作品タイトル不明
第二十五話 娘の部屋を開ける夜
吹雪の翌日、王立療養院東棟から一人の赤ん坊が冬鈴館へ運ばれてきた。
正式な転院ではない。
緊急避難だった。
名はクララ。生後八か月。吹雪の夜に体温が下がり、東棟では安定させきれなかった。母親は産後の体調不良で別の病室におり、父親は地方勤務で王都にいない。
受け入れたい。
だが、冬鈴館はすでに満床だった。
星の部屋はニコともう一人の子で埋まっている。丸パンの部屋は昼間専用。洗濯屋の乾燥室はユーリの経過観察に使っている。冬鈴館本館にも空き寝台はない。
クララは小さな泣き声を出していた。
泣く力が弱い。
私は抱き上げ、胸の冷えを確認した。体の表面は温められているが、手足が冷たい。急いで休ませる場所が必要だ。
その時、リュシーが廊下から顔を出した。
娘は状況を理解しきれてはいない。けれど、赤ん坊の泣き声は聞こえている。
「おかあさま」
「リュシー、今はお部屋に」
「リュシーのへや、つかう?」
廊下が静かになった。
私は娘のそばへ行き、膝をついた。
「それは、リュシーが言わなくてはいけないことではないわ」
「でも、あかちゃん、さむい」
「ええ」
「リュシー、リュシーのへや、とられるの、いや。でも、あかちゃん、いらっしゃい、できる」
その言葉を、私は慎重に受け止めた。
奪われることと、招くことは違う。
けれど、招いた結果、リュシー自身が眠れなければ意味がない。
「リュシーが自分の寝台を明け渡す必要はありません。あなたの部屋の隣にある小さな控え室を使う方法があります。あなたは自分の寝台で眠る。クララは控え室。扉は少し開ける。嫌になったら、すぐ閉める。それならどう?」
リュシーは少し考えた。
「クララ、ないたら?」
「看護師がつきます。お母さまも夜に何度か見る。リュシーが起きて世話をしなくていい」
「リュシーのへや、クララのへやに、ならない?」
「ならない。リュシーの部屋に、今日だけお客様を迎える」
「今日だけ?」
「明日、別の場所を整える」
リュシーは頷いた。
「じゃあ、いらっしゃい」
ハンナがすぐに控え室を整えた。小さな揺り籠、軽い保温布、湯を入れた陶器瓶、夜間記録用の台帳。私は部屋の熱を読み、リュシーの寝台側へ冷えが流れないよう調整した。
クララは控え室で少しずつ泣き止んだ。
リュシーは自分の寝台から、扉の隙間を見ている。
「おかあさま」
「なあに」
「リュシー、えらんだ?」
「ええ。あなたが選んだ。ただし、お母さまが大人として安全を決めた」
「どっちも?」
「どっちも大事」
娘は布団の中で頷いた。
「とられると、えらぶ、ちがう」
「そう」
「リュシー、えらぶのは、できる」
「ええ。でも、無理をするために選ばなくていい」
夜半、クララが泣いた。
リュシーも目を覚ましたが、起き上がらなかった。ハンナが控え室へ入り、私は赤ん坊の体温を確認した。リュシーは布団の中で小さく聞いた。
「クララ、だいじょうぶ?」
「大丈夫。眠れそうよ」
「じゃあ、リュシーも、ねる」
「ええ」
朝、クララの体温は安定していた。
リュシーは少し眠そうだったが、熱はない。朝食の席で、彼女はマーサに言った。
「リュシーのへや、きのう、いらっしゃいした」
マーサは優しく笑った。
「よくできました。でも、今日はお昼寝を長めにしましょうね」
「うん」
その日の記録に、私はこう書いた。
『本人の同意と安全条件があれば、部屋は誰かを迎えることができる。ただし、本人の寝床・休息・拒否権を失わせないこと』
これは、王立移管案への答えでもあった。
部屋を守ることは、扉を閉ざすことではない。
勝手に奪わせないこと。
選んで開ける権利を残すこと。
その両方がなければ、温かい部屋とは呼べない。
翌日の会議で、私は『部屋へ招く時の手順』を作った。
一、本人に説明する。
二、本人の寝台を動かさない。
三、期間を決める。
四、嫌になった時の合図を決める。
五、世話の責任は大人が持つ。
六、招いたことを美談にしない。
最後の項目で、何人かが顔を上げた。
「美談にしない、ですか」
「はい。リュシーが赤ん坊を助けるために部屋を開けた、と語られるのは危険です。次に別の子が同じことを求められるかもしれない」
善意を物語にすると、時に次の圧力になる。
子どもが選んだ優しさを、大人の都合の看板にしない。
私はその項目に赤線を引いた。
クララが眠れた夜は大切だ。
でも、それはリュシーを小さな聖女にするための夜ではない。
自分の寝台を守ったまま、扉を少し開ける方法を覚えた夜だった。
この手順を作った後、リュシーにも読んだ。
娘は最後の『美談にしない』で首を傾げた。
「びだん?」
「リュシーがすごくいい子だから、みんなも真似しなさい、という話にしないこと」
「それ、いや」
「でしょう」
「リュシー、いいこ、したくて、したんじゃない。クララ、さむかった」
「そうね」
その言葉も、手順の横に書いた。
優しさは、褒めるために取り上げすぎると、次の子への命令になる。私はそれを忘れないようにした。