軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第101話 虹をかけよう(意訳)

一隻の船が、エルバドル王国の南の海上を航行していた。

青空がどこまでも高く澄んでいて、空には絵に描いたようにふわふわな雲が浮かんでいる。

陽の光はきらきらと水面を照らし、心地よい潮風が帆を膨らませる。

そんな、絵に描いたような優雅な船旅の中。

「おろろろろろろろろろろろろろろ……ッ!!」

甲板の一角。

船縁に突っ伏しているユフィが、海へ向かって全力で虹をかけていた。

(聞いてないっ……!! こんなに酔うなんて聞いてない!!)

お昼に食べた│ 牛蒡(ごぼう) サラダを魚たちの餌にしながらユフィは頭の中で叫ぶ。

胃袋が逆流しているような感覚、鼻腔を満たす酸味のある臭い。

船が揺れるたびに頭がぐわんぐわんと割れるように痛くて目が回っている。

「ユフィちゃん!? 大丈夫!? お水飲める!?」

慌てた様子で駆け寄ってきたのはエリーナ。

エルバドル王立学園の制服とは違い、今日は波をモチーフにした海色のノースリーブワンピースに、麦わら帽子を軽く斜めにかぶっている。

髪もアップにまとめられていて涼しげなその姿は、まるでリゾート地の宣伝に来ているようだ。

「はい、これ飲んで! 少しはマシになると思うわ!」

水が入ったコップをユフィに渡そうとする。

しかしユフィは虚な目のまま「かひゅー……かひゅー……おろろろろろっ!!」と虹をかけるしかない。

「大丈夫じゃないわよね!? 待ってて! すぐに治してあげるから!」

彼女はすばやくユフィの背中をさすりながら、回復魔法を唱えた。

「癒しの力よっ!」

きらきらとした金色の光がユフィを包む。

ふわりと風が吹き抜けたような感覚とともに、あちこちの気分の悪さが引いていく。

頭痛がやわらぎ、ぎゅるぎゅると自己主張していた胃袋も、ようやく静かに落ち着いたようだった。

「どう? 少しはマシになった?」

エリーナの声にユフィが顔を上げると、涙で濡れた目をしぱしぱと瞬かせた。

視界がぶれない。地面が揺れない。胃が裏返らない。

これまでの地獄のような船旅が嘘のように、身体が軽く感じられる。

「は、はい……だいぶ良くなりました……」

「わあ、よかった〜〜〜!!」

エリーナがぱあっと笑って手を合わせた。

「……うう……ありがとうございます、エリーナさん……ごめんなさい、汚い姿をお見せしてしまって」

「ううん、いいのよ。気にしないで。船は揺れで酔いやすいものね、仕方がないわよ」

よしよしとユフィの背中をさするエリーナの姿はまさに天使そのもの。

慈愛の笑みを浮かべながら、嫌な顔ひとつ浮かんでいない。

「まさか、ユフィがこんなにも船に弱いとわね」

少し離れたところで腕を組み、苦笑を浮かべるのはライル。

少し離れたところで腕を組み、肩をすくめるように苦笑を浮かべていたのは、ライルだ。

こちらも制服姿ではなく、今日は淡いグレーのシャツに、薄手の麻ズボンという涼しげな格好。

袖をまくり、海風に髪をなびかせているその姿は、まさに爽やかな青年貴族そのもの。

「ううう……ごめんなさい、船というものに一度も乗ったことがなくて……始めての感覚に身体がびっくりしたみたいです……」

「うんうん、わかるよ。僕も始めて船に乗った時は気分が悪くなったから。大丈夫、じきに慣れると思うよ」

「だと、いいんですけど……」

と、その瞬間。

ガクンッ!!

船が大きく傾いだ。大きな波にでもぶつかったのだろう。

甲板に立っていた船員たちも、「うわっ」と短く声を上げている。

「うっ……?」

ユフィの顔色が、さあっと青ざめた。

エリーナの回復魔法によって抑えられていた嘔吐感が、津波のように再び押し寄せてくる。

「うぷっ……おろろろろおっ……!」

ついに、耐えきれなかった。

ユフィは再び、手すりにすがるようにして虹をかけた。

そして運悪く、その一部が、隣にいたエリーナのスカートの裾に飛沫となってかかってしまった。

「――あっ」

エリーナが、驚いたように固まる。

その視線の先には、自分のワンピースに点々と散った、ユフィの……その、あれこれが。

「あ、ああああああああ!!!!! ご、ごめんなさいいいいいいいっ!!!」

悲鳴のような声を上げてユフィが全力で土下座を敢行した。

「わ、私、エリーナさんにこんなッ……! なんとお詫びをすれば良いかああああ!?」

今にも自分で腹を切ってしまいそうな勢いのユフィ。しかし、当のエリーナはユフィのブツを拭きもせずに、嬉しそう(というよりも恍惚?)な笑顔で言った。

「いいえ大したことないわ、むしろありがとう」

「え?」

「あ、間違えた。なんでもないわ(ぐふふふふ思わぬところでコレクションが増えたわ……ユフィちゃんの吐瀉物付きワンピース……うふふふふふふふふふふ)

「エリーナさん!?」

気のせいにするにしてはそろそろ無理のあるエリーナの心の声にユフィが戦慄していると

「……まったく、そのような様子で大丈夫ですかね。救世主サマとやらは」

冷笑交じりの声が、甲板の片隅から聞こえてきた。

振り返ると、手すりにもたれた一人の男がユフィを見下ろしていた。

黒と銀を基調にした礼装に身を包み、灰色がかった白髪をオールバックに撫でつけた年齢不詳の男。背は高く、痩身だが骨格はしっかりしていて、まるで鋼で打たれたような硬質な雰囲気を持っている。

その表情は険しく、片眉を上げて口元には薄ら笑い。

眼光は鋭く、まるで獲物を選別する鷲のような冷たさがあった。

「船酔いでボロボロになっている姿を見ていると、とてもじゃないですが魔人を撃退できる力の持ち主とは思えませんな」

鼻で笑いながら、あからさまに見下した口調でそう告げる男の名はザイン・ガッセル。

バレンシア教における監査長という役職を担っている。

いわば、教団における処罰、粛清の実行部隊を束ねる立場。

枢機卿の右腕的な存在だ。

ザインの言葉に、エリーナが眉をひそめた。

額にうっすらと怒りの筋を立て、口元を引き結ぶ。

口を開きかけたエリーナを制するように、ライルが一歩前に出た。

真剣な眼差しをザインに向け、まっすぐな声で言った。

「お言葉ですが、ザイン様も見たでしょう? ユフィが、攻撃魔法を使うところを」

「それは、そうですが……」

返された言葉に、ザインは唇を歪める。

彼は、数日前の王城での会合において、ユフィが壁に盛大な穴を開けてしまった事件の場に同席していたのだ。

あの時、彼は確かに見ていた。

ひ弱で挙動不審な少女が、王城の壁をぶち抜くその瞬間を。

その記憶が脳裏をよぎったのだろう。

ザインは歯切れ悪く、じろりとユフィを一瞥し、いまいましげに目を細め言った。

「しかし、力があるからといって、それが民を救えるとは限りません。重要なのは、その力が我が国にとって有用であることの証明です」

「ええ、重々承知です。なので、俺も授業を返上してユフィに同行しているわけです。彼女の力が、エルバドル王国を守る傘であると証明するために」

じっとザインを見据えて、ライルは言った。

──さて、ユフィたちがなぜ、船に揺られているのか。

理由は明白。

ユフィに与えられた課題のためだった。

先日、エルバドル王国の王城にて、ユフィに関する評議が行われた。

その中で、アルセイン王はユフィを攻撃魔法を使える得意な存在としながらも、一国民として扱うことを決定。

しかしその意見にバレンシア教の枢機卿が「ユフィの力を国のために使うべき」と具申。

そこでユフィに与えられたのは、現在魔人に支配されているクーグル島の解放任務だった。

その島は、もとは王国の前線拠点であり多くの人々が暮らしていた。

しかし、数ヶ月前に突如現れた強力な魔人によって制圧され、王国の部隊は壊滅状態に追いやられたという。

港も破壊され、島民たちは脱出の手立てをなくし、今もなお島の方々に身を隠してやり過ごしている状況だと言う。

それ以降、何度も奪還作戦が試みられたが、いずれも失敗。

王国は甚大な人的・物的損害を出し続けていた。

そこで、ユフィの攻撃魔法という規格外の力に白羽の矢が立ったのである。

ユフィが攻撃魔法を使い、魔人を撃退、島民を解放すれば、晴れてユフィは『女なのに攻撃魔法を使える異質な存在』から、『女でありながら攻撃魔法を使えるが、王国のためにその力を使う救世主』という見方となる。

こうしてユフィは船酔いに苦しみながらも、自らの力を証明すべく、魔人の待つ島へ向かっているのだった。

本来であれば、ユフィの風魔法を使えば、空を飛んで目的地に一直線。

船など使わずとも一瞬で移動できるが、ユフィは壊滅的な方向音痴だった。

目的地に向かって飛び立ったはずが、気づけば全く別の国に降り立ってあわや不法入国なんて事態を避けるべく、(ユフィにとっては)泣く泣く船による移動が選ばれたのだった。

「クーグル島に居座る魔人グランヴェルムは、王国の師団が束になっても討伐できなかった災厄です。何百人、何千人と犠牲を出しましたが……それでも討てなかった相手です」

ザインは甲板に立つユフィを一瞥し、せせら笑うように言った。

ここまでの説明で明白になったが、ザインはこの任務においてユフィの力を見極めるために同行を命じられた、いわば監視役である。

「君みたいなか弱い娘に、どうこうできるとは思えませんがね」

ユフィはびくりと肩を震わせた。

ザインの言葉通り、魔人を討伐できるかが不安で……ではなく。

(この人……目が怖い! 目を見て話せない!)

単にコミュ障を発揮しているだけであったが。

その挙動を図星で何も言い返せないと判断したザインは再び鼻を鳴らした。

だが、それに対してきっぱりと声をあげたのは、隣にいたライルだった。

「じきに分かりますよ。ユフィの力が、どれほど規格外か」

その声音は静かでありながら、確かな自信に満ちていた。

ザインはその言葉に眉をひそめ、ユフィをじろりと睨んだ。

「どれほどの力を有していようと、それが制御出来るものであれば、意味はないです」

ゆっくりとユフィの前に歩み寄り、睨みつけるように続ける。

「もし我が国……いや、人類に仇なすと判断すれば、即刻粛清対象とします。これは決定事項です」

ザインは鼻で笑い、ユフィのすぐそばまで近寄ると、顔を寄せて小声で囁くように言った。

「せいぜい、壊れた兵器とならないように、頑張ってください」

「あ、はいっ。頑張ります!」

ユフィはぺこりと頭を下げた。

脅しがまるで伝わっていない、天然そのものの反応だった。

ザインは一瞬言葉を失ったように絶句し、口を開こうとした、ちょうどその時だった。

――ガクンッ!

再び船が大きく横に揺れた。

「うっぷ……」

ユフィの顔がさあっと青ざめ、口元を押さえる。

「おろろろろろろ!!」

――ぶしゃあ!!

呻く間もなく、ユフィがこらえきれず、目の前にいたザインに向かって全力で虹をかけてしまった。

「……ッ!!!」

神官服の胸元に、ユフィの胃の中に残っていたすべてが、重く粘り気をもってぶちまけられた。

「貴様ーーーーーっ!!! 今すぐ粛清されたいのかッ!!?」

「ひいいいいいいごめんなさいごめんなさいいいいいっっ!!」

ユフィは両手を合わせて、地面に這いつくばるようにして全力謝罪。

「駄目よユフィちゃん! 吐くなら私に吐きなさい!」

「君は君で何を言ってるんだ」

ライルの冷静なツッコミが、船上の騒動に冷静にかけられるのであった。

◇◇◇

ユフィたちが海上を航行しているその間。

クーグル島では、王国軍の奪還作戦が開始されていた。

空は厚く曇り、どこか鉛色がかっていた。

海風はぴたりと止み、島全体を沈黙と緊張が支配している。

熱帯の緑が生い茂る島の中央に、かつての王国前線基地の残骸がある。

崩れた石壁、焦げた砦、無数の破壊痕。

そのどれもが、すでに人の手からこの島が失われたことを物語っていた。

「全軍突撃ーーっ!!」

王国軍の隊長が叫ぶ。十数名の騎兵部隊が、│ 鬨(とき) の声とともに駆け出す。

魔導兵たちもそれに続いて火球と雷撃の呪文を唱え始めた。

「第一陣、炎撃準備……ッ! 放て!!」

ドンッ!!

魔道兵たちから撃ち出された火の玉が空を裂いて飛ぶ。

地面に衝突したそれは、爆発を起こし、土煙とともに木々を焼き尽くした。

しかし──。

「グウゥゥ……」

木々の奥、さらにその先、湿地帯の向こうから、地鳴りのような唸り声が響いた。

ずる……ずるるる……。地面が震え、水場がぴちゃりと跳ねる。

その中心から、何かが、ゆっくりと這い出してくる。

まず姿を現したのは、ぬらりとした艶を帯びた、蒼黒い鱗。

次いで、大蛇のようにうねる首がぬっとせり上がる。

だが、それはただの蛇ではない。

その巨体の全貌が現れたとき、王国軍の誰もが言葉を失った。

現れたのは、半身を海獣、半身を人型の異形とした魔人だった。

全長十メートルを優に超える巨躯。

頭部は鋭くとがったトビウオのような形状で、目は両側に縦に走り、淡く光っている。

身体は粘液に覆われた甲殻でおおわれ、背からは鋭いヒレのようなものが幾重にも突き出ていた。

長く異様にしなった四肢は関節が複数存在し、まるでタコの触手と人間の腕を掛け合わせたよう。

そして、腹部から足元にかけては巨大なウロコと軟体生物のような吸盤状の器官が蠢いている。

右手には船のマストほどもある骨槌を、左手にはちぎれた砦の塔を握りしめていた。

魔人グランヴェルム。

その存在が視界に入った瞬間、前衛にいた王国兵の一人が震え声を漏らした。

「な、なんだあれ……!?」

「で、でかいぞ……っ……!」

恐怖と本能が警鐘を鳴らす。

グランヴェルムは一歩、のそりと前進するたびに、地面を揺るがせ、水を跳ね上げ瘴気をまき散らした。

その足跡には腐蝕が走り、草木が枯れていく。

巨大な目が、ゆっくりと兵士たちを捉える。

そして、ぐにゃりと口元が裂けた。

「……また、小エビどもか」

その声は濁って重く、地中から這い上がるような低音だった。

轟くような重低音の振動が兵士たちの鼓膜を打ち、思考を鈍らせる。

そして、地鳴りが止んだ瞬間、異形は動いた。

青黒く濡れたような外殻が軋む音を立て、巨体がゆっくりと姿勢を変える。

「何度殺せば気が済む……ここは気に入った。だから俺の縄張りにする。文句があるなら、黙らせてみろ」

瞬間。

「グオオオオオオアアアアアアアアアッッ!!」

咆哮が島全体を揺るがした。

地面が波打ち、空気が爆ぜ、魔力が奔流のように放たれる。

その場にいた兵士たちは、立っていることすら叶わなかった。

見えない圧力の波に吹き飛ばされ、幾人もの身体が地を跳ね、岩に叩きつけられた。

「うあっ……!」

「ぎゃあああっ!!」

詠唱の途中だった魔導兵たちも、なす術なく地面に叩き落とされ、意識を失っていく。

「くっ……! 隊列を立て直せ! 全魔導兵、集中攻撃! 魔人の胸部を狙え!!」

「第一、第二陣、放てええええっ!!」

火炎、氷結、雷撃、土槍。

王国が誇る精鋭魔導部隊の全力が、一斉に放たれた。

だが。

「くだらん」

魔人の全身を包む外殻が、鈍く光を放った瞬間。

あらゆる属性魔法が、弾かれた。

火の玉は蒸発し、雷は散り、氷槍は空中で霧散し、石の槍は届く前に砕け散った。

不可視の反魔法障壁が展開されたかのような現象に、誰もが戦慄した。

魔人は動く。

手にしていた鋼鉄の杭を、巨木をへし折るような音と共に振り下ろす。

ズドオオオンッッ!!!

地面が陥没した。

巨大な杭が大地を割り、地割れが兵士たちを襲う。

何人もの騎兵が馬ごと吹き飛ばされ、砕けた地面に叩きつけられる。

「ぐあっ……!!」

「ぎゃっ……!?」

すでに陣形は崩壊していた。

指揮系統も潰され、誰もが恐怖に呑まれていた。

魔人は、満足げに笑ったようだった。

青黒い巨体をくねらせながら歩み出ると、吹き飛ばされた兵士の一人に視線を向けた。

彼の首を、容赦なく足で踏みつける。骨の砕ける音とともに、悲鳴が短く上がった。

まるで、小虫でも踏み潰すような動作だった。

助けに駆け寄ろうとした別の兵士も、杭で払われ、地面に叩きつけられる。

「ああ……やっぱり無理か……」

その様子を、高台から民間人たちが震えながら見ていた。

彼らに逃げ場はない。

港は壊滅し、砦はすでに陥落。

王国から派遣された軍もこのようにして一瞬にして殲滅されてしまう。

──この島は、死に場所だ。

島の住民たちは一様に、そんな諦めの感情を抱くのだった。

◇◇◇

うげえ、と呻くような声をユフィは漏らした。

クーグル島から東に数キロ離れた小島の海岸。

空には厚めの雲がかかり、昼過ぎだというのに湿気を含んだ海風が潮の匂いを運んでいる。

風は重く、視界もどこかぼんやりと滲んでいた。

そんな海岸に、ユフィたち一行は身を潜めるように集まっていた。

「気持ち悪いですね……」

片手で双眼鏡を握ったユフィが、もう片方の手で口元を押さえる。

唇が白くなっているのは、さきほどまでの船酔いの名残か。

あるいは、双眼鏡越しにみた光景による衝撃か。

ユフィの視線の先、双眼鏡のレンズに映っているのは海を挟んだ向こう、クーグル島。

かつて王国の前線基地が存在したはずのその島には、今は禍々しい異形が我が物顔で闊歩していた。

海獣のような半身と、人の形をわずかに残した魔の巨体。

化け物という文字が絵辞典に記載されていたら、隣に描かれているのはこういう化け物なのだと思うほどの姿だった。

「うぷっ……」

双眼鏡を外したユフィが、眉間を押さえながら軽く身体をよじる。

ユフィの横にいたザインが、まるで条件反射のように三歩ほどスライド移動で距離を取った。

「ちょっと!? なんで逃げるんですか!?」

「己の胃袋に聞いてみろ。もしも再び神聖なる私の聖衣を汚したら、今度こそ即座に貴様を邪教徒認定する」

「あああごめんなさいごめんなさい!! 全部私のせいでしたねごめんなさい!」

当初の敬語はどこかへ霧散し、ユフィに対する敵意だけが残ったザインである。

そんなやりとりをしていた二人に、ライルが割って入った。

「はいはい、この辺にして。状況説明をするよ」

手にした巻物のような地図を広げ、ライルは真剣な表情になる。

「さっき双眼鏡で見てもらった化け物が魔人グランヴェルム。クーグル島を支配している化け物だ。グランヴェルムは根菜が大好物だったゆえに、根菜の栽培が盛んだったクーグル島が目をつけられてしまった」

「根菜好きな魔人なんているんですねえ」

ライルの説明に、ユフィは「ほへえ……」と声を漏らす。

「現在、クーグル島にはまだ数百人以上の民間人が取り残されている。森の奥に隠れるようにして、なんとかグランヴェルムの目をかいくぐって生き延びてる。でも……」

言葉を切ったライルの目が、双眼鏡を覗いていた方向へと向けられる。

「今までに何度も王国軍が救援部隊を送り込んだが、すべてが撃退された。全滅といってもいい」

ぎり、と唇を噛むライル。

その悔しげな横顔に、一瞬、年齢以上の大人びた影が差す。

その横で、エリーナがそっと言葉を紡いだ。

「あの化け物に故郷を破壊されて……森の中で、隠れるようにして日々を過ごしている人たちがたくさんいるのね……きっと、きっと、寒くて、ひもじくて、不安で、震えているわ……」

エリーナの悲痛な言葉に、誰もが沈黙する。

ここにいる誰一人、あの島の地獄を「他人事」とは思えなかった。

その空気を破るようにユフィが一歩、前に出る。

その表情は、つい先ほど船酔いでグロッキーになっていたとは思えぬ、凛としたものだった。

「……私の任務は、あの魔人の討伐、ということで間違いないですよね?」

問う先にいたのは、ゲイン。ゲインは半ばふてぶてしく腕を組み鼻を鳴らした。

「そうだ。魔人グランヴェルムを討伐し、民間人を救出する。それが……お前に与えられた使命だ」

一瞬の間を置いてから、彼はわざとらしく、ユフィを足元から見上げるような視線で見た。

「もっとも。お前如きにできるとは思っていないがな」

あからさまな見下しの視線、毒の含まれた言葉。

見下すようなザインの言葉に、ユフィは苦笑いを浮かべながら、目を逸らす。

「……あ、はい……あの、できれば、期待はしないでくれると助かります……むしろ期待されたら、緊張で吐きそうになるので……その、遠慮いただけると……」

「まだ吐くつもりなのか、貴様は」

ザインが眉をひくつかせてジト目を向けてくるが、ユフィは目を合わせようとせず、もぞもぞと袖口を指でいじる。

呆れ気味のザインに、ライルは小さく笑って言った。

「でも、ユフィはやるときはやるからね。きっと、この硬直した現状を打破してくれると信じているよ」

「ほ、本当ですか? 信じているだなんて、それほどでも〜」

ライルに褒められてデレデレするユフィだったが、エリーナが言葉を挟んだ。

「うーん……でも、問題があるのよね。たしかに、ユフィちゃんの攻撃魔法は破壊力はあるんだけど……」

そこで一度言葉を切るエリーナの言わんとしていることを、ユフィは察した。

「クーグル島には、まだたくさんの人が取り残されている。だから、島ごと吹っ飛ばせばいいって話でもない」

「そうそう、そういうこと」

ユフィは思考を走らせる。

島の一点に圧倒的な魔力を込めて攻撃を放てば、確かに魔人ごと島を更地にできる。

それはシンプルに効果的な手段だ。

「でも、ただ攻撃魔法を打ち込んだら、島に残ってる人たちまで巻き込んじゃいますし……」

ザインに『たくさんの民間人を殺戮するなんて、やはりお前は魔王の手先だったか!』と言われかねない。ユフィとて、別に大量殺戮犯になるのは全力で避けたい所だろう。

どうしたものかと肩を落とすユフィに、ライルがぽんっと手を打った。

「グランヴェルムが島から離れてくれたら、遠慮なく魔法を撃てるんじゃない?」

「あっ、それは確かに」

「無理だろうな」

ザインが否定する。

「グランヴェルムはあの島を気に入っているようだ。ここ数日間ずっと離れようとしない」

今度はライルが尋ねた。

「陽動とかは?」

「それができる余裕が今の王国軍にはない。兵も魔力も限られている。グランヴェルムを島から引きはがすほどの陽動、となると……」

「陽動……」

ユフィがぽつりと呟く。

「ようするに、あの気持ち悪い魔人の関心が、島とは別のところに向けばいいんですよね?」

顔を上げ、ユフィがライルを見る。

ライルはこくんと頷いた。

「うん、そうだね」

その瞬間、ユフィの瞳にきらりと光が宿った。

ぴーん、という音が聞こえた気がするほど、分かりやすく閃いた表情。

「ライルさん! エルドラ地方って、どの方向にあるかわかります?」

「エルドラ? ええと、ちょっと待って」

ライルは先ほどの地図に視線を向けて確認する。

「あった。あの方角にまっすぐ行けば、エルドラ地方に行けるはずだよ」

島の向こうの方を指差すライルに、ユフィはペコっとお辞儀をする。

「ありがとうございます! じゃあちょっと行ってきますね、少しだけ待っていてください!」

「「「え?」」」

その場にいた全員が目を丸くした途端、ユフィは叫んだ。

「《 疾風滑翔(ゲイル・グライド) 》!!」

ユフィが魔力を展開し、足元に風の陣を刻む。

強烈な追い風が巻き起こり、ユフィの身体が宙に浮かんだ。

「うおっ!?」

突然魔法が発動すると思っていなかったゲインが驚きの声を浮かべる。

しかしその束の間、ひゅおおおおおっっと、まるで風そのものになったかのように、ユフィの小さな体は空高く舞い上がり、あっという間に遠ざかっていった。

その場に残されたライルとザインは、風にあおられた髪を直しながら、ぽかんと空を見上げていた。

「……え? もしかして、逃げた?」

「いいえ、ユフィちゃんがそんなことをするわけありません!」

ザインの素朴な疑問を強く否定するエリーナ。

そんな中、ライルだけはユフィが消えていった空を見上げ、つぶやいた。

「きっと、恐らく……ユフィなら……」