作品タイトル不明
第十三話 眠れる部屋の公開実験
証言箱がいっぱいになった翌日、ミレーヌは箱を三つに分けた。
一つ目は、王立医務局からの直接の圧力。
二つ目は、寄付や取引を控えるようにという噂。
三つ目は、子どもたちの「嫌なこと」と「安心すること」。
紙の量が一番多かったのは三つ目だった。
毛布が重いのは嫌。
知らない大人が急に部屋に入るのは嫌。
薬を飲んだ後に水をもらえないのは嫌。
寝る前に母の声を聞くと安心する。
名前の札があると安心する。
窓の結露の音が怖い。
焼きりんごの匂いがすると眠れる。
制度の言葉ではない。
けれど、子どもが眠れるかどうかは、こういう小さな言葉で決まる。
「これを査問に出しても、感傷だと言われますね」
ミレーヌが紙束を整えながら言った。
「だから実験をします」
私が答えると、兄セドリックが嫌そうな顔をした。
「お前の実験は、だいたい周囲を巻き込む」
「今回は大人だけです」
「それでも嫌な予感がする」
実験は、冬鈴館の大広間で行うことになった。
目的は一つ。
同じ室温、同じ毛布、同じ食事が、すべての人にとって同じ安心ではないことを、大人に体で理解してもらう。
王立医務局、医師会、貴族後援会、近隣支援者。希望者だけを募った。もちろん、子どもは参加させない。観察役として、マリア第一王女の書記官も来る。
当日、大広間には二種類の寝台を用意した。
一方は王立標準。寝台の位置、毛布、枕、照明、食事時間、すべて同一。
もう一方は冬鈴館式。参加者が自分の寒い場所、暑い場所、寝る時の癖、苦手な音、必要な明るさを申告し、それに合わせて微調整する。ただし豪華にするわけではない。毛布を一枚軽くする。寝台を壁から離す。湯を飲む時間を変える。窓の音が苦手な人には布を挟む。それだけだ。
カミーユ補佐は来なかった。
代わりに、木札の担当者だった女性調査官、ルイーズが参加した。彼女は真面目な顔で記録板を持っている。
「私も寝るのですか」
「希望者だけです」
「希望します」
即答だった。
医師会の老医師が笑った。
「役人が寝る実験とは珍しい」
「子どもに求める前に、大人で確かめます」
実験は昼寝一刻だけ。
短い時間だが、結果は明らかだった。
王立標準の寝台に入った大人たちは、ほとんど眠れなかった。毛布が重いと言う者、足元が冷えると言う者、光が眩しいと言う者、枕が高いと言う者。
冬鈴館式の寝台でも全員が眠れたわけではない。だが、少なくとも不快の理由が記録され、次の調整ができた。
老医師は標準毛布から出るなり、腰を押さえた。
「これは、子どもには重いな」
ルイーズは冬鈴館式の寝台から起き上がり、しばらく毛布を見ていた。
「同じ室温なのに、違いますね」
「はい」
「私は、寒いのが嫌なのだと思っていました。でも、眠れなかった理由は窓の音でした」
「子どもも同じです。寒いと言っても、床が冷たいのか、音が怖いのか、毛布が重いのか、聞かなければ分からない」
ルイーズは記録板に書いた。
『標準化は、差を消すのではなく、差を聞く手順を含むべき』
その一文を見て、私は少し驚いた。
「それを報告書に?」
「書きます。削られるかもしれませんが」
「削られたら、こちらの写しに残します」
「助かります」
公開実験の最後に、私は参加者たちへ焼きりんごを出した。
豪華な菓子ではない。けれど、温かい皿を受け取った人たちの肩が少し下がる。
兄セドリックが小声で言った。
「王宮の昼食会より効果があるかもしれんな」
「りんごの方が正直です」
「お前は時々、貴族らしからぬことを言う」
「褒め言葉として受け取ります」
その日の夕方、実験の結果をまとめていると、リュシーが覗き込んだ。
「おとな、ねた?」
「少しだけね」
「おとなも、ねむれない?」
「眠れない時があるわ」
「じゃあ、おとなも、きいてほしい?」
私はペンを止めた。
「そうね。大人も、聞いてほしい時がある」
「カミーユさまも?」
娘が名前を覚えていたことに、少し驚いた。
「たぶん」
「でも、リュシーのへや、とったら、だめ」
「ええ。聞いてほしいことがあっても、誰かの部屋を取ってはいけない」
リュシーは頷いた。
その夜、私は報告書の表題を決めた。
『眠れる部屋の公開実験』
難しい言葉より、そのままの方がいい。
制度の目的は、立派な施設を作ることではない。
子どもが眠れる部屋を作ることだ。
実験報告の末尾には、参加者の自由記述も添えた。
『私は暖かい部屋なら眠れると思っていたが、窓の音で眠れなかった』
『毛布が重いという訴えを、わがままだと思っていた。自分で使うと分かった』
『眠れない時に理由を聞かれるだけで、少し落ち着いた』
この最後の一文を、私は何度も読み返した。
聞かれるだけで、少し落ち着く。
治療でも魔法でもない。部屋を立派にすることでもない。ただ、自分の不快を言葉にしてよいと許されること。それだけで、人は眠りに近づく。
王立医務局の報告書欄には、この感覚を書く場所がない。
だから私は新しい欄を作った。
『本人が理由を言えたか』
短い欄だ。
けれど、そこに丸がつく日を増やすことが、冬鈴館の仕事になる。