作品タイトル不明
ローデンの出立前
それから一年が過ぎ、ローデンは部下達に隣国の北の領地に行く事を伝えた。
大部隊の編成が始まった。
「……俺一人でも十分なのだが?」
ローデンは不満げに言った。
しかし側近は、即座に首を横に振る。
「いけません」
「御身を何と心得ているのですか」
周囲の護衛達も真顔で頷いていた。
ローデンは眉間を押さえる。
「……いや、だが俺はそんなに弱くない、と思っている」
「我々よりお強いことは存じ上げています」
「ですが、不意打ちや毒、待ち伏せもあります」
「それに、閣下が一人旅など前代未聞です」
「……大袈裟だな」
「大袈裟ではありません」
ぴしゃりと言い切られ、ローデンは沈黙した。そして数秒後、諦めたように深く息を吐く。
「……わかった。何人ならいいんだ」
側近達は、ようやく安堵した顔になった。
とはいえ、本来なら十数名規模で護衛を付けたいのが本音である。二人まで減らされたのは、ほとんどローデンの押し切りだった。
そうして出立前の準備が進む中、ローデンは皇国でも最高級の織物を購入していた。
側近は、荷物を見て思わず口を開く。
「……随分と買われるのですね」
「必要だからな」
短い返答。
しかし、その時のローデンの表情が妙に真剣で、誰もそれ以上言えなかった。
そして皇国を発つ直前。
ローデンは、一つの宝石店の前で立ち止まっていた。硝子越しに、小さな宝石飾りをじっと見つめている。
「……宝石は、どうだろうか」
ぽつり、と呟いた。
側近は恐る恐る聞く。
「どなたに渡されるのでしょう?」
「……女の、子どもだ。五歳になるか、な」
その瞬間、側近は、全てを察した。
ローデンは、時折北の領地へ手紙と小包を送っていた。
もちろん表向きの理由はある。
『魔鳥の羽根と鱗を、次回少し融通してほしい』
そんな名目を付けていた。
実際、それらは非常に価値のある素材で、不自然ではない。けれども、送っている物の大半は、どう考えても子供向けだった。
上等な布で仕立てた服。冬用の外套。柔らかな靴。小さな刺繍入りの手袋。
しかも毎回、異常なほど真剣に選んでいる。
側近は慎重に答えた。
「……宝石は、少々早いかと」
「そうか?」
「五歳ですと、まだ遊ぶ最中に失くす可能性もございます」
ローデンは腕を組み、真面目に悩み始めた。
「……もしかして、資金援助が必要なのでしょうか?」
「いや、それは必要としてない」
「でしたら?人気の玩具などはいかがでしょう?」
だがローデンは即座に首を横に振る。
「いや、玩具は不要だ」
「……不要、なのですか?でしたら……袖のない上着などはどうでしょう。子供はすぐ成長しますので、大きめなら長く着られます」
「それは前に送った」
「……左様でございますか」
完全に常連だった。
ローデンは再び店を見つめた後、ようやく踵を返した。
「次か」
その声には、僅かな高揚が混じっていた。
そして歩き出したローデンの口元は、薄く笑っている。それを見た部下達は、何とも言えない顔になる。
かつてのローデンを知っているからだ。
血と戦場の中に立ち、誰より冷たく、誰より荒れていた男。
女に全く興味を示さず、ただ剣だけを握っていた男。
その男が今は、五歳の女の子への贈り物に、本気で悩んでいる。
部下の一人が、小声で呟いた。
「……人って、変わるんだな」
「しっ」
別の護衛が慌てて止める。
だが誰もが思っていた。
ローデンは今、とても機嫌が良いのだと。
ローデンは知らない。
ローデンが隣国の北の領地へ向かうと知らされた瞬間、軍の中は静かに――しかし猛烈に荒れた。
「誰が随伴する?」
その一言である。
本来ならば、総大将が国外へ出るのだ。護衛など何十人いても足りない。だが、ローデン本人が「目立つ」「鬱陶しい」「多すぎる」と徹底的に嫌がった結果、最終的に許されたのは、たった二人だった。
たった二人、つまりそれは。
ローデン閣下直属の護衛、という、軍人達にとって最高峰の名誉だった。
「俺が行くべきだろう」
最初に名乗りを上げたのは、重騎士隊長だった。
二メートル近い巨体。大盾を片手で扱い、戦場では城壁、と呼ばれる男だ。
「閣下を守るなら、防御力が必要だ」
「いや、速度だろ」
即座に反論したのは、遊撃部隊の隊長。
軽装で敵陣を駆け抜ける俊敏さを持ち、風切り、の異名を持つ。
「護衛は反応速度が全てだ。奇襲への対応力なら俺だ」
「お前は突っ込み過ぎる」
「お前は遅すぎる」
火花が散った。
さらに。
「……諸君。忘れていないか?」
静かに現れたのは、参謀補佐だった。
眼鏡を押し上げながら、淡々と言う。
「ローデン閣下は、戦えば大抵の敵より強い」
全員が黙った。事実だった。
「つまり必要なのは、単純な武力ではなく、面倒事への対処能力、だ」
「……」
「旅程管理、宿の確保、交渉、偽装。さらに、閣下が勝手に単独行動しないよう監視する役目もある」
「最後のが一番重要では?」
誰かが呟いた。
全員が頷いた。
そこから先は、もはや選抜試験だった。
剣術試験、体力試験、野営技術、馬術、交渉術、潜入時を想定した変装。
そして最後に。
ローデン閣下を制止できるか、
という、意味不明な試験まで始まった。
「閣下、お待ち下さい」
「何故だ?」
「その屋台の串焼きは危険です」
「美味そうだが?」
「だからです」
「閣下、一人で森へ入らないで下さい」
「敵の気配がした」
「我々が確認します」
「いや、俺の方が早い」
「そういう問題ではありません」
試験官役の副官は、頭を抱えた。
「これ、護衛選抜なのか……?」
結果、最終的に勝ち残ったのは二人だった。
一人は、冷静沈着な参謀補佐。
何があっても顔色を変えず、ローデンの無茶を最も止められる男。
もう一人は、遊撃隊長。
実力、速度、判断力。その全てが突出していた。何より。
「閣下が走り出した時、追いつけるのが俺しかいない」
という理由が決定打だった。
選抜終了後、敗北した軍人達は悔しさに歯を食いしばった。
「くそっ……!」
「羨ましい……!」
「俺も北へ行きたかった……!」
中には本気で涙ぐむ者までいた。
そして後日。
出発準備を終えたローデンは、二人を見て僅かに眉を上げた。
「……お前達か」
「不服ですか?」
参謀補佐が聞く。
ローデンは少しだけ考え、口元を上げた。
「いや。悪くない」
その一言で。
周囲の軍人達は、更に本気で嫉妬したのだった。