作品タイトル不明
第八話 王宮の昼食会
王宮の昼食会に招かれた時、私は最初にリュシーの体調表を確認した。
朝の体温は平常。咳なし。食欲あり。だが、王宮の広間は広く、床から冷える。人も多い。香水も強い。六歳の子どもには疲れる場所だ。
「リュシーは連れていきません」
招待状を読んだアルノルトにそう告げると、彼は頷いた。
「賢明です」
「医務局は、娘の姿を見せたがるでしょう」
「見せ物にしないために、連れていかない」
「ええ」
昼食会は、マリア第一王女殿下の主催だった。出席者には王立医務局の幹部、数名の貴族、医師会代表、そして冬鈴館関係者が含まれている。名目は冬季療養制度の意見交換。
実際には、冬鈴館移管案を巡る政治の食卓だ。
王宮の小広間は暖かかった。
暖炉には火が入り、窓辺には厚い布が掛けられている。食器は白磁。スープは美しく澄んでいた。だが、席順を見た瞬間、私は胸の中で小さく息を吐いた。
私の正面に、カミーユ補佐。
その隣に、見知らぬ貴婦人。
銀の髪を高く結い、深い紫のドレスを着ている。年齢は五十前後だろうか。背筋がまっすぐで、目元に冷たい品がある。
マリア第一王女が紹介した。
「エルミーヌ・グランヴェル公爵夫人です。王立冬季療養院の後援会を束ねておられます」
エルミーヌ公爵夫人は優雅に礼をした。
「ノエリア様。あなたの冬鈴館の評判は存じております。母の愛というものは、時に制度より強いと聞きますわ」
「制度が母の愛に頼りすぎないようにしたいと考えています」
彼女の目が少し細くなった。
「頼るのと、振り回されるのは違いますわね」
最初のスープが運ばれた。
柔らかい野菜の香りがする。リュシーが好きそうだと思った瞬間、私は少し肩の力を抜いた。子どもの食事を思い出すと、どんな場所でも足元が戻る。
食事が進むうちに、話題は自然と移管案へ向かった。
カミーユ補佐が穏やかに言う。
「冬鈴館の実績を全国へ広げるには、王立化が最も早いのです。私的施設のままでは、資金、人員、記録、すべて限界があります」
「限界は認めます」
私は答えた。
「ただし、移管案では本人同意、保護者同意、個別療養計画、面会権が弱すぎます」
「全てを個別に確認していては、救える人数が減ります」
エルミーヌ公爵夫人がナイフを置いた。
「子どもは、自分に必要なものを正確には知りません。親もまた、愛情ゆえに判断を誤ることがあります」
「だから専門職が必要です」
「ええ。そして、専門職が判断するには、私情を離れた環境が必要です。王宮冬室は、そのための場です」
彼女は私を見た。
「リュシー様を、しばらく預けてはいかがですか。あなたの療養法が本当に普遍的なら、母親から離れても成立するはずです」
食卓の音が、少し遠くなった。
私は膝の上で手を重ねた。
「娘を使って証明するつもりはありません」
「使う、という言い方は悲しいですわ。未来の子どもたちのためです」
「未来の子どもたちのために、今いる子どもの嫌を聞かないなら、その未来は冷たいです」
エルミーヌ公爵夫人の微笑は崩れなかった。
「あなたは、子どもの嫌という言葉を重く見すぎている。嫌だと言っても、薬は飲ませなければならない。嫌だと言っても、冷たい夜は毛布をかけなければならない。嫌だと言っても、母から離して治療する必要がある時もある」
「その通りです」
私は頷いた。
「だからこそ、嫌と言った理由を聞く必要があります。薬が苦いから嫌なのか、喉が痛くて飲み込めないから嫌なのか、前に無理に飲まされて怖いから嫌なのか。それを聞かずに同じ方法を押しつければ、治療そのものが怖くなる」
マリア第一王女が静かに私たちを見ている。
カミーユ補佐が口を開いた。
「では、ノエリア様。あなたは何を条件に国の支援を受け入れるのですか」
私は用意していた紙を出した。
「第一に、子どもの名前と安心物を記録から消さないこと。第二に、療養室の移動には保護者同意と本人への説明を義務づけること。第三に、標準温度だけでなく寝台位置の温度を測ること。第四に、面会を罰や褒美に使わないこと。第五に、施設ごとの独立監査を置くこと」
「要求が多い」
「子どもは項目が多いのです」
エルミーヌ公爵夫人が小さく笑った。
「美しい理想ですわ。でも、理想で冬は越せません」
「王立療養院の窓際の子は、標準で冬を越せていませんでした」
彼女の目が、初めて冷たく動いた。
「誰のことかしら」
「エマという子です」
「個別の名前を公の場で出すのは慎重になさった方がよいわ」
「名前を消す場では、慎重になりすぎるより、まず呼ぶことが必要です」
昼食会の空気は、もう和やかではなかった。
食後、マリア第一王女は私を別室へ呼んだ。
「敵を増やしましたね」
「増やすつもりはありませんでした」
「エルミーヌ公爵夫人は、王立医務局より厄介です。彼女は利益だけで動いていない」
「分かります」
「分かるのですか」
「子どもを母から離すことを、正しいと信じている顔でした」
マリア第一王女は、少しだけ目を伏せた。
「彼女は昔、子を亡くしています」
私は言葉を失った。
「ただし、それが何を正当化するかは別問題です」
「はい」
「あなたの条件案は預かります。けれど、移管案を止めるには、感情ではなく、動かせる仕組みを示してください」
「示します」
王宮を出る時、空から細かな雪が落ち始めていた。
今年最初の雪だ。
冬は待たない。
けれど、だからといって子どもの名前を消していい理由にはならない。
私は馬車の中で、リュシーの昼食を思い出した。
今日は鶏肉のスープ。にんじんを小さく切ったもの。
娘はきっと、最後にパンを少しスープにつけて食べる。
その小さな食卓を守ることから、制度は始まるべきだ。