳴のような速度で墜落。

当然ながらドラゴンは激怒。

咄嗟に火球を吐いて反撃したが、ユフィは赤子の手を捻るように返り討ちにした。

今もなお、銀鱗の間に赤く盛り上がるその傷跡は、ユフィの土魔法によって出来た悲しき敗北の証である。

以来、ドラゴンはユフィに対して異常なまでの警戒心を抱くようになった。

事実、先日の五月祭で魔人ザックスがドラゴンを召喚した際も、ユフィの姿を視認した瞬間、身を翻してそのまま逃げ帰ったという。だからこそ今、彼は正座している。

鱗の尾を丸め、翼を畳み、ユフィの一挙一動にびくびくしながら。

それが、かつて大地を支配し空を裂いていた伝説の魔物のいまの姿だった。

「……あの節は、どうもすみませんでした」

ぺこりと頭を下げるユフィは内心でほんのりと罪悪感を覚えていた。

謝罪の言葉を受け取ったドラゴンは、ぴくりと眉間を動かしつつ、ぎこちなく返す。

『い、いや……我は魔物だからな。魔物である我を討とうとするのは、至極当然の行動であろう。別に、恨んでなどは……』

明らかに目をそらしながら言うその様は、どこか気まずそうだった。

一方のユフィはドラゴンの言葉にぱっと笑顔になる。

「許してくれたんですね!」

顔を綻ばせ、両手を前で軽く握る。

ドラゴンは内心「してないぞ」と思ったが、口には出さなかった。

その笑顔に、なぜか全身を貫くような冷や汗が流れたからである。

やはり、ユフィに睨まれるのは怖い。

「では、仲直りのしるしに、牛蒡いります?」

ぱさっ、とユフィが懐から取り出したのは、一本の茶色い根菜だった。

まごうことなき、土付きの牛蒡。

『……い、いただこう』

少しの逡巡ののち、ドラゴンは観念したように頷いた。

貰わないと殺されそうな気がしたから、というのが本音ある。

ユフィが手渡した牛蒡を、ドラゴンは大きな前脚の爪先、まるで人間の小指のように器用に挟み、それを口元へと運ぶ。

ぽりっ、ぽりっ。なんとも間の抜けた音が山間に響いた。

巨大なドラゴンが、正座をしたまま牛蒡をかじる——そんなシュールすぎる光景に、通りすがりの冒険者がいたとすれば、腰を抜かして逃げ出しただろう。

『……うまいな、これ』

「でしょう? うちの村の名産品なんです。お通じにも効きますよ」

『ほう、どこの村だ?』

「言いませんよ。滅ぼして牛蒡全部掻っ攫うつもりでしょう」

『そんなことはせんわ! お主の故郷を焼き払おうものなら、八つ裂きにされかねないからな……』

ドラゴンの目が微かに震えていた。

ユフィがニコニコと笑っているだけなのに、それがなぜか最上級の抑止力となっていた。

ドラゴンが牛蒡を平らげたのを見計らって、ユフィは切り出した。

「あなたに、来てほしい場所があるんです」

その声はどこか朗らかで、まるでピクニックの誘いのような軽やかさだった。

ドラゴンは眉をひそめ、険しい顔つきでユフィを見下ろす。

『来てほしい場所、だと……?』

「はい。クーグル島っていうんですけど」

その名を聞いた瞬間、ドラゴンの目元がわずかに緩んだ。

『ああ、あそこか。……懐かしいな。北海の潮流がぶつかり合うあの孤島か』

「えっ、場所わかるんですか!?」

驚いたように瞳を丸くしたユフィに、ドラゴンはふんっと鼻を鳴らす。

『我が何百年生きていると思っている。島ひとつ、頭の中に地図ができあがっておるわい」

まるで「常識じゃろ」とでも言いたげな顔で誇らしげに胸を張るその姿に、ユフィは心底ホッとしたように笑った。

「良かったあ〜〜〜〜〜……!」

全身から力が抜けたようにぺたんと座り込む。

「行きは良かったんですけど、帰りはどうしようかな〜ってちょっと困ってたんですよー。ライルくんが指差してくれた方向に一直線だったからいいものの、私、方向音痴なので、帰れなくなっていて……」

『……つまり、我に道案内を頼みたいと?』

「はいっ! あ、本題はそれではないんですけど……」

そこまで言いかけた瞬間、ドラゴンが立ち上がった。

ばさりと大きく翼を広げると、豪風が地面の草を吹き飛ばす。

『よし、では早く行くぞ! 我の背に乗るのだ!』

そう告げた声は妙に急いていて、どこか逃げ腰ですらあった。

(さっさと要望を聞き入れて退散せねば!)

そんな気持ちがドラゴンの中にあった。

彼としては、少しでも早くユフィとおさらばしたい。

今も、喋るたびに心臓がすり減っていく気がしている。

「は、はいっ!」

ユフィは勢いよく立ち上がり、ドラゴンの前脚をよじ登るようにしてその背へと駆けあがった。

ごつごつとした鱗の感触を感じるや否や、ドラゴンは翼をはためかせて宙を舞う。

風を裂く音が空に響き、じきに空の旅が始まった。

こうして恐怖心に背中を押されるように、ドラゴンはユフィを乗せ、北の空へと翼を広げていった。

その目的地が、いかなる騒動を孕んでいるのか知る由もなく。

◇◇◇

潮風がさらさらと海岸の砂を撫でていく。

遥か水平線の彼方では、陽光を反射した波がきらめき、時おり白く砕けては打ち寄せていた。

「……やはり逃げたのではないか?」

そう呟いたのはザインだった。

彼は岩場に立ち、腕を組んだまま険しい表情で沖を睨み据えていた。

「エルドラ地方まで距離があるし、さすがに一瞬で戻ってこれる距離じゃないでしょう」

「うんうん、もうちょっと待ってあげましょうよ」

「君たちは、なぜそんなに落ち着いていられる」

ザインは思わず、海岸の砂でお城を作っているライルとエリーナにツッコミを入れた。

ふたりは、砂を器用に積み上げて貝殻で装飾を施している。

どう見ても遊んでいるだけだ。

ユフィが戻ってくるまで暇だから、という理由らしい。

なんとも呑気な二人にザインは、苛立ちを募らせていた。

視線を海へと戻し、ザインは内心を噛み締めるように思考を巡らせる。

枢機教団からの命は明確だった。

ユフィ・アビシャスを観察し、見極めよ。

人類の敵か味方か、正直に判断せよ。

そんな命を受けて今日、確かにユフィの攻撃魔法の才能は桁外れであることは認識している。

先日、ユフィが王城にて放った魔法は紛うことなき攻撃魔法だった。

女のみでありながらなぜ攻撃魔法が使えるのか。

その答えを出していない存在自体不気味極まりないが、それはさておいて。

何よりも厄介なのは、ユフィのその精神性だとザインは踏んでいた。

(強すぎる力を持つ者が、無邪気で、精神的に幼いまま……そんなの、危険極まりない)

ユフィの言動の軽さ、突拍子もない行動、そして己のゲロを容赦なくぶっかけてきたあの所業。

ザインは顔を顰めた。

あの屈辱は、絶対に忘れない。いや、忘れられるはずがない。

「人類に仇なす存在と判断した時は、俺は躊躇わないっ……!!」

「気のせいならいいんだけど、なんか私怨入ってない?」

両目に轟々と炎を揺らすザインに今度はライルが突っ込んだ。

ザインが海の方を睨みつけていると、スコップとバケツを手にしたエリーナが、砂浜をてくてくと歩いて近づいてきた。

「ザインさんも、一緒に作ってみましょうよ」

笑顔とともに、エリーナはスコップを差し出す。

ザインは眉間にしわを寄せたまま、スコップを見下ろし、小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

「ふん。やるわけないだろう。子供の遊びだ」

「意外と楽しいですよ?」

軽やかに言って、エリーナはひょいと小山の横にしゃがみ込む。

砂をすくっては型に詰め、手際よくパーツを増やしていく。

だがザインは首を横に振った。

「馬鹿か。クーグル島では今もなお、多くの国民が苦しんでいるのだぞ。それなのに、呑気に砂遊びなどして……」

三十分後。

「すごーーーいっ!! 芸術品みたい!!」

「ザインさん、やりますねぇ……!」

砂浜の中心に、堂々とそびえ立つ砂の城。

塔は精緻に彫られ、尖塔には小さな貝殻の飾りが並び、堀には水を引き入れてある。

壁面には小さな階段や窓が掘り込まれ、アーチ状の門がいくつも重なっていた。

まるで本物の王城をそのままミニチュアにしたような完成度。

作った者が芸術家か建築家であると言われたら、誰もが納得するような緻密さだった。

そしてその城のすぐ横で、腕を組んで仁王立ちするザイン。

「……ふんっ」

鼻を鳴らし、視線をそらす。

あたかも「こんなもの、造作もない」とでも言いたげな態度。

だがその鼻の奥は、ほんの少しだけ赤かった。

波音が静かに寄せては返す中、ザインは腕を組み、完成した砂の城を見下ろしていた。

海辺の風がそっと吹き抜ける。

その風に乗って、幼い記憶がふいに蘇った。

(……砂遊びなんて、いったい、いつぶりだ?)

記憶の奥底に沈んでいた光景が、色彩を伴って浮かび上がってくる。

母に手を引かれて訪れた、遠い日の海辺。

眩しい太陽の下、何度も崩れては作り直した砂の塔。

幼い自分は、夢中で城を築いていた。

城門、見張り台、水路のような溝。

バケツと小さなスコップだけで作った、世界の全てだった。

『見て、母上! 完成しました!』

『まぁ、上手にできたわね。……でも、ほら、波がもう来るわよ?』

『えっ、やだーっ!』

幼い自分は、波にさらわれまいと両手で城を庇った。

でもそれも虚しく、次の瞬間には泡とともに崩れ去っていた。

あの時は、本気で泣いたものだった。

(……無垢だったな)

今はもう、あんな風に泣くことも、笑うこともない。

組織の命に従い、策略を張り巡らせ、常に誰かの真意を疑って生きている。

気づけば、汚れた大人になっていた。

そんな自分が、こうして砂の城をまた築いているとは——。

(案外、悪いものではないな……)

思わず、目を伏せる。

ふと、浮かぶのはユフィの顔だった。

子供のように無邪気で、突拍子もなく、時に感情の制御もままならず、それでいて、圧倒的な力を持っている少女。

(……あいつは、俺が捨ててしまった何かを、まだ持っているのかもしれない)

あれほど警戒していた存在に、ほんの僅かでも「そうではないのではないか」という気持ちが芽生えていることに、ザインは驚いた。

警戒心の糸が、ふと緩みそうになって──「ただいま戻りましたーっ!!」

遥か頭上から、やけに元気な声が降ってきた。

どしゃああああっ!!!

突如、空を裂いて現れた巨大な影。

ユフィを背に乗せたドラゴンが、空から勢いよく舞い降りる。

着地と同時に、ぶわっと砂煙が巻き起こった。

ドシン、と凄まじい振動が砂浜を揺らし、その振動がまるでスローモーションのように広がっていく。

そして次の瞬間──ぐしゃっっ……!!!

「…………」

「…………」

「…………」

全員が凍りついた。

そこにあったはずの芸術的砂の城が、ドラゴンの着地によって、無惨に跡形もなく粉砕されていた。

かろうじて形を留めていた塔の一部が、ぱたりと倒れ、崩れ、さらさらと砂に還っていく。

あまりの衝撃に、沈黙が支配した。

風の音すら止まったように、静まり返る海岸。

「お待たせしてすみません!! 助っ人を連れてきました!!」

『助っ人じゃと!? 道案内だけじゃないのか!?』

元気よく声を上げるユフィとドラゴンに誰も反応をしない。

「あれ、ザインさん……どうしたのですか?」

俯き、ぷるぷると震えているのザインにユフィが尋ねる。

ぎんっと面を上げたザインの顔が見る見るうちに青白く染まったかと思えば、次の瞬間、真っ赤に燃え上がった。

「貴様あああああああああ!!!!???? 俺の母の日の思い出をおおおおおおお!?!?

やはりユフィ・アビシャス!!! 許すまじッッ!!!!」

ユフィに対して緩みかけていた気持ちが、再度引き締まったザインであった。