作品タイトル不明
ラニアとローデン、中庭にて
その頃。
ローデンはラニアに手を引かれ、中庭へ来ていた。
初夏の風が花を揺らし、小さな白い花弁が石畳へ落ちていく。
ラニアは周囲を見回した。
誰もいない。
使用人の気配も、護衛の視線もない。
それを確認すると、ふわり、と笑った。
「本当に、久しぶりだね」
その声は、幼女のものなのに。ローデンには、昔のラニアの声にしか聞こえなかった。
「ああ……」
ローデンは静かに息を吐く。
「……ラニア、か?」
確認するような声だった。
ラニアはくすりと笑う。
「そうだよ」
陽の光を受ける瞳は、やはり金色だった。
あの日、見た時と同じ。忘れられるはずもない色。
ローデンは目を細めた。
「俺の知ってる、ラニアなんだよな?」
「あの二人には、内緒にしておいてね」
「……だろうな」
ローデンは深く息を吐いた。
驚きはあった。理解不能な事態でもあった。
だが、不思議と受け入れている自分がいた。
目の前にいるのは、確かにラニアだったからだ。
ラニアはしゃがみ込み、小さな花を摘み始める。本当に花冠を作るつもりらしい。器用な指先で、ひとつひとつ花を集めていく。
「何で身分を隠すの?」
何気ない調子で聞かれ、ローデンは少し眉を上げた。
「わかるのか?」
「だって、あの二人」
ラニアはちらりと館の方を見る。
「どう見ても上の方だよ?」
そして、小さくローデンを見る。
「……ローデン、君もね」
ローデンは思わず頭をかいた。
「服装には気をつけたつもりだが」
「……そうだね」
ラニアは曖昧に返した。
その返事に、ローデンは苦笑する。誤魔化せていないらしい。
ラニアはまた花を摘み始めた。
風が吹き、紫の髪が揺れる。
「……で、どうしたの?」
ラニアは花を編みながら言う。
「……伝えてなかったから」
ローデンの声は、思ったより低かった。
「何を?」
ラニアは顔を上げる。
ローデンは、口を閉じた。
四年以上。その時間は、長かった。
戦場を駆け、地位を得て、責任を背負い、多くを学んだ。
気づけば、自分はもう若者ではない。あと十年もすれば、“おじさん”と呼ばれても、おかしくない年齢になる。
対してラニアは、今、小さな幼女だった。
過去に抱いた決意が、揺らぐ。
本当に待たせていいのか、こんな未来を望んでいいのか。
ローデンが沈黙したまま動かないのを見て、ラニアは立ち上がった。
そして、そっと近づく。
金色の瞳が、真っ直ぐローデンを覗き込む。
幼い背伸び。
小さな唇が、耳元へ寄せられた。
「望むなら、待っててもいいよ」
囁くような声。
ローデンは息を止めた。
ラニアは、かすかに笑う。
「誰も申込みが、無ければね」
冗談のようで、冗談ではない声だった。
「今の僕は、無力だし」
その瞬間、ローデンの瞳の奥で。
ずっと押し殺していた炎が、静かに揺れた。
「……もう少し、磐石にしたら」
ローデンは呻くように言った。
それは戦場で命令を下す声ではなかった。
迷いと、焦燥と、必死さを押し殺した声だった。
「待っててくれるか?」
ラニアはぱちりと瞬きをした。
それから、ふわりと笑う。
「なんで泣きそうなの?」
「……気のせいだ」
ローデンは視線を逸らした。
ラニアは何も言わず、摘んだ花を編み込んでいく。
白い花、青い小花、淡い黄色の花弁。
幼い指が器用に絡めていき、やがて小さな花冠が出来上がった。
「そうだ」
ラニアは満足そうにそれを持ち上げる。
「ローデン、君を僕の騎士に任命してあげよう」
「……絵本の読み過ぎだ」
「よくわかったね」
ラニアはくすくす笑った。
ローデンだって、そのくらいは知っている。
幼い姫君、騎士、忠誠、守護。よくある絵本の話だ。
それでも、ラニアは真面目な顔になる。
「剣はないから、これでね」
そう言って、そっと、ローデンの頭へ花冠を乗せた。
風が吹き、花弁が揺れる。
ローデンは動かなかった。いや、動けなかった。
ラニアは小さく息を吸う。
そして、まるで古い騎士叙任の真似をするように。静かに言った。
「ローデン」
幼い声。けれど、不思議なほど澄んでいた。
「僕が困った時、助けてくれる?」
ローデンはラニアを見る。
金色の瞳が真っ直ぐ自分を映していた。
「僕が泣いた時、守ってくれる?」
小さな手が、そっと差し出される。
「僕が一人になった時、側にいてくれる?」
それは絵本の真似事だ。
幼子の遊び、そのはずだった。
なのにローデンは、戦場で王に忠誠を誓った時よりも重く感じた。
ローデンはゆっくりと片膝をついた。
本来なら、王へ捧げる礼。
騎士が主へ示す忠誠の姿。
そして、ラニアの小さな手を取る。
大きな手が、壊れ物に触れるように、優しく包んだ。
「……ああ」
低い声が落ちる。
「お前が望む限り」
風が花を揺らした。
ラニアは少しだけ目を細める。
満足そうに、嬉しそうに。
「うん」
そうして。
小さな姫君は、自分の騎士の手を握ったのだった。