作品タイトル不明
第十九話 王立移管令、公布
王立移管令が公布されたのは、朝の鐘が鳴る直前だった。
王都の掲示板に、医務局の印が押された厚い紙が貼られた。同じ文書が冬鈴館にも届けられた。使者は顔を伏せ、こちらの目を見なかった。
『冬季療養児保護の公共性に鑑み、冬鈴館を王立冬季療養院附属分室として暫定移管する。移管期日は十日後。現療養児については医務局が個別に受け入れ先を決定する。施設内記録、療養器具、保温布工房の製作記録はすべて提出すること』
十日後。
私は文書を読み終え、机に置いた。
怒りより先に、体が冷えた。
冬鈴館の廊下では、朝食の準備が始まっている。マーサの鍋の匂い、子どもたちの咳、ハンナの足音。いつもの朝だ。
その朝が、十日後に奪われると書かれている。
アルノルトは文書を読み、静かに言った。
「王立医務局単独の令ではありません。後援会と一部貴族院の承認がついている」
「エルミーヌ公爵夫人ですね」
「おそらく」
ミレーヌはすぐに異議申立書の様式を開いた。
「一時停止命令を求めます。ただ、期日が十日後では厳しい」
ハンナが尋ねた。
「マリア第一王女殿下は?」
「殿下も今、同じ文書を見ているはずです」
私たちは動き出した。
保護者への説明会を開く。療養児の移動希望と拒否を確認する。薬帳の写しを渡す準備。保温布工房の記録を複写。証拠台帳を法院へ提出。王立療養院の問題点をまとめる。
やることは山ほどある。
けれど、子どもたちの朝食を遅らせてはいけない。
まず、スープを出す。
マーサは強い顔で鍋をかき混ぜていた。
「奥様。今日は人参を多めにしました。寒い知らせの日は、甘いものが要ります」
「ありがとう」
食堂で、子どもたちは大人の空気を感じ取っていた。
ニコは木札を握っている。ユーリは妹の椅子をいつもより近くに寄せた。リュシーは私をじっと見ている。
私は食事の前に、短く話した。
「今日、王立医務局から、冬鈴館を十日後に変えるというお知らせが来ました。でも、私たちはまだ同意していません。大人たちが、きちんと話し合い、止めるための手続きをします」
ミーナが小さく聞いた。
「へや、なくなる?」
「今すぐには、なくならない。十日後にも勝手になくさせないために、今日から動きます」
「こわい」
「怖いと言っていい」
私は大きな紙を壁に貼った。
『今日すること』
一、朝ごはんを食べる。
二、薬を飲む。
三、寝る部屋の札を確認する。
四、大人が書類を作る。
五、子どもは具合が悪くなったらすぐ言う。
リュシーが手を挙げた。
「六、おやつ」
部屋に小さな笑いが起きた。
私は頷いた。
「六、おやつ」
怖い日にも、おやつは必要だ。
昼過ぎ、マリア第一王女から使者が来た。
文は短い。
『移管令の一時停止には、冬鈴館に代替公共案があることを示す必要あり。七日以内に、王都内で複数の療養室を運営できる実証計画を提出せよ。単なる反対では止められない』
七日以内。
冬鈴館一館では足りないことを、私たちは何度も言われてきた。
ならば、答えは一つだ。
冬鈴館を奪わせないために、冬鈴館を一つの建物から外へ広げる。
「分散型療養室」
ミレーヌが呟いた。
「街の中に、冬鈴館式の小さな部屋を作る」
アルノルトが地図を広げた。
「パン屋の二階、教会の空き室、洗濯屋の奥部屋、ヴァイス家の馬車宿、医師会の旧診察室。使える場所を探しましょう」
セドリック兄様が額を押さえた。
「七日で?」
「七日で」
「お前たちは本気で言っているのか」
「十日で奪われるよりはましです」
兄は大きく息を吐いた。
「分かった。物件と契約は任せろ」
夕方、リュシーが私の部屋に来た。
「おかあさま、また、にげる?」
その問いは、昔の馬車の中から来ていた。
私は娘の手を取った。
「逃げることが必要な時もある。でも今回は、ここを守るために広げる」
「ひろげる?」
「リュシーの部屋みたいに、安心して眠れる部屋を、街の中に増やすの」
「リュシーのへや、なくならないで?」
「なくならないで」
リュシーは少し考え、頷いた。
「じゃあ、リュシー、なふだ、つくる」
娘の仕事は決まった。
私たちの七日間が始まった。
その夜、七日間の予定表を壁に貼った。
一日目、候補部屋の温度確認。
二日目、契約と安全改修。
三日目、保護者説明。
四日目、試験滞在。
五日目、夜間記録。
六日目、修正。
七日目、提出。
リュシーは予定表の横に、自分で小さな印を描いた。
おやつの絵。
「これ、いつ?」
「毎日」
娘は真剣だった。
私は笑いそうになったが、すぐに頷いた。
「毎日、おやつの時間を入れましょう。子どもも、大人も」
ミレーヌが予定表に本当に書き込んだ。
『十五時、休憩。省略禁止』
追い詰められた時ほど、休憩は削られる。
だが、削った休憩の分だけ、部屋の温度を見る目は鈍る。
おやつの時間もまた、守るべき予定になった。
予定表の一番下には、リュシーがもう一つ絵を描いた。
小さな馬車。
「これは?」
「もし、にげるなら」
私は胸が少し痛んだ。
娘は忘れていない。あの朝、馬車で屋敷を出たことを。
「そうね。必要なら逃げる準備もする」
「にげるの、わるくない」
「ええ。悪くない」
その絵も、私は消さなかった。
守る計画の中に、逃げる道もある。それは弱さではなく、子どもを生かすための道だった。