作品タイトル不明
第九話 リュシーの嫌です
王宮の昼食会から二日後、カミーユ補佐が再び冬鈴館を訪れた。
今度は一人ではない。王立医務局の小児療養相談員と名乗る女性を連れていた。柔らかな声、淡い桃色の外套、子どもが好きそうな菓子箱。
玄関で迎えた瞬間、私は嫌な予感がした。
「本日は、リュシー様ご本人のお気持ちを伺いたく参りました」
カミーユ補佐は丁寧に言った。
「事前の約束はありません」
「急な訪問で失礼しました。ですが、ノエリア様は子どもの意思を重視されるとのこと。ならば、本人の希望を確認することに異論はないはずです」
言葉の形だけは正しい。
だが、子どもに聞くという行為は、聞き方を誤れば圧力になる。
「リュシーの体調と予定を確認します。面会する場合も、私かアルノルトが同席します」
「できれば保護者の影響を避けるため、専門相談員と一対一で」
「お断りします」
即答した。
カミーユ補佐は微笑んだ。
「それでは、リュシー様の本当のお気持ちが分かりません」
「六歳の子を、約束のない訪問者と一対一にはしません」
玄関の奥で、リュシーが立っていた。
ハンナの手を握っている。どうやら声が聞こえたらしい。娘は私を見て、それから菓子箱を持った相談員を見た。
「おかあさま?」
「リュシー。今日はお客様が、あなたに聞きたいことがあるそうよ。話すかどうかは、あなたが決めていい。ただし、お母さまはそばにいる」
相談員がしゃがみ、菓子箱を開けた。
「こんにちは、リュシー様。王宮にはね、とても暖かいお部屋があるの。綺麗なお菓子も、絵本も、お人形もたくさんあるのよ」
リュシーは菓子箱を見た。
甘いものは好きだ。けれど、知らない大人から突然差し出される菓子は、まだ警戒する。
「リュシー、いま、おやつのじかんじゃない」
相談員は少し笑った。
「では、あとでね。王宮のお部屋に行けば、もっとたくさん食べられるわ」
「おかあさまと?」
「お母様は、時々会いに来てくださるわ」
リュシーの手が、ハンナの指を強く握った。
「アル父さまは?」
「お忙しい方だから、時々かしら」
「ハンナは?」
「王宮には王宮の侍女がいます」
「マーサは?」
「新しい料理人が、おいしいものを作りますよ」
リュシーは黙った。
沈黙が長くなる。相談員は待っているようで、実は待っていない。次の言葉を出そうとしている。
私は口を出さず、娘の横に膝をついた。
リュシーは私を見た。
「リュシー、いってもいい?」
「あなたが行きたいなら、理由を一緒に考える。行きたくないなら、それも言っていい」
「いかなかったら、わるいこ?」
「いいえ」
「ほかのこ、さむい?」
その問いに、相談員の目が光った。
「そうなの。リュシー様が協力してくれたら、寒い子が助かるかもしれないの」
私は相談員を見た。
「その言い方はやめてください」
「事実です」
「六歳の子に、他の子が助かるかどうかを背負わせないでください」
リュシーは私の袖を握った。
「リュシー、いかなかったら、みんな、さむい?」
胸の奥が痛んだ。
この問いが、彼らの狙いだ。
優しい子どもほど、自分の部屋を差し出そうとする。自分が我慢すれば誰かが助かると信じる。
だからこそ、大人が止めなければならない。
「リュシー」
私は娘の目を見た。
「寒い子を助けるのは、大人の仕事です。リュシーが一人で自分の部屋を差し出して助けるものではありません」
「でも、リュシーのへや、あったかい」
「ええ。あなたの部屋は暖かい。だから、その作り方を大人が学ぶ。あなたを連れていかなくても、学べることはあります」
リュシーは唇を結んだ。
そして、相談員の方を見た。
「リュシー、いやです」
声は小さかった。
でも、はっきりしていた。
「おかあさまと、アル父さまと、ハンナと、マーサと、ごはんたべます。リュシーのおへやで、ねます。いやです」
相談員の笑顔が固まった。
カミーユ補佐は静かに言った。
「保護者の影響を強く受けているようですね」
私は立ち上がった。
「子どもが嫌だと言った時、最初に疑うのが母親ですか」
「確認が必要です」
「では、記録してください。リュシーは、保護者同席のもと、王宮冬室への移動を拒否しました。理由は、家族と食事をし、自分の部屋で眠りたいから」
ハンナがすでに書いていた。
カミーユ補佐の視線がその紙へ向く。
「後日、適切な環境で再確認します」
「再確認は必要に応じてできます。ただし、菓子と罪悪感で誘導する面談はお断りします」
相談員の頬が赤くなった。
「私は誘導など」
「寒い子が助かるかもしれない、と言いました」
「それは」
「六歳の子に、自分が断れば他の子が寒いと思わせる言い方です」
彼女は黙った。
二人が帰った後、リュシーはしばらく玄関に立っていた。
「おかあさま」
「なあに」
「いやです、いうの、つかれた」
「そうね。疲れるわ」
「でも、いった」
「ええ。言えたわ」
私は娘を抱きしめた。六歳になって重くなった体を、腕いっぱいに受け止める。
リュシーは私の肩に顔を埋めた。
「おやつ、たべたい」
「今日のおやつは、マーサの焼きりんごよ」
「きれいなおかしじゃない?」
「綺麗ではないけれど、温かいわ」
リュシーは少し考えた。
「じゃあ、たべる」
台所で焼きりんごを食べる時、娘はハンナにも一口分けた。マーサが笑い、ニコが羨ましそうに覗き、結局みんなで小さく切り分けた。
その食卓は王宮より質素だ。
けれど、リュシーはそこで息を吐いた。
その息の温度を、私は忘れない。