作品タイトル不明
第三話 王立療養院の冷たい毛布
王立医務局から移管案を受けた三日後、マリア第一王女殿下から招待状が届いた。
『王立冬季療養院東棟の視察に同行されたし』
文面は短い。けれど、封蝋には第一王女の印が押されている。個人的な招待ではなく、公的な視察だ。
私はリュシーの朝の体調を確認し、ハンナとマーサに冬鈴館を任せた。アルノルトは同行を申し出たが、北境からの使者が来ていたため、午後から合流することになった。
「一人で大丈夫ですか」
「一人ではありません。ミレーヌに来てもらいます」
「それなら少し安心しました」
「あなたの安心の基準は、私よりミレーヌなの?」
「あなたは怒ると、非常に正しいことを非常に静かに言います。ミレーヌ殿は、その横で証拠を三部作ります」
私は返す言葉に迷い、結局、少し笑った。
王都の東端に建つ王立冬季療養院は、大きく、美しかった。
正門には白い石柱が並び、窓には厚い硝子が入っている。玄関ホールは暖かく、床には磨かれた赤い石が敷かれていた。案内の医務官は誇らしげに説明する。
「こちらが標準療養施設の見本となります。寝具はすべて同一規格。食事は年齢別に三種類。暖房は中央魔石炉による一括管理です」
マリア第一王女は、微笑みを崩さず聞いていた。
彼女は以前から冬鈴館を支援してくれている。だが王族である以上、国の制度そのものを簡単に否定する立場にはない。今日の彼女は支援者ではなく、判断者だった。
「ノエリア様。見てどう思われますか」
「玄関と見本室は、とても整っています」
医務官の笑顔が少し固まった。
「他もご覧になりますか」
「もちろんです」
見本室には、暖かい毛布が美しく畳まれていた。窓際には花瓶があり、子ども用の本も並べられている。ここにいるだけなら、冬鈴館より立派に見えるだろう。
けれど、私は部屋の隅に手をかざした。
暖かい。
表面は。
壁の奥が冷えている。中央魔石炉からの熱は天井近くに上がり、床に近い場所は少しずつ冷気を溜めていた。大人の腰の高さでは問題がなくても、寝台で眠る子どもの胸元には冷えが残る。
「床近くの温度を測っても?」
「標準計測では、室内中央の高さで」
「子どもは室内中央の高さで眠りません」
ミレーヌがすぐに携帯温度計を出した。
医務官は慌てて別の説明を始めたが、マリア第一王女が手で制した。
「測りなさい」
結果は、見本室でも大人の計測値より三度低かった。
「三度程度なら」
「リュシーなら、夜明け前に咳が出ます」
私は毛布を一枚手に取った。
見た目は上質だ。だが重い。保温性はあるが、細い子どもの胸には負担になる。寝返りが苦手な幼児なら、顔にかかった時に自分で払えないかもしれない。
「年齢別に三種類とのことでしたが、体格や症状別には分けていないのですか」
「標準規格を増やすと管理が複雑になります」
「複雑な子どもは、どう扱うのですか」
医務官は答えなかった。
次に案内されたのは、実際に子どもがいる東棟奥の病室だった。
そこは玄関ほど暖かくなかった。
廊下は長く、石床から冷えが上がっている。窓は厚いが、古い枠の隙間から風が入る。寝台は整っている。だが、整いすぎていた。
すべての寝台が同じ位置。同じ毛布。同じ札。
患者番号だけが違う。
窓際の寝台に、小さな女の子が座っていた。手元の人形を膝の下に隠している。
医務官が柔らかく言った。
「私物は衛生管理上、寝台に置けません」
女の子は唇を噛んだ。
私は彼女に近づく許可を求めた。医務官は少し渋ったが、マリア第一王女の視線を受けて頷いた。
「お名前を聞いてもいい?」
「……エマ」
「寒くない?」
エマは医務官を見た。
それから、小さく首を振った。
嘘をつく子どもの顔だった。
前世の保育士だった頃、私はその顔を何度も見た。大人に迷惑をかけないように、自分の体の訴えを飲み込む顔。
「足を触ってもいい?」
エマは迷い、頷いた。
毛布の下の足は冷たかった。
「靴下は?」
「ぬれるから、一枚だけ」
「濡れる?」
エマは窓の方を見た。
窓枠の下に、うっすら水が溜まっている。結露した水が床へ落ち、寝台の脚元に湿気を集めていた。
医務官が早口で言った。
「清掃担当の手違いです」
「毎朝?」
エマが小さく言った。
部屋が静かになった。
マリア第一王女の表情は変わらない。だが、目だけが鋭くなっていた。
「この部屋の夜間記録を提出しなさい」
「殿下、記録は医務局の」
「提出しなさい」
医務官は頭を下げた。
帰り際、エマが私の袖を小さくつかんだ。
「人形、だめ?」
私は医務官ではなく、マリア第一王女を見た。
王女は少しだけ頷いた。
「洗える布で、名札をつければ置けるように提案します」
「ほんと?」
「ほんと。ただ、すぐには変えられないかもしれない」
「でも、言った?」
「ええ。言ったわ」
エマは人形を胸に抱きしめた。
帰りの馬車で、マリア第一王女は長い沈黙の後に言った。
「国の施設は、整っているように見せるのが上手い」
「私邸も同じです。侯爵家の食堂は、いつも立派でした」
「あなたは怒っていますね」
「はい」
「それでも、冬鈴館だけでは足りません」
「分かっています」
窓の外を、王都の家々が流れていく。
どの家にも、寒い部屋があるかもしれない。名前を消された木札があるかもしれない。人形を隠している子どもがいるかもしれない。
冬鈴館を守るだけでは足りない。
けれど、冬鈴館を奪われたら、何が間違っているかを示す場所まで失う。
「殿下」
「何でしょう」
「私は、国の助けを拒みたいわけではありません」
「ええ」
「ただ、子どもの名前が消える助けなら、受け取れません」
マリア第一王女は、窓の外を見たまま答えた。
「では、名前を消さない制度を見せてください」
それが、第二の戦いの始まりだった。