作品タイトル不明
第十九話 第一王女の呼び出し
第一王女マリア殿下からの召喚状が届いた時、兄セドリックは頭を抱えた。
「お前は本当に、静かにしていても騒ぎになるな」
「私が望んだわけではありません」
「分かっている。だから余計に厄介だ」
マリア第一王女は、王太子の姉であり、王都法院の後見役でもある。聡明で知られ、結婚後も王政補佐官として政治に関わっている。子どもの保護と女性の財産権について、近年いくつもの改革を進めている方だ。
その方が、私の別居申立と南翼療養室の件に関心を持ったらしい。
王宮へ向かう日の朝、リュシーは私の手を握って離さなかった。
「おかあさま、おしごと?」
「ええ。大事なお話をしてくるわ」
「リュシー、いかない?」
「今日は行かない方がいいわ。王宮は少し寒いところもあるから」
「おかあさま、さむくない?」
「保温布を持っていくから大丈夫」
リュシーは真剣に頷き、自分用の小さな保温布を私に差し出した。
「かしてあげる」
「いいの?」
「おかあさま、かえってくる」
「必ず帰ってくるわ」
私はその保温布を受け取った。
王宮の応接室は、美しいが冷たい部屋だった。大理石の床、銀の燭台、薄い香。マリア殿下は深い緑のドレスをまとい、机の向こうで私を迎えた。
「ノエリア・レーヴェルト侯爵夫人。いえ、ヴァイス伯爵令嬢と呼んだ方がよろしいかしら」
「調停中ですので、どちらでもお受けします」
「では、ノエリア様と呼びましょう」
殿下は微笑んだ。
「あなたの書類を読みました。感情を抑えた、よい文書でした」
「ありがとうございます」
「ただし、抑えすぎです。読む者によっては、あなたが傷ついていないと誤解する」
私は少し驚いた。
殿下は机の上に手を置いた。
「法院には事実が必要です。ですが政治には、人々がどの痛みを見落としていたかを示す必要があります。病弱な幼馴染、冷遇された妻、療養中の幼児。今回の件は、単なる家庭内の争いではありません」
「と、おっしゃいますと」
「貴族の婚姻において、妻の持参金で整えた療養設備を夫家が勝手に転用できるのか。幼児の療養環境を、父親の権限で軽視できるのか。母親が子の安全のために別居した時、それを出奔と呼んでよいのか」
殿下の声は穏やかだった。
「私は、よくないと思っています」
胸の奥で、何かがほどけた。
私だけの問題ではない。
そう言われることが、こんなにも心強いとは思わなかった。
「殿下。私は娘を守りたいだけです」
「ええ。その“だけ”が、多くの人にとって難しい」
殿下は私が持っていた保温布に目を留めた。
「それは?」
「娘が貸してくれたものです。私の魔法で温かさを保つ布です」
「見せていただいても?」
私は差し出した。
殿下は手に取り、目を細めた。
「これはよいものですね。派手ではない。でも、必要な人には命綱になる」
「冬鈴館という小さな療養所を始める予定です」
「聞いています。支援しましょう」
あまりに早い返答に、私は言葉を失った。
殿下は微笑んだ。
「ただし条件があります。療養所を、悲劇の母子の美談にしないこと。あなたと娘を消費させないこと。必要な制度として整えること」
「承知しました」
「それから、あなた自身が幸せになること」
私は瞬きした。
「それも条件ですか」
「ええ。子どものためだけに生きる母親を、社会は都合よく使います。あなたは娘を守るために出た。それは立派です。ですが、あなた自身も人生を取り戻しなさい」
王宮から帰る馬車の中で、私はリュシーの保温布を握っていた。
温かさはまだ残っている。
娘が貸してくれた小さな布は、私自身も温めていた。