軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第14話

公爵家からの料理人たちが加わり、『月待ち食堂』の厨房は盤石の体制となっていた。

忙しさは相変わらずだが、以前のような悲壮感はない。

活気に満ちた店内。美味しい匂い。そして――。

「……無理はしていないか?」

ふいに、カウンター越しに低い声がかけられた。

顔を上げると、そこには非番のライオネル・バーンズ団長がいた。

彼はエールを片手に、心配そうな、けれど熱を孕んだ瞳で私を見つめている。

「大丈夫ですよ、ライオネル様。ギュスターヴたちがいてくれますから」

「そうか。だが、あまり根を詰めるなよ。……お前が倒れたら、俺が生きていけない」

彼はサラリと重いことを言う。

最近の騎士団長様は、隠そうともしない好意を直球で投げてくるようになった。

周りの騎士たちが「ヒューヒュー!」と冷やかすが、彼は意に介さない。むしろ、「俺の女だ、文句あるか」と言わんばかりの堂々とした態度だ。

私は顔が熱くなるのをごまかすように、まな板に向き直った。

幸せな日常。

だが、そんな穏やかな時間を壊すかのように、不穏な影が忍び寄っていた。

ある日の開店前。

店の前に、数台の立派な馬車が横付けされた。

降りてきたのは、高価な服を着込んだ中年男性たち。胸には『王都飲食業組合』のバッジが光っている。

「……ここか。最近、我が物顔で客を奪っている『泥棒猫』の店は」

先頭に立つ男――組合長のゴードが、侮蔑的な視線を店に向けた。

彼は老舗レストラン『銀の匙』のオーナーであり、王都の飲食業界を牛耳る保守派のドンだ。

私はエプロンを外し、店の前に出た。

すると、すぐに背後から重厚な足音が近づき、大きな体が私を隠すように前に出た。

「……何の用だ」

ライオネル様だ。

彼の声は、私に向ける甘いものとは正反対の、絶対零度の冷たさを帯びていた。

その全身から放たれる「俺の領域に踏み込むな」という殺気に、ゴードたちがビクリと後ずさる。

「き、騎士団長!? な、なぜここに……」

「俺はここの常連だ。この店の平穏を乱す者は、誰であろうと許さんぞ」

ライオネル様の手が、腰の剣に伸びる。

本気だ。彼は私のために、権力者だろうが何だろうが斬る気だ。

私は慌てて彼の腕に触れた。

「待ってください、ライオネル様。……ここは私に任せてください」

「しかし、シェリル」

「大丈夫です。貴方が後ろにいてくれるなら、私は無敵ですから」

私が微笑むと、ライオネル様は一瞬目を見開き、ふっと表情を緩めた。

「……わかった。だが、何かあればすぐに俺が動く。お前を傷つける言葉一つでも吐けば、その口を塞いでやる」

彼は私の腰に手を添え、エスコートするように一歩下がった。

その大きな手の温もりが、私に勇気をくれる。

私はゴードに向き直った。

「いらっしゃいませ。まだ開店前ですが?」

「ふん。客として来たわけではない!」

ゴードは騎士団長の威圧に怯えつつも、虚勢を張って杖を突き出した。

「私は王都飲食業組合の長として通告に来たのだ。……貴様の店は、王都の食文化を著しく乱している! よって、本日をもって『 食材封鎖(エンバルゴ) 』を行う!」

「食材封鎖?」

「そうだ! 王都の全市場および卸売業者に手を回した。肉も、野菜も、小麦粉一つたりとも、この店には売らせん! 正規ルートを使えなくなれば、店を畳むしかないだろう!」

ゴードは勝ち誇ったように笑った。

食材の供給を断つ。飲食店にとっては死刑宣告だ。

……普通なら、顔面蒼白になるところだろう。

しかし、私は思わず吹き出しそうになった。

私の腰に置かれたライオネル様の手も、可笑しそうに震えている。

「……愚かな連中だ。シェリルの『後ろ盾』が誰かを知らんとは」

「ええ。忠告してあげた方がいいかしら?」

その時だった。

路地の奥から、ガラガラと荷車の音が響いた。

「よぉ、店主様! 今日もまた、面倒な虫が湧いてるみたいだな」

東方商人ザオだ。

彼はゴードたちの横を堂々と通り過ぎ、荷車からドサドサと麻袋を降ろした。

「な、なんだ貴様は! 組合の決定を知らんのか!」

「知らねえよ。俺は東方の流れ者だ。……ほらよ店主様、注文の『強力粉』と『スパイス』、それに『醤油』だ」

さらに、空からは聖獣シロが舞い降りてくる。

口には新鮮なキノコとハーブの束。

「みゃう(山へ行ってきたぞ。……おい騎士、我のシェリルに触りすぎではないか?)」

「ふん、用心棒代だと思って見逃せ、猫」

ライオネル様がシロと軽口を叩き合う。

そして極め付けは、店の中からギュスターヴ料理長が出てきたことだ。

「貴様ら! 我が主、ガラルド公爵閣下の直轄事業たるこの店に、不当な圧力をかけるとは何事か!」

公爵家の紋章を見せつけられ、ゴードたちは完全に萎縮した。

「こ、公爵家直轄……!? 馬鹿な、たかが定食屋に!?」

東方ルート、聖獣の採取、公爵家の農場直送。

彼らの頼みの綱である「経済封鎖」は、私たちの前では赤子の戯言に等しかった。

「……さて」

私は一歩前に出た。

ライオネル様が、背中を守るように寄り添ってくれる。

「営業妨害はこれくらいにしていただきましょうか。……それとも、お客様として食べていきます? 貴方たちが『下品』と呼ぶ料理が、なぜこれほど愛されているのか、教えて差し上げますよ」

「ぐぬぬ……! いいだろう! 食べてやる! その上で酷評してやるわ!」

引くに引けなくなったゴードたちは、店内に雪崩れ込んだ。

私は厨房に入り、ギュスターヴたちに号令をかける。

「総員、戦闘配置! 今日のメニューは、スタミナ満点の『あれ』よ!」

ライオネル様も厨房に入ってきて、自然と私のエプロンの紐を結び直してくれた。

背後から抱きしめられるような体勢に、ドキリとする。

「……見せてやれ、シェリル。俺が惚れ込んだ味の凄さを」

「はいっ!」

今日のメニューは、これまでの集大成。

騎士団を虜にした『豚カツ』と、隣国王子をひれ伏させた『カレー』の融合。

『カツカレー』だ。

公爵家から届いた最高級の豚ロース肉。

ギュスターヴたちが揚げていく。

――ジュワァァァ……ッ!

いい音だ。

そしてカレーソース。

今回はカツに負けないよう、ザオが持ってきた『インスタントコーヒー』と『ビターチョコレート』を隠し味に加え、コクと深みを増した「欧風濃厚カレー」に仕上げてある。

皿に銀シャリを盛り、揚げたてのカツを乗せる。

その上から、熱々のカレーソースをとろりとかける。

褐色のマグマが、黄金色のカツを覆い隠していく背徳的なビジュアル。

「お待たせしました。『特製ロースカツカレー』です」

ドン、とゴードたちの前に置く。

スパイシーな香りと、揚げ油の香ばしさが混ざり合い、鼻腔を強襲する。

彼らの喉が、本能的に鳴った。

「ふん、毒見だ……」

ゴードは震える手でスプーンを持ち、一口食べた。

その瞬間。

「…………ッ!!」

彼の目が点になった。

サクサクの衣、溢れる肉汁、スパイシーなルー、そして甘みのある銀シャリ。

口の中で起きる旨味の爆発に、言葉を失ったのだ。

「な、なんだこれは……! 揚げ物に煮込みをかけるなど邪道だと思っていたが……なぜこれほど合う!?」

「うめぇぇぇ! このコク、老舗のデミグラスより深いぞ!」

あっという間に、店内はカツカレーを貪る音で満たされた。

プライドなどかなぐり捨て、彼らは一心不乱に食べている。

完敗だ。言葉にするまでもなく、その食いっぷりが全てを物語っていた。

ライオネル様が、私の方を見て満足げに笑った。

「どうだ、組合長。まだ文句はあるか?」

「ぐぬぬ……! み、認めん! 認めんぞ……!」

ゴードは涙目で叫んだ。

「こんな……こんな美味いものが、庶民の食べ物であってたまるかぁぁぁ!」

それは、最上級の賛辞だった。

結局、ゴードたちは「……また食べに来てやる」と捨て台詞を吐いて、常連客の仲間入りを果たしたのだった。

◇ ◇ ◇

閉店後。

片付けを終えた私は、勝手口のベンチで夜風に当たっていた。

戦いが終わった後の心地よい疲労感。

すると、隣に誰かが座る気配がした。

「……お疲れ様」

ライオネル様だ。

彼は二つのカップを持っていて、片方を私に手渡してくれた。温かいハーブティーだ。

「ありがとうございます。……ライオネル様こそ、今日はありがとうございました」

「俺は何もしていない。お前の料理が、奴らを黙らせたんだ」

彼は夜空を見上げながら、静かに言った。

「シェリル。お前は強いな」

「強くなんてないです。……貴方がいてくれたから、強気でいられただけです」

私が正直に伝えると、彼は驚いたように私を見た。

そして、カップを置いて、私の手をそっと握った。

大きく、温かく、少しゴツゴツした剣士の手。

「……俺は、お前が店を守るために戦う姿が好きだ。だが、それ以上に……お前を守りたいと思う」

彼の顔が近づく。

真っ直ぐな瞳が、私の目を捕らえて離さない。

「どんな敵が来ようと、俺が盾になる。だから……俺のそばで、ずっと笑っていてくれ」

「ライオネル様……」

胸がいっぱいになった。

こんな風に、誰かに大切にされたことなんて、今までなかった。

私は握り返された手に力を込め、小さく頷いた。

「はい。……私も、貴方にずっと美味しいご飯を作りたいです」

それは、遠回しな告白だったかもしれない。

ライオネル様は嬉しそうに目を細め、私の額にそっと唇を寄せた。

触れるか触れないか。

そんな淡い口づけの余韻に浸っていると、屋根の上から「みゃう(見せつけてくれるな)」という呆れた声が降ってきたけれど。

私たちの関係は、カツカレーのようにはっきりと濃厚にはまだなれないけれど、じっくり煮込んだスープのように、確実に深まっていた。

そんなある日。

北の辺境から一通の手紙が届いた。

差出人は『元聖女リナ』。